■節子への挽歌4439:名セリフを忘れてしまいました
節子
昨日の結婚式は、やはりうまく話せませんでした。
困ったものです。
前半はうまく話せたのですが、真ん中ごろからだんだんいろいろと考えた名セリフ?が思い出せなくなり、実は原稿を持ってきているのですが、と断ってから、原稿を出して確かめようとしたのですが、ますますわからなくなってしまいました。
その名セリフが話せなかったのが、少し心残りです。
話は、まずは「おめでとう」と言った上で、問題は何がめでたいか、です、という、いささか素直でない問いから始めましたが、最後は、その問いへの一応の答えを出して、改めておめでとう、と締めたのですが、これはまあ何とかうまくいきました。
しかし、結婚式の主賓スピーチで、まさか「何がめでたいのか」などという人はそうはいないでしょう。
それでも「恩師」の話は、ジンと来たという人もいてまあよかったです。
知り合いは一人と聞いていましたが、湯島のサロンに行ったことがあるという人が数名いて、思わぬ出会いもありました。
結婚式にも、親族の中に紛れ込んで参列したのですが、久しぶりの神式の結婚式でした。
それから披露宴までの時間がちょっと長く、それでいささか疲れてしまいました。
娘たちもきちんとした結婚式をやっていないのですが、そもそも私がやっていないので、仕方がありません。
その考えを、節子にまでもしかしたら押し付けたかもしれないなと少し反省しました。
フリーランスで活動している若いクリエイターの人たちが多かったので、実ににぎやかで楽しい結婚式でしたが、5時間を超える場はやはり身体に応えました。
みんなも私のような年寄りを立ててくれましたが、最近の若い世代は本当に心優しいです。
次々と出てくる料理を食べていたら、後半はとても食べられず、一番の目玉の「鯛めし」は食べられませんでした。
しかしいささかいやしくも頑張って食べてしまったら、お腹がいっぱいで帰宅するのがつらいほどでした。
せっかくの料理だからと頑張るのは、やはり貧しさの表われでしょう。
葬儀も婚儀も、ポトラッチではないですが、無駄に食べ残すのがルールなのでしょうが、なかなかそれができません。
しかしとてもいい結婚式でした。
帰宅した途端に、抗癌治療している友人からの電話が入りました。
一挙に違う世界に引き込まれ、気分が反転してしまいました。
明るい生を謳歌している人がいる一方で、死に立ち向かっている人もいる。
私は、死もまた明るいと最近は少し思えるようになってきていますが、誰もそうではありません。
違った世界の往来は、やはり疲れます。
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