■節子への挽歌4413:幽界からの誘い
節子
那須での2日間は、いささか不思議な2日間でした。
翌日になっても気になることも多く、要するにあの2日間は幽界をさまよっていたのではないかという確信を得ました。
そういえば、その時は気が付きませんでしたが、帰りの電車の中で武田さんからのメールや留守電が入っているのに気が付きました。
「連絡がないけれど死んではいないでしょうね」という連絡です。
たかが1日、2日で大げさな内容です。
もしかしたら1日、2日ではなくて、現世ではかなり長い時間がたっていたのかもしれないというような気にもなりましたが、そうした浦島太郎現象は起きませんでした。
しかし節子も知っているように、武田さんは臨死体験もあり、いまも死のすぐ近くにいますから、何かを感じたのかもしれません。
もちろん武田さん本人は自覚はしていないでしょうが。
その反動で長い電話が、それも2回もありました。
現世の話は退屈でしたが。
幽界との接触という意味では、節子がいなくなってから何回もありました。
というよりも、節子を見送った後の数年は、幽界と顕界を往来していたような気さえあります。
いまでも記憶に残っているのは、媼と男女の童の3人に、東京と大阪で会ったことです。
ほとんど同じ服装で、踊りを踊っているような雰囲気でした。
東京で見かけたのは湯島の実盛坂の上でした。
大阪はどこか全く思い出せません。
あの頃、その気になれば、幽界に入って戻ってこられなくなっていたかもしれません。
いずれにしろ、節子がいなくなってから数年の間の記憶がとてもあいまいで時間軸さえおかしいのです。
それを思い出すと、もしかしたら今いるのは顕界ではなく、幽界かもしれません。
冷静に考えるといまの生活はあまり論理的ではないことも少なくありません。
夢の中ほどではありませんが、どこかにおかしさを感ずることがあるのです。
いまもなお時に不思議なことが起こるからです。
那須の幽界体験からなかなか離脱できません。
困ったものです。
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