■節子への挽歌4418:幸せな死
節子
今度は深夜に電話でした。
娘の義父が亡くなりました。
病院に搬送後、一時、回復した感じでしたが、家族などみんなに会ったせいか、夜になり状況が変わったようです。
最後の孫であるにこにも会えて、笑ってくれたそうです。
家族に囲まれ、10日前までは元気に暮らしていたようですから、幸せな死だったと思います。
私も、こういう死を迎えたいと思います。
私にとっては、死は生きることの一時点でしかありません。
物理的に生きていても、会うこともないし、滅多に思い出しもしない友人知人もいますが、そういう人との違いさえ感じません。
会わなくなった人と死者との違いは、私にはほとんどありません。
ですから、「死者」に再会することさえあるわけです。
それに、死後の生も否定はしていませんので、他者の死も平常心で受け入れられます。
自らの死は、これもまたたぶん大丈夫でしょう。
ただ、一緒に日常を過ごしている家族の死にはたぶんまだ立ち向かえないでしょう。
節子の場合が、そうでした。
しかし、節子の死によって、私の死に関する考えや態度が変わったのかもしれません。
12年間、死は私の隣にずっとありましたから。
ちなみに、死にこころ乱さないためには、直接に会う機会を減らしていくことかもしれません。
死者のご冥福を祈ります。
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