■節子への挽歌4430:オブジーボ
節子
もう一人、やはり抗がん治療に取り組んでいる友人がいます。
彼のことも私に気持ちに大きな影響を与えています。
小学校時代の同級生です。
胃がんの手術をしましたが、節子と同じステージでした。
ただ進行性ではないようです。
彼は独身で、相談相手があまりいません。
幼馴染のつながりで、私を頼りにしてくれています。
昨年の今頃、彼が治療方針に関するセカンドオピニオンを訊きたいというので、一緒に癌研に行きましたが、その方針できましたが、事態があまり変化しません。
私自身は、変化がないのは良いことで、その間に免疫力を高め、化学療法や薬事治療はしない方がいいと思うのですが、当事者にとってはやはり事態が変わらないことに不安があるのでしょう。
病気は治すべきだという呪縛からなかなか抜けられないのです。
節子は、一切の抗がん剤治療は受けませんでした。
それがよかったかどうかはわかりませんが、節子も私も、議論するまでもなく、その方策をとりました。
そのおかげで、一時は奇跡が起こったと思えるほどでしたが、やはり5年に届く前に、節子は逝ってしまいました。
ですから、何がいいのかは、確信は持てませんが、ただ私なら薬はすべてやめるだろうとは確信しました。
しかし、たとえ幼馴染とはいえ、その考えを他者に押し付けることはできません。
彼は今、病院の薦めもあって、オビジーボ治療を検討しています。
1か月前からその相談を受け、彼に会いに行ったりしているのですが、彼の迷いを止めることができません。
一番深く考えているのは私ではなく彼ですから。
21日にまた癌研にセカンドオピニオンを訊くに行くと連絡があったので、同行しようとスタンバイしていましたが、直前に彼と電話したら、今回は一人で大丈夫だというので、私も体調不良でもあったので、今回は同行しませんでした。
後で彼と電話で話しました。
同行しなかったことを後悔しました。
調子が戻ったら、やはり彼に会いに行こうと思います。
人はやはり一人では決断できないものなのです。
私が極めて楽観主義者でいられたのは、たぶんいつも節子が隣にいたからです。
Oさんに奇跡が起こってほしいのと同じく、彼にも奇跡が起こってほしいです。
特定の人への奇跡を祈るのは、私の信条には反するのですが。
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