■二酸化炭素による地球温暖化に関する私の変節
国連気候行動サミットで温室効果ガス排出問題に対するグレタさんのスピーチに関して、反省を含めて、やはり書いておくことにしました。
私は、二酸化炭素による温室効果が地球の温暖化を進めていると、つい最近まで全く信じていませんでした。
いまもちょっと懐疑的です。
そもそも「温暖化」という捉え方も、正直まだ納得はしていません。
この問題では、10年以上前に兄と激しい議論をしたため、兄はまだ私を非難しているようで、先日、一緒に食事をしたときにも、それとなく嫌味を言われました。
ゴア元副大統領のドキュメンタリー「不都合の真実」は2本とも見ていますが、どうもこれもわかりやすすぎて疑いたくなります。
地球温暖化説への否定的意見は、このブログでも何回か書いていますが、グレタさんの話に影響されたわけではありませんが、もしかしたら私が間違いだったと最近思い直しだしています。
少なくとも、絶対否定はしないように「変節」しました。
兄にはまだ謝ってはいませんが。
私の反対の理由は2つありました。
まず二酸化炭素犯人説が、原発推進を背景に政財界の人たちからまことしやかに強調され出したことへの不信感です。
地球環境問題が高まる契機になったローマクラブの「成長の限界」は話題になりだしてからすぐ読んで感動し、以来それなりに生活態度も改め関係情報も集めてきました。
エイモリー・ロビンスの「ソフトエネルギー・パス」やシューマッハーの中間技術などには共感し、その頃はまだ会社にいたので、調査して情報を社内にも流しました。
1980年代の動きが、もしそのまま加速されていたら、今頃日本は自然エネルギー活用先進国になっていたでしょう。
しかし、時間がたつにつれて、むしろ持続可能な発展とか開発とか、結局は経済成長と植民地支配が隠された形で進む勢いはむしろ加速され、話もだんだんややこしくなり、少しずつ疑問が生まれだしました。
日本でも「二酸化炭素汚染しない」原子力発電はクリーンだと言われる状況に向かい、そのなかで3.11福島事故が起きました。
つまり、二酸化炭素地球温暖化論は、さらなる経済成長のための目くらましの言説ではないかと思ってしまったのです。
もう一つは「温暖化」という捉え方への疑問でした。
温暖化ではなく、自然が乱れだし、地球が活性化しだしたという捉え方がいいのではないかと思っていたのです。
過剰すぎるほど人口は急増していますが、地球は人間の所作ごときではそう変わらないのではないか。
むしろ地質学、あるいは地球生命論的に、いま大きな激変期がはじまったと捉えるべきではないかと考えていたのです。
温暖化はその一つの現象でしかない。
最近起こっている現象は、むしろそう捉えると私には納得できます。
もしそうなら問題の捉え方を根本から変えなければいけません。
以上の2点で、私は二酸化炭素原因説や地球温暖化説に異論を持っていたのです。
しかし、最近もしかしたら地球は温暖化していて、その大きな一因は人間による二酸化炭素の過剰な生産かもしれないと思い直したくなってきたのです。
それに、もしそれが間違いや経済成長主義者による脅しだとしても、グレタさんの言うように、何もしないよりはいいのではないか、とも考えました。
そのためには、疑うよりも、まずは信ずるのもいいかもしれない。
そしてつい少し前に「変節」しました。
AIにとっては、地球温暖化も気候異常化も、大した問題ではないばかりか、好都合な話でしょう。
しかし、人間であればそうも言っていられません。
先日の那須のサロンで、50年前に今西錦二さんが言っていた「人類は22世紀まではもたんような気もするんやけどな」という言葉や、私の意見は時々ガラッと反転してしまうという話を話題にしたこともあって、それに関してこんな記事を書いてしまいました。
いまも私がパソコンに向かっている部屋の外では、強風が大きな声で吠えている感じです。
自然に抗って生きるのは、私の性分ではありませんが、さらに自粛したいと思います。
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