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2019/10/31

■節子への挽歌4442:人間の表情をした観音様

節子

今日は書きたいことが山ほどある日になりました。
しかしまあ一つだけに絞りましょう。
それは高月町の覚念寺の十一面観音に会ったことです。

湯島で1時間ほど時間があいたので、不忍池近くにあるびわ湖長浜観音ハウスに行きました。
最近しばらく来られなかったのですが、ここは滋賀県長浜市にある観音像を一体だけ展示しているところです。
琵琶県の湖東は、福井の小浜から奈良の東大寺につながる「かんのんみち」と言われ、とても美しい「観音像」がたくさんあります。

節子の生家のある長浜市の高月町には、かつてはその白眉とも言える、渡岸寺の十一面観音が居ました。
いまは、「居る」というよりも「ある」という感じになってしまったので、私はもう行く気がなくなっていますが、節子と一緒になれたのも、その観音様が関係していたのかもしれません。
節子に会った頃、私はその観音にあこがれていたのです。

節子の実家が、その観音のすぐ近くだと知り、訪問した時にその観音に会いに行きました。
感動したというか、それから観音様めぐりが始まりました。
その頃、私の中では、観音像と節子とがどこかでつながっていたのかもしれません。

節子と結婚したおかげで、高月町界隈のたくさんの観音様に会ってきました。
ほとんどが在の住民によって守られてきました。
ですからみんな美しくて優しいのです。

節子がいなくなってからは、観音様に会う機会もなくなりました。
しかし、数年前にユカからこの長浜観音ハウスを教えてもらい、時々来ています。

今回は高月町の覚念寺の十一面観音立像でした。
普段は秘仏のはずで、滅多には見られないとも聞きましたが、私も初めてかもしれません。
もしかしたら、結婚した直後に、節子と一緒に行ったような気もしますが、いまとなっては確認のしようがありません。

今回、一見して驚いたのは、人間の表情をしていることです。
遠くから拝むとそう感じませんが、近くでよく見ると、これはまさに人間の表情だなと感じます。

もう一つ印象深かったのは、頭上の顔の中に忿怒の表情がなく、みんな実におだやかなのです。
木目の目立つスギ材の仏像なのも、心やすまります。
しばし見とれていました。

以前に会っているとしても、たぶん今回ほど近くでは拝顔できなかったはずですから、この表情に会うのは、いずれにしろ初めてです。
作は、室町から江戸時代と表示されていましたが、表情から見て、室町ではないと思いました。
もちろん根拠はまったくありませんが。

ところで、驚いたことに、その小さな展示場で小学時代の同級生の升田さんに会いました。
彼女も時間の合間にちょっと寄ったのだそうです。
お互いにあることの途中だったので、お茶も飲まずに別れましたが、こんなこともあるのです。

観音様のおかげで、その前後の、ちょっとハードな話の疲れもやわらぎました。

Kannon1 Kannon2

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