■節子への挽歌4438:私にとっての最高の恩師は節子だった
節子
今日は久しぶりの結婚式です。
数年前に知り合った若い友人から招かれたのですが、その人と出会ったのは数年前なので、年上の友人という立場で、みんなが話した後に何か一言言えばいいと軽く考えていたのですが、先日会ったら、私が最初に挨拶をすることになっているのだそうです。
しかも、恩師として話すのはどうですか、と言われてしまいました。
恩師? 何で私が恩師なのか。
その理由を訊いたら、私と付き合いだしてから、生き方が少し変わった気がすると言われてしまいました。そう言われてしまうとなんだかその責任をとらなければいけないような気になってしまいました。
恩師として話をする以上、恩師ってなんなのかを考えなければいけません。
それで私にとっての恩師とはだれなのかを考えてみました。
どうもピンと来る人が思い浮かびません。
悩んでいたのですが、昨夜、お風呂に入っていて気づきました。
私にとっての最高の恩師は、節子だったと気づいたのです。
思い返してみれば、私の人生を支え、間違いを正し、あるいは力を与えてくれたのは、節子でした。
何かを教えてもらったわけではありませんが、たくさんのことを気づかせてくれた。
学問の恩師、仕事の恩師とは言えませんが、人生という視点で考えると、伴侶である節子こそが恩師だった気がします。
そしてたぶん節子にとっても夫である私が人生の恩師だったという気がします。
お互いに生き方を尊重しながら、時に反対し言い合いもしながら、いつも支えてくれていた。
どちらが恩師でどちらが子弟ということではなく、夫婦とは、あるいは家族とは、お互いに「教え合い学び合う関係」なのだと、気づいたのです。
それで今日の結婚式には、その話をしようと思います。
そして、2人には、お互いに人生の「恩師になる/恩師にする」ような関係を育て上げていってほしいと言おうと思います。
さてうまく話せるといいのですが。
まだ咳が残っていて、声もちょっと違います。
明日はやはりお医者さんに行こうと思います。
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