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2019年11月

2019/11/30

■節子への挽歌4470:「ブレずに貫いて78年」

節子

今日は久しぶりに背広を着て、もちろん靴も履いて(最近はいつもサンダルです)、講義をしてきました。
生活哲学学会の主催するプログラムで、4回の連続講義を引き受けてしまったのです。
テーマは「シビックアントレプレナーのすすめ」です。

まあそれはともかく、そこで25歳の若者に会いました。
講義は対話型も入れ込みながら行ったのですが、彼の発言にとても関心を持ちました。
講義を終わって帰宅したら、彼からメールが入っていました。
いささか気恥ずかしいのですが、一部を紹介させてもらいます。

佐藤様のような方の生き方、考え方を25歳のうちに触れられたこと、本当に自分は恵まれているなと感じた時間でした。
まだまだ経験の足りない私なので大変おこがましいですが、お話しいただいた内容に共感する部分が多く、自分の生き方は間違ってないんだなと、再確認出来ました。
と同時に、誰もが楽に流れて忘れてしまいがちな、本当に人として大切なことを誤魔化さず、ブレずに貫いて78年生きてこられたすごさに感服する限りです。

改めて、「言葉にできないすごさ」を考えるきっかけになったと思います。
私も佐藤様のように謙虚でおごらず、時には厳しく、それでいて包み込むような優しさもある器の大きい男になれるよう日々精進致します。
それでいて私だからこそできること、私が存在している意味も常に考えながら、これからの長い人生を生きていきたいと思っております。

若さ特有の過剰反応があると思いますが、私への評価はともかく、「自分の生き方は間違ってないんだなと、再確認出来ました」というところを読んで、今日の講義は報われたと思いました。
私の話の本意はいつもほとんどが伝わらないことはこれまで何回も体験しています。
しかし、時にこんなこともあるのです。

もっとも、「ブレずに貫いて78年生きてこられた」という点は、残念ながら事実ではありません。
たしかに子どものころから本質的には変わっていないと思いますが、実際にはブレまくっていた気もします。
私がようやく落ち着いたのは、たぶん節子を見送って数年してからでしょう。
節子という、私にとってはかけがえのない伴侶から、生前も死後も、気づかされた結果です。

にもかかわらず、いまもなお、ブレまくっているのかもしれません。
彼を裏切らないように、生きなければいけません。

届いたメールを節子にも読ませたくなりました。
最近、こういうこと、つまり節子に聴いてほしいことがよく起こります。

聴いてもらえる人がいることの幸せは、いなくなってから気づくものです。
もしそういう人がいたら、ぜひ大切にしてください。

 

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■節子への挽歌4469:20年ぶりの旧友

節子

昨日は20年近く会っていなかった友人と会いました。
会社時代の同僚です。
同じく会社時代の同僚だった友人が我孫子に住んでいますが、3人で会ったのです。

幸いにあまり昔話は出ませんでした。
むかし話も時にはいいですが、私はあんまり好きではありません。

彼は私が取り組んでいたコムケア活動を手伝ってくれていましたが、ある時に突然辞めてしまいました。
それがずっと気になっていたのですが、まあそれも詮索はしないことにしました。
過去を語って意義のあることもありますが、多くは思考が前に進まなくなるからです。

彼とは意外な話で共通点がありました。
日本文字の形成過程に関する関心です。

彼はいま、いろんなところで、古事記や日本書紀を学んでいるそうです。
最近は「出雲風土記」にも関心を広げているようです。
たぶんその過程で、文字の問題に出会ったのでしょう。
私は最近の万葉集サロンで、万葉仮名に興味を持ち、放送大学で「日本語概説」を視聴し始めました。
文字の話は実に面白く、いろんなことを気づかせてくれます。

久しぶりなのに、会って話していると、気分は昔に戻ります。
この20年近くの時間は何だったのだろうかと思います。
しかし、外見上はお互いに大きく変わっています。
それにそれぞれが何らかの身体上の問題を抱えている。

久しぶりの旧友は心臓に問題があり、もう一人の地元の友人も内臓に問題を抱えています。
かくいう私も、それなりにいろいろと問題があるのでしょう。
ただ私は病院に検査にも治療にも行かないだけのことなのです。
ですから、誰もがいつダウンしてもおかしくないのです。

私自身は、彼岸も来世も確信していますから、さほど気にはしていないのですが、やはり高齢になると、友人に会いたくなるのかもしれません。

 

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2019/11/29

■節子への挽歌4468:人との付き合いのほとんどは無駄な会話で占められている

節子

昨夜はよく眠れずに、いやな夢ばかり見ていました。
おかげで7時にユカから起こされるまで眠っていました。
こんなことは初めてです。

今朝はお昼前に約束がありました。
遠来の客を受けて、近くに住んでいる友人と昼食を一緒にする約束です。
その前に、昨日のメールにどう返信しようかと少し悩んでいました。
一応、すぐに返信はしたのですが、それだけでは不十分な気がしています。
しかし、彼の性格やこれまでのやり取りを考えると、これがまた難しい。

考えがまとまらないうちに時間が来てしまい、約束の場所に出かけました。
久しぶりの遠来の客は、すでに来ていました。
アレンジしてくれた友人と一緒に食事をしましたが、なんだか気分がまとまらず、自らを元気づけるために何か話していないとやり切れないような気分になってしまいました。
ずっと昨日もらったメールのことが頭から離れません。

しかし旧知の3人で話をしているうちに、なんとなく吹っ切れました。
やはり人は無駄話を通して、救われるのだと思いました。
メールをくれた彼にはこういう無駄話の時間はあったのだろうかとふと思いました。
その相手をしてやれなかった悔いがまた浮かんできました。

2時過ぎに食事を終わり、そこから私は帰宅することにしました。
明日、あるところで講演をしなくてはいけないのですが、その準備があまりできていないことに今朝気づいたのです。
困ったものですが。

出かける時はあったかかったのですが、風邪が出てきて少し寒くなっていました。
例によって薄着でサンダルででかけたのですが、ちょっと反省しました。
それで急ぎ足で自宅に戻りましたが、途中で、近くの中村さんに会いました。
彼女は、遠くから私を見ていたのですが、近づいたら、佐藤さん、背が伸びましたね、と言うのです。
いえ、最近は縮みがちですと答えましたが、姿勢がいいから大きく見えると言われました。
寒いので急いでいたので、背筋が伸びていたのでしょう。
そこから少し孫の話になりました。
寒いので早く帰りたかったのですが、中村さんは話好きなのです。

人との付き合いのほとんどは、そういう無駄な会話で占められているのでしょう。
そう言えば、今日の級友たちとの会話も、無駄な会話だったといえるでしょう。
しかし、無駄な会話の効用はとても大きいのです。
無駄な会話があればこそ、人は平安な生活を過ごせるのかもしれません。

帰宅して明日の準備をしようと思っていたのですが、まあ急ぐこともありません。
昨夜録画していた「ドクターX」を見ることにしました。
「わたし、失敗しないので」というセリフを聞くときっとさらに元気になるでしょう。

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2019/11/28

■節子への挽歌4467:元気が一瞬にして打ち砕かれました

節子

心の安定は一瞬にして失われるものです。
夕方、パソコンを開いたら、なかなか連絡がとれなくなっていた若い友人からのメールが届いていました。
それを読んで愕然としました。

用件に関する返事に続けて、最後にこう書いてあったのです。

あと、私の病気ですが、ガンが、あちこちに転移しています。
(中略)
最低限度の治療は行いますが、完治しない場合は、緩和ケアに移行するつもりです。

彼が入院したことは知っていました。
しかし、それは別の理由だと考えていました。
まさか癌とは。そしてあちこちに転移とは。

それまでの少し明るい気分は完全に吹っ飛んでしまいました。
彼は実に誠実に生きてきた若者です。
この半年、なんとか彼の心を開こうと思って、それなりに頑張ってきましたが、夏ころから少し関係がおかしくなり、最近会えずにいました。
それは彼の精神的な状況のせいだろうと思っていました。
関係性が戻ったら、彼が構想していたことをできるような状況づくりは、それなりにしてきましたが、それも無駄になってしまうかもしれません。

まあそんなことはどうでもいいのですが、あまりにもむごい運命としか言いようがありません。
彼はみんなのためにこれまで自らを犠牲にしてまで生きてきたことを知っているだけに、哀しいというかやり場のない怒りを感じます。

彼が心を開ける友人になれていなかったことを心から悔みます。
どうしたらいいか、頭がまとまりません。

 

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■節子への挽歌4466:「死に水を取らせてください」

節子

岐阜の佐々木さんからまた柿がどっさりと送られてきました。
早速節子にも供えさせてもらいました。
十三回忌の法要にも、柿やリンゴを持っていきました。
節子にも届いたことでしょう。

佐々木さんは最近はすっかり岐阜に引きこもり、豊かな暮らしを楽しまれています。
もし節子がいたら、私もそういう暮らしになっていたかもしれません。
しかし残念ながらなかなかそういう暮らしには入れません。

今日はある人が気になって、用事をキャンセルして、湯島に行って、その人と会いました。
前日の夜まで迷っていたのですが、そしてその人もわざわざ出てこなくても大丈夫と言ってくれていたのですが、メールの行間にはやはり出て来いという感じがありました。
寒くて雨も降っていたので、あまり気のりはしませんでしたが、湯島に朝、出かけました。

ホッとしたのは、その人が前よりも元気だったことです。
当面の危機は脱したようです。
表情が全く変わっていました。
こんな感じなら来なくてもよかったなと思ったのですが、どうもそうではなく、今日、私と会えることも元気の素だったようです。

そして急に、こんなことをいうのは…と突然また深刻な顔になりました。
しかし、そのまま、言うと佐藤さんに嫌われるかもしれないので、やはり言うのはやめますとまた涙顔になってしまいました。
やはり私にはまだ言っていない何かがあるのかと不安がよぎりましたが、何を言われても私は大丈夫だし、そもそも今でも嫌っているよと伝えました。
もちろん嫌っているというのは「冗談」ですが、その真意が相手に伝わるかどうかは問題です。
これまでも誤解されたことはありますし。

その言葉で、彼は話してくれました。
「佐藤さんの死に水を取らせてもらいたい」。
真剣な表情で、そう言ったのです。

え!!?

安心しましたが、意外でした。
かなり大変だったのだなと思いました。

私は、それに応えて、「私は死なないから」と応えました。
実は最近、テレビドラマの「ドクターX」のファンになりました。
ドクターンお決まり言葉は、「わたし、失敗しないので」です。
その言葉を聞くと、なぜか心が安心します。

私は世間的な意味では失敗ばかりしていた人間ですので、その言葉に癒されるのです。
まあ失敗ばかりしている人間には、一度でいいから言いたい言葉でもあります。
「私は死なないから」という言葉をこれからは私の気まり言葉にしようと思いました。

彼が元気になって湯島を出て行ったことで、午後は元気になれました。
それも夕方までの束の間のげんきでしたが。

 

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2019/11/27

■「資本主義と闘った男-宇沢弘文と経済学の世界」

「経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である」。

これはケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』の結び近くで放った警句だそうです。
とても納得できる言葉です。
私もまた、そうした意味では「奴隷」であることは間違いありません。
最近、改めてそのことに気づかされています。

この言葉に出合ったのは、今日、読み終えた「資本主義と闘った男-宇沢弘文と経済学の世界」です。
日経の経済部記者だった佐々木実さんが時間をかけて取材してきた大作です。

ずっと違和感を持っていたいくつかのことが少し納得できました。

たとえば、なぜ宇沢さんはシカゴ大学などにいたのか。
そしてなぜ日本に戻ってきたのか。
また、なぜアメリカではケインズ経済学が評価されないのか。
さらにどうして私が経済学を好きになれないのかも。

まあそれはそれとして、この本は実に面白いです。
政治と経済に関心をお持ちの方にお勧めします。
ちょっと厚いのが問題ですが。

宇沢さんが編著した社会的共通資本シリーズはほぼすべて読んでいますが、惜しむらくは、「報道」問題が取り上げられないままに宇沢さんが亡くなったことです。
できれば「社会的共通資本としての経済学」も書いてほしかったです。

 

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■CWSサロン「時間意識と自殺予防〜都市でのつながりをどうつくるか」のご案内

11月から、改めて「コミュニティ」をテーマにしたサロン始めましたが、今回はその第2弾です。
今回の切り口は「時間」と「自殺」。
問題提起してくれる杉原学さんは、この2つのテーマに長年取り組んでいますが、今回はその2つの結節点の一つである「つながり」づくりに焦点を当てて話をしてくださいます。
これらのテーマは、人生の根源に関わる哲学的なテーマですが、同時にいまを生きる私たちにとってはとても現実的な課題でもあります。

杉原さんからのメッセージです。

日本の年間自殺者数は近年減少傾向にありますが、子どもや若者の自殺は増加しており、むしろ深刻化しているような気もします。そのような背景をふまえながら、僕たち一人ひとりにできる自殺予防を、時間論の視点も交えながら、みなさんと一緒に考えていけたらいいなーと思っています。

杉原さんは、時に悩める哲学者でもあり、時に楽しく生きる達人でもあります。
どんなお話が聞けるか楽しみです。
杉原さんの著作は次のサイトをご覧ください。
amzn.to/2HGdGf0

人生に悩んでいる、悩んでいない人、いずれも大歓迎です。
テーマは難しそうですが、やわらかなサロンになるでしょう。
つながりづくりの極意にも気づかせてもらえるかもしれません。

年末が迫った時期ですが、ぜひご参加ください。

〇日時:2019年12月21日(土曜日)午後1時半~3時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「時間意識と自殺予防〜都市でのつながりをどう作ったらいいんすかね?〜」
〇話題提供者:杉原学さん(高等遊民会議世話人・かがり火WEB共同主宰)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■CWSサロン「次世代原発 小型モジュール型原子炉の可能性」報告

次世代原子炉の一つとも言われている「小型モジュール型原子炉」についての学習型サロンは残念ながら5人の参加者しかありませんでした。
しかしそのおかげで、じっくりと学ぶことができるサロンになりました。
質疑応答が中心でしたので、学習型サロンの良さにも改めて気づきました。

技術士〔原子力・放射線部門〕である畑さんは、公開ベースの資料をたくさん用意してくれて、ていねいに解説してくれました。
参加者の多くは、かなり原子力発電に詳しい人たちでしたが、私のように知識がほとんどない人でもかなり理解できた気がします。
もちろん技術的な話だけではありません。
安全性の話やエネルギー自給の話もあり、社会のあり方や未来を展望した話も出ました。

私が知らなかったこともたくさんありました。
私の反原発姿勢はまだ変わりませんが、ちょっと見方が変わったことは事実です。
「知ること」で考えは変わるものです。

今回、私が感じたのは、技術要因と人間要因の関連性をもっときちんと捉えていかなくてはならないということです。
私のような右脳型の人間は、現場を見て感覚的に反原発になってしまい、肝心の技術要因への関心がどうしても弱くなります。それなりに科学技術に関しては勉強をしてきたつもりですが、原子力に関しては、書籍からの受け売りの知識がほとんどです。
受け売りの知識はすぐに揺れ動きますので、行動の基軸にはなりません。
それに、そもそも人が知りうる知識など、本当にわずかなものでしかありません。

いずれにしろ、次世代原子炉への動きは、世界的には進んでいるようです。
ただ反対するだけではなく、やはりきちんと動きをつかんでおかないといけないと改めて思いました。
話の内容を報告するだけの知識や評価力はありませんので、報告はできませんが、私には「学び」と「気づき」の多いサロンでした。

なお、畑さんは資料を何部か置いていってくれました。
関心のある人は湯島に来た時にお渡ししますので、ご連絡ください。

学習型サロンは来年から時々開こうと思います。
関心のあるテーマがあればご連絡ください。
先日、要請があった「宇宙のダークマター」問題も実現できるかもしれません。

 

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■CWSサロン「網野史観パート2-日本はどこから来て、どこへ行く?」のお誘い

2019年11月に行った網野史観サロン、そのパート2を開催します。
今一度、網野史観そのものを話し合うことにしました。
というのも、前の一回目だけでは消化しきれないばかりか、さらにあんなこと、こんなことを知りたいという関心を高めた人が少なからず出ているからです。

そこで今回は、前回の蔵原さんと、加えて「日本の神道文化研究会」の平井さんにも来てもらいます。平井さんには過去に日本神道、沖縄文化に関する湯島サロンをしてもらいましたが、今回は少し違った視点から「素朴な質問係」をやっていただく予定です。

今回は日本の「内と外」、さらに網野史観でよく出てくる「異形」「異界」へ焦点を当ててもらいます。質問係の平井さんは平井さんで、日本における「資本主義の源流」に目を向けたいとお考えです。前回の蔵原さんの説明で「過去を支配するものは未来を支配する」というフレーズが出ましたが、今回は「日本の過去に何が起こったか」を考えてみたいわけです。
さらに参加希望のみなさんからご要望、質問内容を事前にいただければ、それも発表者の蔵原さんが取り込んでくれる、とご本人から了承いただきました。

話しだしたら止まらないお2人が来ますので、いささかにぎやかなサロンになると思いますが、年初のサロンにふさわしい内容になるでしょう。それだけではなく、前回消化不良だった「アジール」「悪党」にも触れてもらい、できれば最後に少しだけ、蔵原さんの考える「日本の別の選択」にも改めて言及してもらおうと思います。

〇日時:2020年1月12日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ: http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:蔵原大さん(東京国際工科専門職大学講師)
〇テーマ:「網野史観パート2-日本はどこから来て、どこへ行く?」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

※参考資料:予備知識は不要ですが、できればお正月休みにでも網野さんの『日本王権論』を読んでもらえれば、サロンをもっと楽しめるかもしれません。
『日本王権論』http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-29160-3/

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2019/11/26

■節子への挽歌4465:十三回忌が無事終わりました

節子
遅れていた十三回忌をようやく無事終わりました。

残念ながら今回は結局節子のお姉さんは体調の関係で参加できませんでしたが、姉夫婦と節子の家族とで、宝蔵院にお願いして法要してもらいました。
寒い日で本堂も寒かったですが、節子の孫のにこもきちんとお焼香もできました。
宝蔵院のご住職もいい僧侶に育ってきています。

13回忌を過ぎると節子を守る仏も金剛界の大日如来に変わるそうです。
17回忌になると、今度は胎蔵界の大日如来にバトンタッチだそうです。

今回の手配は娘のユカがしてくれました。
これでもういつでも私を送る手続きも大丈夫でしょう。

法要後、みんなで久しぶりに中華料理を食べに行きました。
節子がいたころは、時々、家族みんなで中華料理も食べに行きましたが、節子がいなくなってからはほとんど行かなくなってしまいました。
今日は柏の銀座アスターだったのですが、何やら中華らしからぬ中華で、節子がいたころの方が中華らしくてよかったなという話になりました。
今回はコースを頼んでしまったので、ちょっとスマートすぎて物足りませんでした。

それにしてももう13年目。
最近私にも気力が戻ってきましたが、あっという間の13年でした。
いや、長い長い13年と言ってもいいかもしれません。

13年が過ぎたので、これからはちょっとまた気分を変えていこうと思います。
それにしても今日は冬のような寒さでした。

 

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■CWSサロン「小学生の過ごし方が大人なった時に与える影響」報告

テーマの関係か、いつもと違って女性中心のサロンになりました。
しかも孫世代に関わっている女性が多かったです。
こういうところにも、いまの日本社会の現実が読み取れます。

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かわさきさんは、なぜ学童保育活動に取り組むようになったかを話した後、子供を取り巻く現在の社会環境や子育てに関する最近の動きなどを紹介してくれました。
それを踏まえて、かわさきさんが主宰している「学童・子ども教室 まぁはす」の活動について、具体的に紹介してくれました。
かわさきさんは、小学生の過ごし方が大人なった時に与える影響の大きさを知って、この活動に取り組みだしたそうです。

「まぁはす」の基本理念は「体験に勝る学びなし」だそうです。
その理念のもとに4つの基本プログラムを展開しています。
「自然体験」「日本文化」「外国文化」そして「地域交流」です。
この4つの柱に、かわさきさんの思いが象徴されています。

他にもスペシャルプログラムがあり、年間でいえば、子どもたちのいろいろな関心事に合わせた100以上のさまざまなプロジェクトがあるそうです。
お話をお聞きしていて、いずれもかわさきさんのこれまでの多彩なキャリアを活かして体験的に開発されたプログラムであると感じました。
子ども視点での環境整備にも心がけていることもよくわかりました。

かわさきさんが、大事にしていることの一つが、子どもたちの「夢」です。
小学生の時期は、夢に向かって歩き始める時期でもありますから、かわさきさんはそれを大切にしているのです。
そして、子どもたちが持っている良さを引き出すのが、かわさきさんの仕事です。
子どもだからと妥協せずにできるだけ「ほんもの」と出合わせようとしている、かわさきさんの姿勢にも共感できます。

かわさきさんの話の後、みんなでの話し合いになりました。
今回は子どもに関わっている方も多く、参加者のお話も示唆に富むものばかりでした。
障害を持つ子どもたちに関わっている人も数名参加されていましたので、そういう話題も出ました。
「障害」をどう捉えるかの話もありましたが、立場によって、捉え方も微妙に違うことを知ることも大切だと、改めて思いました。

子どもの両親や家族の問題も出ました。
子育てにとって、家族や家庭の大切さですが、そこが分断されがちな今の子育て制度は考え直すべきではないかと私は思っていますが、みなさんの話を聞きして、改めてその重要さを確認できました。

制度に規制されることによる問題も話題になりました。
制度に合わせた子育てではなく、子ども視点での制度発想が必要だと思いました。
かわさきさんの取り組みの根底には、それがあると感じましたが、公の学校制度ではそれは難しいのでしょう。

食の話も少し出ました。
子育て(子育ち)や教育にとって、食ほど大切なものはないと思っている私は、食の問題にはもっと目を向けなければと思っています。
まだいろいろとあったと思いますが、このくらいで。

私が一番印象に残ったのは、かわさきさんが話した「渋柿の話」でした。
「まぁはす」では自然体験を重視していますが、たとえば渋柿が渋いなどとは教えないそうです。
まずは渋柿を実際に食べて、渋さを自分で体験するように仕向けます。
そして、その渋柿を干し柿にしていくと甘くなることも、自分たちで体験的に実感させるそうです。
翌年、次の子どもたちが入会してくると、渋柿のことを体験的に知っている先輩の子どもたちは、後輩の彼らに渋柿を勧めて食べさせ、その反応を楽しむそうです。
そうやって体験の知が伝わっていく。
同時に、学びの面白さや知識の大切さ、あるいは人間関係のつくり方も自然と身に着けていく。
そういう学びは、最近の学校から消えてきているのではないかと思います。

この話に関連して、子どもたちのグループが世代割りになっていることも話題になりました。
最近はそういうことの見直しも始まり、世代を通したクラス編成や世代間の交流の仕組みづくりも始まっていますが、まだまだ基本構造は変わっていません。
しかし、人は同世代で生きているわけではなく、むしろ多世代交流で生きているのです。

我田引水ですが、湯島サロンのような多世代の話し合いの場が、もっと増えてほしいですし、子どもの育ちの場にももっと多世代の人たちが関わっていけるようになるといいなと思いました。

子ども関係のサロンは、今年はあまり開催しませんでしたが、来年は少し力を入れていこうと思います。
話したい方、ぜひご連絡ください。

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2019/11/25

■CWSサロン「ローマ法王来日で思ったことを話し合いませんか」のご案内

長崎、広島、そして東京でのミサを終えて、ローマ法王は帰国されました。
ローマ法王の来日に合わせて、湯島では10月に「核時代に懸ける人類生存の橋」をテーマにサロンを開催しました。
そして法王来日直前に、サロンで話をしてくれた本間さんのビデオメッセージを収録し、ユーチューブで発信しました。
https://www.youtube.com/watch?v=UeqlOlpSYGg&feature=youtu.be&fbclid=IwAR3MLjra-aHpFp52YPDXrczy1qevw0NZ_LrYXj0Ma9_y9ql2ALqEhZ93oII
おかげさまで大勢の人が見てくれました。

その時に、引き続き、みんなで「核時代における平和」をテーマにみんなで話しあえるような場や公開フォーラムをつくっていきたいと書きました。
この種の意識は時が過ぎると冷めてしまいます。
そうならないように、ローマ法王来日の記憶がまだ残っている間に、自由に感想などを話し合えたらと思います。
そこで、毎月開催している、「茶色の朝」シリーズのサロン(BMSサロン)を12月は、それに代えさせてもらうことにしました。

最初に本間さんからのビデオメッセージの要約版を見て、それから自由に参加者での話し合いができればと思います。
と言っても、難しい話し合いを想定してはいません。
法王によるミサの様子や各地でのメッセージ、あるいはそうした報道を見て、何か気づいたことなどあれば、それを感想的に話し合えればと思います。
もしできれば、ちょっとだけ「宗教」についても話し合えればうれしいです。
来年は、少し「宗教」や「信仰」についてサロンでとりあげられないかと考えています。

思い立ったら実行に移すのが私の信条でもあります。
ぜひ多くの人に参加していただきたいと思います。
急なご案内ですが、よろしくお願いいたします。

〇日時:2019年12月7日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ローマ法王来日で思ったことを話し合いませんか」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■CWSサロン「箸文化を考える-世界中に箸友をつくろう」のご案内

国際箸学会という学会をご存知でしょうか。
箸文化を学び、新しい箸文化を創り、箸を通じて、世界中の人と<出会いの喜び><創造の喜び><達成の喜び>をわかちあうことを目的として、2006年に発足した、ちょっと変わった学会です。

学会ですので、アカデミックな研究や箸文化に関する啓発活動にも取り組んでいますが、箸をつかったゲームを開発し、それを活かした社会活動や国際交流活動も行っています。
https://kokusai-hashi.org/index.html

その創案者の小宮山さんに来ていただいて、箸文化を語ってもらうとともに、箸学会が行っている活動やビジョンなどを紹介してもらおうと思います。
箸は食にもつながり、世界中の人たちをつなぐ道具でもあります。
小宮山さんは、この活動を通して世界中に「箸友」をつくっていこうと呼びかけています。

もし共感してくださった方はぜひ箸学会への入会もお願いしたいと思っています。
箸学会は毎月のサロンのほか、講演会などさまざまな活動を行っています。

湯島ではこれまで何回か、箸ゲームの体験サロンも行ってきていますが、今回は箸文化を話し合うのが主目的です。
もっとも小宮山さんのことですから、たぶん箸ゲーム体験もあると思いますが、箸ゲームもどんどん進化していますので、楽しんでもらえると思います。

年の瀬も迫ったご多用の時期とは思いますが、だからこそちょっと息抜きも兼ねて、箸文化を語り合い、箸ゲームを楽しむサロンを楽しんでもらえればと思います。

〇日時:2020年12月22日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ: http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:小宮山栄さん(国際箸学会会長)
〇テーマ:「箸文化を考える」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

 

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2019/11/24

■節子への挽歌4464:久しぶりの会社訪問

節子

一昨日、久しぶりにコミーを訪問しました。
節子も知っている小宮山さんの会社です。

ただ今回は会社の本業ではなく、小宮山さんが取り組んでいる箸ゲームの件です。
毎月、湯島で集まっているほっとスマイルプロジェクトに小宮山さんに来てもらって「箸ゲームサロン」をやったのですが、それがとても好評で、みんながコミーの会社に行きたいと言い出したのです。
それでコミーの会社の視察ツアーという次第になりました。

社員みんなで箸ゲームをやる様子も見せてもらった後、会社も見せてもらいました。
参加者全員が国際箸学会にも入会しました。

私は午後は、その「御一行様」から抜け出し、久しぶりなので、社員とその後のコミーの話を聞かせてもらいました。
午後は用事があったのですが話しているうちに長くなってしまい、午後の用事はキャンセルさせてもらいました。

最近、あまり会社を訪問することがなかったのですが、やはり会社はさまざまな人生が絡み合っている面白い場です。
そこから気づかせてもらえることは山のようにある。

また少し会社にも関わりたくなってきました。
刺激を受けると何かやりたくなる。
その習癖はどうも治りそうもありません。

 

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2019/11/23

■節子への挽歌4463:私は「私」ではないのではないか

節子

めまぐるしいほどにいろんなことが周りで起こっていて(あるいは起こしていて)、節子がいたころのような数日を過ごしています。
しかしあの頃と全く違うのは、自分自身の心身の変化です。
記憶力が大きく低下するとともに、気力に体力がついていきません。

困ったものです。
むかしは、1日もあればかなりのことができましたし、心身共に連続的に動いていました。
しかし最近は「疲れ」がでてきてしまいます。
時に休みたくなる。
ユカに言わせると、最近の私の口癖は「疲れた」だそうです。

湯島に来る人も疲れた人が多い。
その人に向かって、疲れるほど頑張ってはいけない、などと言っている本人がつかれてしまっていては、話になりません。
他者と自分とはどうしても一致しないのです。

2日前に本を、マルクス・ガブリエルという人の『「私」は脳ではない』という本を図書館から借りてきて、読み出しました。
私の脳が披露しているのかどうか、読んでもよくわかりません。
私は、わからない本は早く読めるという「特技」?を持っているので、1日で半分以上読み進んだのですが、理解はほとんどできていないので、読んでいないと言ってもいいかもしれません。

しかし一つだけ示唆を受けました。
私は「私」ではないのではないかということです。
外でさまざまなことに取り組んでいる私と家で疲れたと言っている私は、同じ私なのか。

私は意識の束という考え方にはかなり共感していますが、それを束ねているのが「私」だと考えていましたが、どうもそうではないのではないか。
私は私の中にはなく、どうも私の外にあるのではないか。
意味の分からないことを書いていますが、そんな気がしてきたのです。

いろんなことに関わりながら世界を広げていきたいと思っている「私」についていけなくなってきている「私」がいる。
その「私」を使い切ったところで、「私」は次の「私」を見つけていく。

ますますわからなくなってきました。
困ったものです。

この本を改めて最初から読みなおすことにしました。
今度は少し歯が立つといいのですが。

 

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2019/11/21

■節子への挽歌4462:セカンドオピニオン

節子

小学校時代の同級生はいま抗癌治療をしています。
2年ほど前に胃がんが発見されたのです。
彼は独り身のため、一人でがんばっています。
それで、あまり役には立ちませんが、私が相談相手になっています。
時々は運動も兼ねて湯島までやってきますが、時には私が彼の家に行きます。
多くのやり取りは電話ですが、電話ではなかなか思いは伝わりません。

癌が突然発見され、私のところにやってきてからもう2年です。
幸いにして進行性ではなかったので、安定しているようです。
むしろ癌やその治療による体力低下で、いろいろな問題が懸念され、医師もそちらのほうの検査や治療に取り組んでくれています。
しかし、本人は、やはり「癌」という言葉に呪縛されているような気がします。

節子の抗癌治療の体験を踏まえて、私もアドバイスなどしていますが、そのたびに節子の時のことを思い出して、それなりにつらいこともあります。
しかし、それ以上に、癌治療に関するアドバイスは、難しいことを感じます。
生命にかかわるということもありますが、やはりあまりに治療法がわからないからです。

最近は彼はオブジーボを使うかどうかで迷っていました。
私はまだ治療として完成していないと思っていますので、薦めませんでしたが、もし節子の場合だったら、たぶん悩んだでしょう。
当事者として考えるか、助言者として考えるかでは、まったく問題の見え方が変わってくることを痛感します。
当事者であるが故の間違いはきっと少なくないのでしょう。
私たちもたぶん間違いを犯している。
そう思うとまた心が沈みます。

友人の場合、一時期は使う方向で、セカンドオピニオンまで2回行ったのですが、使うとしてももう少し先に延ばすことになりました。
今日は、その確認のために私と会いたかったようです。
決断はすでにしていたのですが、私と面と話して、最終的に決めたようです。
迷った時には、だれもが誰かの後押しを必要とするのかもしれません。

帰路、気が付きました。
セカンドオピニオンは、病気に限りません。
彼は、今日はこれからの生き方についてのセカンドオピニオンを聞きに私に会ったのだと。
そういえば、いろんな話をしていましたが、そんなことを考えるのはまだ早い、などと受け流してしまっていたことに気づきました。

また近いうちに会おうと思います。

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■CWSサロン「日本国憲法の制定経過」報告

弁護士の秦悟志さんに、日本国憲法の制定経過をお話しいただくサロンは平日の夜でしたが、9人が参加。
半分近くは若い世代の男女でした。
私はそれだけでもお願いしてよかったと思いました。

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サロンにも書きましたが、「押しつけ憲法」論が横行しがちですが、現行憲法の制定経過をもっときちんと把握する必要があるというのが秦さんの思いです。
秦さんは10頁にわたる詳細な年表を作成してきてくれて、それに沿ってていねいに日本国憲法の制定経過を説明してくれました。
それも単なる年表ではなく、そこに関連情報が的確に整理されて要約されています。
当時の日本の政府関係者や学者、あるいはオピニオンリーダーや国民の意識状況や情報環境もかなりしっかりと読みとれる年表です。
この年表をきちんと読めば、憲法が押し付けられたなどとはそう簡単には言えなくなるでしょう。

資料の最後に、現行憲法の99条(憲法尊重擁護義務)とその自民党憲法改正草案の102条の条文が紹介されていました。
ここに私は秦さんの思いが込められているように感じました。

秦さんのお話を要約することはできませんが、私は2つのことを改めて知りました。

ひとつは、鈴木安蔵さんたち憲法研究会の憲法草案要綱が194512月に日本政府とGHQにしっかりと届けられていたことです。
憲法研究会の憲法草案要綱はとても共感できることが多く、それがまさかGHQに正式に届いていたとは知りませんでした。

もう一つは、日本国憲法が国会によって可決され、公布された後、マッカーサーから吉田首相宛に、日本人民が憲法改正を必要と考えるならば、憲法施行後の初年度と2年度の間に国民投票の実施が必要だろうと伝えていたということです。
しかし当時の政治家からは憲法改正の声は上がらず、憲法再検討問題は立ち消えになったそうです。

こうした事情を踏まえて考えれば、「誰が」「誰に」押し付けたのかも違ったように見えてきます。

話し合いもいろいろと行われましたが、それをまとめるのは難しいので、
一点だけ私が特に重要だと思うことを書かせてもらいます。

これは話し合いも行われたのですが、憲法はだれに向けたものなのか、平たく言えば、憲法は誰を規制するルールなのか、という問題です。
私たちの世代は、憲法は権力者(政府)を規制するものであると教えられてきました。
ですから湯島のサロンでも、そういう思いで憲法を語る人が少なくありません。

しかし、もしそうであれば、憲法で規定するべき義務は統治者の義務であるべきですが、日本国憲法には、就業の義務、教育の義務という国民の義務も明記されています。
この矛盾を説明するために、たとえば就業や教育の義務は「法的義務」ではなく「道徳的義務」だというようなおかしな説明が行われてきています。

憲法には、ほかに「納税の義務」と「憲法尊重擁護義務」(99条)という2つの義務規定がありますが、この2つは「法的義務」だとされています。
同じ法律の中に意味が違う同じ言葉があることは、少しでも法律を学んだ人ならおかしいと思うはずですが(それでは法治主義が成り立ちません)、日本の憲法学者や法律学者はそう思っていないようです。
そこに日本の法学および法学者の本質が象徴されているように思います。

日本国憲法には、統治者(政府)あてのものと、被治者(国民)あてのものが混在しているのです。
決して政府だけを規制しているわけではありません。
そして、そこにこそ、日本国憲法がGHQ主導でつくられた制定過程と無縁ではない問題があると思います。
現行憲法の制定過程をしっかりと学ぶことで、現行憲法の問題が見えてくるのです。

秦さんは最後に、大切なのは「立法事実」だと言いました。
立法事実とは、その法律の必要性を支えている事実です。
押し付けられたかどうかよりも、そうした立法事実や法の目的こそが大切です。
そうした点をおろそかにしてしまうと、今度は政府からの押しつけ憲法ができてしまいかねません。
秦さんが最後に2つの条文を紹介したことに、私はそうしたメッセージを感じました。

憲法は私たちの日常生活とは遠い存在と思いがちですが、決して遠い話ではありません。
多くの人に、憲法を読んでほしいと思います。
私たちの生活を支えているのは、憲法なのですから。

 

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2019/11/20

■CWSサロン「コミュニティについて考えてみませんか?-アジアをめぐる旅から感じたこと」報告

湯島のサロンの大きなテーマである「コミュニティ」についての話し合いを呼びかけた上田さんのサロンには10人が参加しました。

上田さんは8年ほど前にビジネスの世界から早期引退され、以来、それまでとは全く違ったテーマを持って、アジアの伝統社会をめぐる旅をつづけてきています。
今回は、アジアの伝統社会での住民たちとの暮らしで感じたことをもとに、私たちの生き方を起点に置いたコミュニティについて問題提起してくれました。

コミュニティを考えることは、私たちの根源的な思いや価値観を問い質すと同時に、日々の生活に直接かかわることであると上田さんは言います。
しかし、「コミュニティ」は簡単に共通の定義が見つかるテーマではありません。
それに、人によって「コミュニティ」の捉え方もさまざまです。
そこで上田さんは、アジアの伝統社会と日本の現代社会を行き交いながら感じた自らの「コミュニティ」体験を踏まえて、コミュニティに関連したさまざまな視点を紹介してくれました。

現在上田さんが一番共感できるコミュニティの定義は「帰ってゆきたい場所」です。
そこでは、家族のように生きている安心感があり、好き嫌いが重要ではない世界があると上田さんは言います。
アジアの辺境の集落に行くと、好き嫌いにとらわれることなく、みんなが家族のように生きている安心感を上田さんは感ずるそうです。
だからこそ、上田さんは繰り返し、そういう集落を訪ねているのでしょう。

そうした中で暮らしていると、人間ばかりか、自然、さらには霊との関係の中で、自分が生きていることを感ずるそうです。
そうした関係は、日本にいると「わずらわしさ」につながっていくのに、そこではむしろ喜びにつながっていく。
それは、自らの居場所が与えられることでもある。
そこには、自分だけが幸せになるのではなく、みんなが幸せになる世界がある。
上田さんは、そうした「関係の中で生きる夢のような時代」が、子供のころ(昭和30年代)には日本にもあったと言います。

そうした実体験を踏まえて、上田さんは、エーリッヒ・フロムが「生きるということ」で提唱した「to have」 と「to be」という2つの人の存在様式や、「中心と周辺」、「間主観性」、さらには「災害ユートピア」、そして「交響圏とルール圏」、あるいはインドのラダック地方をモデルに一時期話題になった「懐かしい未来」などの話を紹介しながら、コミュニティを考えるさまざまな視点を提出してくれました。
「家族」や「風土(関係の世界)」にも言及されましたが、それらの根底に上田さんは「愛」を見ているようです。

最後に上田さんは、自分にとってのコミュニティとして2つの要件をあげました。
それは、「みんなが関係する歓びが満たされている家族になってゆくこと」と「人だけではなく自然、霊との関係の世界(風土)をもつこと」です。
これが、自らの体験からでてきた上田さんの現在のコミュニティ観のようです。

そこから話し合いが始まりました。

「所有と関係性」「完結したコミュニティと開かれたコミュニティ」「日常と非日常における人間の関係性の変化」「地域社会のコミュニティと企業のコミュニティ」などさまざまな視点での話し合いがありました。
「家族とは何か」は、よく湯島でも話題になりますが、今回も話題になりました。
「開かれたコミュニティと完結するコミュニティ」も少し話題になりました。

被災地や巡礼で「コミュニティ」を実感した人も数名参加していましたので、そこでの体験話もでましたが、ちょうど一週間前にサンティアゴ巡礼から帰国した鈴木さんから、巡礼でいつも体験することも、ユートピ体験やコミュニティにつながるという話がありました。

コミュニティを切り口にすると、いろんなことが感覚的に見えてくるような気がします。
ユートピアもディストピアも、コミュニティの裏表かもしれません。
今回は表面(プラス面)からだけの議論でしたが、コミュニティの裏面も話し合いたくなりました。

上田さんは、最後に、「コミュニティ(コミューン)」をテーマに、継続的に話し合い行動する仲間と場をもちたいと呼びかけました。
湯島のサロンでも同じことを考えていたので、私は早速その呼びかけに応ずることにしました。

湯島サロンでは、12月に、今回も参加してくれた杉原さんの「時間意識と自殺予防〜都市でのつながりをどうつくるか」を予定していますが、来年はじめには「ソーシャル・キャピタル」のサロンも企画中です。
また上田さんと相談して、研究会的なものも実現できればと思います。

関心のある人はぜひご参加ください。

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■4461:孫のにこの冒険(2019年11月20日)

節子
今日も孫がやってきました。
それで孫と一緒に畑に行きました。

私は最近畑仕事を止めてしまったので、畑はもう惨憺たる状況になっています。
それでも畑の端っこの花壇には百日草が咲き乱れています。

にこがその花を積みに行きたいというので、2人ででかけました。
草ぼうぼうですが、にこが野菜も見たいというので畑にも入りました。
収穫していないトマトやピーマンなどが土に落ちていたりしていました。
ピーマンはいくつか収穫しましたが、にこが自分でとりたいというのではさみで切り取ってもらいました。

人参も育っていました。
これは人参だと言ったら、それも掘り起こしたいと言いましたが、まだどのくらいに育っているかわからないので今度にしようということになりました。
放っておいたピーナツかぼちゃも1個、大きくなっていました。
それももいで、にこの友だちへのお土産にしました。

さて花摘みです。
これが斜面の草薮に咲いているので、いささか危険な状況での花摘みになりました。
30本ほどとりました。
これもお土産用です。

畑から家に帰る途中で、にこの上着を畑においてきてしまったことに気づきました。
それで途中から一人で帰れるかとにこに訊いたところ、少し不安げでしたが、大丈夫というので途中から一人で帰らせてみることにしました。
自動車どおりは危ないので、視界が届く間、見ていましたが、にこは不安げにと州で何回か振り返りました。
自宅まで20メートルくらいのところからは曲がっているので目が届きませんが、にこも不安げに振り返りながら曲がっていきました。
最初の大冒険です。

それで私は急いで畑に行き、自宅の戻りました。
その間、ちょっと心配になりました。
こうしたちょっとしたときに行け不明になったり事故にあったりすることもあるからです。
そんな事件を思い出してしまいました。

急いで自宅に帰るとにこが玄関に待っていました。
私を見つけると笑顔になりました。
チャイムが届かずないので鳴らせないのと家のドアが重いので、片手に花をいっぱい持っていることもあって、にこには開けられなかったのです。
悪いことをしました。
親のジュンにいうとまた怒られそうなので内緒にしました。

にこは途中で、ひろみちゃんに会ったと教えてくれました。
わが家の隣家のひとです。
節子がいたら、こういう冒険をもっとたくさんできるのですが、なにしろ娘たちの私への信頼感は低いのです。
時々無茶をやるからなのですが。

しかし無茶をやらない人生は退屈です。

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2019/11/19

■節子への挽歌4460:孫のお寿司デビュー

節子
七五三詣の続きです。

予定ではみんなで近くの寿司勢で食事をする予定でした。
開店時に節子と家族みんなで行ったお寿司屋さんですが、節子がいなくなったからめったに行かなくなっています。
それで久しぶりに行こうということになったのですが、なんとお休みでした。

みんなお腹がすいていたので、その近くにある回転ずしの浜寿司になってしまいました。
このお店は何と平日は190円なのです。
いかにも私の孫らしく、庶民的なお寿司デビューです。
ニコにとっては、まあどこも同じでしょうが。

最近、にこはお寿司が食べられるようになったのですが、お寿司屋さんは初めてです。
なんと4つも食べました。
お寿司を食べた後、ポテトチップを食べていたのがちょっと気に入りませんが、まあ私にも一本くれたのでいいことにしましょう。
にこは卵アレルギーなので、食事はけっこう大変なのです。

神社とは打って変わって、機嫌がよくなりました。
子どもの機嫌はなかなか予測しがたいです。

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■節子への挽歌4459:孫の七五三詣

節子

節子の孫(私の孫でもありますが)の七五三詣で野田の桜木神社に行ってきました。
いい天気でしたが、にこの機嫌がちょっとよくなかったです。
にこは、午前中よりも夕方が元気になるのです。

私もユカも同行しましたが、節子がいたら、きっと雰囲気はまったく違っていたでしょう。
孫の育ち方も変わっていたはずです。

私はどこかで節子がいたらといつも思うので、思い切り孫と遊べないところがあります。
節子ができないことに、何か申し訳ない気持ちがあるのです。
そのため、娘は私があんまり孫が好きではないかと思ったこともあるようです。
そんなことはなく、逆にあまり私になついてしまうことも避けたかったこともあります。

カメラマンも同行してくれましたが、にこはちょっと緊張してしまい、なかなか笑顔が出ませんでした。
それでも無事、お祓い行事は終わりました。
境内で1時間ほど過ごしましたが、カメラマンが帰った後、ようやくにこは緊張感がほぐれたのか、笑顔が少し戻ってきました。

ただ、私とにことのツーショットは撮れませんでした。
にこに断られてしまったのです。
困ったものです。
まあ全員写真は撮れましたが。

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桜木神社には七五三桜というのが数本あって、花を咲かせていました。
節子とは何回か冬桜を見に行ったことはありますが、七五三桜というのは初めてです。

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孫も3歳になりました。もう大丈夫でしょう。
だんだん親離れも始まるでしょう。
節子がいたらどんなにかわいがったことか。
そう思うといつも複雑な気持ちになります。

今日も、小節子も連れて行きました。

 

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2019/11/18

■核時代に懸ける人類生存の橋

いよいよ来週、ローマ法王が来日し、広島と長崎を訪問します。
人類が生存の危機に直面している核時代にあって、世界唯一の被爆地から法王がどのような発信をするかは、まさに未来の方向を決めていく大きな意味を持っています。
私たちも、ローマ法王の来日を一過性のイベントで終わらせることなく、これを機会に、これまでのように核被害の「受忍」にとどまることなく、きちんと歴史に向き合い、法王と共に、人類生存の橋を懸ける行動を起こさなければいけないのではないか、という本間照光さん(青山学院大学名誉教授)の提案で、先日湯島でサロン「核時代に懸ける人類生存の橋」を行いましたが、もっと広く多くの人に呼びかける必要を感じて、改めて本間さんの呼びかけを収録して公開することにしました。

まずはその要約版をご覧ください。
https://youtu.be/UeqlOlpSYGg
お時間の許す方はもう少し詳しい本編をご覧ください。
http://isc-creative.com/tmp/cws/thomma201911/

本間さんに呼びかけに応えて、「核時代に懸ける人類生存の橋」をテーマにみんなで話しあえるような場や公開フォーラムも企画していきたいと考えています。
しかし、まずは多くの人に本間さんの呼びかけをお聞きいただきたいと思います。
まわりの人にもぜひご案内いただき、この記事も拡散してもらえればと思います。

本間さんのアピールを拡散することにご協力いただけるTwitter利用者の方にはお願いがあります。
Twitter
のハッシュタグ検索またはGoogle検索で、
        
ローマ法王 本間照光
と検索していただきたいのです。
さらには、そうやって発見したツイートをリツイートしていただきたいと考えています。

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2019/11/17

■節子への挽歌4458:平安な見送り

節子

節子も知っている濱崎さんはいま京都で弘道館を復活し、その代表としてとてもいい活動をしています。
来週、京都に行く友人が弘道館に立ち寄りたいというので、久しぶりに濱崎さんに連絡しました。
濱崎さんのお母さんがいま病気で、そのため最近は病院通いだと知りました。
そして、今朝、濱崎さんから母上の訃報の連絡がありました。

その訃報に対して、どう返信したらいいか、朝から迷いながら、先ほど、ようやく短いメールを送りました。

訃報への対応はいつも悩みます。
「心よりお悔み」とか「ご愁傷さま」という言葉を、私は昔から使えないのです。
私は、書き言葉も話し言葉も一致した生き方をしていますし、形式的な言葉はそもそもうまく使えないのです。

それに、濱崎さんの心も、少しは私にもわかるような気もするのです。
これは両親を送り、節子を送った体験のおかげです。
形式的な言葉は、時に心を逆なでさえしかねません。
迷った上に書いたのは、しかし結局は月並みのことばでした。

言葉がみつかりませんが、お母上とみなさまのご平安をお祈り申し上げます。

これもちょっと話し言葉ではないなと思いながらも、しかし私の今の気持ちに一番合うなと思ったのです。
うまく心が伝わるかどうかはわかりませんが、平安な見送りができるといいなと心より思います。

節子の闘病中に、濱崎さんからめずらしい冷菓を送ってもらったことを思い出します。

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2019/11/16

■節子への挽歌4457:コミュニティ

節子

湯島で「コミュニティ」をテーマにしたサロンをやりました。
新しいコミュニティづくりに向けての活動は、節子の不在によって挫折しましたが、改めて今、「CWSコモンズ村」に向かって進んでいますが、今回はそれとは別に、上田さんの思いを中心にサロンをやってもらいました。

上田さんは、コミュニティとは「帰っていきたい場所」と考えています。
コミュニティをどう考えるかによって、その人の心のありようが伝わってきます。
ちなみに私は、コミュニティとは「旅立つところ」でもあると考えています。

帰っていきたい場所だと、そこで終わってしまうような気がするのです。
それに帰るとか旅立つというのは一時のことではないかとも思います。

上田さんはまた、災害ユートピアの話もされました。
災害直後に出現するコミュニティの話です。
しかし残念ながらそのコミュニティは長続きしないのです。
そこにもしかしたらコミュニティの本質があるのかもしれません。

サロンに、1週間前にサンチアゴ巡礼から帰国した鈴木さんも参加していました。
鈴木さんは上田さんの話を聞いて、巡礼と災害ユートピアは似ていると言いました。
巡礼において、そこに動的な、あるいはプロセス的なコミュニティが出現するというわけです。
ここにもコミュニティを考える大きな示唆が含まれています。

節子が元気だったら、CWSコモンズ村というケアコミュニティをつくりたかったのですが、この試みは途中で挫折してしまいました。
不思議なもので、コミュニティが一番必要なはずの時に、コミュニティ志向は消え去る体験をしたのですが、最近また私にもコミュニティ志向が戻ってきました。
上田さんと一緒に来年からコミュニティをテーマにした連続サロンを始めようと上田さんと話しました。
上田さんと私とは、たぶんコミュニティへの期待が違うでしょうが、奥のところではたぶんつながるでしょう。
試みる意味はあります。

鈴木さんの今回のサンチアゴ巡礼はポルトガルの道でした。
ポルトガルのチョコレートをもらいました。
節子に供えさせてもらいました。

 

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■節子への挽歌4456:声にその人の状況を現れます

節子

先日、突然に湯島にやって来てソファーに倒れこんだ若者からメールがありました。
2か月ほど入院して、だいぶ精神的にも安定してきたそうです。
いまは親元で暮らしているようで、無理をせずに、ゆっくりと社会復帰するという連絡でした。
ホッとしました。

その一方で、ひとり新たに気になる人が出てきています。
電話で話しても直接会っても、以前の彼ではないのです。
嗤わないのです。
活動はうまくいき出しているはずなのに、声に張りもないのです。

昨日は気になっている別の友人から電話がありました。
風邪をひいてしまったといって声が少し違っていましたが、声に張りが出てきました。
こちらはもう大丈夫でしょう。
声には、その人の状況が現れるものだと思いました。

さて私の今の声はどうでしょうか。
しばらく前までは少しくぐもっていたはずです。
この数日、少し声にも気がこもってきたように、自分でも感じます。

最近は電話よりもメールでの連絡が増えてきました。
メールの文字からは、なかなかその人の心身状況は伝わってきません。
やはり時には電話も必要だなと思います。

そういえば、久しく節子の声を聞いていません。

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2019/11/15

■節子への挽歌4455:昨日、ちょっといいことがありました

節子
昨日、ちょっといいことがありました。
2回前の挽歌に書いた映像収録の帰りの話です。
私だけ用事があって、早くスタジオを出て駅に向かいました。

駅に行く途中に、線路をまたいでいる橋に上がるエレベータがあります。
そのエレベータに向かって歩いていたのですが、あと10メートルほどで着くところで、上からのエレバータが降りてきたようで、数名が出てきました。
しかし高齢の方が一人、エレベータから降りてそのままなぜか入口から離れません。
どうしたのかちょっと気になって急ぎ足で向かいました。

ところが、その人は遠くに私の姿を見て、エレベータのドアが閉まって上に行かないように、なんと私を待ってくれていたのです。
私にどうぞと声をかけ、私がエレベータに乗ると安心したように、ドアを閉めて都営住宅に向かって歩き出したのです。

西台の都営住宅に住んでいる人だと思いますが、なにかとてもうれしい気分でした。
ちなみに、そのエレベータの前にはエレベータを待つ人のための長椅子がありました。
きっと高齢者が多いのでしょう。

まあそれだけの話なのですが、私は初めて訪れた西台が好きになりました。

フェイスブックに一昨年、「ちょっといい話をあつめませんか」というページをつくりました。
節子が書いていた、「いいことだけ日記」のことをちょっと思い出してのことでした。
しかし、そう「いいこと」には出会えずに、結局、2回しか書けずに終わっていました。

最近それが気になっていたのですが、この話を書きました。
そして思ったのですが、「いいこと」に出合わないのは、私自身が「いいこと」をしていないからなのでしょう。
あるいは、「いいこと」を気づこうとしていないのです。

最近ようやく元気になってきたので、世間の「いいこと」に気づくような生き方をしようと思います。

 

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■節子への挽歌4454:読書日

節子

今日はとてもいい天気です。
節子がいたら間違いなく紅葉の見えるところに出かけたでしょう。
最近、ようやく節子がいなくても紅葉を見に行きたい気分が少し出てきました。
気分がだいぶ変わってきたのかもしれません。

しかし、だからと言って、まだ行こうという気にまではなりません。
行きたいという気が行こうという気に変わるまでには、もう少し時間がかかりそうです。
まあそうこうしているうちに、紅葉狩りにではなく彼岸に行ってしまうかもしれません。
困ったものです。

友人の奥さんが真如苑の信徒なのですが、それが縁で、真如苑を開いた伊藤真乗の本(「真乗」中公文庫)を昨日から読みだしました。
真如苑は、よくある新興宗教というイメージを持っていましたが、そうではないようです。
今日の午後は出かけますが、午前中にこの本を読み終える予定です。

晴れた日の読書もいいかもしれません。

 

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■節子への挽歌4453:新しいプロジェクトを起こしたくなりました

節子

昨日は大忙しでした。

来週、ローマ法王が来日しますが、それに合わせて、改めて核時代の平和の意味をみんなで考える機会にしたいという本間さんの思いを受けて、世間への呼びかけを収録したのです。
友人の近藤さんに頼んで、スタジオを含めて無償で協力してもらいました。
本間さんは長年大学で授業をしていましたので、話をするのはなれているので、一発で録画は成功しました。
近藤さんが編集してくれ、できるだけ早く公開していく予定です。

これを機会に、来年から定期的に呼びかけを、ユーチューブでネット発信していく仕組みを作ることを考えたいと思います。
改めて頓挫している「みんなの出版社」計画も再考しようと思います。

夕方はまったく別の相談を受けました。
相談内容は、全く予想もしていなかった話です。
会社に社会性を取り戻し、社会性と経済性を合致する活動をしたいという人が、私の会社時代の体験をもう一度再開できないかというのです。

30年前に、私もそういう思いを持って、いくつかの組織づくりに関わりました。
しかし、いずれも金銭至上主義の大きな流れの中で、私の意図とは全く逆方向に進んでしまいました。
以来、企業にはあまりかかわってきていないのですが、昨日、私に相談しに来た人は、そうした企業のど真ん中で活躍してきた人です。
しかし、いまはそうした企業の問題を認識し、生き方を変えようとしています。
もしそういう活動に取り組むのであれば、私ができることは協力させてもらうことにしましたが、昨今の私の体力気力では、お手伝いくらいしかできません。

ようやく私自身が前向きになれてきました。
いろんな構想が浮かんできて、ちょっと元気になってきました。

 

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2019/11/13

■市町村選挙は自分たちの住んでいる町の未来を考える機会です

私が住んでいる我孫子市ではいま市議会議員選挙が行われています。
選挙になると、普段は音信不通の議員からも連絡があったり、あるいはチラシが投函されたりします。
チラシには公約が書かれていますが、何か空しい言葉の羅列にしか見えません。
私がいつも知りたいのは、この我孫子をどんなまちづくりにしたいと思っているのかですが、それが見えてこない。

 そこで、公示日の前日、あることを思いついて、知り合いの立候補者の数名に次のようなメールをしました。

突然のことなので、選挙期間中には無理かとは思いますが、どんな我孫子を目指すのかを話し合うかをテーマにしたミニフォーラムを事務所で開いたらどうでしょうか。

顔見知りの、そしてかつて応援したこともある6人に絞りました。
一人からすぐ、同じようなことを考えているという返信がありました。

また今日、別の立候補者から、事務所開きの日にそれをやったとお聞きしました。
うれしい話です。

もちろん私が提案したからということではありません。
ご本人たちも、それが必要だと考えていたのだと思います。

 市議選が終わったら、我孫子の政治を考えるようなサロンを定期的に開くような場を考えたいと思います。

 

 

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■第4回リンカーンクラブ研究会のご案内

第4回リンカーンクラブ研究会のご案内です。

今回は、「政治と報道」をテーマに選びました。
報道と政治の関係は、時代によって大きく違いますが、昨今の日本の報道機関は、主体性を持って政治に対峙するどころか。政権の傘下に組み込まれてしまい、政府広報的な存在になっているのではないかという意見さえあります。
政治にとって「報道」とは何か、を改めて考えるとともに、さまざまなメディアをどう位置づけていけばいいかも考えたいと思います。

長年、報道の世界にいた坪田さん(元日経記者)に「報道と政治」のキースピーチを2030分話してもらった後、究極的民主主義の視点からの「報道権」について武田さんに10分ほど話してもらい、そこから話し合いに入りたいと思います。
できれば、主権者として報道にどう立ち向かえばいいか、あるいは主権者の視点に立ったメディアをつくれないかなどといった実践的なアイデア出しもできればと思います。

初めての方も気楽にご参加ください。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2019年12月8日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「政治と報道」
〇話題提供者:坪田知己さん(元日経記者・現物書き)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2019/11/12

■節子への挽歌4452:「うつせみと思ひし」

節子

節子も知っている、私の小学校時代の同級生の升田さんに、隔月で万葉集サロンをやってもらっています。
彼女は大学で古代日本文学を教えていたのですが、単なる万葉集の知識を話すサロンではなく、毎回、彼女なりのテーマと物語を用意してくれるサロンです。

これまで5回やってきていますが、その大きなテーマは「われ」意識の変質です。
時評編のサロン報告に書きましたが、今回は柿本人麿の、妻の死を哀しむ「泣血哀慟歌」がテーマでした。
そこでとても面白い話をしてくれました。

「わ」と「な」、つまり「我」と「汝」が、人麿にあっては、相似性の関係であり、時に融合しているというのです。
そして人麿は「現世」という意味の「うつせみ」という言葉を使う時に、ほかの歌人と違って、かならず「うつせみと思ひし」と詠っているのだそうです。
つまり視点が霊の世界、読みの世界、現世ではない世界にあるというわけです。

この話は、実は升田さんには前にも聞いたことがあります。
しかしその時には、ただ面白いと思っただけでしたが、今回はなぜか深い共感を持ってしまいました。

私も最近、現世をなんとなく違う世界から見ているような気がすることがあるからです。
そうすると、現世の「我」と旅立った「汝」が融合して生きているイメージも何となく見えてくるのです。

「わ」と「な」の融合。
「我」と「汝」が入れ替わりうる世界。
彼岸と此岸がつながり、畳み込まれている世界。

涅槃とはそういう世界かもしれません。

 

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■節子への挽歌4451:悩ましい問題

節子

湯島のオフィスを改装する途中で節子は逝ってしまいました。
じゅうたんを敷きかえるところまでは節子が手配しましたが、壁紙を替えるところまではたどり着けませんでした。
仕上げのペンキ塗りなどは自分たちでしようと考えて、ペンキまで買っていたはずですが。
オフィスに限らず、節子は自宅もそのスタイルでやってきました。
不器用な私にはとてもできないことです。

したがって湯島は改装途中のままになっています。
コーヒーカップや椅子なども、節子がいなくなってからは全く更新されていません。
前はコーヒーカップもセットを選んでいましたが、いまはバラバラになってきてしまいました。

椅子もかなり傷んできました。
それを見かねて、サロン参加者の一人が昨年、寄付を申し出てくれました。
しかしいろいろ探したのですが、2人が納得できるものが見つからず、それに金額も40万円以上かかることがわかりました。

今までの一番高額な寄付の提供は30万円ですが、その時はそれなりに相手に役立つこともしていましたし、その人は会社の経営者でした。
しかし今回はまったく個人の、それも今は仕事をしていない人の純粋の寄付行為です。
サロンを快適に続ける場を守りたいというのが申し出てくれた人の思いです。
迷ったのですが、40万円はいささか負担なので、辞退していました。

ところが数日前に、その人から相談があるという連絡がありました。
椅子のことはまったく思いつかなかったのですが、何事かと思って、お会いしました。
そうしたら、最近、いい椅子を見つけたので、そしてそれを3年月賦で購入できるということが分かったので、寄付したいが良いだろうかというのです。
写真を見たらとてもいい椅子です。

しかし高そうなので、価格を訊きました。
1脚5万円だというのです。
つまり全部で60万円。
前に話していたのよりも高いのです。

少し考えさせてほしいと答えるのが精いっぱいでした。
さてどうするか。

60万円の椅子を寄付されるとそう簡単に湯島を閉じることもできません。
それにその椅子は手作りのようなので、湯島のサロンには高級すぐるかもしれません。
悩ましい話です。
せめて20万円くらいだと気楽にありがとうと言って受け入れられるのですが。

やはりまた辞退すべきかなという気がするのですが、湯島のサロンの意義を感じてぜひ寄付したいと言っている、その人の気持ちを考えると、迷うところです。
会社の社長や資産家の申し出なら、気楽に受け入れられるのですが、その人は3年間の月賦でなければ負担できない人なのです。

さてさて。

 

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■「守る」ことは大切ですが、そこからは何も生まれてきません

私が住んでいる我孫子市はいま市議選の最中です。
昨日、帰宅時に我孫子駅でNHKから国民を守る党が選挙運動をやっていました。
黄色いジャンパーを着た若者たちがチラシを配っていました。

私はアニメの「ミニオン」が大好きで、黄色い服を着た集団が好きだったのですが、昨日から黄色い服を着た集団が嫌いになりました。
駅から自宅への道々、なんだか悲しい気分になり、暗い夜を過ごしました。
どうしてこんなかわいそうな若者たちが増えているのでしょうか。
香港の若者のように、ビジョンを持って立ち向かえないのか。
若者たちがもはや主体性を持たなくなってしまった時代になってしまったのだろうか。

N国党が目指しているのは国民からNHKを守ることではないかと私は思っていますが、なにやら「自民党をぶっ潰す」といって自民党を守った小泉さんを思い出します。
小泉政権から日本は奈落の底へと向かいだしていると思っている私は、こういう動きがますます広がることの先を思うと暗たんたる思いになります。

 これから「朝日新聞から国民を守る党」や「共産党から国民を守る党」など、「〇〇から国民を守る党」といった群れが増えてくのでしょうか。
そのうち、「先生から子どもたちを守る党」とか「親から子どもを守る党」も出てくるかもしれません。

「守る」ことは大切ですが、そこからは何も生まれてきません。
そして「守る」姿勢で生きている先にあるのは、守れなかった世界しかないでしょう。
まさに「茶色の朝」がやってくる。
そう思うと黄色も茶色も似ています。

「NHKから国民を守る党から国民を守る党」をつくらないといけないのかもしれませんが、それではミイラ取りがミイラになってしまい、もはや流れは変えられなくなる。
知性がどんどん失われていく世界に生きていると、やはり人類は退化局面に入ったとしか思えません。
今西錦司さんやミシェル・フーコーのことばを思い出さずにはいられません。

12月の「茶色の朝」シリーズのサロン(BMSサロン)は22日(日曜日)を予定しています。
また案内させていただきます。
社会を黄色、いや茶色一色にしないように、忙しい人にはぜひ参加してほしいです。

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2019/11/11

■第5回万葉集サロン「柿本人麿の〈われ〉の喪失‐人麿の詩のかたち「泣血哀慟歌」を読む」報告

今回は、人麿の、妻の死を哀しむ「泣血哀慟歌」を取り上げました。
併せて、それとは対照的な大伴家持の妻への哀歌も詠んでくれました。
テーマは、「われ」から「自己」へ、です。

最初にまず、これまで詠んできた3つの万葉歌を振り返りました。
最初に詠んだのは、額田王が漢詩の宴で、天智天皇から「春山がよいか、秋山がよいか」と問われて即興で応えた「秋山、われは」の歌でした。
「ことば」をもって仕える巫女の「われ」意識の強さが宴席に出ていた人たちを魅了しただろうと升田さんは言います。

次に詠んだのが天智天皇の后の倭太后の天智をしのぶ歌でしたが、そこには妻ならではの「孤高のわれ」のまなざしがあり、その「われ」は、亡き夫とともに永遠につづく「われ」だ、と升田さんは言います。

そして前回の人麿の近江荒都歌。そこにあるのは、死者たちと共にある「われ」です。
いずれにおいても、「われ」は現世(うつせみ)を超えているわけです。

こうしたなかに升田さんは「わ」と「な」の相似性を置いています。
「わ」はいうまでもなく「吾」「我」であり、「な」は「汝」です。

そして、今回は人麿の「泣血哀慟歌」。
そこでは人麿はついに現世の「われ」から現世を超えた「われ」へと向かっている。
そして、心身を震わせるように、死者への思いを生々しく表現している様は、われを死者と融合させるようだと読み解きます。
升田さんによれば、歌の主体としての「われ」の喪失とも読めるというのです。

升田さんはまた、「現世」(うつせみ)をうたうとき、万葉歌人の中で、人麿だけが「うつせみと思ひし」と表現するという点に注目します。
それはまるで、霊の世界から現世を見ているようだ、と升田さんは言います。
そこに人麿の「われ」の特異性がある。

ところが、大伴家持は悲しさをとても冷静に歌っている。
そこでの「われ」は、まさに現世で他者と対峙している「われ」です。
霊から解放された「われ」の誕生、言い換えれば「自己」意識が生まれたのです。
「わ」と「な」のつながりは切り離され、おのおのが別々の「わ」になっていく。
その変質のさまが、人麿の歌と家持の歌に、はっきりと読みとれる。
そしてそこから家持の世界が広がっていく。

おおまかにいえば、歌の主体としての「われ」の変質は、人の生き方や社会のあり方を映し出しています。
そう思って、これまで読んできた歌を読み直すと、またいろんなことに気づく面白さがあります。
私自身はまだ十分には消化できていませんが、少しだけ万葉集の世界の魅力を感じさせてもらいました。

関連していろんな話が出ました。

私が興味を持ったのは、「わ」と「な」の話でしたが、それに関連して、升田さんは「わのなの国」という言葉をつぶやきました。
その解説はなかったような気がしますが、「わのなの国」は古代にあった国の一つです。
有名な志賀島で発見された古代の金印には、「漢委奴国王印」と刻まれていましたが、これは「かんのわのなのこくおうのいん」と読まれています。

「わ(吾)のな(汝)の国」。
なにかとんでもない気付きをもらったという気がしたのは私だけかもしれませんが、残念ながら升田さんがどうしてそれをつぶやいたのかはわかりません。

最後に少しだけ古代の文字表記について話がありましたが、これは改めてサロンをしてもらうことにしました。
升田さんが資料を配ってくれましたが、ひとりで読んでも理解不能な気がします。
きっとたくさんの話したいことが升田さんにはあるのでしょう。
であれば、話してもらうのがいいので、番外編を考えようと思います。
升田さんが了解したらですが。

次回は1月です。
来年からは、もっと自由に万葉の世界を遊ぶ内容になっていくようです。
ぜひご期待ください。

私の報告は一部の主観的報告ですので、ぜひ実際にサロンに参加して、万葉集の世界を楽しんでもらえるとうれしいです。

Manyo191108

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■節子への挽歌4450:経済を優先すべきか生き方を優先すべきか

節子

あるグループから湯島を対価を払って週3日使わせてもらえないかという提案を受けています。
最初は友人の考えているプロジェクトを立ち上げるために湯島と私自身の時間を提供しようと思っていたのですが、そのプロジェクトを継続的に行うためには経済的に自立した体制にしていかなければいけないというアドバイスもしていました。

それで事業感覚を持った人たちも入れて、友人は数名で事業化しようと考えているのですが、そのグループの人たちが、そう申し出てきてくれたのです。
つまり、きちんと相場に合った料金を支払いたいと言ってきました。
奇妙な話ですが、そもそもそれを言い出したのは私のはずなのですが、どうもグループが生まれると勝手に動き出すのです。

いま私は収入が年金だけですから、湯島を維持していくためにもお金があればと思うことはあります。
そういう私の状況も知った上での善意からの話なのです。
それでその申し出に感謝し、受ける気になってしまいました。
もしそれがもらえたら、関西や新潟や九州にも出かけられるかもしれません。
貯金も減り方が緩和されるかもしれません。

しかし、どこかに違和感があって、引っかかっています。
そして、やはり私の生き方にはそぐわないのではないかと思いだしたのです。

湯島の部屋はいまもあるルールがあって、場所を使ってもらったりしていますが、その時にはなにがしかのお金を部屋にある箱に入れていくことになっています。
最低額として1000円としていますが、私の思いは、それはこの部屋を維持していくための気持ちの表れですから、金額に意味があるわけではありません。
しかし最近気づいたのは、みんな1000円を使用料としてとらえているのです。
つまり、安い貸事務所と捉えられていることに気づいたのです。
それが私の無意識の中に積もってきて、人嫌いになってしまっているのかもしれません。

以前、湯島で葬儀マン系のサロンをやった時に、「お布施」が話題になったことがあります。
私は「お布施」を大切にして生きていますので、お布施が高いという話には違和感がありますが、多くの人はお布施を料金としてとらえているようですので、そうであればたしかに高いかもしれません。
何となくそうした話の流れには敢て棹ささずにきましたが、はっきりと自論を述べるべきだと反省しました。
お布施と料金は違うのです。

ところで湯島を拠点にしたいとグループ、のプロジェクトはぜひ実現してほしいので、申し出を受けるとともに、私も活動に荷担していこうとは思っていますが、料金の件はまだ素直には腹に入ってこないのです。
どうしたものか、実に悩みます。

 

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■節子への挽歌4449:心を亡くした4日間

節子

挽歌がまた4日ほど抜けてしまいました。困ったものです。

その後、私の体調はほぼ戻ってきました。
戻ってくるとやりたいことがまたいろいろと出てきてしまい、それになぜかまた相談も増えてきて、忙しくなってしまいます。
忙しさとは「心を亡くす」ことだと言いますが、まさにそういう状況に陥ってしまうのです。
挽歌を書くのを忘れてしまう。

挽歌を書かなかった4日間も、いろんなことがありました。
いろんな人生に触れると節子のことを思い出すことも少なくなく、節子のことを話してしまったこともあります。

先日お会いした人から、「こんなになんでもお話しできたのは初めてです」というメールが来ました。
湯島という空間を好きになってもらえたようです。
しかし、改めて、人は心を開くと感覚も知性も生き生きとしてくるのだなと実感しました。

昨日は、ある友人から、「佐藤さんに話すとすぐ主旨を理解してくれた反応してもらえる」という電話がありました。
彼によれば、だから何かを思いついたらすぐ電話してくるのだそうです。
それがいつも長いのです。
これはちょっと迷惑な話なのですが、まあそこまで正直に直接的話法で行ってくれる人もめずらしい。
ほめているのかバカにしているのかたずねましたが、答えてもらえませんでした。
笑っていたので、たぶんその両方でしょう。

まあ、そんなこんなで、挽歌は書いていませんでしたが、そしてちょっと「心を亡くしていた」かもしれませんが、それなりに誰かの役には立っていました。

今日もまた、よくわからない「相談」があると言って、友人が湯島に来ます。
さてさてどんな相談でしょうか。
楽しい相談だといいのですが。

 

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2019/11/08

■BMSサロン「大型台風経験で思ったこと」報告

11月のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)は「大型台風経験で思ったこと」がテーマでした。
今回の台風のように、身近な災害を体験すると、国家の大切さや必要性への認識と同時に、現在の政治の問題点が見えてきます。
そしてそれこそが、国民の政治への関心を高める契機になると思っています。
政治は私たちの日々の生活の安全と安心に深くつながっているはずです。
テーマが生活に直結していることもあって、女性の参加連絡が多かったのですが、当日になって急に参加できなくなった人が多く、結果的にはやはり男性中心のサロンになってしまいました。

参加者も少なかったので、テーマから外れる話も多かったのですが、生活を語ることは政治を語ることでもあるというBMSサロンの趣旨に沿って、それも良しということにしました。
参加者は5人だったのですが、このくらいの人数だとゆっくり話せます。
ちょっと脱線が多かったですが。

テーマに関しては、次の2点が合意されたように思います。

まず、国民の「自己責任」を強調している現在の政府には、地球温暖化によって増えるだろう自然災害から国民の生活を守る政治はあまり期待できない、という諦め。

私はそれに加えて、みんなが「自己責任」などというのではなく、政府依存ではない、コミュニティ単位の「生活力」を高めるべきではないかと思います。
つまり、人のつながりを育てていくことです。

社会にとっての大切な資源(ソーシャル・キャピタル)は「人と人との信頼関係」という考え方が一時期、日本でも言われたことがありますが、実態はそれとは逆に「自己責任論」がまた戻ってきたように思います。
ソーシャル・キャピタルの視点から、社会のありようを考えることの大切さを、今回改めて実感しました。
そこで、年末か年始に「ソーシャル・キャピタル」をテーマにしたサロンを企画することにしました。

もうひとつは、自衛隊の日常的な主要任務を「戦争出動」ではなく「災害救助・復興支援」にしていくのがいい、ということ。

古代に大型古墳を造営したのは、そのために結集させられた多人数の集団は、有事には武器をもたせて戦闘集団に変えることができることが関係していたのではないか、と考古学者がある本に書いていました。
非常時には自衛戦争に立ち向かうとしても、日常的には災害防止や被災者救済を主目的にする組織に自衛隊を改組するというのは、こういう視点からも理にかなっています。
そうすれば、自衛隊も憲法に合致した存在になるでしょう。
「自衛」の対象は「他国」という時代は終わったように思います。

BMSサロンはこれからも続けます。
こんなテーマでサロンしたいという方がいたら、ご連絡ください。

191107

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2019/11/07

■首里城は琉球の地霊が火を放ったような気がします

首里城はなぜあんなにはやく火が広がったのでしょうか。
首里城が燃える様子をテレビで何回も見ました。
炎の中に神を見たなどというと不謹慎だと言われそうですが、何度見ても、「怒り」が見えてしまうのです。

あれは「放火」に違いない。
火を放ったのは、人ではなく、琉球の神様です。
いや、沖縄を守る地霊と言ったほうがいいでしょうか。

沖縄の地霊たちは怒っているに違いない。
ずっとそう思っています。
その怒りは、私たち「ヤマトンチュウ」に向けられている。
いや、全世界にかもしれません。

首里城は燃えることによって、大きな動きを引き起こしつつあります。
沖縄の人たちは、改めてつながりを深め、広げていくでしょう。
琉球の地霊は、怒るだけではなく、大きな歴史を起こしつつある。
首里城は、燃えるために30年前に復元された。

そういえば、ノートルダム寺院の火事も、そうなのかもしれません。
地霊が怒りだした。
地球が怒りだした。

ひたすら身を正すしかありません。

 

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2019/11/06

■我孫子市の市議会議員選挙における私の投票方針

来週から私が住んでいる我孫子市の市議会議員選挙が始まります。
そのおかげで、毎日のように自宅のポストに立候補予定者のチラシが入ります。
今日も外出から帰宅したら、ちょうどポスティングしていた立候補予定者に会いました。
私の知らない現職の人でした。
選挙の直前になってやってきても、まったく意味もないし、チラシなど無駄の極めです。
直接会いに来る人も少なくありません。

知り合いも何人かいますので、誰かに荷担するのも難しいので、市議選は態度をあいまいにしています。
事務所開きにもお誘いを受けても行きません。

しかし明確な方針は2つあります。
まずは国政の政党の支援を受けている人は絶対に私は投票しません。
これまでもせっかく応援していたのに、結局は国政政党に入ったために支援をやめたこともあります。

日本の基礎自治体の議員制度は、私にはまったくおかしく思えます。
一昨日、「行動する田舎」というフランスで行われたシンポジウムに参加した金子友子さんからフランスの基礎自治体の議員や市町の話を聞きましたが、報酬にしても議会のあり方にしても日本は実に異様です。
まして、そこに国政政党にぶら下がった人(というよりも手先でしかありません)が立候補するなどは私には論外です。
もう少し基礎自治体とは何かを勉強しろと言いたいです。
しかし、国家政党につながれば選挙は非常に有利になるのです。

今回の我孫子の市議選には、N国党からの立候補もあります。
とんでもない話だと思いますが、隣の柏市では当選してしまいました。
市民の意識もおかしくなっているともいえますが、しかしそれも市会議員があまりに何もしていないからでしょう。
市議会や市会議員がどんな状況になっているのかの証左でもあります。

もう一つの私の投票方針は、選挙の時だけ挨拶にやってくる人は除外するということです。
そういう人は当選した後、音信不通になりがちです。
選挙とは関係ない期間には、メールを送っても、何の返信もない人も少なくありません。

その2つの基準からすると、今回の投票対象者は2人しかいません。
そうなると、1票ではなく2票欲しい気がします。
さて悩ましい問題です。

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■節子への挽歌4448:13年前にはもう戻れない

節子

いろいろとあって、命日前に13回忌を行うことができませんでした。
一番の理由は、敦賀にいる節子の姉に来てもらいたかったのですが、姉の体調の関係で、猛暑の夏には無理だったのです。
そのうちに、ジュンの伴侶に不幸があったり、私の体調がおかしくなったりして、とうとう11月になってしまいました。
節子の姉夫婦は、やはり東京に来るのは難しく、たぶん参加はできないでしょう。

今日、お寺に行ってご住職と相談してきました。
節子の葬儀を行ってくれた先代は亡くなり、いまは息子さんがお寺を継いでいます。
子ども時代を知っているものとしては、ちょっと心もとない気もしないではないですが、いまはもう立派な僧侶です。
なによりも顔の表情が、実に仏様のような無垢さと慈愛を感じます。

その後、お墓にお見舞いに立ち寄りました。
10月までは暑さが残っていたので、活け花よりも造花を供えていましたが、今回から活け花にしました。
畑に満開になっている百日草を摘んでいきました。
畑の野菜はだめですが、花壇は花が満開です。

それにしてももう13回忌。
その間の時間が実感できません。
昨日のようでもあり、まだ来ていない時間のようでもある。

生きる基準が失われると、時間感覚が方向を持った直線ではなくなります。
たぶんそうなってほしいという願望から、そうなるのでしょう。
しかし現実は、それとは無関係に、今日の次に明日が来る。
13年前にはもう戻れないのです。

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■CWSサロン「網野史観から考える現代日本の〈別の選択肢〉」報告

蔵原大さん(東京国際工科専門職大学講師)を講師にした「網野史観」ゼミ型サロンは、蔵原さんのリズミカルで小気味よい話で、とても気持ちの良いサロンでした。
あまり的確な表現ではないでしょうが、蔵原さんという芸能の民の周りに多彩な人が集まった河原場サロンを感じました。

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あらかじめ蔵原さんは参加申込者に「網野史観とは何か」「網野史観はなぜ広まったのか」を簡潔にまとめたレジメを配ってくれていましたので、それを踏まえて、最初に網野史観の要点を蔵原流に簡潔に紹介してくれました。

その後、時々脱線しながら、質疑応答のスタイルで、参加者が知りたいことを起点に話を広げてくれました。
しかし、どんな問いかけにも、即座に蔵原さんは肯定的に応えるので、ついつい蔵原世界に引き込まれてしまうようなサロンでした。
「非人」「無縁」「苦界」「アジール」」「悪党」などの網野史観を象徴する概念に関しても、わかりやすく解説してくれました。

ところで今回のサロンのテーマは、現代日本の〈別の選択肢〉です。
蔵原さんの話も、このテーマを基軸に進められました。
蔵原さんによれば、網野史観は「見方をひっくり返して考えること」を示唆しています。

見方をひっくり返したら、どんな選択肢が見えてくるか。
その一例として、蔵原さんは日本列島周辺の地図をひっくり返した地図を見せてくれました。それだけでいろんな気付きが得られます。

空間だけではありません。
過去への見方(常識・偏見)を変えると未来の別の選択が見えてくる。
そうした時空間の常識的な捉え方(偏見)の呪縛から解放されると世界は広がり発想も変わっていく。
「日本人は〇〇〇だ」という意識から自由になれば、いろんな選択肢を持った未来が見えてくる、と蔵原さんは言います。

そしてオーウェルの小説「1984年」を持ち出して、歴史教育こそ支配のかなめだと言い、過去への偏見(常識)を決めるものが、私たちの未来の〈選択〉を支配するというのです。
未来を左右するのは、過去をどう見るかによって決まってくるというわけです。

網野さんは、いまの日本に深くつながる中世の見方を一変させました。
そこからどんな未来の可能性が見えてきたか。
現在の権威に拠って生きている人たちには危険な考えですが、未来に生きようとしている人たちには大切な考えです。

歴史の見方を変えることで、私たち日本の「選択肢」を自由に議論することができるようになり、未来は変わっていく。
そして、それが今の社会そのものを問い直す契機になればというのが網野史観を踏まえての蔵原さんのメッセージだったと思います。

今回はいわばそのキックオフでした。
網野さんが主張した中世の日本の見方を参照したうえで、学校で叩き込まれた歴史を問い直し、自らの「常識(偏見)」から自由になって、いまの日本社会の見方を問い直し、どんな未来が見えてくるのかを考える。

今度はそこに焦点を当てたサロンを開きたくなりました。
蔵原さんに、網野史観パート2をお願いしようと思っています。
まだ蔵原さんには話してはいないのですが、まあ1回で終わるのはもったいないと思うサロンでした。

網野史観の内容に関しての報告は省略しましたが、蔵原さんは網野さんの書籍をたくさん持参して、紹介してくれました。
もし網野史観に関心のある人は、蔵原さんに訊けば、関心にあった網野さんの本を紹介してくれると思います。
たぶん、ですが。

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2019/11/05

■「怒らなくなったら人間は堕落します」

松原泰道さんが参加したフォーラムの進行役を務めさせてもらったことがあります。
もう15年以上前の話です。

「腹が立たなかったら人間は堕落します」とは、その松原さんのことばです。
その話をされる時、松原さんは白隠禅師の有名なエピソードを紹介します。

いつもにこにこしている白隠禅師に、ある人が「腹が立つことはないのですか」と訊いたそうです。そうしたら、「人形じゃないから腹は立つよ」と白隠禅師は答え、そしてつづけたそうです。「腹は立つけど怒らんだけだ」と。

そして、松原さんはこういうのです。

「腹が立たなかったら人間は堕落する。たとえば社会の悪に対しては義憤を感じなかったら社会は堕落するでしょう。ただ、そのときに感情のままにキレて怒ってしまうか、あるいは教え諭すべきか、それを考えることが大事だ」と。
これは、松原さんと五木寛之さんの対談に出ている話です。

オリンピックのマラソンが札幌で行われることになりました。
だれかが怒らないのだろうかと思っていましたが、さすがにみんな大人なのか、怒りません。
小池都知事はかなり怒っていたような気もしますが、いささかショー的でした。

マラソン関係者は腹を立てているのがよくわかりました。
しかし結局はみんなものわかりがいいのにいささか失望しました。
そして、松原さんのこの話を思い出して、本を探しだして読み直してみました。

松原さんが否定しているのは、「キレて怒ってしまうこと」です。
しかも「社会の悪に対しては義憤を感じなかったら社会は堕落する」とも書いています。

そして改めて、社会は堕落に向かっているなと思いました。
腹を立てたら冷静に怒らなければいけません。
そうでないと人間は堕落し、社会も堕落する。

松原さんはもう亡くなっていますが、この文章は、「怒らなくなったら人間は堕落します」と直すべきではないかと思います。
松原さんも、いつもにこにこしている人だったように思います。
幸せな時代に、幸せな環境で生きていたのでしょう。

 

 

 

 

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■節子への挽歌4447:死から生が生まれる

節子

過労死に関する本を読んでいたら、
夫を過労死でなくされた平岡チエ子さんの話が出ていました。
そこに、「夫が亡くなってから花に目を向けるような気持ちに一度もならなかった」という平岡さんのことばが紹介されていました。
その言葉で、私も節子がいなくなってからの数年のことをもい出しました。
感情が全くなくなってしまうのです。

まだ完全には戻ってきていないと思うほどですが、愛する人を喪うと世界は一変します。
私の場合、それこそ数年は、世界がぼやけて見えた気がするほどです。
色もあまり豊かではなく、植物や自然の声もあまり聞こえてこない。
何を見ても感動せず、私の場合は、青い空だけが実感できた気がします。
青い空を通じて、節子と同じものを見ているという感じでした。

自然からいろんなメッセージを感ずるようになったのは、この数年のような気がします。
そういう気持ちだと、桜や紅葉もあまり見に行こうとは思いません。
今年もまた紅葉の時期ですが、頭では紅葉狩りとは思いますが、心は動かないのです。
まだ私の心は止まっているようです。

先日、テレビでイラン出身のサヘル・ローズさんの人生の独白を見ました。
涙が出ました。
その番組で、サヘル・ローズさんは、死から生が生まれるというような話をしていました。
その言葉も、心に響きました。
彼女の生からすれば、いまの私は死さえも体験できていないのかもしれません。

仏教では、回心によって人は、これまでの自分を滅し、浄土に目ざめて新しい人生を生きなおす、と言います。
そこでは、死と生が同じものと捉えられています。
生のためには死がないといけない。
いや、死と生は同じことなのだといってもいいかもしれません。

節子の死から教えられたことはたくさんあります。
しかしそのことがきちんとわかりだしたのは、この12年かもしれません。

死から生が生まれる。
サヘル・ローズさんの言葉が、この数日、頭から離れません。

 

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■第3回リンカーンクラブ研究会報告

第3回研究会は「代議制と選挙」をテーマにしましたが、前回武田さんから提案された「選挙で投票に行くと一人1万円もらえるという制度」が議論の中心になりました。

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まず参加者10人それぞれからこの制度への感想を発表し合いました。
絶賛する私ほどではないとしても、良い制度だという人の方が多かったですが、明らかな反対者も2人いました。
それもかなり厳しい反対で、「金権政治」ではないか、お金で投票を誘うのは「下品」ではないかとさえいう人もいました。
厳しい反対が出るのは良いことで、おかげでより議論が深められます。

結論的に最後はみんな納得しました。
なかにはちょっとしぶしぶ感のある人もいましたが、今様に「合意なき決定」ということで、この制度はリンカーンクラブの基本方針の一つになったと思います。
ただし、その趣旨をきちんと説明しないと誤解される、という注意事項が付きましたが。

政治を大きく「権力政治」と「参加政治」に分ける考え方があります。
現在の日本の代議制の政治は、民主主義と言われていますが、要するに権力政治の一つです。
ルソーも、選挙の時しか民主主義が実現されない代議制が権力指向型の政治になっていくこと危惧していました。
リンカーンクラブは、その点を重視し、武田さんは以前から代議制民主主義は民主主義に非ずと主張してきています。

日本でも50年ほど前に「参加民主主義」が話題になりましたが、当時出版されたR.J.プランジャーの「現代政治における権力と参加」(勁草書房)にこんなことが書かれています(カッコ内は私の注記です)。

(公務に関しての)高い地位は政治機構の中で有力な人々、すなわちある特別な地位を認められている公職者(政治家)と非公式な集団(官僚)とによって占められており、より低い地位にあっては普通の市民が義務(公務)を果たしている。
この政治的義務のもっとも低い等級については、そこで遂行される仕事を公共的なものであると考えることはまずおそらくないであろうから、現代の政治文化では政治と権力とが同一視されてしまう。
権力指向型の政治が注意を独占しているところではたいていそうなのだが、人々は、もはや市民を社会に認められた公務担当者としてはまったく考えなくなっている。だが市民性とは公的な地位のことであるし、市民とは公務担当者のはずなのだが。

以上が参加民主主義の基本にある考え方の一つです。
つまり、私たち市民にとって、選挙の時に投票に行くのは、主権者としての義務、つまり公務なのです。
にもかかわらず、選挙の立会人は公務として給与をもらうのに、肝心の投票に行く市民は無償なのです。
なかには時給や生業仕事を犠牲にして投票に行かなくてはいけない人もいるでしょう。

投票に行くというのは代表を選ぶとても大事な活動です。
公務としていかに重要かは少し考えればわかることです。
プランジャーが書いているような、「もっとも低い等級の政治的義務(公務)」ではありません。
ですから投票行為に1万円を支給するのは、国家を維持していくためにはきわめて理にかなっています。

というか、政治や選挙投票の捉え方につながってくる問題です。
そして、いわゆる「金権政治」とは真逆なものであることがわかるでしょう。
サロンでは、こうしたことをもう少し具体的な話も含めて意見を出し合いました。

これは「公務」をどうとらえるかともつながってきます。
日本では「公共性」とか「公務」がきちんと整理されていないと私は思っています。
そもそも「公共性」などという言葉は実にあいまいな矛盾した言葉だと思いますが(「新しい公共」などというばかげた言葉までありますが)、そこまで行くといささかまた長くなりそうなので、いつかまたサロンをしたいと思います。

ちょっと偏った報告ですみません。
しかし、「投票という公務に1万円を支給する」制度の意味はとても深いです。
サロンでは、この制度を軸にした政治への関心を育てる仕組みなどの提案もありました。
これで一つの政党ができるという人までいました。

いずれにしろこの制度はもう少し内容を整理して、社会にも呼び掛けていこうということになりました。
参加されていない方にはうまく伝わらないかもしれませんが、関心のある人はぜひリンカーンクラブ研究会に参加してください。
たぶん時々話題になっていくはずです。

次回は127日。
テーマは「報道と選挙、そして報道権」です。
話題提供は坪田さんと武田さんです。
これまた大きなテーマですので、できるだけとんがった議論にしていければと思っています。
報道に関わっている方の参加を期待しています。

 

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2019/11/04

■節子への挽歌4446:小川町に行ってきました

節子

有機農業を広げていきたいと考えている平山さんと一緒に霜里農場を訪問しました。
平山さんの奥様も一緒でした。
霜里農場の金子友子さんに1日付き合ってもらい、いろんなところを見せてもらいました。

先日の台風で霜里農場も近くの川の氾濫で水浸しになり、鶏もかなり流されてしまったそうです。
長年培ってきた豊かな土壌が流されて、砂浜のようになっていました。

訪れた一つがが霜里農場で実習した2人の女性が共同生活をしながら有機農業に取り組んでいる家でした。
空き家を購入して、そこで2人で住んでいます。
山の中腹ですが、見晴らしが素晴らしい。
鹿が時々現れるそうですが、最近は熊も出没するそうです。
たまたまそこに今日は湯島のサロンの常連の一人が手伝いに来ていたので、彼から友子あんに電話がったので立ち寄ることができたのです。
そこはまたある人の聖地にもなりつつあるところです。

こたつに入って、お茶をいただきました。
2人の女性がなぜここに住むようになったかは訊きませんでしたが、いろんなドラマがあるのでしょう。
ただいえるのは、2人とも幸せそうでした。
たぶん金銭とはあまり縁がなさそうですが。

Simosato3

都会で生きる人生と里山で生きる人生。
お金に支えられて生きる人生と自然に支えながら生きる人生。
節子がいたら、こういう場所で静かに暮らす人生があったかもしれないと、思いました。
自活力のない私一人ではとても無理なので、今やもうありえないシナリオですが。

いつもとは違った、いい1日でした。

 

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2019/11/03

■節子への挽歌4445:彼岸と此岸をつなぐ河原

節子

今日は網野史観をテーマにしたサロンでした。
歴史の見方を変えれば、未来もまた変わってくる、というのが、今日の話題提供者の蔵原さんのメッセージでした。
全く同感で、私たちは過去に縛られた現在を生きています。
ですから未来もまた過去に縛られている。

私も学校教育などのおかげで、現在の統治者や常識が作った歴史の呪縛から自由になろうと意識してきましたが、最近はかなり自由になってきた気がします。

今日のサロンでは話題になりませんでしたが、網野義彦さんが画家の司修さんとつくった絵本に「河原にできた中世の町」というのがあります。
網野さんは、河原は人が住みにくいが、そこは彼岸と此岸をつなぐところで、人が定住しにくいところだったので(川が氾濫すれば家も流されます)、逆に「人びとが集まり,さまざまなことをしたり語り合ったりする広場でもあった」と書いています。
それを読んだ時に、湯島の部屋は私にとっての河原かもしれないと、思ったのです。

しかし、たぶん私は「河原者」にはなれないでしょう。
そこまで強くないですし、芸能や専門性には無縁ですから。
この頃、つくづく、自分の無粋さを実感します。

節子もたぶんにそうで、節子自身もそれに気づいていましたが、それでも私よりはずっと遊び心がありました。
いろんなことに誘ってくれたのは節子でした。
節子がいなくなってからは、コンサートや美術展にはほとんど行かなくなりました。
時々、ユカに誘われて出かけるくらいです。

それはともかく、彼岸と此岸をつなぐ場所はいろんなところにあります。
以前は、それを感じたこともありますが、最近はむしろ、どこもかしこも彼岸とつながっていると思えるようになってきました。
坂や洞窟がなくとも、世界は彼岸とつながっている、そう感ずるようになってきました。

網野史観はいろんなことを気づかせてくれます。

 

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2019/11/02

■節子への挽歌4444:涙が出れば、心が少し安らかになる

節子

今日は午前と夕方に大きな相談がありました。
いずれも「涙」を見たために、ついついコミットしてしまいました。
また予定を伸ばさないといけません。
なかなか現世から離れられません。

湯島では、涙を流す人が少なくありません。
心が開けるか、ホッとするかで、たぶん緊張感が解けるのでしょう。
いろいろな人に会って、感ずるのは、緊張感を持って生きている人が多いということです。
それがたぶん「生きづらさ」の一因なのではないかと思います。
そして、思い切り心を開くと、自然と涙が出てきてしまう。

涙は悲しさが原因ではなく、安堵の表れのような気がします。
そして涙が出れば、心が少し安らかになる。
そんな気がします。

相談事の内容はここに書くわけにはいきませんが、いずれも人生に深くかかわることです。
そして2人とも実に誠実に生きている人です。
誠実に生きることが涙と笑顔につながると私は思っていますが、
そういう生き方に出合ってしまうと、私も何ができるかを自然と考えてしまいます。
そして余計なことをコミットしてしまう。
そしてまたいろんなものを背負ってしまうわけです。

節子がいたら少しはシェアしてもらえるのですが、いまは一人で背負わなければいけません。
背負いきれるといいのですが。

 

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2019/11/01

■節子への挽歌4443:また試練の始まりです

節子

志や課題を持って湯島に来る人もいます。
その思いが実現できるように私ができることを探します。
しかし、なかなか思うようにはいきません。
そして、結果的に私が重荷を背負ってしまうことが、これまでも何回もありました。

まあ最近も、そうしたことでこの数か月、心労が絶えませんでした。
私は、人を信頼する以上は、ほぼ全面的に信頼しますが、そこから時にいろんな苦労が生まれます。
今回はちょっと不安な要素が大きいのですが、大事にならなければいいのですが。

ところで、それとは別に、一時期はかなり相談に乗っていましたが、うまくいきそうになっていた人がいます。
人は現金なもので、うまくいくと湯島には来なくなります。
それには慣れていますから、たぶんもう彼は大丈夫だろうと思っていました。
実際に彼はテレビでも時々取り上げられ、世間的にも評価を得だしました。
ちょっと気になることもあり、心配はしていたのですが、共通の友人が一度会ってやってほしいという連絡をくれたので、会おうと思ったのですが、さほど会いたそうでもなかったので、安心していました。

ところがどうもうまくいっているわけではなかったのです。
あまり書くわけにはいきませんが、久しぶりに会った彼は、見るからに元気がなく、話しているうちに顔の表情が崩れそうな気配を感じました。
そして結局は崩れてしまったのです。

となると、やはりまたコミットしなければいけません。
コミットする気がないのであれば、簡単に相談に乗るのはやめた方がいい。
しかし、いまの私の体力や気力では、できることは限られています。
しかも預金はついに70万円になったので、経済的な応援はできません。
いやむしろ私の貯金をせめて100万円に戻さないと湯島を維持できなくなります。
実に悩ましい。

結局、もう一度、じっくりと話し合うことにしました。
今度は私も少し赤ひげ的にでもお金をもらえるように彼に経済的に成功してもらうことも考えようと思います。

しかし、50代の男性に泣かれてしまうと自分だけを安全席に置いておくわけにもいきません。
人と付き合うのは、本当に大変です。

それに加えて、全く関係ない話ですが、今日もまた余命1か月と宣告された友人が自殺したいと言ってきたという電話が友人からありました。
その自殺したいと言っている人も、私は面識があります。
25年ほど前に一度会っただけですが。
事情を聴くと、とても悩ましい話です。
もし私がその立場だったら、と思うとアドバイスなどできない気分です。

折角、肺炎をやめて活動に取り組もうと思った矢先の難問の連続です。
どうしてお天道様は、次々と試練を与えるのでしょうか。
節子に救いを願うしかありません。

 

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■2日間、悩み続けています

東京か札幌か、英語の試験制度は導入すべきかどうか、など世間は現場知らずの人たちによって振り回されていますが、私のこの2日間の関心はまったく別のところにあります。

私が、この2日間、いくら考えてもわからないのは郵便局員による切手不正換金問題です。
「料金別納」郵便の支払いで使われた切手を、廃棄せずに金券ショップで換金したという事件です。
2人で行ったというその額がなんと5億円以上というのには驚きましたが、私の悩みは、これによって「損をした人」は誰なのかということです。

要は、廃棄すべき切手を勝手に換金したら5億円になったということですから、ごみの再利用とも考えられます。
まあいくらでも「おかしい点」は指摘できますが、しかし、これによって「損害」を受けた人が見当たりません。
もし受けたとしたら、その行為によって懲戒解雇になった2人の郵便局員ではないかとさえ思えます。
実に悩ましい問題です。

さらにこれによって、世間的には流動性が増加し、経済成長にも寄与したでしょう。
黒田日銀総裁の手助けにもなっているかもしれません。
2人の郵便局員は賞賛されてもいいかもしれません。
なにしろゴミから5億円を生み出したのですから。

まあやり方や生み出したお金の使い方には少し問題があったような気もしますが。
でもそれで、何か社会に実害を与えたわけでもありません。

どなたかこのことで生じた損害についてご教示いただけないでしょうか。
この2日間、この答えが気になって、ずっと考え続けていましたが、救いを求めることにしました。
よろしくお願いします。

ちなみに、こうしたことが起こったのは制度が悪いと思いますが、そういう話にはあまり関心がありません。
制度には必ず欠陥はつきものですから、それはまた別の問題ですので。

 

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