■節子への挽歌4444:涙が出れば、心が少し安らかになる
節子
今日は午前と夕方に大きな相談がありました。
いずれも「涙」を見たために、ついついコミットしてしまいました。
また予定を伸ばさないといけません。
なかなか現世から離れられません。
湯島では、涙を流す人が少なくありません。
心が開けるか、ホッとするかで、たぶん緊張感が解けるのでしょう。
いろいろな人に会って、感ずるのは、緊張感を持って生きている人が多いということです。
それがたぶん「生きづらさ」の一因なのではないかと思います。
そして、思い切り心を開くと、自然と涙が出てきてしまう。
涙は悲しさが原因ではなく、安堵の表れのような気がします。
そして涙が出れば、心が少し安らかになる。
そんな気がします。
相談事の内容はここに書くわけにはいきませんが、いずれも人生に深くかかわることです。
そして2人とも実に誠実に生きている人です。
誠実に生きることが涙と笑顔につながると私は思っていますが、
そういう生き方に出合ってしまうと、私も何ができるかを自然と考えてしまいます。
そして余計なことをコミットしてしまう。
そしてまたいろんなものを背負ってしまうわけです。
節子がいたら少しはシェアしてもらえるのですが、いまは一人で背負わなければいけません。
背負いきれるといいのですが。
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