■節子への挽歌4462:セカンドオピニオン
節子
小学校時代の同級生はいま抗癌治療をしています。
2年ほど前に胃がんが発見されたのです。
彼は独り身のため、一人でがんばっています。
それで、あまり役には立ちませんが、私が相談相手になっています。
時々は運動も兼ねて湯島までやってきますが、時には私が彼の家に行きます。
多くのやり取りは電話ですが、電話ではなかなか思いは伝わりません。
癌が突然発見され、私のところにやってきてからもう2年です。
幸いにして進行性ではなかったので、安定しているようです。
むしろ癌やその治療による体力低下で、いろいろな問題が懸念され、医師もそちらのほうの検査や治療に取り組んでくれています。
しかし、本人は、やはり「癌」という言葉に呪縛されているような気がします。
節子の抗癌治療の体験を踏まえて、私もアドバイスなどしていますが、そのたびに節子の時のことを思い出して、それなりにつらいこともあります。
しかし、それ以上に、癌治療に関するアドバイスは、難しいことを感じます。
生命にかかわるということもありますが、やはりあまりに治療法がわからないからです。
最近は彼はオブジーボを使うかどうかで迷っていました。
私はまだ治療として完成していないと思っていますので、薦めませんでしたが、もし節子の場合だったら、たぶん悩んだでしょう。
当事者として考えるか、助言者として考えるかでは、まったく問題の見え方が変わってくることを痛感します。
当事者であるが故の間違いはきっと少なくないのでしょう。
私たちもたぶん間違いを犯している。
そう思うとまた心が沈みます。
友人の場合、一時期は使う方向で、セカンドオピニオンまで2回行ったのですが、使うとしてももう少し先に延ばすことになりました。
今日は、その確認のために私と会いたかったようです。
決断はすでにしていたのですが、私と面と話して、最終的に決めたようです。
迷った時には、だれもが誰かの後押しを必要とするのかもしれません。
帰路、気が付きました。
セカンドオピニオンは、病気に限りません。
彼は、今日はこれからの生き方についてのセカンドオピニオンを聞きに私に会ったのだと。
そういえば、いろんな話をしていましたが、そんなことを考えるのはまだ早い、などと受け流してしまっていたことに気づきました。
また近いうちに会おうと思います。
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