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2019/11/11

■節子への挽歌4450:経済を優先すべきか生き方を優先すべきか

節子

あるグループから湯島を対価を払って週3日使わせてもらえないかという提案を受けています。
最初は友人の考えているプロジェクトを立ち上げるために湯島と私自身の時間を提供しようと思っていたのですが、そのプロジェクトを継続的に行うためには経済的に自立した体制にしていかなければいけないというアドバイスもしていました。

それで事業感覚を持った人たちも入れて、友人は数名で事業化しようと考えているのですが、そのグループの人たちが、そう申し出てきてくれたのです。
つまり、きちんと相場に合った料金を支払いたいと言ってきました。
奇妙な話ですが、そもそもそれを言い出したのは私のはずなのですが、どうもグループが生まれると勝手に動き出すのです。

いま私は収入が年金だけですから、湯島を維持していくためにもお金があればと思うことはあります。
そういう私の状況も知った上での善意からの話なのです。
それでその申し出に感謝し、受ける気になってしまいました。
もしそれがもらえたら、関西や新潟や九州にも出かけられるかもしれません。
貯金も減り方が緩和されるかもしれません。

しかし、どこかに違和感があって、引っかかっています。
そして、やはり私の生き方にはそぐわないのではないかと思いだしたのです。

湯島の部屋はいまもあるルールがあって、場所を使ってもらったりしていますが、その時にはなにがしかのお金を部屋にある箱に入れていくことになっています。
最低額として1000円としていますが、私の思いは、それはこの部屋を維持していくための気持ちの表れですから、金額に意味があるわけではありません。
しかし最近気づいたのは、みんな1000円を使用料としてとらえているのです。
つまり、安い貸事務所と捉えられていることに気づいたのです。
それが私の無意識の中に積もってきて、人嫌いになってしまっているのかもしれません。

以前、湯島で葬儀マン系のサロンをやった時に、「お布施」が話題になったことがあります。
私は「お布施」を大切にして生きていますので、お布施が高いという話には違和感がありますが、多くの人はお布施を料金としてとらえているようですので、そうであればたしかに高いかもしれません。
何となくそうした話の流れには敢て棹ささずにきましたが、はっきりと自論を述べるべきだと反省しました。
お布施と料金は違うのです。

ところで湯島を拠点にしたいとグループ、のプロジェクトはぜひ実現してほしいので、申し出を受けるとともに、私も活動に荷担していこうとは思っていますが、料金の件はまだ素直には腹に入ってこないのです。
どうしたものか、実に悩みます。

 

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