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2019/11/23

■節子への挽歌4463:私は「私」ではないのではないか

節子

めまぐるしいほどにいろんなことが周りで起こっていて(あるいは起こしていて)、節子がいたころのような数日を過ごしています。
しかしあの頃と全く違うのは、自分自身の心身の変化です。
記憶力が大きく低下するとともに、気力に体力がついていきません。

困ったものです。
むかしは、1日もあればかなりのことができましたし、心身共に連続的に動いていました。
しかし最近は「疲れ」がでてきてしまいます。
時に休みたくなる。
ユカに言わせると、最近の私の口癖は「疲れた」だそうです。

湯島に来る人も疲れた人が多い。
その人に向かって、疲れるほど頑張ってはいけない、などと言っている本人がつかれてしまっていては、話になりません。
他者と自分とはどうしても一致しないのです。

2日前に本を、マルクス・ガブリエルという人の『「私」は脳ではない』という本を図書館から借りてきて、読み出しました。
私の脳が披露しているのかどうか、読んでもよくわかりません。
私は、わからない本は早く読めるという「特技」?を持っているので、1日で半分以上読み進んだのですが、理解はほとんどできていないので、読んでいないと言ってもいいかもしれません。

しかし一つだけ示唆を受けました。
私は「私」ではないのではないかということです。
外でさまざまなことに取り組んでいる私と家で疲れたと言っている私は、同じ私なのか。

私は意識の束という考え方にはかなり共感していますが、それを束ねているのが「私」だと考えていましたが、どうもそうではないのではないか。
私は私の中にはなく、どうも私の外にあるのではないか。
意味の分からないことを書いていますが、そんな気がしてきたのです。

いろんなことに関わりながら世界を広げていきたいと思っている「私」についていけなくなってきている「私」がいる。
その「私」を使い切ったところで、「私」は次の「私」を見つけていく。

ますますわからなくなってきました。
困ったものです。

この本を改めて最初から読みなおすことにしました。
今度は少し歯が立つといいのですが。

 

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