■節子への挽歌4468:人との付き合いのほとんどは無駄な会話で占められている
節子
昨夜はよく眠れずに、いやな夢ばかり見ていました。
おかげで7時にユカから起こされるまで眠っていました。
こんなことは初めてです。
今朝はお昼前に約束がありました。
遠来の客を受けて、近くに住んでいる友人と昼食を一緒にする約束です。
その前に、昨日のメールにどう返信しようかと少し悩んでいました。
一応、すぐに返信はしたのですが、それだけでは不十分な気がしています。
しかし、彼の性格やこれまでのやり取りを考えると、これがまた難しい。
考えがまとまらないうちに時間が来てしまい、約束の場所に出かけました。
久しぶりの遠来の客は、すでに来ていました。
アレンジしてくれた友人と一緒に食事をしましたが、なんだか気分がまとまらず、自らを元気づけるために何か話していないとやり切れないような気分になってしまいました。
ずっと昨日もらったメールのことが頭から離れません。
しかし旧知の3人で話をしているうちに、なんとなく吹っ切れました。
やはり人は無駄話を通して、救われるのだと思いました。
メールをくれた彼にはこういう無駄話の時間はあったのだろうかとふと思いました。
その相手をしてやれなかった悔いがまた浮かんできました。
2時過ぎに食事を終わり、そこから私は帰宅することにしました。
明日、あるところで講演をしなくてはいけないのですが、その準備があまりできていないことに今朝気づいたのです。
困ったものですが。
出かける時はあったかかったのですが、風邪が出てきて少し寒くなっていました。
例によって薄着でサンダルででかけたのですが、ちょっと反省しました。
それで急ぎ足で自宅に戻りましたが、途中で、近くの中村さんに会いました。
彼女は、遠くから私を見ていたのですが、近づいたら、佐藤さん、背が伸びましたね、と言うのです。
いえ、最近は縮みがちですと答えましたが、姿勢がいいから大きく見えると言われました。
寒いので急いでいたので、背筋が伸びていたのでしょう。
そこから少し孫の話になりました。
寒いので早く帰りたかったのですが、中村さんは話好きなのです。
人との付き合いのほとんどは、そういう無駄な会話で占められているのでしょう。
そう言えば、今日の級友たちとの会話も、無駄な会話だったといえるでしょう。
しかし、無駄な会話の効用はとても大きいのです。
無駄な会話があればこそ、人は平安な生活を過ごせるのかもしれません。
帰宅して明日の準備をしようと思っていたのですが、まあ急ぐこともありません。
昨夜録画していた「ドクターX」を見ることにしました。
「わたし、失敗しないので」というセリフを聞くときっとさらに元気になるでしょう。
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