■節子への挽歌4447:死から生が生まれる
節子
過労死に関する本を読んでいたら、
夫を過労死でなくされた平岡チエ子さんの話が出ていました。
そこに、「夫が亡くなってから花に目を向けるような気持ちに一度もならなかった」という平岡さんのことばが紹介されていました。
その言葉で、私も節子がいなくなってからの数年のことをもい出しました。
感情が全くなくなってしまうのです。
まだ完全には戻ってきていないと思うほどですが、愛する人を喪うと世界は一変します。
私の場合、それこそ数年は、世界がぼやけて見えた気がするほどです。
色もあまり豊かではなく、植物や自然の声もあまり聞こえてこない。
何を見ても感動せず、私の場合は、青い空だけが実感できた気がします。
青い空を通じて、節子と同じものを見ているという感じでした。
自然からいろんなメッセージを感ずるようになったのは、この数年のような気がします。
そういう気持ちだと、桜や紅葉もあまり見に行こうとは思いません。
今年もまた紅葉の時期ですが、頭では紅葉狩りとは思いますが、心は動かないのです。
まだ私の心は止まっているようです。
先日、テレビでイラン出身のサヘル・ローズさんの人生の独白を見ました。
涙が出ました。
その番組で、サヘル・ローズさんは、死から生が生まれるというような話をしていました。
その言葉も、心に響きました。
彼女の生からすれば、いまの私は死さえも体験できていないのかもしれません。
仏教では、回心によって人は、これまでの自分を滅し、浄土に目ざめて新しい人生を生きなおす、と言います。
そこでは、死と生が同じものと捉えられています。
生のためには死がないといけない。
いや、死と生は同じことなのだといってもいいかもしれません。
節子の死から教えられたことはたくさんあります。
しかしそのことがきちんとわかりだしたのは、この1~2年かもしれません。
死から生が生まれる。
サヘル・ローズさんの言葉が、この数日、頭から離れません。
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