■節子への挽歌4466:「死に水を取らせてください」
節子
岐阜の佐々木さんからまた柿がどっさりと送られてきました。
早速節子にも供えさせてもらいました。
十三回忌の法要にも、柿やリンゴを持っていきました。
節子にも届いたことでしょう。
佐々木さんは最近はすっかり岐阜に引きこもり、豊かな暮らしを楽しまれています。
もし節子がいたら、私もそういう暮らしになっていたかもしれません。
しかし残念ながらなかなかそういう暮らしには入れません。
今日はある人が気になって、用事をキャンセルして、湯島に行って、その人と会いました。
前日の夜まで迷っていたのですが、そしてその人もわざわざ出てこなくても大丈夫と言ってくれていたのですが、メールの行間にはやはり出て来いという感じがありました。
寒くて雨も降っていたので、あまり気のりはしませんでしたが、湯島に朝、出かけました。
ホッとしたのは、その人が前よりも元気だったことです。
当面の危機は脱したようです。
表情が全く変わっていました。
こんな感じなら来なくてもよかったなと思ったのですが、どうもそうではなく、今日、私と会えることも元気の素だったようです。
そして急に、こんなことをいうのは…と突然また深刻な顔になりました。
しかし、そのまま、言うと佐藤さんに嫌われるかもしれないので、やはり言うのはやめますとまた涙顔になってしまいました。
やはり私にはまだ言っていない何かがあるのかと不安がよぎりましたが、何を言われても私は大丈夫だし、そもそも今でも嫌っているよと伝えました。
もちろん嫌っているというのは「冗談」ですが、その真意が相手に伝わるかどうかは問題です。
これまでも誤解されたことはありますし。
その言葉で、彼は話してくれました。
「佐藤さんの死に水を取らせてもらいたい」。
真剣な表情で、そう言ったのです。
え!!?
安心しましたが、意外でした。
かなり大変だったのだなと思いました。
私は、それに応えて、「私は死なないから」と応えました。
実は最近、テレビドラマの「ドクターX」のファンになりました。
ドクターンお決まり言葉は、「わたし、失敗しないので」です。
その言葉を聞くと、なぜか心が安心します。
私は世間的な意味では失敗ばかりしていた人間ですので、その言葉に癒されるのです。
まあ失敗ばかりしている人間には、一度でいいから言いたい言葉でもあります。
「私は死なないから」という言葉をこれからは私の気まり言葉にしようと思いました。
彼が元気になって湯島を出て行ったことで、午後は元気になれました。
それも夕方までの束の間のげんきでしたが。
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