■節子への挽歌4443:また試練の始まりです
節子
志や課題を持って湯島に来る人もいます。
その思いが実現できるように私ができることを探します。
しかし、なかなか思うようにはいきません。
そして、結果的に私が重荷を背負ってしまうことが、これまでも何回もありました。
まあ最近も、そうしたことでこの数か月、心労が絶えませんでした。
私は、人を信頼する以上は、ほぼ全面的に信頼しますが、そこから時にいろんな苦労が生まれます。
今回はちょっと不安な要素が大きいのですが、大事にならなければいいのですが。
ところで、それとは別に、一時期はかなり相談に乗っていましたが、うまくいきそうになっていた人がいます。
人は現金なもので、うまくいくと湯島には来なくなります。
それには慣れていますから、たぶんもう彼は大丈夫だろうと思っていました。
実際に彼はテレビでも時々取り上げられ、世間的にも評価を得だしました。
ちょっと気になることもあり、心配はしていたのですが、共通の友人が一度会ってやってほしいという連絡をくれたので、会おうと思ったのですが、さほど会いたそうでもなかったので、安心していました。
ところがどうもうまくいっているわけではなかったのです。
あまり書くわけにはいきませんが、久しぶりに会った彼は、見るからに元気がなく、話しているうちに顔の表情が崩れそうな気配を感じました。
そして結局は崩れてしまったのです。
となると、やはりまたコミットしなければいけません。
コミットする気がないのであれば、簡単に相談に乗るのはやめた方がいい。
しかし、いまの私の体力や気力では、できることは限られています。
しかも預金はついに70万円になったので、経済的な応援はできません。
いやむしろ私の貯金をせめて100万円に戻さないと湯島を維持できなくなります。
実に悩ましい。
結局、もう一度、じっくりと話し合うことにしました。
今度は私も少し赤ひげ的にでもお金をもらえるように彼に経済的に成功してもらうことも考えようと思います。
しかし、50代の男性に泣かれてしまうと自分だけを安全席に置いておくわけにもいきません。
人と付き合うのは、本当に大変です。
それに加えて、全く関係ない話ですが、今日もまた余命1か月と宣告された友人が自殺したいと言ってきたという電話が友人からありました。
その自殺したいと言っている人も、私は面識があります。
25年ほど前に一度会っただけですが。
事情を聴くと、とても悩ましい話です。
もし私がその立場だったら、と思うとアドバイスなどできない気分です。
折角、肺炎をやめて活動に取り組もうと思った矢先の難問の連続です。
どうしてお天道様は、次々と試練を与えるのでしょうか。
節子に救いを願うしかありません。
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