■節子への挽歌4494:冬至の陽光
節子
今日は冬至でした。
湯島で「箸文化」をテーマにしたサロンをやりました。
テーマのせいか、日本の伝統文化や行儀作法に通じている人が集まりました。
そのおひとりが部屋に入ってくるなり、窓のカーテンを開けてほしいと言いました。
冬至の陽光を感じていたいというのです。
ちょっとスピリチュアルな世界にも通じている人です。
冬至は最も日が短く、陽光も弱いですが、この日を境に日は長くなり、陽光も勢いが増していきます。
そういう「勢い」が転ずる、太陽を感じていたいというのです。
冬至と言えば、私は柚子湯とかぼちゃくらいしか知らず、陽光に触れるということを知りませんでした。
死に向かっていた陽光が、生き返り、元気になっていく。
その陽光を浴びながら(感じながら)、元気をもらっていく。
とてもいい話です。
サロンよりも、その一言に感激しました。
今日は、あまり元気な陽光ではありませんが、明日からきっと勢いを増してくる。
これまで冬至に関しては、あまり何も感じていなかったのですが、当時の捉え方が一変しました。
明日から、いや今日から、流れが変わってくる。
そう思うと何やら幸せな気がしてきました。
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