■万葉集サロン番外編「万葉集や記紀の文字表記」報告
「万葉仮名」をテーマに、万葉集サロン番外編のサロンを升田さんにしてもらいました。
14人もの参加者があり、話もとても広がりました。
そのため、長い報告になってしまいますが、お許しください。
話し言葉を文字にして残すということが始まったころに、万葉集は編纂されました。
しかもその文字は、中国に始まった「漢字」の活用という形で始まりました。
そこから、古代の人たちが、日本列島という枠を超えて往来していたこともわかりますし、当時の生活ぶりも垣間見える気がします。
想像力を働かせれば、日本という国の成り立ちにも思いを巡らせられます。
さらにいえば、「文字」が持つさまざまな機能にも気づかされます。
万葉集の面白さは、大きな時代の変化で、人々がどう生きていたかを、さまざまな形で感じさせてくれるところにもあるように思います。
今回、升田さんの話や参加者のみなさんの話を聞きながら、改めてそう思いました。
文字の成り立ちは、人と人のコミュニケーションに大きな影響を与え、文化や社会のあり様を決めていきますが、それ以前に個人の意識にも大きな影響を与えていきます。
その意味では、升田さんの万葉集サロンの大きなテーマである「われ」にも深くつながってくる話です。
ちなみに、言語を持たない人間社会はないと言ってもいいでしょうが、文字を持たない社会は少なくありません。
言葉と文字はセットではありません。
升田さんは、文字とは「体系」だと言いました。
たしかに何かに対応する象形文字がいくつかあっても、それだけでは「記号」としか言えません。
時々、遺跡の中に「文字」らしきものが発見されることがありますが、単なる絵かもしれません。
そのことを私は今回初めて気づかされました。
升田さんは、五十音図は字を覚えるためのものではなくて、この音の仮名はこうだというふうに示した「音の図」である、と話しだしました。
「音の図」、象形文字は「目からできた文字」ですが、日本の仮名は「耳からできた文字」と言えるのかもしれません。
このところはもう少し詳しく話を聞きたかったです。
現在の平仮名や片仮名は1音に対して1文字です。
それに比べて、万葉仮名の場合は、「ひとつの音」に対する文字は複数あります。
たとえば、「あ」という音でいえば、万葉集には6種類の文字がつかわれています。
文字で言えば、たとえば「阿」はほぼすべての資料で「あ」として使われています。
そうした多くの文献で使われていた文字が、片仮名や平仮名になっていったそうです。
ところで「万葉仮名」は別に万葉集だけの特殊な文字ではありません。
記紀はもとより、風土記など、上代の国語を表記するために使われた文字を総称するそうです。
升田さんは、音別にどの文献にどんな文字がつかわれていたかをまとめた主要万葉仮名一覧表を資料で配布してくれました。
万葉集での使用が一番多いことが一目瞭然でした。
この一覧表は、見ているだけで想像がふくらんでいきます。
現在では同じ音でも、なかには当時、2種類の音があったということが江戸時代の研究でわかっているそうです。
現在使われている音で言えば、13の仮名が2種類の音を持っていたそうです。
これを便宜的に甲類乙類というように区別しています。
いまはいずれも同じ音とまとめられていますが、当時は別の文字が充てられていたのです。
しかし、甲類乙類の音があったのであれば、丙類の音もあったのではないか、と私は思ってしまいます。
たしかに江戸時代の江戸の学者は2種類くらいしか聞き分けられなかったのでしょうが、実際には甲乙どころか甲乙丙丁…とたくさんあったのではないのか。
万葉仮名は600文字以上あることが確認されていますが、その中には明らかに遊び心でつくられたものもあるので、すべての文字がちがう音に対応していたとは言えませんが、まあ数百の音があったはずです。
いまでも方言では、50音図の文字では表せない音があるはずです。
五十音図は音の図だと升田さんは言いましたが、結果的には「多様な音をそろえていく効果」を果たしたともいえます。
私が子どものころはまだ、たとえば「い」「え」という文字に吸収されてしまった「ゐ」「ゑ」という文字がありました。
音としては、wi weだと思いますが、いまは使われなくなっています。
一世代の間でさえ、それだけの変化がありますから、文字も発音も変化しているわけです。
話しやすく使いやすい方向に、文字も言葉も変化しているのでしょうが、注意しないと豊かな感情をこめにくい機能的な言葉に変わっていって、人と人のコミュニケーションを貧しくしていくおそれもあります。
それへの反発が、子どもたちの漫画に出てくる、たとえば「あ」に濁点をつけるような、ルールに反する文字になって表れているのかもしれません。
まだまだ言葉は文字に完全には呪縛されていないようです。
もちろん「五十音図」の発想のおかげで、日本人の識字率は、平安時代以来、たぶん世界でもトップだったでしょう。
平安時代には五十音図はありませんでしたが、「天地の詞」や「いろは歌」などがありました。
升田さんは、こんなことも言いました。
文字を手に入れたことで、言葉(歌)を文字に残すことの面白さや喜びを感じた人たちは競って、庶民が歌っている歌を書き留めて残したのではないか、と。
音を文字であらわす喜びは、大きかったのでしょう。
歌詠みもその歌を文字に残すことも、とても楽しかったに違いないというのです。
「楽しいこと」は文化を豊かにし、社会を元気にする原動力です。
書を書かれる人が2人、参加していましたが、その人たちは音だけではなく、書いた時の美しさも文字を選ぶ基準の一つだったのではないかと言いました。
とても納得できる話です。
文字が普及し、書くことでさらに文字を使う喜びは高まった。
話はますます面白くなってきます。
しかし、その文字は私たちの社会を豊かにする一方で、私たちから何かを奪ったのではないかという思いも私にはあります。
文字のない社会の平和な生き方も報告されていますが、文字によって私たちが失ったものもあるかもしれません。
文字と権力の話も、私の大きな関心事です。
それは最近の英語教育の動きにもつながっていきます。
話し合いでは「神代文字」の話もでました。
私も一時期、カタカムナ文字や相似象にはまったことがあるのですが、そこまで行くとさすがに逸脱しすぎそうなので、我慢しました。
升田さんの話はもっといろいろありました。
中国の「韻鏡」の話や、「略体」や「非略体」などの話、さらには「文字に残っている原義」を踏まえての文字の使い分けの話、いずれも面白すぎて私には消化できません。
文字から見えてくることはたくさんあります。
あまりにも内容がたくさんだったので、今回は私には消化できないことが多く、いつか「補講」をお願いしたい気分です。
希望者が3人集まったら補講をお願いしようと思います。
升田さんは大のケーキ好きですから、ケーキを用意したら、やってくれるでしょう。
中途半端な報告ですみません。
まあ、いつものことではありますが、さすがに今回は我ながら中途半端だと反省しています。
次回からきちんと録画か録音しておこうと思います。
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