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2019/12/18

■節子への挽歌4490:引きこもり体験者の集まり

節子

今日は湯島で阿部さんが、引きこもり体験者などの相談会やサロンを開催していました。
先月から湯島で定期的にやることになったのです。
以前から私にも声がかかっていたのですが、なかなか参加できずに、今日、初めて参加しました。
私は途中から参加したのですが、5人ほどの人が集まっていました。
みんなかつて引きこもっていたり不登校だったりしていた人です。
それもかなり長期にわたってです。

不登校や引きこもりに、いずれもコンプレックスを持っています。
しかし、不登校や引きこもりにコンプレックスを持つ必要などあるはずもありません。
そこでいつもの持論を話しだしてしまいました。

私はこういう場では「今は何をしているのですか」と訊くことが多いです。
多くの人が「働いていない」と答えます。
そこで、「稼いでいないだけではないですか」と応じて、生きている以上、働いていない人はいないと言葉を重ねます。

人は、そこに存在するだけで必ず誰かの役に立っています。
もちろん誰かに迷惑をかけているともいえるのですが。
役に立つことと迷惑をかけることは、私には同じことのように思えます。

不登校だった人には、「学校だけが学びの場」ではないと言います。
今日は、その言葉は言いませんでしたが、学校に行きたくないのは自分をしっかりと生きているからだという話は少ししました。
私は子ども時代、あまりしっかりしていなかったので学校には行きました。
ただ高校時代には、不登校ではありませんでしたが、学校が嫌いでしたので、嫌いな授業はさぼって図書室で本を読んだりしていました。

いまの子どもたちには、学校と家庭しかないと思わせているところに問題があります。
ちなみに塾や学童保育の場は、もう一つの学びの場ですが、いずれも大人たちに管理されている場であることには変わりはありません。
子どもたちが自分たちの場が作れないところに問題を感じます。
ネットのようなバーチャルな場は、私には別の世界の世に思えます。

みんなと話していて、やはり社会そのもののおかしさを改めて感じます。
ここに集まっている人たちのエネルギーや思いを束ねたら、みんな生き生きしてくるでしょう。

いろいろなことを気づかせてもらいました。
不登校や引きこもりを体験した人たちの素直さにはいつも感心しますが、いろんな世界に触れてこなかったが故の視野の狭さも感じます。

現在のさまざまな対策やNPO活動には、やはりどうしても共感できません。

 

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