■節子への挽歌4496:年末の相談つづき
節子
抗がん治療をしている幼馴染の友人が湯島にやってきました。
私がどうも時間を間違って連絡していたようで、その前にやってきていた別の知人と重なってしまい、その知人とのいささか深刻な話を聞かれてしまうことになってしまいました。
それで、友人は私の最近の窮状を知ってしまったのです。
私は隠すことを全くしていませんが、まさか私がそんな状況にあるとは信じていなかったのでしょう。
その知人が帰った後、友人はやはりそうだったのかと私のことを心配しだしました。
そのため、相談の立場が逆転してしまいました。
私自身は「窮状」などとは全く思っていないのですが、世間的な常識では、この歳になって貯金がないのは「窮状」なのでしょう。
生き方を変えれば、状況はまったく違うのですが。
まあそのおかげで、今回もお昼をご馳走してもらいました。
彼はうなぎを勧めましたが、近くのうどん屋さんで済ませました。
つづいてやって来たのは、先日のサロンに久しぶりに顔を出したCさんです。
先日の帰り際に、一度相談に行きたいと言われたので、早速に今日をセットしたのです。
どんな話かなと思っていたら、これまたショッキングな話が出てきました。
話題は「信仰」と「自殺する権利」。
これだけだとなんのことかわからないでしょうが、精神的にちょっと疲れ気味の私には、いささか刺激が強すぎる話でした。
でもまあ事態はいい方向に向かっているようです。
年末には、おそらくこういう話がいろんなところで語られているのでしょう。
そして最悪の場合は、命が絶たれる。
そう思うだけで、私のように脳天気に生きていることが、何となく罪深く感じてしまう。
そして、なぜか心が穏やかにはならないのです。
心穏やかに年を越すのは、どうやら今年も無理そうです。
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