■節子への挽歌4480:太田さんの生き方の見事さ
節子
太田さんを覚えていますか。
節子がまだ湯島に行っていたころ、何回か湯島にも来たはずです。
もっともしばらく途絶えていたから、節子ががんになった頃は交流が少し途絶えていました。
節子がいなくなってしばらくして、太田さんはわが家にやってきました。
節子が亡くなったことを知って、わざわざわが家までお線香をあげにやってきてくれました。
以来、わが家にも3回ほど来ていますが、いつも、有名なお寺のお線香を持ってきてくれます。
その太田さんが、癌になってしまいました。
しかも発見が遅れてしまった。
手術は無理ということで、抗癌治療を勧められたと思いますが、癌に抗わずに、治療せずに、できるだけこれまでと同じように生きようと決心しました。
毎日曜日に湯島にやってくる生活スタイルも変えることなく、やってきました。
しかし2週間ほど、来なかったことがあります。
気になっていたのですが、一昨日のサロンにやってきました。
九州の実家にいる母親に報告に行っていたそうです。
太田さんの最大の悩みが、母親にどう伝えるかだったのです。
九州までの旅はつらかったようです。
もしもう少しタイミングを暮せていたら、体力的に無理だったかもしれないようです。
一昨日のサロンに来た時も、辛そうでした。
でも来てくれた。
太田さんは、もう余命宣告を受けていますが、驚くほどの平常心を維持しています。
これほど剛毅な人を、私は知りません。
肩に力が入っているわけではないのです。
いとも自然に生きている。
こういう生き方ができるのは、これまでの太田さんの生き方のためでしょう。
太田さんから教えられることは多いです。
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