■節子への挽歌4479:「物言えば、唇寒し」に抗わなければいけません
節子
今日もまた寒い1日でした。
今日は、湯島のBMS(茶色の朝)サロンで、先月来日したローマ法王を話題にしました。
記録して公開しようという意見もありましたが、今回はともかく本音で話す状況にしたかったので、記録はやめました。
そのおかげではないですが、議論はいろいろと出ましたが、終わってからやはり記録すればよかったと思いました。
録画されているから本音を出さないとか発言しにくいというのは、やはり誠実ではないと思ったのです。
私自身は、どんな場でも基本的に建前の話はしません。
いつも本音で話しているわけではありませんが、嘘だけはつきません。
というよりも、嘘がつけないのです。
これは子どものころからで、嘘をつくと赤面したり顔に表情が出たりして、すぐに嘘だとわかっていますのです。
嘘をついてもすぐ嘘だとわかってしまうので、嘘が嘘にならないのです。
公開の場だと、しかし、発言を差し控える人はいるでしょう。
そうでなくとも、最近はみんな本音ではなしをしないと、サロンで20代の若者が指摘していました。
たしかに、「物言えば、唇寒し」の時代です。
湯島のサロンでは、決してそんなことはありません。
長年かけて、ある種のアジールになってきました。
であればこそ、ここでの議論を公開していくことが次の目標ではないかと気づいたのです。
わたしだけではなく、他者を巻き込むことになるので、慎重を期さねばいけませんが。
昨日は久しぶりに鷹取さんが来てくれました。
帰り際に、「今年最後だと思うので」と前置きして、みんなに「よいお年を」と言った後、「佐藤さんには来ないだろうけれど」と付け加えました。
その時は気になりませんでしたが、後であれはどういう意味だと気になりだしました。
禅の公案かもしれません。
来年1月に、禅書「無門関」のサロンをやることにしました。
鷹取さんはそれを知っていたのでしょうか。
まあ知るわけはないですが、鷹取さんは実に愛すべき人です。
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