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2019/12/06

■節子への挽歌4478:「感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては」

節子

この挽歌も最近、アクセスが減っています。
時評編をあまり書かなくなったのと挽歌もなんということのない私の日記になってしまったからでしょう。
挽歌と時評を組み合わせている意味もあまり亡くなったかもしれません。
コメンとも減って、最近はめったにありません。

ところが今日の夕方、気づいたのですが、久しぶりにコメントの書き込みがありました。
投稿者はpattiさん。
以前、心にしみるコメントくださった方です。
いまもなお読んでくださっているとは、うれしいことです。

コメントは時評編へのものでしたが、そのなかにこんな文章がありました。

東日本大震災の3か月後に彼は旅立ちました。
正直言って目の前の日々変化する彼の病状と共にあることで精一杯、私自身まるで重力がない世界にいるようでしたから震災後も復興云々より人の生死についてばかり頭を巡らせていました。
こうして稚拙ながらコメントできるようになったのも時の経過故です。
そして佐藤さんのブログとの出会いもこの喪失の経験がなければ起こらなかったことなのです。

佐藤さんの本意に反するかもせれませんが、改めて感謝を伝えたいと思います。
「詫びることができるうち詫びる」と同じように感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては。

「詫びることができるうち詫びる」は、先日書いた記事をさしています。
つづけてこう書かれています。

直近で鼓舞されたのは昨夜のU2のライヴです。政治的メッセージも辞さない彼らの一貫した姿勢のみならず、昨夜はアフガニスタンで悔しくも凶弾に斃れた中村哲氏への哀悼と彼の功績を讃えました。
前日私は一人悶々と悲しみに暮れていました。偶然手に入ったチケットでその場に居合せ、ともに追悼できたことへの感謝と事件への憤り、無念さがない交ぜになってくしゃくしゃになりました。

この文章で、pattiさんのプロフィールが少し伝わってきます。
もちろん私は、pattiさんがどんな人か全く知りません。
さらにこう書かれていました。

そんな一夜が明けて佐藤さんのブログを開いて書き連ねてしまいました。長くなってすみません。
サロンをはじめ多くの人たちとの関わり合いの「場」提供し続けている佐藤さんはなんと心強い存在でしょう。
お体にはくれぐれも気を付けてください。またお邪魔させていただきます。

pattiさんには無断で引用させてもらいましたが、コメントで公開されているので許してもらえるでしょう。

「感謝も伝えられるときにしっかりと伝えなくては」。
全く同感です。

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