« ■節子への挽歌4471:サンダルで階段を駆け下りさせられました | トップページ | ■節子への挽歌4473:闡提成仏 »

2019/12/02

■節子への挽歌4472:詫びる相手がもしいたら、すぐに詫びたほうがいい

この2日間、いろいろあって家を留守にしていました。
電話も留守電にしていました。

今朝、新潟の金田さんから電話がありました。
一昨日と昨日、電話したが留守電でつながらなかった、オフィスにも電話したがやはり伝わらなかった、何かあったのかと心配しました、という電話でした。
そう心配されるような年齢になっていることに、改めて気づかされました。

私は夜の8時過ぎから朝の8時までは基本的に電話には出ません。
これは昔からのわが家の文化です。
時々それを忘れて出てしまうこともあるのですが、夜は静かに過ごしたいのです。
携帯電話は昼間でも出ないことが多いのですが、それは単純に気付かなかった、携帯電話お携帯していなためです。
時には、気づいてもスマホの扱いに慣れてないので、出損なうこともありますが。

それはともかく、金田さんの要件は、今年は約束していたことが何もできなかったお詫びでした。
私に詫びる理由など全くないのですが、詫びる人がいることは人生には大事なことだと思っていますので、素直にお聞きしています。
これも私の考える「布施」の一つです。
もちろん布施を与えているのは金田さん、布施を受けているのは私です。
つまり、「詫びる」という行為は、お布施の一つだと思います。
まあ神社へのお賽銭と同じです。

詫びるという行為は、しかし、そんなに簡単なことではありません。
詫びるべき時に、詫びることのできない人がなんと多いことか。
実は私も「詫びる」のが苦手で、最近ようやく「詫びる」ことができるようになってきていますが、長いこと、「詫びること」も「詫びられること」もうまくできませんでした。

節子との関係でも、お互いそうでした。
中途半端なままの段階で、節子は逝ってしまったのですが、いまなら私は素直にいろんな意味で節子に詫びることはできるでしょう。
節子もまた、私に詫びることができるように、私も「詫びられること」に慣れてきました。
それができるようになった今、節子に詫びたり、詫びられたりできないことがとても残念です。

詫びる相手がもしいたら、すぐにでも詫びたほうがいい。
それがいまの私の心境です。

|

« ■節子への挽歌4471:サンダルで階段を駆け下りさせられました | トップページ | ■節子への挽歌4473:闡提成仏 »

妻への挽歌18」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■節子への挽歌4471:サンダルで階段を駆け下りさせられました | トップページ | ■節子への挽歌4473:闡提成仏 »