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2020年1月

2020/01/31

■緊急サロン「アクチュアルな仏教実践-インド仏教とダリット」のご案内

サロンに参加している荒金さんの提案で、緊急サロンを開催することにしました。
直前の案内になってしまいますが、ぜひ多くの人に参加していただきたいサロンです。

テーマは「アクチュアルな仏教実践-インド仏教とダリット (被差別カースト)」です。
ダリットとは、「カースト制度」として知られる4階層の枠外に配置された、「被差別カースト (不可触民)」が自らを称する呼称で、「抑圧されたもの」を意味します。

インド仏教徒の最高指導者としてインドで活躍されている佐々井秀嶺上人の活動を支援する「南天会」というネットワーク組織が日本にあります。
https://www.nantenkai.org/ 
佐々井上人の随身である南天会の亀井竜亀師が、いま日本に来ていて来週まで東京に滞在されています。
帰国前の2月3日の夜に湯島に来ていただき、インド仏教(徒)の現状を中心に、サロンを開いてもらうことになりました。

佐々井上人は、ダリットと呼ばれる「被差別カースト(不可触民)」の人たちとともに、インドから灯の途絶えた仏教を復興し、今は亡きアンベードカル博士の遺志を引き継ぎ、インド仏教徒の精神的支柱として活動されていますが、亀井師はその活動を間近で支えていらっしゃる方です。

荒金さんからのメッセージを下記しますので、参加できない方も、ぜひお読みください。
荒金さんの提案の動機と今回のサロンへの思いが理解してもらえると思います。

ちなみに、佐々井上人が遺志を引き継いだアンベードカル博士は、「不可触民」解放の父と言われる人で、インドにおける仏教の復興に取り組んだ人です。
日本ではガンジーが有名ですが、アンベードカルはそれ以上に現場の人であり、インド社会に大きな影響を当て続けている人だと私は思っています。
私がアンベードカルのことを知ったのはもう15年ほど前に事ですが、まさかその活動を継承している人の話を聞けることになるとは思ってもいませんでした。

急なご案内ですが、滅多に聴けるお話ではないので、大勢の人に参加していただきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年2月3日(月曜日)午後6時~8時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「アクチュアルな仏教実践―インド仏教とダリット (被差別カースト)
〇ゲスト:亀井竜亀さん(僧侶)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

〔荒金さんからのメッセージ〕

ジャイビーム!

「カースト制度」として知られる四階層の枠外に配置された、「被差別カースト(不可触民)」は自らをダリット「(抑圧されたもの)」と名乗る場合が多い。彼らは、不条理なカーストに苦しめられ、仏教徒に改宗し、自らカーストの呪縛を解きながら力強く新たな人生を切り拓いていく姿勢から、一見カーストとは無縁の生活を送っている我々が学ぶことは大いにあると思いますし、なかなか知り得ないインド仏教、カーストの現状に触れながら、「差別」「格差」「信仰」など再考してみるのはいかがでしょうか。

提案時、勢いにまかせて私は上記のように記しました。

佐藤さんから送っていただいたテキストを読み、「彼ら (ダリット)の姿勢から我々が学ぶ」、と表現した自分に疑問を持ちました。なんたる傲慢さ、自分でも驚きました。まるで差別を受け続けている哀れな彼らからも我々が吸収するものがある、とでも言いたげな尊大な態度を露呈してしまいました。差別はいけないことだ、許されないあるまじき行為である、と憤慨しつつ、無意識のうちに差別を生み出す側に回っている自分の姿が露わになったのです。自らの内奥に潜む非人間性と向き合う作業は、自分の内側に巣食っている病巣をこじ開ける作業でもあり、苦痛を伴います。しかし同時に差別をよしとせず、子どもたちのために差別のない社会を残していきたい、と望む自分を再認識することは、大きな希望でもあるといえないでしょうか。 そしてだからこそ、目を伏せたくなるような過酷な現実と闘いながら生き抜いている彼らの現状に目を向けなければならないのだと思うに至りました。

今回の緊急サロンでは、亀井竜亀師に、インドはナーグプルにおける現在進行形のアクチュアルな仏教の実践について、語ってもらいます。併せて亀井師が日本仏教に望むこと、今後の活動の予定、未来への課題、など後半部は、参加者の方々から質問を受けながら、「対話」するサロンを提案します。

改めて自身が抱えている「差別」「格差」「平等性」「非人間性」など、亀井師の言葉からともに照射してみませんか。

合掌

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2020/01/29

■第6回リンカーンクラブ研究会「民主主義政治と合意形成」のご案内

今回は「民主主義政治における合意形成はいかにしてなされるか」をテーマにします。
決定的な決め手でもあれば、合意形成は容易かもしれませんが、政治においてはむしろそうした決定的な決め手がないことが多い。
そうした状況の中で、民主主義的に合意形成を得ることは至難のことです。

かつて、クリントン大統領は「中身のない合意(empty agreement)よりも、合意をしない(no agreement)方がましだ」と言ったことがありますが、実体のある合意を得るにはどうしたらいいか。
多数決が一つの方法だと日本では言われていますが、多数決はむしろ暴力的な手続きで民主主義とは無縁という人もいます。
民主主義を実現しようとすると、常につきまとう問題です。

民主主義での合意形成に関しては、よく話題に出されるのが、「忘れられた日本人」で紹介されている宮本常一の対馬の村落での話です。
そこには村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得がいくまで何日でも話し合う様子が報告されています。
しかし、昨今のような「時は金なり」という社会では、そんな「豊かな時間」は持てません。

ではどうしたらいいか。
それが今回のテーマです。

問題提起はリンカーンクラブ代表の武田さんです。
初めての方も気楽にご参加ください。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年2月22日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「民主主義政治と合意形成」
〇話題提供者:武田文彦さん(リンカーンクラブ代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■コムケアサロン「〈当事者支援者〉の現状と課題、そして今後」のお誘い

最近ちょっと中断していましたが、今年はコムケアサロンもまた再開していきます。
最初に取り上げるのが「当事者支援者」の問題です。

ケアの世界も、かつてのように「わたし支援する人、あなた支援される人」という捉え方は大きく変わってきて、ピアサポート(同じような立場の人によるサポート/当事者支援)活動も広がってきていますが、そうした活動から新たに見えてきたことがたくさんあります。
同時に、そこには「福祉」や「ケア」のあり方を根本から見直すヒントもたくさんあるように思います。
もともと「コムケア活動」は、ケアの本質を一方向的な「行為」ではなく、双方向に支え合う「関係」と捉えて出発していますが、そうした発想での最先端で実践活動をしている、発達障害当事者支援者の下さんに話題提供してもらいながら、この問題を話し合うサロンを開催します。

テーマは「〈当事者支援者〉の現状と課題、そして今後」。
下さんの実践活動からの問題提起です。

下さんからのメッセージです。

「当事者支援者」は、障害や病気を抱えながらもそれを脇に置いて、支援職としての職務を全うすることが求められます。
7年の「非開示型」支援職経験と、2年の「開示型」支援職経験を経て、見えてきたことについてお話しします。
率直な疑問、不安、批判、応援も含めて、様々な方と意見交換ができることを楽しみにお待ちしております。
ぜひさまざまな立場の人に参加していただきたいと思っています。

話題提供者の下茉莉さんの自己紹介を下記しますので、ご覧ください。

〇日時:2020年2月23日(日曜日)午後1時半~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ: http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提供者:下茉莉さん(社会福祉士・精神保健福祉士)
〇テーマ:「〈当事者支援者〉の現状と課題、そして今後」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

〔下茉莉さん(社会福祉士・精神保健福祉士)〕

発達障害(ADHDASDで程度はグレーゾーン)と、発達性トラウマ障害の当事者支援者。
大学入学2日目に家出をし、貧困学生生活、精神症状の治療を並行しながら大学を卒業。自身の経験を活かしたいと考え福祉の専門学校へ入学。
卒業後は地域若者サポートステーションにて5年程勤務。
現在は障害者就労支援センターに勤務しつつ、社会活動として「発達障害との付き合い方を考える会かもみぃる」を運営。
座右の銘は「七転び八起き」!!

https://sites.google.com/site/chamomile20180227/greeting

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■茶色の朝サロンのご案内

今年初のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を、1月31日(金曜日)の夕方開催します。
いつもとは違う平日の夕方ですが、しかもちょっと長目の設定で、出入り自由のスタイルにしていますので、お時間が許す時にぶらっと気楽にお立ち寄りください。
テーマは特に決めていませんが、最近、何か気になることがあれば、それを参加した人が気楽に話すようなフリースタイルです。

〇日時:2020年1月31日(金曜日)午後4時~7時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ちょっと気になること」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 

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2020/01/28

■湯島サロン「アニマル・コミュニケーション」報告

しーちゃん(タカイ シオミさん)の「アニマル・コミュニケーション」のサロンは、タイトルを間違えてしまった気がします。
案内をきちんと読んでもらえたら主旨が伝わったと思いますが、タイトルが「アニマル・コミュニケーション」では案内文も読んでもらえなかったようで、参加者は8人でした。
私自身、テーマの深さを十分に理解できていなかったことを大いに反省しました。
いつかこのサロンはもう一度企画したいです。

私の勝手な解釈ですが、今回のテーマは、人と人とのコミュニケーション不全の原因とその正し方だったような気がします。
あるいは、私たちの生き方を違った視点で考え直すということだったとも言えます。
それほど私にはさまざまな示唆が得られたサロンでした。

Animal200126

参加者は、動植物と話し合って生きている人が少なくありませんでしたので、その人たちの体験などの紹介もありました。
話の内容を中途半端に書いてしまうと誤解されるおそれもありますのでやめますが、私としては自らの考えや知識を相対化できて、世界がまた一段と広がった気がします。
紹介されたエピソードは、動物が主役で語られましたが、犬や猫を人間に替えてもおかしくない話ばかりでした。
むしろ動物との話なので、問題の本質が生々しく見えたような気もします。

わが家にも以前、犬や猫もいましたが、しーちゃんの話には思い当たることが多く、当時、もう少し踏み込んでおけば、きちんと会話できて、もっといい関係が構築できただろなととても残念な気がしました。
「トラウマを残したコにもたくさん会いました」としーちゃんは言っていましたが、まさにわが家に来たチャッピーがそうでした。

しーちゃんは、日常的に動植物と会話しています。
遠隔地の犬とも会話しているようですが、これもとても納得できました。
私も目の前にいる動植物には話しかけるほうですが、遠隔地の犬とは会話などできないだろうと思い込んでいたために、そこまではできませんでした。
しーちゃんは、そんな「常識」には呪縛されていないので、会話できるのでしょう。
信じなければ何事も可能にはなりません。
そのことにも気づかせてもらいました。

私たちは今では言葉や文字を使うコミュニケーションに大きく依存しがちですが、そのために失ってきたものは多いでしょう。
私は最近、ようやく孫に恵まれたのですが、言葉や文字にまだ依存していない孫との交流のことを思い出しながら、話を聞いていましたが、あまりにもつながる話が多く、驚きました。

もしかしたら、私たちはコミュニケーションということを、全く間違って捉えているのではないかとも思いました。
最近は感情面での交流を回避する“ネオサピエンス”が増えているという話がありますが、その話と重ねて考えるとこれからの生き方を問い直すヒントがあるかもしれません。

犬はベートーヴェンの交響曲第七番が好きだとか、犬と猫の違いとか、生活空間と性格の関係とか、犬の意思表示の話とか、面白い話もたくさんありました。
犬が家族の一員意識を持つ話とか、飼い主の病気を犬が背負いこんでいくという話も出ました。
動物に視聴してもらうテレビ番組づくりの話も出ましたが、これについては犬や猫からアンケートをとったらどうかという話も出ました。
この作品ができたら連絡をもらうことになっていますので、楽しみにしてください。

結局、肝心の犬や猫とのコミュニケーションのことが何も書いていないじゃないかと叱られそうな報告になってしまいましたが、そうした話はしーちゃんのホームページをご覧ください。
https://shi-dobe-ginza-sea.jimdo.com

いずれにしろ、私にはきちんと報告する力がないので、しーちゃんに今回話してくれたことを読みやすい新書にして出版してほしいとお願いしました。
しーちゃんの本が出たら、ご案内させてもらいます。


 

 

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2020/01/25

■今日は昼食を節約して、この本を買ってください

その本は、「グレタのねがい」(ヴァレンティナ・キヤメリニ著 西村書店 980円)。
昨日発売されましたが、おそらく来週には大きな話題になっていくでしょう。

Gureda

私たちはいま、17歳の少女に「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」と指摘されています。
少女の名前はグレタ。
その名前と、怒りと悲しみに満ちた表情と鋭い問いかけは、多くの人の記憶にまだ新しいでしょう。

スウェーデンのグレタ・トゥンベリさんは、地球温暖化を食い止めるために「自分でできる方法」として、学校へ行かずに国会議事堂前で、ひとりで抗議ストライキを始めました。
そこからいまや、グレタのメッセージは世界中に広がってきています。
そして、昨年9月に国連でスピーチをした時に発せられたのが、上記の言葉です。

グレタさんはつい先日、スイスのダボスで行われた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)でもスピーチを行いました。
グレタさんはスウェーデンのストックホルムに住んでいますが、そこからスイスのダボスには飛行機を使わずに、陸路を30時間かけて行ったそうです。
飛行機がいかに環境に負荷をかけるかを熟知しているからです。

グレタさんの母親は国際的に活躍しているオペラ歌手だそうですが(日本にも来たことがあるそうです)、グレタさんに説得されて、いまは飛行機の使用をやめ、海外での公演もやめたそうです。
生き方を変えたのです。

そのグレタさんのことを紹介する「子供向け」の本が西村書店から出版されました。
友人が送ってきてくれたので、さっそく読ませてもらいました。

「小学校高学年以上」が対象とされていますが、大人でもわかる本です。
私は、大人よりも子供たちのほうが読解力が優れていると思っていますが、この本はたぶん大学を卒業した人でも、少しでも知性が残っているならば、理解できるでしょう。
しかし、本書が向けられているのは、しっかりした知性と思考力をまだ失っていない子どもたちです。

本書の表紙には、「地球をまもり 未来に生きる 大人になるまで待つ必要なんてない」と書かれています。
子どもたちができることは、大人たちよりもたくさんあります。
でも、グレタさんの母親が示してくれているように、大人たちにもできることがある。

本書を送ってきてくれた友人は、「この本は、気候温暖化のメッセージ本ではなく、グレタさんが身をもって新しい生き方を示す、これからの新世代へのエールととらえます」と書いてきました。
たしかにそうだと思います。
そして、地球環境問題に対処するには、私たちの生き方を問い直さなければいけません。
排出ガス規制や環境権などと言っている限り、解決は見えてこないでしょう。

しかし、人間であれば、誰にでもできることがあるはずです。
では私たちに何ができるか。
まずは今日のお昼を抜いて、この本を買って読むことから始めましょう。
そして読んだら、その本を近くにいる子どもたちにあげましょう。

この本を読んだ子どもたちがきっといい方法を見つけてくれます。
そこからもしかしたら、大人にもできることが見えてくるかもしれません。

 ぜひ多くの人に読んで、生き方を変える契機にしてほしいです。

 

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2020/01/24

■CWSサロン「参加者それぞれにとっての居心地の良い場」報告

平日の午後の開催だったので、どれだけの人が集まるか心配でしたが、10人を上回る人が参加、関心の高さに驚きました。

Ibashosalon2001

最初にそれぞれにとっての「居心地の良い場」について話してもらいました。
最初に口火を切ったのが長年ひきこもりだったという人で、外の世界には「居心地の良い場」を見いだせなかったが、ある人の一言で価値観が反転し、いまは「共に成長していける場」が、自分にとっての「居心地の良い場」だと話してくれました。

つづいてさまざまな「居心地の良い場」が出されました。
「適度な拘束(ルール)があるほうがいい」
「自分の役割が見つけられるところ」
「一人になってボーっとできる場」
「自分をすべて出してもいいところ」
「自分を構える必要のない仲間たちといる時」
「自分が自分になれる場」
「自分の家にいるとき」
「気のおけない仲間がいること」
など、いろいろと「それぞれの居心地の良い場」が出されました。

「居心地の良い場」にはいくつかの要素があると坪田さんが整理してくれました。
「雰囲気」「テーマ」「仲間」、ほかにもあるのではないか、と。
「そこでの自分の役割」「楽であること」などもあるのではないかと意見が出ました。

コミュニティに関する議論もありましたが、逆にコミュニティというと、誰か(たとえば行政)が誰かのために作るもので、どこかで生活と離れてしまうのではないかという意見もありました。
居心地の良い場と快適とは違うのではないかという指摘もありました。
便利で安全であることと居心地とは別だということです。
快適さ(利便性や安全)を求めるあまり、私たちは居心地の悪い社会をつくってきているのかもしれません。

ほんの一部を紹介しましたが、コミュニティとか居場所を考えるさまざまな視点や要素が出されたように思います。
話し合いを聞いていて感じたことを3つだけ報告させてもらいます。

ひとつは「コミュニティは参加するものか、育てていくものか」ということです。
言い方を変えれば、「コミュニティと自分」の関係です。
コミュニティではなく、「居場所」についていえば、居心地の良さは、場所の問題なのか、自分の問題なのか、ということです。
よく「居場所がない」と言われ、「居場所づくり」が行政やNPOの課題になっていますが、場所をつくればいいという話なのか。
バーで出会って一緒に飲む仲間たちとの時間も「居心地の良い場」だが、それも「コミュニティ」と言えるのかという指摘もありましたが、「居心地の良い場」は「居心地の良い時」なのかもしれません。

もうひとつは「間」ということです。
「居心地の良い場」も「コミュニティ」も、時間と空間と人間が絡んでいますが、その3つにはなぜか「間」という文字がつかわれています。
言い方を変えれば、時と空(場)と人を「間」がつなげているともいえます。
ここからいろんなことが考えられるような気がします。

3つ目は「コミュニティ」の開放性と多層性ということです。
私たちはさまざまなつながりの中で生きていますが、いいかえれば「さまざまなコミュニティ」の中で生きているともいえるでしょう。
特定の「コミュニティ」に閉じこもってしまうと、ある意味での「居心地の良さ」を得ることができるでしょうが、逆にその「コミュニティ」に自らを合わせていくことにもなりかねません。
ストックホルム症候群(監禁事件などで被害者が加害者との間に心理的なつながりを築いてしまう)とまでは言いませんが、それと似たようなことが起こりかねません。
かつての日本の村落共同体や絆も、そうした危険性やマイナス面を持っていました。
「居心地の良さ」と「居心地の悪さ」は、ある意味でのコインの裏表です。
とすれば、特定のコミュニティに埋没するのではなく、さまざまなコミュニティにゆるやかにつながることで、自らが主役のコミュニティをそれぞれが育てていくという考えもあるように思います。
それとともに、コミュニティは開かれていることが大切ではないかと思います。

ところで今回のサロンで、湯島でやっているサロンのつながりにも改めて気づきました。
たとえば、前回の万葉集サロンでは「個人と社会の関係」が話題になりました。
「同化する多様性」と「せめぎ合う多様性」です。
そして次回は「アニマルコミュニケーション」のサロンですが、ここではペットとのコミュニティという問題があります。
話していくと、いろんな問題が絡み合っていることが見えてきます。
改めてそのことに気づかせてくれたサロンでした。

次回は勝手に、今回私が感じた感想を問題提起させていただくサロンを3月に開催させていただこうと思います。
日程が決まったら案内させてもらいます。

26日に予定している「アニマルコミュニケーション」ンサロンも、よかったらご参加ください。
居心地の良さやコミュニティにもつながっていうテーマですので。

 

 

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■悦子への挽歌4515:「居心地の良い場」

節子

昨日は居心地の良い場をテーマにしたサロンでした。
13人の人が集まり、それぞれにとっての「居心地の良い場」を出してもらい、みんなで話し合いました。

私も、私にとっての「居心地の良い場」を考えてみました。
ところが、意外とこれが難しい。
行き着いた答えは、「家」であり「節子と一緒の場」でした。
後者はもう失われてしまっていますが、幸いに前者の中にその余韻が残っています。
13人のなかで、もう一人、私と同じように「家」をあげた人がいます。
偶然かもしれませんが、彼もまた数年前に伴侶を亡くされています。

そこで思ったのは、もしかしたら私も彼も、家の中にいなくなった伴侶を感じているのではないかということです。
先に逝ってしまった子どもの部屋をそのままにしている親はすくなくありません。
そこにも同じ思いがあるのかもしれません。

何人かの人が、湯島の場所も居心地がいいような発言をしてくれていました。
湯島にもたぶん節子が「残っている」ことを感じている私にはうれしいことでした。
ますます湯島は続けないといけないようなきがしてきました。
しかし私の貯金はついに50万円台になりました。
このままだと今年が最後の年になりかねません。
やはり対価を確保できる仕事をしなければいけないようです。

場所の維持のために対価を得る仕事をするのは本末転倒ですが、悩ましい問題です。

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2020/01/23

■節子への挽歌4514:「変える」のではなく、「変わる」のを待つ

節子

昨日は日の出が見えたと思いましたが、すぐにまた雲に覆われてしまいました。
まるで私自身の気持ちのようでしたが、昨日はちょっと気持ちを変えて、少しずつ精神の平安を取り戻せ出せるような気分になりました。
ホームページの更新を少しだけやりました。

今朝は日の出はまったく期待できないような雲の熱さです。
まだ日の出まで1時間ほどありますが、無理でしょう。
昨夜、早く就寝したので、早起きしてしまいました。
本来は、日の出と共に起き、日の出とともに寝るのが理想なのですが。

昨夜は心配していた友人から電話がありました。
電話ができるのですから、少しずつですがいい方向に向かっているのでしょう。
今日の湯島のサロンにも出てくると連絡がありました。
私自身が気持ちを前に向ければ、周りも少しずつ変わるのでしょう。
自分か周りか、実際には循環しているのでしょうが、どこで向きを変えるかは難しいです。

いい方向には向かわないだろう友人からは、連絡が途絶えて3週間以上経過しました。
見舞いに行くかどうか悩ましいのですが、いまのところは行く勇気が出てきません。
変えられることと変えられないことを峻別して、変えられないことはすべて肯定的に捉えよという神学者ニーバーの言葉があります。
先日、あるところで話した際に紹介したのですが、これはその友人が実践していることでもあります。
彼の死に対する姿勢には、学ばされました。
そうした彼の死を乱すことはしたくありません。
それに、死の直前に友人に会うのを拒んだ節子のこと重なってくるのです。

しかし、最近の心境を言えば、たとえ変えられるとしても、それもまた素直に受け入れるのもひとつの生き方かもしれないという気持ちが少し出てきています。
「変える」のではなく、「変わる」のを待つということです。
人の生き方は歳と共に、やはり変わるようです。
それを素直に受け入れようという気持ちが最近強くなってきました。

まだ日の出まで時間があります。
年賀状でも読み始めようと思います。

 

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2020/01/22

■CWSサロン「アニマルコミュニケーション」のご案内

今回は少し不思議なサロンのご案内です。
不思議なだけではなく、私たちが生きていくうえで、とても役に立つサロンです。
お話をしてくれるのは、動物たちと話をする仕事をしている、しーちゃんことタカイ シオミ(しーちゃん/M.Rosemary)さんです

〈アニマルコミュニケーション〉とは、一言で言えば、動物と話をすることです。
アニマルコミュニケーターのしーちゃんはこう言います。

動物たちとの会話は、もちろん、現実の人間たちとの会話とは少し違います。
私は、目の前にいる動物や植物、ときに虫や魚、動物園や水族館の動物たち、天国の動物たち、スピリットとしての動物たち、いろいろな動物たちとつながってお話しをします。
〈アニマル コミュニケーション〉は、動物たちのよりいっそうのしあわせを望む人たちと動物たちのしあわせに役に立つと信じています。
さらにそのうえ、〈アニマルコミュニケーション〉をするほどに、もっともっとどんどん、今まで知り得なかった広く豊かな世界が広がっていきました.

いかがでしょうか。
〈アニマルコミュニケーション〉によって私たちの世界は限りなく広がると思いませんか。
いや、私たちが失ってきている世界が回復できるといってもいいかもしれません。

しーちゃんは、動物たちとの会話は現実の人間たちとの会話とは少し違うと言っていますが、動物たちのコトバを聞くことで、自らの世界観が変わり、人との関係も、動植物や地球との関係も、より豊かなものになっていくのではないかともお話しされています。

しーちゃんのホームページをご覧ください。
https://shi-dobe-ginza-sea.jimdo.com

なお、アニマルコミュニケーションはわんこのご家族からの依頼が多いので、わんこの話が多くなるそうです。
しかし、しーちゃんは、わんこの話に限らず、参加者のみなさんからの質問にも答えたいと言ってくれています。

いまの社会を生きづらいと考えている方も、いまの社会に退屈されている方も、あるいは何も考えることなく幸せに「ボーっ」と生きている方も、きっと参加してよかったと思えるだろうサロンです。
ぜひちょっと不思議な時間を過ごしに、ご参加ください。

〇日時:2020年1月26日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「アニマルコミュニケーション」
〇話題提供者:しーちゃん/M.Rosemary(タカイ シオミ)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■節子への挽歌4513:でも明日も太陽は上がってくる

節子

相変わらずどこかに違和感がるいささか不安定な気分で、昨夜は早く寝たのになかなか起きられませんでした。
寝る前にまたちょっと重たいメールが届きましたが、考えるのはやめました。

そう言えば、以前は、どんな不運や困難に出会っても、「でも明日も太陽は上がってくる」と言っていたのを思い出しました。
そういう気分が最近亡くなってきています。

節子を見送った時に、時間が悲しみを癒すからと言われて悲しかったことを挽歌にも書きましたが、時間は癒すのではなく、深めるのではないかと思います。
13
年の時間の影響が、積み重なってきて、最近出てきているのではないか。
そんな気もします。
どこかおかしい。
しかしどこがおかしいのか全く分からない。

いま窓の外を見たら、手賀沼の向こうから太陽がちょうど顔を出したところです。

太陽に守られていることを思い出して、今日は動き出そうと思います。
この2日間、ちょっとくすんでいましたから。
愚痴はもうやめましょう。

 

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2020/01/21

■節子への挽歌4512:心が金縛り?

節子

どうもリズムに乗れません。
年明けからいろいろあって、挽歌が書けません。
困ったものです。

一応元気なのですが、どこか重い錨が心につながっているような、そんな気がして、日常から逃げたいような気分になっています。
友人のことを心配しているどころではなく、自分のことを考えなければいけないような状況です。

年が明けて、もう3週間もたつのに、動けだせない。
ホームページも更新していませんし、年賀状もまだ読む気がしない。
いろんなことが空回りばかりしています。

ただ、何もしていないわけではなく、サロンも毎週やり、地元の集まりもやり、友人の相談にも乗り、いろいろと動いているのですが、心があまりついて行っていないのです。

これではいけないと思い、今日、やっと部屋の掃除をしました。
掃除をすると気持ちもスッキリして前に進みだせると思ったのですが、重なっていた書類の中から、またいささか気の重いものが出てきたりして、なかなかうまくいきません。
ずっと先延ばしにしてきたいろんなことが、どっと押し寄せてきたような感じです。

相談に乗っている友人の重荷が、ドサッと私に移ってきたのかもしれません。
まるで心が金縛りにあったようですが、しかし同時に、今年取り組みたいこともいろいろと浮かんできてしまい、かなり精神状況がよくありません。

こういう時はどうしたらいいか。
やはりきちんと挽歌を書かないといけないのかもしれません。
明日からまだ挽歌を書きだします。

 

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■湯島サロン「みんなのメディアをつくりませんか」のお誘い

プロジェクトの呼びかけサロンです。
今年からこの種のサロンをやっていこうと思います。
呼びかけ人はだれでもいいですが、みんなで取り組む「コモンズ型事業」を対象にしたいと思います。

今回は「みんなのメディアをつくりませんか」という提案です。
たまたま昨日、映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を観て思いついたのです。
その記事はブログに書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2020/01/post-e16920.html

こう書くといかにも軽率な思い付きと思われそうですが、ずっと考えてきていたことです。
湯島のサロンに来る方の中には自分の主張を小冊子にして配布したり、出版したりしたいと思っている方も少なくありません。
実際に自分でつくって配布したり、自費出版したりしている人もいます。
しかし、出版社などに頼むと、それなりの費用もかかります。

そこでそうした思いを持っている人の出版を引き受ける「みんなの出版社」が作れないかと思ってきました。
出版するだけではなく、みんなで販売も行い、読者を増やしていく。
場合によってはその本を活用した公開フォーラムを企画するのもいいでしょう。

「自費出版」ではありません。
その主張に共感した人たちが応援しながら、コストを節約し、拡販に協力しながら、費用もみんなで回収していくという考えです。
幸いに湯島のサロンに参加している方の中には編集者やライターも少なくありませんし、出版社をやっている方もいます。
商業出版につながるような本も生まれていくかもしれませんが、出発点はみんなが自分たちの発信メディアを持つのが狙いです。
しかし、新しい「市民事業」としての経済的自立を目指したいと思います。

まだ構想がまとまっているわけではなく、構想自体もみんなで考えていければと思っています。
関心のある方はぜひご参加ください。
サロンの目的は「みんなの出版社」を立ち上げることです。
社長になってもいい人がいればいいのですが。

よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年2月2日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「みんなのメディアをつくりませんか」
〇提案者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■茶色の朝サロンのご案内

今年初のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を、1月31日(金曜日)の夕方開催します。
いつもとは違う平日の夕方ですが、しかもちょっと長目の設定で、出入り自由のスタイルにしていますので、お時間が許す時にぶらっと気楽にお立ち寄りください。
テーマは特に決めていませんが、最近、何か気になることがあれば、それを参加した人が気楽に話すようなフリースタイルです。

〇日時:2020年1月31日(金曜日)午後4時~7時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ちょっと気になること」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 

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■報道が仕えるべきは、国民であって統治者ではない

昨夜、DVDで映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を観ました。
ワシントン・ポスト社主のキャサリン・グレアムの決断に感動して涙が出ました。
事実とは異なるのかもしれませんが、当時のアメリカの新聞人の生き方を象徴していることは間違いないでしょう。

ペンタゴン・ペーパーと言われる、アメリカ国防総省の「ベトナム戦争秘密報告書」が、ダニエル・エルズバーグによって暴露されたのは1971年です。
ニクソン大統領からの圧力にもかかわらず、ワシントン・ポスト紙が公開します。
そこから、国民の知る権利と国家秘密の保持をめぐる、アメリカ政府と新聞人たちとの法廷闘争が始まります。
しかし、その事件が引き起こしたもう一つの事件、ウォーターゲート事件もあって、エルズバーグもワシントン・ポストも敗訴することはありませんでした。
そして、国民のデモも広がり、アメリカはベトナム戦争から手を引くことになります。

当時私はまだ企業で働いていましたが、その衝撃はいまでも記憶に残っています。
私の生き方にも、ささやかな影響を与えたことは間違いありません。

エルズバーグは、むしろ保守的な国防総省職員で、ペンタゴン・ペーパー作成のスタッフの一員でした。
自分でも手記で書いていますが、高給取りでした。
にもかかわらず、自分が荷担していることの重大さに気づき、刑務所に入ることまで覚悟して、政府の欺瞞を暴いたのです。
キャサリン・グレアムは、会社の倒産まで覚悟して、公開に踏み切ったのです。

「知った者の責任」ということを、私は時々、ブログで書いていますが、エルズバーグもキャサリンもまさにその責任を果たしたのです。
私が感激したのは、そのことです。

事件の2年後に、エルズバーグの手記「ベトナム戦争報告」が翻訳出版されました。
そこには驚愕の事実が書かれていました。有名なトンキン湾事件です。
ベトナム戦争が本格化する一因となった事件は、アメリカが仕組んだものだったのです。

今回、映画を観て、改めて報道メディアの役割の大きさを考えさせられました。
ジャーナリストも大切ですが、メディアこそが大切なのかもしれません。
タイトルの「報道が仕えるべきは、国民であって統治者ではない」という言葉は、その裁判の判決での判事の言葉です。
日本のメディア関係者に聞かせたい言葉です。

ワシントン・ポストの現在のスローガンは「Democracy Dies in Darkness(暗闇の中では民主主義は死んでしまう)」だそうです。
しかし、大手メディアのオーナーの多くは、キャサリン・グレアムとは違って、メディアの存続を目的にしてしまっているようで、期待はできません。
いまや暗闇が、日本を覆い尽くそうとしています。

であればどうするか。
市民たちによる市民のメディアの動きもありますが、なかなか広がりません。
一度、このテーマで湯島のサロンをやってみようと思います。
関心のある方はご連絡ください。

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2020/01/20

■第6回万葉集サロン「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉-共有される歌々」報告

万葉集サロンも6回目となり、対象も宮廷人たちの個人の歌から生活の歌、東歌や防人の歌へと移りました。
最初に、升田さんは古事記歌謡の沼河日売の歌を詠みあげました。

八千矛の 神の命 萎え草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ のちは 汝鳥にあらむを 命は な死せたまひそ いしたふや 海人馳使 事の 語り言も こをば

「我(わ)鳥」「汝(な)鳥」、そして「神」もでてきます。
ちなみに、八千矛の神は大国主で、沼河日売(ぬなかわひめ)は求婚されたのです。
この歌だけでも1回のサロンができるような魅力的な歌だと思いますが、升田さんはそこから「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉- 共有される歌々」へと話を進めます。
今回は〈た〉がテーマなのです。

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升田さんは万葉集における〈た〉は「他」ではなく、「神に対する人」であり、「多」だったと説明してくれました。
「他」は「ヒト」と読み、「ヨソ」という意味ではなかったのだそうです。
当時は「他人」という概念はあまりなかったのです。

同時に、万葉集には形容詞がほとんど出てこないとも話してくれました。
そして、「ヒト」は出身地とか住んでいるところによって区分けされるとしても、そのヒト自体を説明する形容詞がつく例は少ないとも説明してくれました。
本来、多様な存在であるヒトは、神の前に「ひとかたまり」としてとらえられたというわけです。
しかし、多の中からいろんな人の顔が見えてくる、多様性を維持した「ひとかたまり」です・
「他」ではそうはならない。

升田さんは、それを「同化することで成り立つ多様性」と表現しました。
だからこそ、詠み人知らずの歌が万葉集には多い。
というよりも、個人ではなく、みんなで詠った歌が多い。
だれかが歌うと(思いを表現すると)私もそうだと共振し合うことで、みんなの歌が生まれてくる。
歌を通して、多様なヒトが同化し、一つの多を育てていく。
いまもよく見る風景のような気もします。

そうした歌のいくつかを、万葉集十一、十二,十四から紹介してくれました。
これらの巻は似た歌が多く、「退屈」を感ずる人も多いようですが、それらの歌のわずかな違いを読んでいると、まさに「た」の意味が実感できる、と升田さんはその面白さを強調されました。

そして、そうした〈た〉のなかから、〈わ〉(吾:一人称))と〈な〉(汝:二人称)が生まれてきた。
〈わ〉と〈な〉の集まりが、〈た〉ではない。
ましてや〈た〉は「他」の集まりでもない。
そこには〈わ〉も〈な〉も含まれている。

とても共感できる世界です。

升田さんはそうした歌の中から、いくつかの叙事歌を読みあげてくれました。
選ばれた歌だったので、それぞれに面白く退屈ではありませんでしたが、当時の「た」の人たちが少し感じられました。

そうした共同体の中で共有された歌の中に、多様性と共に自己表現が感じられる。
それは現代における多様性とは違うのではないかと升田さんは言います。
そこにおける「自我」や「個人」も違うでしょうし、そもそも「共同体」とか「コミュニティ」とかの捉え方も違っているでしょう。
一時期盛んに言われた「ホロニックな全体と個人」を思い出します。

同化することで成り立つ多様性に対置されるものは何か。
升田さんはいろいろと説明してくれましたが、私はそれをうまく言語化できません。
私は「反発し合っている多様性」とか「つくられた多様性」をイメージしましたが、ちょっと違うような気もします。
それでメールで升田さんに質問しました。
升田さんからは「せめぎあう多様性」ではどうかという返信をもらいました。

「せめぎ合う」と「同化」。
いずれも「コミュニティ」につながっていく。
今度(123日)、予定している「コミュニティ」を考えるサロンのテーマにもなるなと思います。

このテーマで、万葉集の歌を詠まない万葉集サロンをもう一度お願いしたくなりました。

万葉集はともかく面白い。
改めてそう思うサロンでした。
私の関心はちょっとずれているかもしれませんが。

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■第5回リンカーンクラブ研究会「議会制の虚構性」報告

第5回リンカーンクラブ研究会は「議会制の虚構性」をテーマにしました。

議会制は、本来デモクラシー(民主制)とは無縁だったにもかかわらず、選挙権の拡大に伴ってイギリスでデモクラシーとつながってきた制度ですが、当時、ルソーが「彼ら(イギリスの人たち)が自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」と指摘しているように、偽装民主主義という指摘は少なくありません。
しかし、ルソーの予想に反して、議会制は民主制の象徴のようになってきています。
特に日本では、「議会制民主主義」という言葉もあるように、議会がデモクラシーの象徴と捉えられてきましたが、最近はさすがにその機能不全が露呈しだし、それが政治不信や投票率低下につながってきています。

リンカーンクラブの武田さんは「議会制民主主義は民主主義なのか」とずっと主張してきています。
最近の議会の実態を見れば、その虚構性は明らかであり、それによって憲法さえも無視した政治が可能になってきているにもかかわらず、なお日本は「民主政治」が行われているとみんなが思っていることに武田さんはいらだちを感じているようです。
ただ武田さんは、いらだって批判するだけではなく(もちろん諦めるのではなく)、どうしたら少しでも民主主義の理念に近づけられるかを考え、社会に発信してきています。

今回は、同じようにそういう思いを持った人たちが8人集まりました。
考えは必ずしも同じではないのですが、現在の政治に危機感を持っていることに関しては同じです。

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議会制が民主主義の虚構ならば、その虚構を正すためにどうやって民主主義に近づけていくか、それが今回のテーマです。
武田さんの最初の提案は、国会議員選挙の際に、首相の信任投票を加えたらどうかということでした。
非常に示唆に富む提案ですが、賛否両論あって、議論は最初から白熱しました。

つづいて、予算も国民投票で決められないかという提案。
これも白熱しましたが、予算と政策の関係の議論やら、政治の安定性(行政の継続性)などで議論が分かれました。
重要法案も国民の意思表明ができるようにしたらどうかという提案もありました。

こうした議論をしていると、抽象的な政治談議からは見えてこないいろんなことが見えてきて、政治と生活のつながりもわかってきます。
時にはちょっと険悪な空気が出てくになるほどの異論反論が噴出するのが湯島のサロンの面白さです。

制度よりも国民の意識が問題ではないかという議論も出ました。
制度をいくら変えても意識が変わらなければ何も変わらないかもしれません。
しかし、制度と意識は深くつながっていますから、やはり制度は大切です。

「民意」とか「民度」などという多義的で意味不明な「お上の言葉」は使うべきではないというのが、私の考えですので、ちょっとそこにこだわってしまい、「民意」論争もありました。
私は、誰かが勝手に決めてしまうような民意とかにはあんまり興味はなく、私自身の生活が豊かになればいいと思っている人間で、そのためにこそ政治があると思っていますので、選挙には必ず行きますし、政治への関心は強いです。
むしろ、私のために政治があると思うことこそが、大切だと思っています。
誤解されるといけませんが、宮沢賢治が言っていたように、「みんなが幸せにならないと自分の幸せもない」と思っています。

武田さんからは、有識者会議のようなものをつくり、国会審議を評価する話し合いの場をつくったらどうかという提案もありました。
みんなほぼ賛成でしたが、どういう人を選ぶのかでは議論はまったく分かれました。
私はむしろ「無識者会議」の方がいいのではないかと思います。
また、投票制度に関しても、武田さんは「重投票と軽投票」という提案をしましたが、議会制度の虚構性を解消していくためにはさまざまなことが考えられます。

しかし議論しているだけでは何も始まりません。
どうしたら議会制を民主主義に近づけていけるかの実践に取り組まないといけないとの指摘もありました。
その通りで、実践に取り組まなければ、世間の「有識者」たちと同じように体制に寄生的な存在に終わりかねません。

結局は、まずは投票率を高めることではないか、ということになり、前回、提案された「選挙投票は国民の責務(公務)と捉え、投票行為にきちんと対価を払うべきではないか」ということを軸に、投票率を高める活動に取り組むべきではないかということになりました(私の勘違いかもしれませんが)。
ともかく、そういう活動を立ち上げていきたいと思いますが、共感して一緒にやりたいという方がいたらご連絡ください。

3時間を過ぎても議論は止まりませんでした。
寒い休日にもかかわらず、わざわざ湯島まで出かけてきて、こんなに真剣に語り合っている人たちがいることに、私は感激して議論に参加していました。
現政権批判や傍観者的な諦観的な発言をフェイスブックで見るたびに、あなたたちが日本の政治をダメにしていると思うのですが、熱い議論をしている人たちもいることに救いを感じます。

次回は、2月22日、「民主主義政治と合意形成」がテーマです。
いまの政治に満足していない人はぜひご参加ください。

 

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2020/01/18

■CWSサロン「沖永良部をご存知ですか」のご案内

この頃、改めて私は日本の自然と生活文化の豊かさに興味を持ってきています。

私は千葉の我孫子に住んでいますが、残念ながら転居してきたということもあって、あまり地域の特性が感じられません。
しかし、茨城県の美野里町というところに20年ほど前に仕事でかかわらせてもらった時には、そこにまだ豊かな文化や言葉が残っていることを知って感激しました。
日本の豊かさは、都市部にいてはなかなか見えてこない、そんな気がしています。
しかも、私の感覚では、東京は年々ひどく貧しくなってきています。
今年のオリンピックで、さらに豊かさの喪失は加速するでしょう。

最近、徳之島や沖永良部島のご出身の方と接点ができたのですが、それぞれにお会いするたびに、徳之島や沖永良部島はさぞかし豊かなのだろうなと、いつも憧れます。
ですから、そこでの生活や文化などのお話をお聞きしたいと思うのですが、なかなかゆっくりと聴く機会を得られません。
それでサロンをやってもらうことにしました。
私の豊かさ感はちょっと世間からずれているかもしれませんが、まだそうした島々にはしっかりした人間の生活や豊かな文化が残っていると思うのです。

というわけで、沖永良部島の仲津留さんが年末年始に帰郷するとお聞きして、戻ってきたらぜひサロンで沖永良部島のことを話してくれないかと頼みました。
うれしいことに引き受けてくれました。
沖永良部がどこにあるのか、どんなところなのかも知らない人もいるでしょう。
ヒントは琉球と薩摩です。

特にテーマは絞ってはいませんが、仲津留さんからは、「島で生活をする中で見える風景、そして島を離れてみて見えてくること」というタイトルをもらいました。
わくわくするようなお話が聞けるでしょう。
生き方を問い直す示唆ももらえるような気もします。
いや、日本という国家への認識も変わるかもしれません。

ぜひ多くの人に参加してほしいサロンです。
できれば、日本各地の話を時々聞くようなサロンに広げていければと思っています。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年2月16日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「沖永良部をご存知ですか-島で生活をする中で見える風景、そして島を離れてみて見えてくること」
〇話題提供者:仲津留なぎささん(人材開発コンサルタント/沖永良部島出身)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2020/01/16

■CWSサロン「知識ゼロで挑む無門関」報告

「無門関(むもんかん)」のサロンは、参加申込者が少なくていささか心配していたのですが、直前に申し込みがどんどん増えて、ふたを開けたらなんと20人近い参加者になりました。
とりあげたのは、無門関第二則の「百丈野狐」。
話題提供者の金子英之さん(「無門関」永世愛読者/i2 associates代表)が「知識ゼロ」でも大丈夫と言ってくれたので、「無門関」の名前も知らなかった人も参加してくれましたが、事前に「百丈野狐」は読んできてもらいました。

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「無門関」は中国南宋時代の禅僧 無門慧開によって編まれた、門下の修行僧を悟りに導くための問題集(公案集)です。
48ある公案の2番目にでてくるのが「百丈野狐」。
話の大筋は、百丈禅師のところに老人がやってきて、自分は以前僧侶だった。修行したら因果の世界から抜けられるかと問われて、「不落因果」、因果の世界から脱けられると応えて、野狐の身に落とされたが救ってほしいと頼まれます。そして、百丈に自分が問われたのと同じ問いを投げかけます。百丈はそれに「不昧因果」、因果の世界に身を任せ、と応じます。それを聞いた老人は一瞬に悟り、野狐の身を脱したという話です。
そしてその後に、百丈の弟子たちや高弟の黄檗とのやりとりがあります。
この話から何を得るか、が公案の問いです。
ざっと読めば、老人は「不落因果」と答えてなぜ野狐の身に堕ち、「不昧因果」と聞いてなぜ野狐の身を脱する事が出来たのか、というわけです。
ちなみに、「百丈野狐」の全文は、たとえば次のサイトにも紹介されていますので、関心のある人はお読みください。
https://k1s.hatenablog.com/entry/20120614

話に入る前に金子さんは3つの視点をお話になりました。
まず金子さんは「表現者」と自己紹介した上で、イコノグラフィ(図像学)を専攻されていたことをお話になりました。
図像学は、絵画・彫刻などの美術表現の表す意味やその由来などについての研究する学問です。
ついで、金子さんは「問題には解がある」と言い、解があれば見つけたい、それもテキストだけからの正解に至りたいとお話になりました。
そしてこの公案には、推理小説によくあるような、真実から目を反らさせるトリックが仕組まれている。そこで、公案に秘められた「正解隠し」を見つけるために、「構造主義」の発想を利用して、文章を解析し、問題を整理したと話してくれました。
いずれも、それぞれに興味ある話ですが、今回はともかく、公案を解くことがテーマです。

さて本題です。
金子さんは、小道具まで用意してきてくれて、「百丈野狐」についてまずは紹介してくれ、この公案(問題)を構造的に図解してくれました。
そうした話をしながら、参加者からも自らの解釈や疑問点などをいろいろと引き出していきました。
その内容は、「ネタ晴らし」になりますので、この報告では一切触れません。
しかし、参加者からの発言も含めて、とても興味深く、示唆に富む話し合いがあったと思います。
そうした思考を引き出すところにこそ、公案の意義があるのかもしれません。
だとしたら、現在の社会にとって、こうした公案に立ち向かう価値は極めて大きいように思います。
金子さんはこの話をあるビジネススクールでも毎年講義されていました。
その時の反応もお聞きしましたが、こういう話が行われるビジネススクールが存在していたことに私はとても感動しました。

こうした禅問答にどんな効用があるのかという質問もありましたが、そういう質問が出る時代だからこそ、大きな効用があるのかもしれません。
話し合いのいくつかは、紹介したい気もしますが、たぶん不正確な紹介になるのでやめさせてもらいます。
ただ、終わった後、参加者からこんなメールが来ました。

せっかくいい方向に話が向かいそうなのに黄蘗が百丈和尚の横っ面をぶんなぐったところになると、どっちか偉いとか上だとかとたんに「執着」に固執するのが可笑しかった。

私もその時に同じ思いを感じていましたが、この公案は、「不落師弟・不昧師弟」をたしなめているようにも思いました。
金子さんもお話になっていましたが、そこにあるのは極めて根底的なメッセージなのです。
しかし、それを論理的に解釈し、正解を得ようとする金子さんご自身にも大きな興味を持ちました。

金子さんは無人島に流されたとしてもこの一冊があれば退屈しないと言われました。
それほど金子さんは「無門関」にはまっているようです。
それほどの魅力があるのであれば、私ももう少ししっかりと読んでみたくなりました。
そこで改めて、無門関の48の公案のどれかを選んで、みんなで読んでみるサロンを企画しようと思いつきました。
またご案内させてもらいます(たぶん)。

もし皆さんの中に、この公案を読んでみたいという方がいたら、ご連絡ください。
採用されるとは限りませんが。

 

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2020/01/15

■CWSサロン「網野史観パート2-日本はどこから来て、どこへ行く?」報告

昨年行った網野史観サロンにつづくパート2も、14人参加と大賑わいでした。
今回は、副題に「日本はどこから来て、どこへ行く?」とあるように、いまの日本の問題を間接話法で語り、考えるといった内容でした。

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網野さんは歴史を見る視座をひっくり返すことを教えてくれました。
蔵原さんは、それを、国会議事堂を上下逆転した写真を示しながらわかりやすく説明してくれました。
それがそのまま網野史観というわけではありませんが、視野を広げてくれることは間違いありません。
そうしたことを踏まえて、日本における「資本主義の源流」の話も含めて、「日本の過去に何が起こったか」に関しても、いろいろな視野が開かれ、論点が出されたように思います。

網野史観とはちょっと外れた議論もあったような気もしますが、蔵原さんの話がとても面白すぎたために、予定していた「異形」や「異界」、あるいは「アジール」や「悪党」はあまり話題にならなかったのがちょっと残念でした。
百姓と農民の議論も、あんまり深まらなかったのが残念です。
宗教の話ももう少し話題にしたかったのですが、それよりもやはり政治経済的な話題が中心になりました。
こうしたこと自体にも、まさに今の日本の社会状況が反映されているように思います。
しかし、蔵原さんの話の面白さは、一般論を装いながら、常に彼自身の一人称視点が感じられたことかもしれません。

話し合いを聞いていて、異端と言われた網野史観は、いまや社会に広く浸透していることを改めて実感する一方で、やはり私たちの発想は、言語の用法も含めて、網野さんとは対置に置かれた発想の呪縛からは抜け出せないでいるような気もしました。
そのこと自体にも気づかせてくれたサロンだったように思います。

最後に蔵原さんは、シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」から次の引用文を紹介しました。

You see, but you do not observe. The distinction is clear.
君は見ているが、観察していない。その違いは明白だ。

これこそが、蔵原さんの一番のメッセージだったようです。
いまの日本国民も自民党も、農業政策はじめ随所で基礎データを「見ているが、観察していない」。政策の基礎データを読む力がいまの日本社会に足りないと言いたかったのです。
さまざまな話題に遊び過ぎて、とび散らかしたようなサロンでしたが(それこそがサロンの狙いであり、だからこそ面白いサロンだったのですが)、蔵原さんのメッセージはしっかりと受け止めたいと思いました。

時間が長引いたにも限らず、まだまだ満たされない感じが残り、この調子だとパート3の要請があるなと思っていたら、早速にその要請が届ききました.
その人と蔵原さんのやり取りも始まっているので、もしかしたら、パート3があるかもしれません。

 

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2020/01/13

■節子への挽歌4512:なぜみんなサロンに来るのか

節子

昨日もサロンで湯島でした。
網野史観というテーマのサロンでしたが、たくさんの人が参加してくれました。
網野善彦さんの名前も知らなかったという人も参加してくれました。
なかにはわざわざ新潟からやってきてくれた人もいます。

むかし、オープンサロンをやっていたころ、帰りの電車でよく、節子と「どうしてみんなサロンにくるのだろう」と話したものです。
まあ当時は、節子の尽力で、サロンは飲み放題食べ放題で会費なしでしたので、勤めの帰りに立ち寄る人も多く、集まるのも少しは理解できたのですが、最近は土日中心なのでわざわざ出かけてこなければいけません。
それにコーヒーとわずかなお菓子だけで、しかも500円の会費もかかります。
さらに昔は、テーマもなく、自由に話し合うサロンでしたが、最近はテーマがあります。
にもかかわらず、みんなやってくる。

網野さんの名前も知らなかった方も、自称「ただのおばさん」です。
もちろん「ただのおばさん」などという存在はないのですが、しかしそういう人がよくやってきます。
節子だったら、こういうサロンに参加したでしょうか。
そう考えると不思議です。

それはそれとして、サロンをしていると新しい出会いもあります。
昨日もひとり、初めて参加してくれた人がいます。
少し話しただけですが、私とは違う世界をお持ちのようです。
時間ができたらサロンをやってもらおうと思いました。
と考えてしまう私も、またサロンに集まってくる人と結局は同じなのでしょう。

サロンを始めてから、私の人生は変わってしまいました。
その相方の節子がいなくなってしまったのが、とても残念です。

 

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■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」のお誘い

昨年、細菌学のサロンを開催した後、参加者の一人から天文・宇宙物理学に関するサロンをしてほしいという要望がありました。
湯島のサロンはみんなで育てるサロンなので、希望者があれば検討しないわけにはいきません。

それでメーリングリストやフェイスブックで呼びかけさせてもらいましたら、うれしいことにサロンをしてもいいという人が見つかりました。
天文学大好き女子の内村真菜さんです。
専門家過ぎると難しくて私についていけないのではと心配していましたが、私にもわかるように解説してくれそうな、ちょっとおちゃめなアニメファンです。

テーマは「宇宙の成り立ちとダークマター」。
宇宙が始まったビッグバンやインフレーション、そして宇宙を構成している謎の物質(ダークマター)と謎のエネルギー(ダークエネルギー)、さらにはもしかしたら宇宙の終焉までの壮大な話をしていただきます。
一方的な話ではなく、質疑応答しながらの楽しいサロンになるでしょう。
湯島のサロンでの話題提供者としては、最年少者です。
天文学に詳しい人が助っ人役で参加してくださるのも歓迎です。

目先の生活や仕事に追われて、宇宙の話など考えたこともない、という人が多いと思いますが、こうした壮大な世界に遊ぶと元気をもらえるばかりか、きっと何か大切な気づきももらえるのではないかと思います。
テーマは難しいですが、楽しいサロンになるでしょう。
多くの人に楽しんでもらいたいサロンですので、ぜひ気楽にご参加ください。

〇日時:2020年2月9日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
 http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:内村真菜さん(天文学大好き女子)
〇テーマ:「宇宙の成り立ちとダークマター」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

 

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2020/01/12

■節子への挽歌4511:わけあり最高

節子

今朝のEテレの「こころの時代」で、2年前に放映された「にんげん宣言」が再放映されていました。
国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で暮らす山内きみ江さんからのメッセージです。
前にも見たのですが、今回もまた見せてもらいました。

きみ江さんは、60代になってから養子を引き受けます
番組に最後は、その母子が対話しているシーンでした。

きみ江さんは、わけありリンゴを例に出して、自分はW環境あり人間だったかもしれないが、人間であると語りましたが、それを受けて養子の娘さんが、「わけあり最高」と笑いながら言いました。
きみ江さんは、それに頷きながら、でもわかりリンゴが半値で売られているのは嫌だ、言い、2人で大笑いしていました。

実にいい母子です。
改めて感動しましたが、「わけあり最高」という言葉は示唆に富んでいます。
今日1日、この言葉を反芻していこうと思います。

 

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2020/01/11

■節子への挽歌4510:死ぬならひっそりと一人で暮らそう

節子

今年は前途多難な年になりそうです。
年末には今年は平安な年になりそうな予感もあったのですが、どうもあまり期待できそうにありません。

節子も知っている友人から、こんなメールが来ました。

今年死ぬんだと、なんのきっかけがあってか、そう心にとどまって。死ぬなら一人で。故郷でひっそりと一人で暮らそう。そうエスカレートしていって、自分から勝手に孤独の淵にはまってしまった。

今年になって、その気分から抜け出られたようです。
こういう話が、この歳になると増えてきます。
その気持ちはよくわかります。

私は、死をお天道様に託していますので、まだそういう言う気にはなっていませんが、いつかそういう思いがやってくるのでしょう。
しかし、私の場合は、たぶん「死ぬならひっそりと一人で暮らそう」とは思わないでしょう。
人は一人で生きていけないように、一人では死んでいけないと思っています。

今日、20歳前後の女性に会いました。
彼女の夢を少しだけ聞かせてもらいました。
とても具体的で、しかも長期的な展望のある、非常に共感できるものでした。
彼女の目の輝きに、昔を思い出しました。

2人の女性の違いは何なのでしょうか。
そう考えると、やはり年齢に行き着きます。
前に進んでいこうとするときとそろそろ現世を終焉させようとしている時とでは、やはり全く違ってきます。
私たちにも、20代があったことを思い出します。
たとえ来世があるとしても、現世には終わりがある。

しかし、人はみんな思い切り現世を生きてきた。
どんな人生であろうとも、夢を持ち、前に向かって進んできたはずです。
うまくいった人は、多くはないでしょう。
しかし素直に生きてきたのであれば、悔いなどもつ必要はない。

先日、別の友人から「死ぬ時のことを考えると不安になる」とメールが来ました。
彼は、誰かと会っていないと不安になるタイプなのです。
なぜ人は「死ぬとき」のことを考えるのか。
これも私には理解できないことです。

「死」は行為ではなく、「状況」です。
自然に任せておけば、不安や恐怖からは解放されるはずのことです。
その時が来たら、素直にそれを受け入れればいいだけの話です。
その先には、まったく新しい世界があるのですから。

最近、思うのは、節子は幸せな人生だったなあということです。
理屈ではなくそう思えるようになってきました。
長い気がいいわけではありません。

100歳時代などと言われる風潮には、私は極めて冷やかです。
私に対しても、そういう言葉を使う人がいますが、そういう人には、もっとまじめに生きろ、と言いたくなります。

 

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2020/01/10

■中公新書の「持統天皇」が面白かったです

なかなか読めずにいた中公新書の「持統天皇」を今日、読みました。
私の持統天皇へのイメージは、最初は吉野裕子さんの「持統天皇」でつくられたためかとてもいい印象を持っていて、日本の歴史を大きく方向づけたのは持統天皇だと思っていました。
しかし、その後、いろいろと読んでいるうちに、どうもあまり好印象は持てなくなり、夫を裏切った女性という印象を持つに至りました。
しかし、瀧浪貞子さんの今回の本を読んで、また評価が変わりました。
やはり女性の視点と男性の視点で、評価が変わってくるようなきがします。
吉野さんも瀧浪さんも、持統天皇の気持ちに入り込んでいるような気がします。
私は男性なのですが、瀧浪さんの本に見事に変節させられ、持統天皇の生き方にもちょっと理解できる気がしてきました。
それはともかく、最近読んだ歴史関係の本では久しぶりに共感と発見と内容のあった本でした。

ところで、本書の中に「万葉集」に関する論考が20頁以上にわたって書かれています。
ここがとても面白い。
万葉集に関心のある方には、ぜひお薦めしたいです。

湯島では、令和騒ぎの前からまじめな万葉集サロンをやっていますが、次回は1月18日です。
テーマは「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉-共有される歌々」。
ちなみに、江戸時代に発見された金印は「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」と刻まれていますが、万葉集サロンで升田さんが「委奴国」を「〈わ〉の〈な〉の国」とも読めると話してくれたことがあります。
今回も面白い話がいろいろと出てきそうです。

 

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2020/01/09

■節子への挽歌4509:誰かの荷物を背負い込んでしまう傾向

節子

昨日と今日、めずらしく作業に集中できました。
たまっていた3つの宿題に取り組み、予想以上の速さでいずれも完成しました。
いずれも私のための仕事でもありますが、直接にはほかの人のための作業です。

自分のためのものであれば、延期もできますが、ほかの人に迷惑をかけることはできません。
延ばししてきていましたが、ずっと気になっていたのです。
どうにかそれをやれたので気分的にほっとしています。
これで新年に向かって、前に進めそうです。
まあ、実際には、これからの方が大変なのですが。

考えてみると、私の場合、誰かに頼まれてとか、誰かの重荷を背負い込んでしまう傾向があります。
重い荷物は背負い合わなければいけないという意識がどこかにあるからですが、どうもその呪縛からは抜けられません。
かといって、シェアした荷物を私だけで解決するほどのエネルギーはありません。
相手がほんとにその気にならなければ、私の行為はほとんど無駄になるのですが、それでもまあこの生き方は変えられません。
困ったものです。

年が明けてからも、荷物は届きます。
他者とのつながりを細くしていけば、荷物もだんだん届かなくなるでしょうから、できるだけ人と会わなければいいわけです。
そんなわけで、今年は人に会う機会をできるだけ減らそうと思います。
しかし、はたしてそうできるかどうか。

人生は実に悩ましいです。

 

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2020/01/08

■節子への挽歌4508:気ぜわしさから抜けられません

節子

どうも挽歌が書けません。
何かとバタバタしすぎているのです。

サロンの翌日は、ちょっとある人が心配になって、湯島で会いました。
過労気味な様子だったので、ゆっくり休んだ方がいいと言っていたのですが、それにしたがい、奥さんと2人で年始は温泉旅行に行ったそうです。
ところが、そこから、不安で部屋を動き回っているというメールが届きました。
そういうメールを読めば、私も不安に襲われます。

そこで急きょ、朝、湯島で会うことにしたのです。
たしかに尋常でない。
身体が止まらないのです。
それで時間を延ばして食事をしたり話をしたりしていましたが、次の約束があったため3時前に別れました。

後ろ髪引かれるとはこういうことでしょうか。
その後もずっと気になっていました。
何事もなければいいなという思いでした。

夕方メールが入りました。
やはり帰路の途中でどうしようもなくなり、クリニックに飛び込んだようです。
そこで薬をもらい一段落。
正直、ホッとしました。
と同時に、疲労感が全身を襲ってきました。

まあこんなこともあって、どうも挽歌を書くになれなくなってしまったのです。
しかしまあようやくその件も含めて、何とか少しずつ先が見えてきました。
今年も多難な年になりそうです。
実に困ったものではありますが、まあ誰かに言われたように、これが私の人生なのでしょう。

今日はようやく思考力が戻ってきて、やるべき宿題の一つを完成させました。
明日はもう2つの宿題をこなさなければいけません。
できるでしょうか。

ひとつは延期可能ですが、もう一つはそれをやらないと友人が困るので、延期できないのです。
気ぜわしさから当分抜けられそうもありません。

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■ゴーンさんへの評価が好転しました

保釈中だったカルロス・ゴーン元日産会長が、なんと国外逃亡を図りました。
それを知って、私のゴーンさんへの評価は反転しました。
評価が変わった人は多いでしょうが、ほとんどの人は悪くなったようです。
しかし、私はこれまで好きになれなかったゴーンさんが好きになれそうなのです。

日産をV字回復した名経営者として評価されていた頃のゴーンさんを私は全く評価できませんでした。
むしろ経営というものを全く知らない無能な経営者だと思っていました。
当時、私はまだ仕事をしていて、講演などもさせてもらう機会もありましたが、その頃にもそう公言していました。
なぜそう思ったのかと言えば、経営の視点が株主や組織拡大にあり、人間の視点がなかったからです。
私にとっては、それは「経営」ではありません。

しかし、当時、日産に関わっている人に尋ねても、私の意見に賛成する人はいませんでした。
辞めさせられた人たちへの思いはないのか、とさびしくなりました。
その頃から日本の経営者は大きく道を踏み外していったと思っています。
まあそうした動きが始まったのは、たぶん1980年前後からだったと思いますが。
ちなみに、私にとっての企業経営再建の名経営者は、スカンジナビア航空のャン・カールソンです。

ゴーンさんが保釈された時に変装して出てきた時に、ちょっと印象が変わりました。
もちろん「良い方向」にです。
そして今回の国外逃走ドラマ。
かなり好きになりました。
理由を書くと長くなりますが、そこに権力や制度に抗う「人間」を感ずるからです。

さらにゴーンさんへの期待もあります。
今日、ゴーンさんはレバノンで記者会見をするそうです。
どういう話が出るのかわかりませんが、そこでまた私の評価が反転する可能性はゼロではありません。
しかし、ゴーンさんが置かれていた状況は、私でさえもおかしいと思っていました。
新聞報道でしか知りませんが、人権無視もはなはだしい気がしていました。
日本の警察や検察、さらには行政のあり様は、どう考えてもおかしい。

そうしたことに、世界の目を向けてくれることに期待があります。
私たちにももっとそうした実態が見えてくるかもしれません。

もっともゴーンさんは、日産時代、いま自らが抗っている日本の警察や検察(末端のお巡りさんや現場の人たちは別)と同じ生き方をしてきていました。
彼には、自分以外の人間は見えていなかったように思います。
だからこそ、今日のゴーンさんの発言に大きな期待をしているわけです。
失望させられないといいのですが。

それにしても、今回の事件は、いろんなことを気づかせてくれました。
ゴーンさんに感謝したくなります。

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2020/01/07

■CWSサロン「参加者それぞれにとっての居心地の良い場」のお誘い

湯島のサロンの大きなテーマの一つは「コミュニティ」ですが、語り合うだけではなく、今年は少しずつそれぞれのコミュニティ探しへと入っていければと思います。
CWSサロンそのものも広い意味での「コミュニティ(CWSコモンズ村)」を目指していますが、多様で多層で開かれたさまざまなコミュニティのプラットフォーム(ゆるやかなメタ・コミュニティ)がそのイメージです。
あまりに強い絆のゆえに逆に生き辛さが生まれ、都会の自由さにあこがれた時代を体験している私にとっては、いまの状況はいささか行き過ぎてしまった感じがしていて、それが20年前にコムケア活動というのを始めたきっかけでもあります。
ひとつのコミュニティに閉じこもってしまうことで問題を抱えてしまう人も少なくありません。

湯島では昨年末に上田さんと杉原さんの2つのサロンで、「コミュニティ」を取り上げましたが、改めてもう一度、正面から「コミュニティ」を取り上げるサロンを開かせてもらうことにしました。
今回は誰かが問題提起するのではなく、参加者各自が、それぞれにとっての居心地の良い場やグループを語り合い、なぜそこが居心地がいいのかをみんなで話せないかと思います。
ちょっと自分の生活を開き合うスタイルなので、気恥ずかしさもあるかと思いますが、自らの生き方を問い直す契機になるかもしれません。

今回はあえて平日の午後に設定しました。
お仕事をされている方も休暇をとってでも話し合う価値のあるサロンにしたいと考えたからです。
その趣意をお汲み取りいただければうれしいです。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年1月23日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「参加者それぞれにとっての居心地の良い場」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

 

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2020/01/06

■新年オープンサロンの報告

14日に湯島で新年オープンサロンを開きました。

Sinnensalon202001042

13人が参加してくれました。
サロンを終了したちょうどその時に2人の参加者があったため、その2人を軸にパート2が始まりました。
結局終わったのは5時過ぎでした。

湯島のサロンには初めての人が5人もいたのですが、それぞれ示唆に富む話題を出してくれました。
若い世代も3人いましたが、3人からの話もたぶんなかなか聞けない話だったと思います。

また農や食に関わっている人が5人いたため、話は途中からもっぱら「農」の話になりました。
ちなみに、サロン終了時に来た人も、農の専門家でしたので、農サロンパート1とパート2という感じでした。
タネの話や野菜の価格の話など、興味ある話がいろいろありましたが、内容はちょっと報告しにくいので省略です。
新顔野菜“グラパラリーフ”の紹介もありました。

新年のオープンサロンなので、もっといろんなトピックがですかと思っていましたが、農の話にみんな引きずり込まれたようです。
もちろんほかの話題もいろいろありましたが。

皆さんのお話を聞いていて、サロンで取り上げたいテーマがいくつか見つかりました。
春以降に実現するでしょう。

今年も時々、テーマなしのオープンサロンは開く予定です。
よろしくお願いいたします。

 

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2020/01/04

■節子への挽歌4507:新年最初のサロン

節子

今日は新年最初のオープンサロンでした。
節子がいる時とは違って、何かを用意するわけでもなく、コーヒーだけのサロンです。
せめてミカンとワインくらいは持って行こうと用意していたのですが、朝、出かける時に、どうもその気分ではないという気がしてきて、手ぶらで出かけました。

サンダルで行こうかとも思いましたが、まあジャケットも着たので靴にしました。
ちなみに元旦の初詣も含めて、三が日はサンダルで過ごしましたが。

湯島天神は例年ほどの混み具合ではなかったような気がしますが、それでも長い行列ができていて、並んでいる時間がなかったので、裏口から入り、横からお詣りしました。
オフィスに行くとガラスが見事なほどにきれいになっていました。
昨年末に部屋を利用している阿部さんたちが掃除してくれたのです。

待つ間もなく行田市の中村さんが行田名物の十万石饅頭を持ってやってきました。
武田さんはシュークリームを持って、ほかの人たちも何かと持ってきましたので、お菓子類もそろいました。
用意しないと集まるものなのです。
そこが不思議なところです。

話はかなりハードな話題に集中しました。
「ひきこもり問題」と「食と農」が中心でした。
そういうことに関心のある参加者が多かったのです。

サロンを終えようとしていたら2人の人がやってきました。
そのため終了時間が1時間以上延びてしまいましたが、その話が実に面白いというか、内容の濃いものでした。
なぜかその話のテーマも「農」につながるものでした。
話が面白く、近藤さんが持ってきたリンゴを切るのを忘れてしまいました。

サロンは面白かったのですが、何故かどこかにイライラ感があって、武田さんにまた余計な反論をしてしまいました。
自分の精神状況があまり良くないことに気づきました。
何にいら立っているのかわかりませんが、どうも心は平安になれない。

その原因がわかるといいのですが。
いやそれよりも、何かが起こらなければいいのですが。

 

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■節子への挽歌4506:新年の気分がどうも出てきません

節子

今年はまあ程々の年明けだったのですが、何かがちょっとおかしい気がします。
自分でもよくわからないのですが、新しい年の気分や勢いが出てこないのです。

昨年、いろんなことがありすぎた上に、年末にちょっと気を削がれることが集中したせいかもしれませんが、どうもそれだけではなさそうです。
どこかで感覚が変わりだしているような感じもあります。

もう一つ感ずるのは、気持ちがとても弱くなっていることです。
ちょっとした言葉に過剰に反応するようになっています。
相手は善意で行っているのでしょうが、どうもそれを素直に受け止められずに、その奥が見えてしまう気がするのです。
もちろん奥に悪意や邪念があるわけもなく、そこに感ずるのは幻想や妄想でしかないのですが、そのことがさらにまた私の心を気弱にさせるのです。

一見、平和で満たされた3が日だったのですが、どこかに不安感のようなものを感じます。
これは意志ではどうにもなりません。
身を任せるしかありません。

というわけで、年初から毎日挽歌を書くということを守れませんでした。
ちなみに、怠惰に過ごした結果、2キロ太ってしまいました。
困ったものです。

 

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2020/01/02

■節子への挽歌4505:聞こえてくる悲鳴

節子

この3日間は基本的に世間との接点は最小限にし、無為で平安な時間を過ごそうと思っていたのですが、なかなかそうもいきません。
ネット社会においては、自らを世間から遮断するのはよほどの覚悟が必要です。

多忙な毎日を過ごしている人は、この正月休みは元気を回復するチャンスになるかもしれませんが、逆に日常とは違う生活を余儀なくされる人たちには「苦痛の時間」になるのかもしれません。

たとえばこんなメールが来ました。

私は今、さびしさで、部屋の中を動き回っています。

疲れているのだから休めばいいのにと思うのは、彼の状況を理解できない人の感想です。
私も、彼の状況を理解できない一人ですが、最近はようやく理解できないものの、その事実を受け入れられるようにはなりました。
しかし、今日も明日も、それなりに用事があって、そう簡単には出ていけません。

フェイスブックを見ていても、何となくSOSが聞こえてくる書き込みもあります。
読まなければいいのですが、何故か読んでしまう。
そうすると心穏やかではありません。

脳天気におせちの写真や幸せそうな風景をフェイスブックに投稿している人たちに紛れて、そういう声が聞こえてしまうのは、不幸と言えば不幸ですが、聞こえてきてしまうものは避けようがありません。
そういう聞こえない、あるいは見えない悲鳴が聞こえてきてしまい、なかなか気持ちをゆったりできません。

今年はいい年になるはずなのに、いささか不安です。

 

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■「見知らぬ中学生の皆さんへ」

年末に2冊の小冊子が届きました。

1冊は京都の宇治にお住いの高林實結樹さんからの「見知らぬ中学生の皆さんへ」。
もう1冊は東尋坊で見回り活動をしている茂幸雄さんの「東尋坊の見守り人形 人生標語集」です。
後者に関しては先日、紹介させてもらいました。

高林さんの小冊子は、一昨年、高林さんが地元の中学校で戦時体験談を話したものを小冊子にまとめたものです。
話を聞いた中学生たちから届けられた感想文を読んだ高林さんが、感激して、ぜひもっと多くの中学生に読んでもらおうと小冊子にしたのです。
感想文は私も読ませていただきましたが、「初めて聞くナマの話」「よその学校でも話してほしい」という要望もあり、高林さんは改めて次の世代に戦時体験談を残そうと思い立ったのです。

早速に知り合いの中学生に渡そうと思いますが、高林さんの思いを広げていくために、ここでも紹介させてもらうことにしました。

非売品として制作されていますが、できれば高林さんの活動を広げ、さらに増刷していけるように、高林さんの了解を得て、賛同していただける方には300円の活動支援金をいただくことにしました。

14日に、湯島で年始のオープンサロンを開きますが、その際、何冊か持参しますので、ご希望の方は声をかけてください。
高林さんのような戦時体験談を心のうちにお持ちの方は少なくないと思います。
そうした人たちの活動記録をこういう形で残していくことができればと思います。
周りにそういう方がいたら、ぜひ話を聞いて書き残していく活動が広がればと思います。

ちなみに、茂さんの「東尋坊の見守り人形 人生標語集」ですが、これに関しても、今年は私としてできることに取り組む予定です。
14日の新年オープンサロンでは、そんな話も少しできればと思っています。

 

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2020/01/01

■節子への挽歌4504:日常的な元日

節子

いつものように、穏やかな年明けでした。
初日の出は残念ながら雲が多くて見られませんでしたが、すぐに日が出てきて、あたたかくなりました。
ユカのお雑煮を食べて、ジュン家族と合流して、子の神様へ初詣。
そのままみんなで宝蔵院にお墓参りに行きました。
わが家に戻って、ささやかなおせちで新年を祝いました。
これが最近の基本形です。

2020

にこは今年は着物で、ご機嫌でした。
ジュンも子育てから少しだけ解放されつつあるようですが、この3年間は大変だったようです。
節子がいたら状況はまったく違っていたでしょうが。

それにしても最近は正月といってもあまり特別な気分は出てこなくなりました。
むかしのような「ハレの気分」もあまり感じません。
どこかにさみしさを感じますが、むしろ今では毎日が「ハレ気分」なのかもしれません。

年賀状も最近は少なくなりました。
1000通を超す年賀状をやり取りしていたころとは大違いで、年々減って今年は100枚にも達しません。
3年前まではそれでももらった年賀状にはメールするか年賀状を出すかしていましたが、最近は、それもやめました。
年賀状が減るのも当然です。

それでもなかには懐かしい人からの年賀状もあります。
会社時代のアシスタントの女性からの年賀状も今でも何通か届きますし、節子の友人からの年賀状も私宛に届きます。

こんな日常的な元日は、あまり記憶にありません。
歳と共に、だんだんこうなっていくのでしょうか。

しかし、今年はちょっといい年になるような気がします。
といっても、節子に会うのではありません。
長年の課題の解決に向けて、私も娘たちも、ちょっと動き出す機運が出てきたのです。
13回忌が終わって、みんな少し精神的余裕が出てきたのかもしれません。
少なくとも私はそうです。

明日から私はもう日常に戻る予定です。
年末にはちょっと時間に追われてしまいました。

 

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■今年もよろしくお願いいたします

新年おめでとうございます。

我孫子はほどほどに気持ちのいい年明けでした。
残念ながら初日の出は見られませんでしたが、飽きずに見ていたら、雲の向こうに見えないはずの初日が見えてきました。
そして雲の上から光が手賀沼の湖面に振りこぼれてきました。

Hatsuhi20202 Hatsuhi20203 Hatsuhi20204
私も、ほどほどに元気で年明けを迎えました。
今年も、ほどほどによろしくお願いいたします。

昨年は湯島のサロン、ありがとうございました。
おかげさまで湯島のサロンもますますにぎやかになってきました。

年始のオープンサロンは1月4日の正午から、出入り自由で、4時過ぎまでやっています。
コーヒーはトラジャコーヒーと昨年冷蔵庫を掃除してきたらでてきた、出所不明のちょっと古そうなコーヒーを用意しました。
ご希望に合わせて淹れさせてもらいます。
よかったらお立ち寄りください。

近くの湯島天神が相当混んでいるはずですので、交通規制が行われているかもしれませんが、急な階段も事情を話せば(この上のビルに用事があると言えば)通してくれます。

ちなみに、1月はテーマサロンだけでもすでに5つが決まっています。
12日は「網野サロンパート2」
13日は「無門関サロン」
18日は「万葉集サロン」
19日はリンカーンクラブ研究会「議会制の虚構」
26日は「アニマルコミュニケーション」

他にもいくつか予定されています。
今年は少しまた新しい試みもしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

 

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