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2020年1月

2020/01/16

■CWSサロン「知識ゼロで挑む無門関」報告

「無門関(むもんかん)」のサロンは、参加申込者が少なくていささか心配していたのですが、直前に申し込みがどんどん増えて、ふたを開けたらなんと20人近い参加者になりました。
とりあげたのは、無門関第二則の「百丈野狐」。
話題提供者の金子英之さん(「無門関」永世愛読者/i2 associates代表)が「知識ゼロ」でも大丈夫と言ってくれたので、「無門関」の名前も知らなかった人も参加してくれましたが、事前に「百丈野狐」は読んできてもらいました。

Mumonkan20200113
「無門関」は中国南宋時代の禅僧 無門慧開によって編まれた、門下の修行僧を悟りに導くための問題集(公案集)です。
48ある公案の2番目にでてくるのが「百丈野狐」。
話の大筋は、百丈禅師のところに老人がやってきて、自分は以前僧侶だった。修行したら因果の世界から抜けられるかと問われて、「不落因果」、因果の世界から脱けられると応えて、野狐の身に落とされたが救ってほしいと頼まれます。そして、百丈に自分が問われたのと同じ問いを投げかけます。百丈はそれに「不昧因果」、因果の世界に身を任せ、と応じます。それを聞いた老人は一瞬に悟り、野狐の身を脱したという話です。
そしてその後に、百丈の弟子たちや高弟の黄檗とのやりとりがあります。
この話から何を得るか、が公案の問いです。
ざっと読めば、老人は「不落因果」と答えてなぜ野狐の身に堕ち、「不昧因果」と聞いてなぜ野狐の身を脱する事が出来たのか、というわけです。
ちなみに、「百丈野狐」の全文は、たとえば次のサイトにも紹介されていますので、関心のある人はお読みください。
https://k1s.hatenablog.com/entry/20120614

話に入る前に金子さんは3つの視点をお話になりました。
まず金子さんは「表現者」と自己紹介した上で、イコノグラフィ(図像学)を専攻されていたことをお話になりました。
図像学は、絵画・彫刻などの美術表現の表す意味やその由来などについての研究する学問です。
ついで、金子さんは「問題には解がある」と言い、解があれば見つけたい、それもテキストだけからの正解に至りたいとお話になりました。
そしてこの公案には、推理小説によくあるような、真実から目を反らさせるトリックが仕組まれている。そこで、公案に秘められた「正解隠し」を見つけるために、「構造主義」の発想を利用して、文章を解析し、問題を整理したと話してくれました。
いずれも、それぞれに興味ある話ですが、今回はともかく、公案を解くことがテーマです。

さて本題です。
金子さんは、小道具まで用意してきてくれて、「百丈野狐」についてまずは紹介してくれ、この公案(問題)を構造的に図解してくれました。
そうした話をしながら、参加者からも自らの解釈や疑問点などをいろいろと引き出していきました。
その内容は、「ネタ晴らし」になりますので、この報告では一切触れません。
しかし、参加者からの発言も含めて、とても興味深く、示唆に富む話し合いがあったと思います。
そうした思考を引き出すところにこそ、公案の意義があるのかもしれません。
だとしたら、現在の社会にとって、こうした公案に立ち向かう価値は極めて大きいように思います。
金子さんはこの話をあるビジネススクールでも毎年講義されていました。
その時の反応もお聞きしましたが、こういう話が行われるビジネススクールが存在していたことに私はとても感動しました。

こうした禅問答にどんな効用があるのかという質問もありましたが、そういう質問が出る時代だからこそ、大きな効用があるのかもしれません。
話し合いのいくつかは、紹介したい気もしますが、たぶん不正確な紹介になるのでやめさせてもらいます。
ただ、終わった後、参加者からこんなメールが来ました。

せっかくいい方向に話が向かいそうなのに黄蘗が百丈和尚の横っ面をぶんなぐったところになると、どっちか偉いとか上だとかとたんに「執着」に固執するのが可笑しかった。

私もその時に同じ思いを感じていましたが、この公案は、「不落師弟・不昧師弟」をたしなめているようにも思いました。
金子さんもお話になっていましたが、そこにあるのは極めて根底的なメッセージなのです。
しかし、それを論理的に解釈し、正解を得ようとする金子さんご自身にも大きな興味を持ちました。

金子さんは無人島に流されたとしてもこの一冊があれば退屈しないと言われました。
それほど金子さんは「無門関」にはまっているようです。
それほどの魅力があるのであれば、私ももう少ししっかりと読んでみたくなりました。
そこで改めて、無門関の48の公案のどれかを選んで、みんなで読んでみるサロンを企画しようと思いつきました。
またご案内させてもらいます(たぶん)。

もし皆さんの中に、この公案を読んでみたいという方がいたら、ご連絡ください。
採用されるとは限りませんが。

 

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2020/01/15

■CWSサロン「網野史観パート2-日本はどこから来て、どこへ行く?」報告

昨年行った網野史観サロンにつづくパート2も、14人参加と大賑わいでした。
今回は、副題に「日本はどこから来て、どこへ行く?」とあるように、いまの日本の問題を間接話法で語り、考えるといった内容でした。

Amino
網野さんは歴史を見る視座をひっくり返すことを教えてくれました。
蔵原さんは、それを、国会議事堂を上下逆転した写真を示しながらわかりやすく説明してくれました。
それがそのまま網野史観というわけではありませんが、視野を広げてくれることは間違いありません。
そうしたことを踏まえて、日本における「資本主義の源流」の話も含めて、「日本の過去に何が起こったか」に関しても、いろいろな視野が開かれ、論点が出されたように思います。

網野史観とはちょっと外れた議論もあったような気もしますが、蔵原さんの話がとても面白すぎたために、予定していた「異形」や「異界」、あるいは「アジール」や「悪党」はあまり話題にならなかったのがちょっと残念でした。
百姓と農民の議論も、あんまり深まらなかったのが残念です。
宗教の話ももう少し話題にしたかったのですが、それよりもやはり政治経済的な話題が中心になりました。
こうしたこと自体にも、まさに今の日本の社会状況が反映されているように思います。
しかし、蔵原さんの話の面白さは、一般論を装いながら、常に彼自身の一人称視点が感じられたことかもしれません。

話し合いを聞いていて、異端と言われた網野史観は、いまや社会に広く浸透していることを改めて実感する一方で、やはり私たちの発想は、言語の用法も含めて、網野さんとは対置に置かれた発想の呪縛からは抜け出せないでいるような気もしました。
そのこと自体にも気づかせてくれたサロンだったように思います。

最後に蔵原さんは、シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」から次の引用文を紹介しました。

You see, but you do not observe. The distinction is clear.
君は見ているが、観察していない。その違いは明白だ。

これこそが、蔵原さんの一番のメッセージだったようです。
いまの日本国民も自民党も、農業政策はじめ随所で基礎データを「見ているが、観察していない」。政策の基礎データを読む力がいまの日本社会に足りないと言いたかったのです。
さまざまな話題に遊び過ぎて、とび散らかしたようなサロンでしたが(それこそがサロンの狙いであり、だからこそ面白いサロンだったのですが)、蔵原さんのメッセージはしっかりと受け止めたいと思いました。

時間が長引いたにも限らず、まだまだ満たされない感じが残り、この調子だとパート3の要請があるなと思っていたら、早速にその要請が届ききました.
その人と蔵原さんのやり取りも始まっているので、もしかしたら、パート3があるかもしれません。

 

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2020/01/13

■節子への挽歌4512:なぜみんなサロンに来るのか

節子

昨日もサロンで湯島でした。
網野史観というテーマのサロンでしたが、たくさんの人が参加してくれました。
網野善彦さんの名前も知らなかったという人も参加してくれました。
なかにはわざわざ新潟からやってきてくれた人もいます。

むかし、オープンサロンをやっていたころ、帰りの電車でよく、節子と「どうしてみんなサロンにくるのだろう」と話したものです。
まあ当時は、節子の尽力で、サロンは飲み放題食べ放題で会費なしでしたので、勤めの帰りに立ち寄る人も多く、集まるのも少しは理解できたのですが、最近は土日中心なのでわざわざ出かけてこなければいけません。
それにコーヒーとわずかなお菓子だけで、しかも500円の会費もかかります。
さらに昔は、テーマもなく、自由に話し合うサロンでしたが、最近はテーマがあります。
にもかかわらず、みんなやってくる。

網野さんの名前も知らなかった方も、自称「ただのおばさん」です。
もちろん「ただのおばさん」などという存在はないのですが、しかしそういう人がよくやってきます。
節子だったら、こういうサロンに参加したでしょうか。
そう考えると不思議です。

それはそれとして、サロンをしていると新しい出会いもあります。
昨日もひとり、初めて参加してくれた人がいます。
少し話しただけですが、私とは違う世界をお持ちのようです。
時間ができたらサロンをやってもらおうと思いました。
と考えてしまう私も、またサロンに集まってくる人と結局は同じなのでしょう。

サロンを始めてから、私の人生は変わってしまいました。
その相方の節子がいなくなってしまったのが、とても残念です。

 

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■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」のお誘い

昨年、細菌学のサロンを開催した後、参加者の一人から天文・宇宙物理学に関するサロンをしてほしいという要望がありました。
湯島のサロンはみんなで育てるサロンなので、希望者があれば検討しないわけにはいきません。

それでメーリングリストやフェイスブックで呼びかけさせてもらいましたら、うれしいことにサロンをしてもいいという人が見つかりました。
天文学大好き女子の内村真菜さんです。
専門家過ぎると難しくて私についていけないのではと心配していましたが、私にもわかるように解説してくれそうな、ちょっとおちゃめなアニメファンです。

テーマは「宇宙の成り立ちとダークマター」。
宇宙が始まったビッグバンやインフレーション、そして宇宙を構成している謎の物質(ダークマター)と謎のエネルギー(ダークエネルギー)、さらにはもしかしたら宇宙の終焉までの壮大な話をしていただきます。
一方的な話ではなく、質疑応答しながらの楽しいサロンになるでしょう。
湯島のサロンでの話題提供者としては、最年少者です。
天文学に詳しい人が助っ人役で参加してくださるのも歓迎です。

目先の生活や仕事に追われて、宇宙の話など考えたこともない、という人が多いと思いますが、こうした壮大な世界に遊ぶと元気をもらえるばかりか、きっと何か大切な気づきももらえるのではないかと思います。
テーマは難しいですが、楽しいサロンになるでしょう。
多くの人に楽しんでもらいたいサロンですので、ぜひ気楽にご参加ください。

〇日時:2020年2月9日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
 http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:内村真菜さん(天文学大好き女子)
〇テーマ:「宇宙の成り立ちとダークマター」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

 

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2020/01/12

■節子への挽歌4511:わけあり最高

節子

今朝のEテレの「こころの時代」で、2年前に放映された「にんげん宣言」が再放映されていました。
国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で暮らす山内きみ江さんからのメッセージです。
前にも見たのですが、今回もまた見せてもらいました。

きみ江さんは、60代になってから養子を引き受けます
番組に最後は、その母子が対話しているシーンでした。

きみ江さんは、わけありリンゴを例に出して、自分はW環境あり人間だったかもしれないが、人間であると語りましたが、それを受けて養子の娘さんが、「わけあり最高」と笑いながら言いました。
きみ江さんは、それに頷きながら、でもわかりリンゴが半値で売られているのは嫌だ、言い、2人で大笑いしていました。

実にいい母子です。
改めて感動しましたが、「わけあり最高」という言葉は示唆に富んでいます。
今日1日、この言葉を反芻していこうと思います。

 

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2020/01/11

■節子への挽歌4510:死ぬならひっそりと一人で暮らそう

節子

今年は前途多難な年になりそうです。
年末には今年は平安な年になりそうな予感もあったのですが、どうもあまり期待できそうにありません。

節子も知っている友人から、こんなメールが来ました。

今年死ぬんだと、なんのきっかけがあってか、そう心にとどまって。死ぬなら一人で。故郷でひっそりと一人で暮らそう。そうエスカレートしていって、自分から勝手に孤独の淵にはまってしまった。

今年になって、その気分から抜け出られたようです。
こういう話が、この歳になると増えてきます。
その気持ちはよくわかります。

私は、死をお天道様に託していますので、まだそういう言う気にはなっていませんが、いつかそういう思いがやってくるのでしょう。
しかし、私の場合は、たぶん「死ぬならひっそりと一人で暮らそう」とは思わないでしょう。
人は一人で生きていけないように、一人では死んでいけないと思っています。

今日、20歳前後の女性に会いました。
彼女の夢を少しだけ聞かせてもらいました。
とても具体的で、しかも長期的な展望のある、非常に共感できるものでした。
彼女の目の輝きに、昔を思い出しました。

2人の女性の違いは何なのでしょうか。
そう考えると、やはり年齢に行き着きます。
前に進んでいこうとするときとそろそろ現世を終焉させようとしている時とでは、やはり全く違ってきます。
私たちにも、20代があったことを思い出します。
たとえ来世があるとしても、現世には終わりがある。

しかし、人はみんな思い切り現世を生きてきた。
どんな人生であろうとも、夢を持ち、前に向かって進んできたはずです。
うまくいった人は、多くはないでしょう。
しかし素直に生きてきたのであれば、悔いなどもつ必要はない。

先日、別の友人から「死ぬ時のことを考えると不安になる」とメールが来ました。
彼は、誰かと会っていないと不安になるタイプなのです。
なぜ人は「死ぬとき」のことを考えるのか。
これも私には理解できないことです。

「死」は行為ではなく、「状況」です。
自然に任せておけば、不安や恐怖からは解放されるはずのことです。
その時が来たら、素直にそれを受け入れればいいだけの話です。
その先には、まったく新しい世界があるのですから。

最近、思うのは、節子は幸せな人生だったなあということです。
理屈ではなくそう思えるようになってきました。
長い気がいいわけではありません。

100歳時代などと言われる風潮には、私は極めて冷やかです。
私に対しても、そういう言葉を使う人がいますが、そういう人には、もっとまじめに生きろ、と言いたくなります。

 

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2020/01/10

■中公新書の「持統天皇」が面白かったです

なかなか読めずにいた中公新書の「持統天皇」を今日、読みました。
私の持統天皇へのイメージは、最初は吉野裕子さんの「持統天皇」でつくられたためかとてもいい印象を持っていて、日本の歴史を大きく方向づけたのは持統天皇だと思っていました。
しかし、その後、いろいろと読んでいるうちに、どうもあまり好印象は持てなくなり、夫を裏切った女性という印象を持つに至りました。
しかし、瀧浪貞子さんの今回の本を読んで、また評価が変わりました。
やはり女性の視点と男性の視点で、評価が変わってくるようなきがします。
吉野さんも瀧浪さんも、持統天皇の気持ちに入り込んでいるような気がします。
私は男性なのですが、瀧浪さんの本に見事に変節させられ、持統天皇の生き方にもちょっと理解できる気がしてきました。
それはともかく、最近読んだ歴史関係の本では久しぶりに共感と発見と内容のあった本でした。

ところで、本書の中に「万葉集」に関する論考が20頁以上にわたって書かれています。
ここがとても面白い。
万葉集に関心のある方には、ぜひお薦めしたいです。

湯島では、令和騒ぎの前からまじめな万葉集サロンをやっていますが、次回は1月18日です。
テーマは「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉-共有される歌々」。
ちなみに、江戸時代に発見された金印は「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」と刻まれていますが、万葉集サロンで升田さんが「委奴国」を「〈わ〉の〈な〉の国」とも読めると話してくれたことがあります。
今回も面白い話がいろいろと出てきそうです。

 

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2020/01/09

■節子への挽歌4509:誰かの荷物を背負い込んでしまう傾向

節子

昨日と今日、めずらしく作業に集中できました。
たまっていた3つの宿題に取り組み、予想以上の速さでいずれも完成しました。
いずれも私のための仕事でもありますが、直接にはほかの人のための作業です。

自分のためのものであれば、延期もできますが、ほかの人に迷惑をかけることはできません。
延ばししてきていましたが、ずっと気になっていたのです。
どうにかそれをやれたので気分的にほっとしています。
これで新年に向かって、前に進めそうです。
まあ、実際には、これからの方が大変なのですが。

考えてみると、私の場合、誰かに頼まれてとか、誰かの重荷を背負い込んでしまう傾向があります。
重い荷物は背負い合わなければいけないという意識がどこかにあるからですが、どうもその呪縛からは抜けられません。
かといって、シェアした荷物を私だけで解決するほどのエネルギーはありません。
相手がほんとにその気にならなければ、私の行為はほとんど無駄になるのですが、それでもまあこの生き方は変えられません。
困ったものです。

年が明けてからも、荷物は届きます。
他者とのつながりを細くしていけば、荷物もだんだん届かなくなるでしょうから、できるだけ人と会わなければいいわけです。
そんなわけで、今年は人に会う機会をできるだけ減らそうと思います。
しかし、はたしてそうできるかどうか。

人生は実に悩ましいです。

 

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2020/01/08

■節子への挽歌4508:気ぜわしさから抜けられません

節子

どうも挽歌が書けません。
何かとバタバタしすぎているのです。

サロンの翌日は、ちょっとある人が心配になって、湯島で会いました。
過労気味な様子だったので、ゆっくり休んだ方がいいと言っていたのですが、それにしたがい、奥さんと2人で年始は温泉旅行に行ったそうです。
ところが、そこから、不安で部屋を動き回っているというメールが届きました。
そういうメールを読めば、私も不安に襲われます。

そこで急きょ、朝、湯島で会うことにしたのです。
たしかに尋常でない。
身体が止まらないのです。
それで時間を延ばして食事をしたり話をしたりしていましたが、次の約束があったため3時前に別れました。

後ろ髪引かれるとはこういうことでしょうか。
その後もずっと気になっていました。
何事もなければいいなという思いでした。

夕方メールが入りました。
やはり帰路の途中でどうしようもなくなり、クリニックに飛び込んだようです。
そこで薬をもらい一段落。
正直、ホッとしました。
と同時に、疲労感が全身を襲ってきました。

まあこんなこともあって、どうも挽歌を書くになれなくなってしまったのです。
しかしまあようやくその件も含めて、何とか少しずつ先が見えてきました。
今年も多難な年になりそうです。
実に困ったものではありますが、まあ誰かに言われたように、これが私の人生なのでしょう。

今日はようやく思考力が戻ってきて、やるべき宿題の一つを完成させました。
明日はもう2つの宿題をこなさなければいけません。
できるでしょうか。

ひとつは延期可能ですが、もう一つはそれをやらないと友人が困るので、延期できないのです。
気ぜわしさから当分抜けられそうもありません。

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■ゴーンさんへの評価が好転しました

保釈中だったカルロス・ゴーン元日産会長が、なんと国外逃亡を図りました。
それを知って、私のゴーンさんへの評価は反転しました。
評価が変わった人は多いでしょうが、ほとんどの人は悪くなったようです。
しかし、私はこれまで好きになれなかったゴーンさんが好きになれそうなのです。

日産をV字回復した名経営者として評価されていた頃のゴーンさんを私は全く評価できませんでした。
むしろ経営というものを全く知らない無能な経営者だと思っていました。
当時、私はまだ仕事をしていて、講演などもさせてもらう機会もありましたが、その頃にもそう公言していました。
なぜそう思ったのかと言えば、経営の視点が株主や組織拡大にあり、人間の視点がなかったからです。
私にとっては、それは「経営」ではありません。

しかし、当時、日産に関わっている人に尋ねても、私の意見に賛成する人はいませんでした。
辞めさせられた人たちへの思いはないのか、とさびしくなりました。
その頃から日本の経営者は大きく道を踏み外していったと思っています。
まあそうした動きが始まったのは、たぶん1980年前後からだったと思いますが。
ちなみに、私にとっての企業経営再建の名経営者は、スカンジナビア航空のャン・カールソンです。

ゴーンさんが保釈された時に変装して出てきた時に、ちょっと印象が変わりました。
もちろん「良い方向」にです。
そして今回の国外逃走ドラマ。
かなり好きになりました。
理由を書くと長くなりますが、そこに権力や制度に抗う「人間」を感ずるからです。

さらにゴーンさんへの期待もあります。
今日、ゴーンさんはレバノンで記者会見をするそうです。
どういう話が出るのかわかりませんが、そこでまた私の評価が反転する可能性はゼロではありません。
しかし、ゴーンさんが置かれていた状況は、私でさえもおかしいと思っていました。
新聞報道でしか知りませんが、人権無視もはなはだしい気がしていました。
日本の警察や検察、さらには行政のあり様は、どう考えてもおかしい。

そうしたことに、世界の目を向けてくれることに期待があります。
私たちにももっとそうした実態が見えてくるかもしれません。

もっともゴーンさんは、日産時代、いま自らが抗っている日本の警察や検察(末端のお巡りさんや現場の人たちは別)と同じ生き方をしてきていました。
彼には、自分以外の人間は見えていなかったように思います。
だからこそ、今日のゴーンさんの発言に大きな期待をしているわけです。
失望させられないといいのですが。

それにしても、今回の事件は、いろんなことを気づかせてくれました。
ゴーンさんに感謝したくなります。

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2020/01/07

■CWSサロン「参加者それぞれにとっての居心地の良い場」のお誘い

湯島のサロンの大きなテーマの一つは「コミュニティ」ですが、語り合うだけではなく、今年は少しずつそれぞれのコミュニティ探しへと入っていければと思います。
CWSサロンそのものも広い意味での「コミュニティ(CWSコモンズ村)」を目指していますが、多様で多層で開かれたさまざまなコミュニティのプラットフォーム(ゆるやかなメタ・コミュニティ)がそのイメージです。
あまりに強い絆のゆえに逆に生き辛さが生まれ、都会の自由さにあこがれた時代を体験している私にとっては、いまの状況はいささか行き過ぎてしまった感じがしていて、それが20年前にコムケア活動というのを始めたきっかけでもあります。
ひとつのコミュニティに閉じこもってしまうことで問題を抱えてしまう人も少なくありません。

湯島では昨年末に上田さんと杉原さんの2つのサロンで、「コミュニティ」を取り上げましたが、改めてもう一度、正面から「コミュニティ」を取り上げるサロンを開かせてもらうことにしました。
今回は誰かが問題提起するのではなく、参加者各自が、それぞれにとっての居心地の良い場やグループを語り合い、なぜそこが居心地がいいのかをみんなで話せないかと思います。
ちょっと自分の生活を開き合うスタイルなので、気恥ずかしさもあるかと思いますが、自らの生き方を問い直す契機になるかもしれません。

今回はあえて平日の午後に設定しました。
お仕事をされている方も休暇をとってでも話し合う価値のあるサロンにしたいと考えたからです。
その趣意をお汲み取りいただければうれしいです。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年1月23日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「参加者それぞれにとっての居心地の良い場」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

 

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2020/01/06

■新年オープンサロンの報告

14日に湯島で新年オープンサロンを開きました。

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13人が参加してくれました。
サロンを終了したちょうどその時に2人の参加者があったため、その2人を軸にパート2が始まりました。
結局終わったのは5時過ぎでした。

湯島のサロンには初めての人が5人もいたのですが、それぞれ示唆に富む話題を出してくれました。
若い世代も3人いましたが、3人からの話もたぶんなかなか聞けない話だったと思います。

また農や食に関わっている人が5人いたため、話は途中からもっぱら「農」の話になりました。
ちなみに、サロン終了時に来た人も、農の専門家でしたので、農サロンパート1とパート2という感じでした。
タネの話や野菜の価格の話など、興味ある話がいろいろありましたが、内容はちょっと報告しにくいので省略です。
新顔野菜“グラパラリーフ”の紹介もありました。

新年のオープンサロンなので、もっといろんなトピックがですかと思っていましたが、農の話にみんな引きずり込まれたようです。
もちろんほかの話題もいろいろありましたが。

皆さんのお話を聞いていて、サロンで取り上げたいテーマがいくつか見つかりました。
春以降に実現するでしょう。

今年も時々、テーマなしのオープンサロンは開く予定です。
よろしくお願いいたします。

 

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2020/01/04

■節子への挽歌4507:新年最初のサロン

節子

今日は新年最初のオープンサロンでした。
節子がいる時とは違って、何かを用意するわけでもなく、コーヒーだけのサロンです。
せめてミカンとワインくらいは持って行こうと用意していたのですが、朝、出かける時に、どうもその気分ではないという気がしてきて、手ぶらで出かけました。

サンダルで行こうかとも思いましたが、まあジャケットも着たので靴にしました。
ちなみに元旦の初詣も含めて、三が日はサンダルで過ごしましたが。

湯島天神は例年ほどの混み具合ではなかったような気がしますが、それでも長い行列ができていて、並んでいる時間がなかったので、裏口から入り、横からお詣りしました。
オフィスに行くとガラスが見事なほどにきれいになっていました。
昨年末に部屋を利用している阿部さんたちが掃除してくれたのです。

待つ間もなく行田市の中村さんが行田名物の十万石饅頭を持ってやってきました。
武田さんはシュークリームを持って、ほかの人たちも何かと持ってきましたので、お菓子類もそろいました。
用意しないと集まるものなのです。
そこが不思議なところです。

話はかなりハードな話題に集中しました。
「ひきこもり問題」と「食と農」が中心でした。
そういうことに関心のある参加者が多かったのです。

サロンを終えようとしていたら2人の人がやってきました。
そのため終了時間が1時間以上延びてしまいましたが、その話が実に面白いというか、内容の濃いものでした。
なぜかその話のテーマも「農」につながるものでした。
話が面白く、近藤さんが持ってきたリンゴを切るのを忘れてしまいました。

サロンは面白かったのですが、何故かどこかにイライラ感があって、武田さんにまた余計な反論をしてしまいました。
自分の精神状況があまり良くないことに気づきました。
何にいら立っているのかわかりませんが、どうも心は平安になれない。

その原因がわかるといいのですが。
いやそれよりも、何かが起こらなければいいのですが。

 

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■節子への挽歌4506:新年の気分がどうも出てきません

節子

今年はまあ程々の年明けだったのですが、何かがちょっとおかしい気がします。
自分でもよくわからないのですが、新しい年の気分や勢いが出てこないのです。

昨年、いろんなことがありすぎた上に、年末にちょっと気を削がれることが集中したせいかもしれませんが、どうもそれだけではなさそうです。
どこかで感覚が変わりだしているような感じもあります。

もう一つ感ずるのは、気持ちがとても弱くなっていることです。
ちょっとした言葉に過剰に反応するようになっています。
相手は善意で行っているのでしょうが、どうもそれを素直に受け止められずに、その奥が見えてしまう気がするのです。
もちろん奥に悪意や邪念があるわけもなく、そこに感ずるのは幻想や妄想でしかないのですが、そのことがさらにまた私の心を気弱にさせるのです。

一見、平和で満たされた3が日だったのですが、どこかに不安感のようなものを感じます。
これは意志ではどうにもなりません。
身を任せるしかありません。

というわけで、年初から毎日挽歌を書くということを守れませんでした。
ちなみに、怠惰に過ごした結果、2キロ太ってしまいました。
困ったものです。

 

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2020/01/03

CWSプライベートにようこそ

このブログは「時評編」と「挽歌編」が混在していますので、驚かれる方もいると思います。
混在の理由はゾーエとビオスの融合を目指しているからです。
目ざわりかと思いますが、お許しください。
別々に読む方は右側のカテゴリーで選んでください。

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2020/01/02

■節子への挽歌4505:聞こえてくる悲鳴

節子

この3日間は基本的に世間との接点は最小限にし、無為で平安な時間を過ごそうと思っていたのですが、なかなかそうもいきません。
ネット社会においては、自らを世間から遮断するのはよほどの覚悟が必要です。

多忙な毎日を過ごしている人は、この正月休みは元気を回復するチャンスになるかもしれませんが、逆に日常とは違う生活を余儀なくされる人たちには「苦痛の時間」になるのかもしれません。

たとえばこんなメールが来ました。

私は今、さびしさで、部屋の中を動き回っています。

疲れているのだから休めばいいのにと思うのは、彼の状況を理解できない人の感想です。
私も、彼の状況を理解できない一人ですが、最近はようやく理解できないものの、その事実を受け入れられるようにはなりました。
しかし、今日も明日も、それなりに用事があって、そう簡単には出ていけません。

フェイスブックを見ていても、何となくSOSが聞こえてくる書き込みもあります。
読まなければいいのですが、何故か読んでしまう。
そうすると心穏やかではありません。

脳天気におせちの写真や幸せそうな風景をフェイスブックに投稿している人たちに紛れて、そういう声が聞こえてしまうのは、不幸と言えば不幸ですが、聞こえてきてしまうものは避けようがありません。
そういう聞こえない、あるいは見えない悲鳴が聞こえてきてしまい、なかなか気持ちをゆったりできません。

今年はいい年になるはずなのに、いささか不安です。

 

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■「見知らぬ中学生の皆さんへ」

年末に2冊の小冊子が届きました。

1冊は京都の宇治にお住いの高林實結樹さんからの「見知らぬ中学生の皆さんへ」。
もう1冊は東尋坊で見回り活動をしている茂幸雄さんの「東尋坊の見守り人形 人生標語集」です。
後者に関しては先日、紹介させてもらいました。

高林さんの小冊子は、一昨年、高林さんが地元の中学校で戦時体験談を話したものを小冊子にまとめたものです。
話を聞いた中学生たちから届けられた感想文を読んだ高林さんが、感激して、ぜひもっと多くの中学生に読んでもらおうと小冊子にしたのです。
感想文は私も読ませていただきましたが、「初めて聞くナマの話」「よその学校でも話してほしい」という要望もあり、高林さんは改めて次の世代に戦時体験談を残そうと思い立ったのです。

早速に知り合いの中学生に渡そうと思いますが、高林さんの思いを広げていくために、ここでも紹介させてもらうことにしました。

非売品として制作されていますが、できれば高林さんの活動を広げ、さらに増刷していけるように、高林さんの了解を得て、賛同していただける方には300円の活動支援金をいただくことにしました。

14日に、湯島で年始のオープンサロンを開きますが、その際、何冊か持参しますので、ご希望の方は声をかけてください。
高林さんのような戦時体験談を心のうちにお持ちの方は少なくないと思います。
そうした人たちの活動記録をこういう形で残していくことができればと思います。
周りにそういう方がいたら、ぜひ話を聞いて書き残していく活動が広がればと思います。

ちなみに、茂さんの「東尋坊の見守り人形 人生標語集」ですが、これに関しても、今年は私としてできることに取り組む予定です。
14日の新年オープンサロンでは、そんな話も少しできればと思っています。

 

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2020/01/01

■節子への挽歌4504:日常的な元日

節子

いつものように、穏やかな年明けでした。
初日の出は残念ながら雲が多くて見られませんでしたが、すぐに日が出てきて、あたたかくなりました。
ユカのお雑煮を食べて、ジュン家族と合流して、子の神様へ初詣。
そのままみんなで宝蔵院にお墓参りに行きました。
わが家に戻って、ささやかなおせちで新年を祝いました。
これが最近の基本形です。

2020

にこは今年は着物で、ご機嫌でした。
ジュンも子育てから少しだけ解放されつつあるようですが、この3年間は大変だったようです。
節子がいたら状況はまったく違っていたでしょうが。

それにしても最近は正月といってもあまり特別な気分は出てこなくなりました。
むかしのような「ハレの気分」もあまり感じません。
どこかにさみしさを感じますが、むしろ今では毎日が「ハレ気分」なのかもしれません。

年賀状も最近は少なくなりました。
1000通を超す年賀状をやり取りしていたころとは大違いで、年々減って今年は100枚にも達しません。
3年前まではそれでももらった年賀状にはメールするか年賀状を出すかしていましたが、最近は、それもやめました。
年賀状が減るのも当然です。

それでもなかには懐かしい人からの年賀状もあります。
会社時代のアシスタントの女性からの年賀状も今でも何通か届きますし、節子の友人からの年賀状も私宛に届きます。

こんな日常的な元日は、あまり記憶にありません。
歳と共に、だんだんこうなっていくのでしょうか。

しかし、今年はちょっといい年になるような気がします。
といっても、節子に会うのではありません。
長年の課題の解決に向けて、私も娘たちも、ちょっと動き出す機運が出てきたのです。
13回忌が終わって、みんな少し精神的余裕が出てきたのかもしれません。
少なくとも私はそうです。

明日から私はもう日常に戻る予定です。
年末にはちょっと時間に追われてしまいました。

 

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■今年もよろしくお願いいたします

新年おめでとうございます。

我孫子はほどほどに気持ちのいい年明けでした。
残念ながら初日の出は見られませんでしたが、飽きずに見ていたら、雲の向こうに見えないはずの初日が見えてきました。
そして雲の上から光が手賀沼の湖面に振りこぼれてきました。

Hatsuhi20202 Hatsuhi20203 Hatsuhi20204
私も、ほどほどに元気で年明けを迎えました。
今年も、ほどほどによろしくお願いいたします。

昨年は湯島のサロン、ありがとうございました。
おかげさまで湯島のサロンもますますにぎやかになってきました。

年始のオープンサロンは1月4日の正午から、出入り自由で、4時過ぎまでやっています。
コーヒーはトラジャコーヒーと昨年冷蔵庫を掃除してきたらでてきた、出所不明のちょっと古そうなコーヒーを用意しました。
ご希望に合わせて淹れさせてもらいます。
よかったらお立ち寄りください。

近くの湯島天神が相当混んでいるはずですので、交通規制が行われているかもしれませんが、急な階段も事情を話せば(この上のビルに用事があると言えば)通してくれます。

ちなみに、1月はテーマサロンだけでもすでに5つが決まっています。
12日は「網野サロンパート2」
13日は「無門関サロン」
18日は「万葉集サロン」
19日はリンカーンクラブ研究会「議会制の虚構」
26日は「アニマルコミュニケーション」

他にもいくつか予定されています。
今年は少しまた新しい試みもしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

 

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