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2020/01/02

■節子への挽歌4505:聞こえてくる悲鳴

節子

この3日間は基本的に世間との接点は最小限にし、無為で平安な時間を過ごそうと思っていたのですが、なかなかそうもいきません。
ネット社会においては、自らを世間から遮断するのはよほどの覚悟が必要です。

多忙な毎日を過ごしている人は、この正月休みは元気を回復するチャンスになるかもしれませんが、逆に日常とは違う生活を余儀なくされる人たちには「苦痛の時間」になるのかもしれません。

たとえばこんなメールが来ました。

私は今、さびしさで、部屋の中を動き回っています。

疲れているのだから休めばいいのにと思うのは、彼の状況を理解できない人の感想です。
私も、彼の状況を理解できない一人ですが、最近はようやく理解できないものの、その事実を受け入れられるようにはなりました。
しかし、今日も明日も、それなりに用事があって、そう簡単には出ていけません。

フェイスブックを見ていても、何となくSOSが聞こえてくる書き込みもあります。
読まなければいいのですが、何故か読んでしまう。
そうすると心穏やかではありません。

脳天気におせちの写真や幸せそうな風景をフェイスブックに投稿している人たちに紛れて、そういう声が聞こえてしまうのは、不幸と言えば不幸ですが、聞こえてきてしまうものは避けようがありません。
そういう聞こえない、あるいは見えない悲鳴が聞こえてきてしまい、なかなか気持ちをゆったりできません。

今年はいい年になるはずなのに、いささか不安です。

 

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