■悦子への挽歌4515:「居心地の良い場」
節子
昨日は居心地の良い場をテーマにしたサロンでした。
13人の人が集まり、それぞれにとっての「居心地の良い場」を出してもらい、みんなで話し合いました。
私も、私にとっての「居心地の良い場」を考えてみました。
ところが、意外とこれが難しい。
行き着いた答えは、「家」であり「節子と一緒の場」でした。
後者はもう失われてしまっていますが、幸いに前者の中にその余韻が残っています。
13人のなかで、もう一人、私と同じように「家」をあげた人がいます。
偶然かもしれませんが、彼もまた数年前に伴侶を亡くされています。
そこで思ったのは、もしかしたら私も彼も、家の中にいなくなった伴侶を感じているのではないかということです。
先に逝ってしまった子どもの部屋をそのままにしている親はすくなくありません。
そこにも同じ思いがあるのかもしれません。
何人かの人が、湯島の場所も居心地がいいような発言をしてくれていました。
湯島にもたぶん節子が「残っている」ことを感じている私にはうれしいことでした。
ますます湯島は続けないといけないようなきがしてきました。
しかし私の貯金はついに50万円台になりました。
このままだと今年が最後の年になりかねません。
やはり対価を確保できる仕事をしなければいけないようです。
場所の維持のために対価を得る仕事をするのは本末転倒ですが、悩ましい問題です。
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