■CWSサロン「網野史観パート2-日本はどこから来て、どこへ行く?」報告
昨年行った網野史観サロンにつづくパート2も、14人参加と大賑わいでした。
今回は、副題に「日本はどこから来て、どこへ行く?」とあるように、いまの日本の問題を間接話法で語り、考えるといった内容でした。
網野さんは歴史を見る視座をひっくり返すことを教えてくれました。
蔵原さんは、それを、国会議事堂を上下逆転した写真を示しながらわかりやすく説明してくれました。
それがそのまま網野史観というわけではありませんが、視野を広げてくれることは間違いありません。
そうしたことを踏まえて、日本における「資本主義の源流」の話も含めて、「日本の過去に何が起こったか」に関しても、いろいろな視野が開かれ、論点が出されたように思います。
網野史観とはちょっと外れた議論もあったような気もしますが、蔵原さんの話がとても面白すぎたために、予定していた「異形」や「異界」、あるいは「アジール」や「悪党」はあまり話題にならなかったのがちょっと残念でした。
百姓と農民の議論も、あんまり深まらなかったのが残念です。
宗教の話ももう少し話題にしたかったのですが、それよりもやはり政治経済的な話題が中心になりました。
こうしたこと自体にも、まさに今の日本の社会状況が反映されているように思います。
しかし、蔵原さんの話の面白さは、一般論を装いながら、常に彼自身の一人称視点が感じられたことかもしれません。
話し合いを聞いていて、異端と言われた網野史観は、いまや社会に広く浸透していることを改めて実感する一方で、やはり私たちの発想は、言語の用法も含めて、網野さんとは対置に置かれた発想の呪縛からは抜け出せないでいるような気もしました。
そのこと自体にも気づかせてくれたサロンだったように思います。
最後に蔵原さんは、シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」から次の引用文を紹介しました。
You see, but you do not observe. The distinction is clear.
君は見ているが、観察していない。その違いは明白だ。
これこそが、蔵原さんの一番のメッセージだったようです。
いまの日本国民も自民党も、農業政策はじめ随所で基礎データを「見ているが、観察していない」。政策の基礎データを読む力がいまの日本社会に足りないと言いたかったのです。
さまざまな話題に遊び過ぎて、とび散らかしたようなサロンでしたが(それこそがサロンの狙いであり、だからこそ面白いサロンだったのですが)、蔵原さんのメッセージはしっかりと受け止めたいと思いました。
時間が長引いたにも限らず、まだまだ満たされない感じが残り、この調子だとパート3の要請があるなと思っていたら、早速にその要請が届ききました.
その人と蔵原さんのやり取りも始まっているので、もしかしたら、パート3があるかもしれません。
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