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2020/01/23

■節子への挽歌4514:「変える」のではなく、「変わる」のを待つ

節子

昨日は日の出が見えたと思いましたが、すぐにまた雲に覆われてしまいました。
まるで私自身の気持ちのようでしたが、昨日はちょっと気持ちを変えて、少しずつ精神の平安を取り戻せ出せるような気分になりました。
ホームページの更新を少しだけやりました。

今朝は日の出はまったく期待できないような雲の熱さです。
まだ日の出まで1時間ほどありますが、無理でしょう。
昨夜、早く就寝したので、早起きしてしまいました。
本来は、日の出と共に起き、日の出とともに寝るのが理想なのですが。

昨夜は心配していた友人から電話がありました。
電話ができるのですから、少しずつですがいい方向に向かっているのでしょう。
今日の湯島のサロンにも出てくると連絡がありました。
私自身が気持ちを前に向ければ、周りも少しずつ変わるのでしょう。
自分か周りか、実際には循環しているのでしょうが、どこで向きを変えるかは難しいです。

いい方向には向かわないだろう友人からは、連絡が途絶えて3週間以上経過しました。
見舞いに行くかどうか悩ましいのですが、いまのところは行く勇気が出てきません。
変えられることと変えられないことを峻別して、変えられないことはすべて肯定的に捉えよという神学者ニーバーの言葉があります。
先日、あるところで話した際に紹介したのですが、これはその友人が実践していることでもあります。
彼の死に対する姿勢には、学ばされました。
そうした彼の死を乱すことはしたくありません。
それに、死の直前に友人に会うのを拒んだ節子のこと重なってくるのです。

しかし、最近の心境を言えば、たとえ変えられるとしても、それもまた素直に受け入れるのもひとつの生き方かもしれないという気持ちが少し出てきています。
「変える」のではなく、「変わる」のを待つということです。
人の生き方は歳と共に、やはり変わるようです。
それを素直に受け入れようという気持ちが最近強くなってきました。

まだ日の出まで時間があります。
年賀状でも読み始めようと思います。

 

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