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2020/01/20

■第6回万葉集サロン「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉-共有される歌々」報告

万葉集サロンも6回目となり、対象も宮廷人たちの個人の歌から生活の歌、東歌や防人の歌へと移りました。
最初に、升田さんは古事記歌謡の沼河日売の歌を詠みあげました。

八千矛の 神の命 萎え草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ のちは 汝鳥にあらむを 命は な死せたまひそ いしたふや 海人馳使 事の 語り言も こをば

「我(わ)鳥」「汝(な)鳥」、そして「神」もでてきます。
ちなみに、八千矛の神は大国主で、沼河日売(ぬなかわひめ)は求婚されたのです。
この歌だけでも1回のサロンができるような魅力的な歌だと思いますが、升田さんはそこから「〈わ〉と〈な〉、そして〈た〉- 共有される歌々」へと話を進めます。
今回は〈た〉がテーマなのです。

Manyousalon2001  

升田さんは万葉集における〈た〉は「他」ではなく、「神に対する人」であり、「多」だったと説明してくれました。
「他」は「ヒト」と読み、「ヨソ」という意味ではなかったのだそうです。
当時は「他人」という概念はあまりなかったのです。

同時に、万葉集には形容詞がほとんど出てこないとも話してくれました。
そして、「ヒト」は出身地とか住んでいるところによって区分けされるとしても、そのヒト自体を説明する形容詞がつく例は少ないとも説明してくれました。
本来、多様な存在であるヒトは、神の前に「ひとかたまり」としてとらえられたというわけです。
しかし、多の中からいろんな人の顔が見えてくる、多様性を維持した「ひとかたまり」です・
「他」ではそうはならない。

升田さんは、それを「同化することで成り立つ多様性」と表現しました。
だからこそ、詠み人知らずの歌が万葉集には多い。
というよりも、個人ではなく、みんなで詠った歌が多い。
だれかが歌うと(思いを表現すると)私もそうだと共振し合うことで、みんなの歌が生まれてくる。
歌を通して、多様なヒトが同化し、一つの多を育てていく。
いまもよく見る風景のような気もします。

そうした歌のいくつかを、万葉集十一、十二,十四から紹介してくれました。
これらの巻は似た歌が多く、「退屈」を感ずる人も多いようですが、それらの歌のわずかな違いを読んでいると、まさに「た」の意味が実感できる、と升田さんはその面白さを強調されました。

そして、そうした〈た〉のなかから、〈わ〉(吾:一人称))と〈な〉(汝:二人称)が生まれてきた。
〈わ〉と〈な〉の集まりが、〈た〉ではない。
ましてや〈た〉は「他」の集まりでもない。
そこには〈わ〉も〈な〉も含まれている。

とても共感できる世界です。

升田さんはそうした歌の中から、いくつかの叙事歌を読みあげてくれました。
選ばれた歌だったので、それぞれに面白く退屈ではありませんでしたが、当時の「た」の人たちが少し感じられました。

そうした共同体の中で共有された歌の中に、多様性と共に自己表現が感じられる。
それは現代における多様性とは違うのではないかと升田さんは言います。
そこにおける「自我」や「個人」も違うでしょうし、そもそも「共同体」とか「コミュニティ」とかの捉え方も違っているでしょう。
一時期盛んに言われた「ホロニックな全体と個人」を思い出します。

同化することで成り立つ多様性に対置されるものは何か。
升田さんはいろいろと説明してくれましたが、私はそれをうまく言語化できません。
私は「反発し合っている多様性」とか「つくられた多様性」をイメージしましたが、ちょっと違うような気もします。
それでメールで升田さんに質問しました。
升田さんからは「せめぎあう多様性」ではどうかという返信をもらいました。

「せめぎ合う」と「同化」。
いずれも「コミュニティ」につながっていく。
今度(123日)、予定している「コミュニティ」を考えるサロンのテーマにもなるなと思います。

このテーマで、万葉集の歌を詠まない万葉集サロンをもう一度お願いしたくなりました。

万葉集はともかく面白い。
改めてそう思うサロンでした。
私の関心はちょっとずれているかもしれませんが。

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