■報道が仕えるべきは、国民であって統治者ではない
昨夜、DVDで映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を観ました。
ワシントン・ポスト社主のキャサリン・グレアムの決断に感動して涙が出ました。
事実とは異なるのかもしれませんが、当時のアメリカの新聞人の生き方を象徴していることは間違いないでしょう。
ペンタゴン・ペーパーと言われる、アメリカ国防総省の「ベトナム戦争秘密報告書」が、ダニエル・エルズバーグによって暴露されたのは1971年です。
ニクソン大統領からの圧力にもかかわらず、ワシントン・ポスト紙が公開します。
そこから、国民の知る権利と国家秘密の保持をめぐる、アメリカ政府と新聞人たちとの法廷闘争が始まります。
しかし、その事件が引き起こしたもう一つの事件、ウォーターゲート事件もあって、エルズバーグもワシントン・ポストも敗訴することはありませんでした。
そして、国民のデモも広がり、アメリカはベトナム戦争から手を引くことになります。
当時私はまだ企業で働いていましたが、その衝撃はいまでも記憶に残っています。
私の生き方にも、ささやかな影響を与えたことは間違いありません。
エルズバーグは、むしろ保守的な国防総省職員で、ペンタゴン・ペーパー作成のスタッフの一員でした。
自分でも手記で書いていますが、高給取りでした。
にもかかわらず、自分が荷担していることの重大さに気づき、刑務所に入ることまで覚悟して、政府の欺瞞を暴いたのです。
キャサリン・グレアムは、会社の倒産まで覚悟して、公開に踏み切ったのです。
「知った者の責任」ということを、私は時々、ブログで書いていますが、エルズバーグもキャサリンもまさにその責任を果たしたのです。
私が感激したのは、そのことです。
事件の2年後に、エルズバーグの手記「ベトナム戦争報告」が翻訳出版されました。
そこには驚愕の事実が書かれていました。有名なトンキン湾事件です。
ベトナム戦争が本格化する一因となった事件は、アメリカが仕組んだものだったのです。
今回、映画を観て、改めて報道メディアの役割の大きさを考えさせられました。
ジャーナリストも大切ですが、メディアこそが大切なのかもしれません。
タイトルの「報道が仕えるべきは、国民であって統治者ではない」という言葉は、その裁判の判決での判事の言葉です。
日本のメディア関係者に聞かせたい言葉です。
ワシントン・ポストの現在のスローガンは「Democracy Dies in Darkness(暗闇の中では民主主義は死んでしまう)」だそうです。
しかし、大手メディアのオーナーの多くは、キャサリン・グレアムとは違って、メディアの存続を目的にしてしまっているようで、期待はできません。
いまや暗闇が、日本を覆い尽くそうとしています。
であればどうするか。
市民たちによる市民のメディアの動きもありますが、なかなか広がりません。
一度、このテーマで湯島のサロンをやってみようと思います。
関心のある方はご連絡ください。
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