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2020年2月

2020/02/29

■第7回万葉集サロン「万葉集の〈おの(己)〉」のご案内

〈わ(吾)〉から〈な(汝)〉、そして〈た(多)〉とつづいてきた万葉集サロンの7回目は、〈おの(己)〉です。
講師の升田さんからのメッセージをお読みください。

「人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る」(巻2-116)。
禁断の恋を貫こうとした但馬皇女のこの歌のように「わ」から究極の自己表出へと向かうかに見えた「おの〈己〉」だが、万葉後期に現れ平安朝に入ると急速に姿を消す。
和歌言語として定位置を占めることのなかったこの自己表現(再帰代名詞)は、「わ」とどのように対立(あるいは並立)したのであろうか。
記紀(宣命も)の「己」の意味を加えながら、「わ」と「おの〈己〉」との違いを見ておきたい。
そこからまた、万葉への新しい視野が拓けてくるように思う。

「われ」と「おの」の違いというのも魅力的なテーマですし、「万葉への新しい視野が拓けてくる」と言われると、期待がふくらみます。
講座型サロンですが、話の途中でも気楽に質問をしながら、脱線も歓迎の気楽なサロンですので、初めての方も大歓迎です。

ともかく万葉集は面白い世界ですので、それをちょっとずつ味わえればと思います。
友人知人もお誘いいただければうれしいです。

〇日時:2020年3月21日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「万葉集の〈おの(己)〉」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2020/02/28

■茶色の朝サロン(2020年2月)報告

2月の茶色の朝サロンは出入り自由の4時間に設定しましたが、9人が参加、半数以上の方が最初から最後まで4時間参加してくれました。
今回は、「新型コロナウイルス感染症問題から見えてくること」を一応のテーマにしましたが、議論はいろいろと広がりました。

今回のサロンから感じたことを一言で言えば、複数の参加者が指摘したように、日本はいま茶色一色の国家に向かっているのではないかということです。
今回の新型ウイルス騒動はそれを可視化してくれたように思います。
私自身は、「大本営発表」に従っていたかつての日本や国会議事堂放火後のドイツの社会は、こんな感じだったのではないかというような気がしています。

パンデミック議論もありましたが、これも言葉にだまされているような気もします。
パンデミックとは地域を超えた単なる大流行ではなく、全体や先行きが見えないために、人々が自己判断できなくなり、ちょっとしたことに過剰反応して右往左往し、社会から秩序志向がなくなってしまうことでしょう。
デミックの語源は“デモス”、つまり人々ですから、パンデミックはウイルスが起こすのではなく、人々が起こすわけです。
マスクが店頭からなくなり、一昨日あたりからトイレットペーパーなどまでも買占めされている有様は、まさにもうパンデミック現象が出始めているのかもしれません。
しかし、政府はなぜか事実把握さえにもあまり関心がないようです。

みんなの生活に直結している問題であるために、この騒ぎから政治のおかしさや問題がいろいろと指摘されました。
激しい怒りをぶつける人もいましたし、日本人の特性を解析してくれる人もいましたし、大騒ぎするような話ではないという私のような不謹慎な人もいました。
巷に流れている「新型コロナウイルス」生物兵器説や陰謀論も少し話題になりました。
もちろんオリンピックとの関係も話題になりました。
まあ、そんな話が、かなり具体的な話も含めて、話し合われました。

私は2つのことを感じました。
政府への信頼感が損なわれてきているとはいうものの、やはり私たちは政府の発表やマスコミ報道しか情報がないために、どうしてもそれを基準に考えてしまっているということです。
つまり、自分では気づかずに、「大本営発表」に基づいて考えているのではないかということです。

また、中国政府はうそを言うので信頼できないと言いながら、日本の政府は中国や韓国とは違うと思っている。
最近の日本政府が、数字を勝手に改竄してしまうことを体験したはずなのに、中国や韓国の政府とは違うとどこかで信じているのは不思議です。
政権批判をしながらも、自らきちんと考え責任を持って行動するのではなく、結局は政府の指示に依存し、みんなと同調してしまう生き方から抜け出せない。
重症になるまでは自宅で待っていましょうと言うような状況にさえ、素直に従ってしまうおかしさを改めて感じました。
この2週間が正念場というのもよくわかりませんが、なぜか信じてしまう。
私たちはみんな、いわゆる〈ぬるま湯の中のゆでガエル〉になってきているのではないかという不安を改めて感じました。

まあしかし、要するに私たち一人ひとりが免疫力を高め、こまめな手洗いを励行し、気をつけていくことが大切だ、というのが結論だったような気がします。
なにか肝心のことが報告されていない気がしますが。

ちなみに、3月1日には細菌学者の益田さんによる「なぜウイルスは感染症を起こすのか」のサロンがあります。
また3月末か4月上旬に、新型ウイルスに関する陰謀論や生物兵器説も含めて、ちょっと違った視点でのサロンを開催してもらうようにある人にお願いしています。

新型コロナウイルス感染症の一連の騒ぎから、とてもいろんなことが見えてきたことだけは間違いありません。
これをどう活かしていくかで、政治も経済も、そして私たちの生き方も、たぶん大きく変わっていくだろうことは間違いないような気がします。
さてどうなりますか。

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■節子への挽歌4541:西野薬師堂の千手千足観音

節子

東博の「出雲と大和」が突然休館になり、行けなくなったので、代わりに久しぶりに上野駅近くの長浜観音ハウスに寄りました。 
今回は、高月町西野の薬師堂の千手千足観音立像でした。

西野は節子の生家のすぐ近くです。
といよりも、節子の生家はもともとは西野から出た人たちによって生まれた村だった塔です。
節子は「七里小学校」に通っていましたが、その「七里」とは、もともと西野にいた人たちが、地震と津波に襲われ全壊し、住民たちが近隣の7つの村に移住したそうなのです。
ですから、節子の生家のある「物部」から西野はすぐ近くです。
したがって、西野の薬師堂の名前はよく聞きました。

物部を中心に観音様はいろいろとつれて行ってもらいましたが、西野の薬師堂にはいったことがありません。
あまりに身近すぎたためだったのかもしれません。
西野からむかしの遺跡が発掘されたと騒がれたことがありますが、その時には近くまで行ったのですが、まだ隔離されていた時期で、見ることはできませんでした。

ですから、今回、初めてその薬師堂の観音像に会いました。
といっても、今回展示されたのは薬師如来ではなく、千手千足十一面観音です。

こんなに見事な仏がいるのに、なぜ行かなかったのか、残念です。
千手観音は珍しくはありませんが、千足観音はめずらしい。
それに、観音のくせに不動明王のような忿怒相です。
そのかわりに、頭上の頂上の仏の顔の表情がとてもいい。
装身具も彩色の跡もわずかに残っていて、当時の姿をイメージさせてくれます。

節子が元気だったら、すぐにでも訪問して、節子がよくいっていた「西野のおばさん」から往時の村人たちと観音の付き合いの話も聞きたいものですが、そのおばさんももう亡くなってしまっています。
生前、法事などで何回か会い、お話もしましたが、まさに菩薩のような印象のある人でした。

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2020/02/27

■節子への挽歌4540:東博特別展「出雲と大和」が臨時休館

節子

今日、行こうと思っていた東京国立博物館の特別展「出雲と大和」が、新型ウイルス騒ぎで臨時休館になってしまいました。
一昨日報道されたテレビ番組で、特別展の紹介を見て、写真でしか会ったことのない四国の萬福寺や當麻寺の持国天立像も来ているというので、俄然、行く気が高まったのです。
ところが、昨夜、ユカから明日から休館だそうだと聞かされました。
気が乗ったところだったのでガクッとしてしまいました。
やはり今回は縁がなかったのかもしれませんが、とても残念です。

今回のメインは、出雲大社の心柱や石上神社の七支刀、荒神谷遺跡出土の青銅器などですが、荒神谷遺跡出土の青銅器は島根で見たことがありますし、心柱などもまあいいのですが、持国天たちに会えなかったのは残念でなりません。
先日、渕野さんから入場券もあるから一緒に行かないかと誘われた時に行けばよかったと後悔しましたが、まあ人生はそんなものでしょう。

さてさて今日の予定が狂ってしまいました。
午後は湯島でサロンなのですが、それまでどうするか。
家にいるとテレビを見続けそうです。
最近また、新型ウイルス騒ぎで、テレビの報道番組を見るようになってしまいました。

困ったものです。

 

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2020/02/26

■節子への挽歌4539:人の名前が思い出せなくなってきています

節子

最近、人の名前を思いだせなくなってきています。
いや人の名前だけではありません。
ちょっと危ないなと思うことがしばしばあります。

以前は、一度会った人の名前は大体において覚えられました。
ところが最近は、間違ってしまうことも時々起こります。
名前を間違うほど失礼なことはないのですが、そうした失礼をやってしまうことが時々あります。
しかし、これはまあなんとか対応できますが、名前を思い出せないで困ることが増えてきました。
現世での人のつながりを少しずつ減らしていきなさいと言うことでしょうか。
最近増えてきている訃報も、そうしたことのメッセージでしょうか。

そうやって世界が狭くなっていって、最後はふっと消えて行ってしまう。
そういうのが一番いいかなと時々思います。

私の死で悲しむ人が限りなくゼロに近いことが望ましいですが、そのためには友人知人がいなくなってからの死を目指さなければいけません。
それは無理なので、悩ましいわけです。

 

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2020/02/25

■節子への挽歌4538:自らの死と他者の死

節子

またサロンの仲間の訃報が届きました。
4月に網野史論パート3のサロンをやることになり、その内容の話をし始めたところでした。

共通の友人から今朝連絡が届きました。
心筋梗塞だったそうです。
まだ50代の、若き研究者です。
湯島のサロンで話すのを楽しみにしてくれていた人です。
あんな元気がいい人が、と信じがたいですが、たぶん私のなかではこれまでも生き続けるでしょう。

それにしても、人はいとも簡単に死んでしまう。
最近、死とは日常なのでしょう。
ことさら騒ぎ立てすることもないのかもしれません。

私が最近、死をあまりに素直に受け入れてしまっているので、もう少し健康に留意するようにとメールしてきました。
そういう彼自身が、私以上に死を素直に受け入れているのですが。
つまり、自らの死は素直に受け入れられますが、他者の死はなかなか素直には受け入れられないものなのです。

時々書いている気がしますが、自らの死と他者の死は、まったく違うものなのでしょう。

早く春になって、訃報から抜け出したいです。

 

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2020/02/24

■コムケアサロン「〈当事者支援者〉の現状と課題、そして今後」報告

14人の参加者があり、このテーマへの関心の高さを改めて感じました。
前日の政治関連のサロンは全員が男性でしたが、今回はむしろ女性が多かったのも印象的でした。そこにも現在の社会のひずみを感じます。

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最近は、支援の考え方も大きく変化してきています。
「わたし支援する人、あなた支援される人」というように、支援を一方向的に捉えるのではなく、相互に「支援し支援される関係」として捉えるようになってきています。
コムケア活動は、最初の選考会でも申し上げたのですが、ケアとはそれによって自らも成長していくことだという、ミルトン・メイヤロフの「ケアの本質」のメッセージを理念としています。
しかし、その考えはまだまだ「理念」の世界にとどまっているようにも思えます。

今回のテーマ〈当事者支援者〉は、そうした現状を象徴していると同時に、そうした状況をどうやって越えていくかという大きなメッセージが込められています。
つまり、理念的であると同時に、きわめて現実的なテーマであり、個別的であるとともに、普遍的なテーマです。

サロンは、実際に〈当事者支援者〉を名乗って活動している下さんが、実践を通して考えてきたことを参加者に問いかけることから始まりました。
そして、長年、発達障害の当事者としてさまざまな活動に取り組んできている冠地さんが、ファシリテートする形で参加者との議論を深めるような形で進められました。

下さんはまず、〈当事者支援者〉と言えるには3つの条件が必要ではないかと問いかけました。
・病気や障害などの困難な状況を経験したが、いまは生活者として最低限の回復をしていること
・体験や工夫を支援ツールとして活用できること
・支援者としての求められることを果たせること
話し合いはここから入りました。
当然ながら、「当事者」とはなにか、「支援」とはなにか、「生活者」とはなにかということが話題になりました。

つづいて、〈当事者支援者〉のリスク(気をつけなければいけないこと)と強み(当事者であればこそできること)が話題になりました。
そして、ピアサポーターとの関係や当事者開示に関する話し合いへと広がっていきました。さまざまな立場の人が参加していましたので、さまざまな視点からの事例の紹介や問題指摘、あるいは質問などが出されました。

〈当事者支援者〉という言葉や活動も、すでにいろんな形で広がっていますが、ともすると私たちは、〈当事者支援者〉と〈ピアサポーター〉を同じように捉えてしまいがちです。
しかし、その渦中にいる下さんや冠地さんにとっては、両者は全く違うものなのです。
支援の深さの違いぐらいにしか理解していない人も多いと思いますが、冠地さんの説明で、それらが全く異質なものであることを、今回私も気づかせてもらいました。

私が一番印象的だったのは、支援活動における「障害者の権利主張」という話でした。
〈当事者支援者〉と〈ピアサポーター〉の違いのポイントがそこにあるのかもしれません。
下さんの提案や話し合いの内容に関しては、私には十分に紹介する能力がありませんので、下さんの報告(フェイスブックで少し紹介されています)に任せたいですが、私の感想を書いておきます。

下さんや冠地さんは、プロの仕事としての〈当事者支援職〉の確立を目指しています。
そしてそうした取り組みを通して、日本の「支援」活動はもちろん、社会のあり方を変えていきたいと考えています。
そのビジョンにはとても共感しますが、そのためには、「当事者が支援活動をすること」の意味をしっかりと社会がシェアしていくことが大切ではないかと思いました。
同時に、「支援」の仕方はさまざまで、それらは上下関係にあるわけではなく、さまざまな支援のあり方が支え合い、補うことが社会を豊かにしていくという認識も、社会でシェアしていく必要があると思いました。
この点は冠地さんが繰り返し話してくれていました。

メイヤロフの言っている通り、支援活動を通して当事者も「支援」されるとすれば、〈当事者支援者〉という概念を広げていくことで、「当事者」とか「支援者」といった概念はなくなっていくかもしれません。
それは同時に、「支援」の質を高めていくことであり、さらに言えば、個別問題の解決を超えて、社会のあり方を変えていくことにつながるかもしれません。

一挙に話を大きくしてしまいましたが、冠地さんと下さんが目指しているのは、そうした大きな社会変革の話ではないかと思いました。
そうであれば、1回だけのサロンでは問題の存在を少しだけシェアしただけで終わってしまいかねません。
そうならないためには、この問題は湯島のサロンでも継続的に取り上げていきたいと思いました。

今回のサロンでは、下さんは自らの考えを出しながら、参加者との話し合いや冠地さんとのやり取りを通して、〈当事者支援者〉構想とその実践計画を深化させていっていたように思いますが、そうした場をこれからもまた開いてもらおうと思います。
また、下さんとは別に、大きな意味で〈当事者支援者〉構想につながっていくようなテーマのサロンを、コムケアサロンとして企画していきたいと思います。
問題の所在を知ってしまったら、それぞれにできることに取り組むことが、コムケアの精神ですので。

下さん、冠地さん
内容に関する報告や呼びかけがあれば、フォローしていただければうれしいです。

 

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■節子への挽歌4537:コムケア理念を思い出しました

節子

昨日は発達障害者関係のサロンをやりました。
いろんな人たちが集まりました。
テーマは〈当事者支援者〉。

話し合いを聞いていて、節子にも相談しながら取り組んでいた20年前のコムケア活動の理念を思い出していました。
いまもなお福祉の状況は変わっていないようです。

コムケア活動は、メイヤロフの「ケアの本質」に共感して、そこから「共創型相互支援」を理念にし、それを核にして私の生き方も踏まえて構想したものです。
一言で言えば、「わたし支援する人、あなた支援される人」というような支援はもうやめようという提案でした。
しかし、関係者も含めた参加者の話を聞いていて、事態は何も変わっていないのを感じました。
疲れがどっと来ました。

そもそも「当事者」とか「支援者」という言葉自体が、現状を象徴しています。
コムケア活動は、「コミュニティケア活動支援センター」が司式な名称でしたが、活動しているうちに「支援」という言葉に拒否感が出てきて、略称のコムケアセンターを使っていましたが、それ自体も昨年、使わないようにしました。
実体のすべても消去しました。
唯一残したのが「コムケアサロン」です。
昨日は、そのコムケアサロンだったのです。

もし節子が病に倒れなかったら、コムケア活動はどうなっていたでしょうか。
時々そう思うことがあります。
節子ではなく、私がきっと倒れていたでしょう。
そうならないように、節子が重荷を背負ってくれた。
時々そう思うことがあります。
だから簡単にはそうした活動から抜け出せないのかもしれません。

しかし疲れますし、空しさもある。
以前は喜びや充実感がありましたが、最近はむしろ失望感の方が大きくなってきました。
にもかかわらず、頑張っている人を見ると何か私にできることはないかと考えてしまいます。

困ったものです。

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■第6回リンカーンクラブ研究会「民主主義政治と合意形成」報告

今回は「民主主義政治と合意形成」がテーマでした。

新型コロナウイルス感染症が広がっているなかを、こういうテーマで10人も参加者があったのがうれしかったです。
昨今の感染症の報道状況や社会の反応を見ていると、いまこそ「政治」を語ることの大切さを感じています。

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それはともかく、今回はまず武田さんが「合意形成に関するさまざまな視点や課題」について、視点を整理してくれました。
つづいて沖さんも「合意形成のメカニズム」を、公共哲学や紛争解決などにまで視野を広げて、課題の整理をしてくれました。
そしていつものような話し合いと混乱と何となくの「寛容な合意」。

武田さんは、思ってもいなかったことから話しだしました。
合意を求める行為は足し算〈不等式〉に似ているかもしれないと言うのです。

これを文字で説明するのは面倒ですが、簡単に紹介します。
サロンの常連だった太田さんは、2つのリンゴと3つのミカンを見せられて、全部でいくつか、と小学校の時に先生に訊かれて、そのまま、2つのリンゴと3つのミカンですと答えたそうですが、別の同級生は、全部で5つですと答えて褒められたそうです。
この話は、湯島のサロンでは時々話題にでます。

この話を材料に、武田さんは、リンゴとミカンの概念を外して抽象化すると計算が可能になると言います。
つまり、リンゴとミカンの共通項を対象に捉え直し、たとえば果物はいくつかと問われれば太田さんも5つと答えたでしょう。
合意形成とは、要は対象を因数分解して、その共通項を合意していくことではないかというのです。
こうしたことを数式を使って、武田さんは解説してくれました。
とても分かりやすい話で、そこから政治における合意形成の話が広がるはずです。

選挙とは、人間の数値化でもあると武田さんは言いました。
政治学では、複数性というのがキーワードの一つですが(これは229日のアレントのサロンで話題になるかもしれません)、これからの社会を考える上でも大切なキーワードです。

次に武田さんは、合意形成の結果のパターンを説明しました。

多数決は一番多数の意見を、合意と見なす形です。
徹底的に話し合って、一つの意見にまとめる方法もあります。
お互いの違いを明確にして、共通する部分を合意とするパターンもありますし、違いを理解し合う “agree to disagree”というパターンもあります。
話し合いで、それぞれの考えとは別の、新しい考えを創発する方法もあります。
これも政治における合意とは何かを考える上でとても示唆に富む話です。

こうした視点や課題を武田さんや沖さんは出してくれたのですが、そのまま話し合いに進めばよかったのですが、政治における合意と生活における合意とは違うのではないかというような話が出てきて、いつものように議論はなかなか収斂に向かいませんでした。
しかしまあ、これが勉強会ではない湯島のサロンの特徴なのです。
話し合いの中からそれぞれがいろんな気付きを得ることが最優先ですので。

私は、合意という概念が出てきたのは、他者と自我を峻別できるようになり、人権概念が出てきた近代になってからだろうと思います。
そして近代政治の基軸にあるのは、「合意形成」だと今回改めて気づきましたので、武田さんに頼んで、このテーマをまたやりたいと思っています。
今回は議論の入り口で終わったような気がして、ちょっと物足りません。

武田さんを説得できれば、次回もこのテーマで行きたいと思っています。
他の魅力的なテーマが出てくれば別ですが。

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2020/02/23

■湯島サロン「農福連携から見えてきたもの…地域を支えるは小さな事業者の協働」のお誘い

長年、「農福連携」をテーマに「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を研究している熊本の宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所相談役)に、今年もまたサロンをお願いしました。
いそがしく全国を飛び回っていることもあって、案内が直前になってしまいましたが、ぜひ多くの人たちに聴いてもらいたいサロンです。

今回は、「農福連携から見えてきたもの」として、「地域を支えるはコミュニティ=小さな事業者の協働。小さいことはいいことだ!」というタイトルをもらいました。
宮田さんの取り組みは、産業視点ではなく、生活視点ですが、この半年は特に「小農論研究」に取り組んできたそうです。そして、「小規模事業体の持続的発展こそが地域が存続する保障」という結論にたどり着いたようです。

宮田さんには以前、コスタリカ現地視察を踏まえて、「マイクロミル革命」を紹介してもらいましたが、日本でも生活につながる小規模事業の協働体制に大きな可能性を見出しているようです。
福祉と農業のつながりに関しては、各地でさまざまな成果が生まれてきていますが、宮田さんはまさに「福祉」と「農業」の両分野の現場を往来しながら実践と研究を続けてきていますので、通常の報道(報告)からは見えてこないことにも気づかせてもらえると思います。

宮田さんの話は、時に脱線することもあるのですが、ご自身の生活につながる話が多く、単なる「知識」だけではない発見と示唆がもらえます。
農業関係者や福祉関係者に限らず、いろんな人に聞いていただき、いまの日本の「農や食」、そして「福祉」の問題を考えてほしいと思っています。

急なご案内で、しかも平日の夜の開催ですが、よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年3月4日(水曜日)午後7時~9時
(午後6時半から開場)
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「農福連携から見えてきたもの…地域を支えるは小さな事業者の協働」
〇話題提供者:宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所相談役)
〇会費:500
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

 

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■節子への挽歌4536:「出雲と大和」には行けそうもありません

節子

昨日また不思議な体験をしました。
昨夜、湯島のサロンに来た友人が、私に東京国立博物館で開催している「出雲と大和」の招待券をくれました。
私が行きたいと思っていることを知っていたからではありません。
彼は湯島のサロンに参加した後、行く予定だったのですが、なぜか入場券を2枚入手して、持っていたのです。
サロンでは私の隣に座りましたが、「出雲と大和」のパンフレットを持っていたので、これから行くのかと話したのです。
そうしたら、なぜか入場券が2枚あるのであげますと私にくれたのです。

そこまでは別に不思議はありません。

入場券をもらって、他の書類と一緒に手提げ袋に入れて持ち帰りました。
電車の中でその入場券が手提げ袋の底にあるのを見ましたので間違いありません。
というよりも、その時になぜか、この入場券をなくすかもしれないという気持ちが起こりました。
それでポケットに入れ直そうかとも考えましたが、それよりも袋に入れておいた方はいいと思い、改めてその券を袋の底におしこめました。

ところが今朝、サロンに行く前に寄っていこうかとその手提げ袋を探したのですが、入場券がないのです。
そんな馬鹿な!と思わずにはいられません。
でも、どこにもないのです。

実は先日、時間ができたので、行こうと思った時も、前日に急用が入り、行けませんでした。
2度もつづけて行きそこなったわけです。
ということは、行くなと言うことかもしれません。

最近、こうしたことが起こりだしているのです。

さらに問題は、入場券を探しているうちに、何やら不安感が高まってきました。
今も心臓がどきどきしています。
それを書いたらドキドキが止まるかと思って書き出したのですが、ますます不安感が広がっています。

出雲と大和の怨霊がまだ成仏していないのでしょうか。
しかしどうして私などに降りてくるのでしょうか。
困ったものです。

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2020/02/22

■節子への挽歌4535:塚田さんともう一度会えなかったのが残念です

節子

湯島で友人と話していたら、電話が入りました。
新潟の金田さんからです。
ちょっとドキッとしましたが、やはりドキッとする内容の電話でした。
最近、電話があるとドキッとするようになっています。

新潟水俣病の記録に取り組んでいた塚田さんが亡くなったという訃報でした。
塚田さんには2回しかお会いしていませんが、心に深く残っている人です。
最後に話したことは忘れられない内容でした。

挽歌にも書いているかもしれませんが、突然に奥さんの話をされ出しました。
新潟水俣病資料館を案内してもらった後、ロビーで2人になった時に、です。
静かな噛みしめたような話ぶりに、塚田さんの誠実な生き方が伝わってきました。

塚田さんは、その後も、新潟水俣病問題に関わっていましたので、東京に出てきたときに、湯島のサロンで話してもらえないかと金田さんに頼んでいました。

塚田さんと2回目に会った時のことをブログに書いています。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2014/09/post-1662.html

新潟水俣病に関する塚田さんのメッセージをきちんと聞いておかなかったことが悔やまれます。

塚田さんは、今頃、先に逝った奥さんと会っているでしょう。
ちょっとうらやましい気もしないでもありません。

 

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2020/02/21

■湯島サロン「21歳の私が望む未来」のご案内

先日、21歳の内村真菜さんに「宇宙」をテーマにしたサロンをやってもらいました。
宇宙の話もさることながら、若者が素直に自らを語ってくれることに、そしてそういう話に社会で少し疲れている大人たちが耳を傾け、対話することに、いろいろな気づきをもらいました。

そこで、若者が自由に話すサロンを考えつきました。
「若者からのメッセージ」サロンです。
定期的に開催していきたいと思っています。

その第1回目を、最近出会った安藤令奈さんにお願いしました。
彼女は、四国の西条市で育ち、いまは東京で暮らしている大学生です。

令奈さんは、私から見れば、「今様」であって「今様」でない、新鮮な若者です。
しっかりしたビジョンもあり、自らのミッションの自覚も行動力もある。
私などよりはよほどしっかりしていますが、いささか危ういところも感じます。
現代の社会には、たくさんの魅力的な罠が用意されているからです。

そんな彼女に、自由に語ってもらい、その後、彼女の問いかけを中心に、自由に話し合ってもらおうと思います。
ちなみに、彼女の現在の関心事のひとつは「教育の仕組み」のようです。
令奈さんがどういう若者かは、彼女からのメッセージをお読みいただくのがいいでしょう。

はじめまして。安藤令奈と申します。
佐藤さんとご縁があり、コモンズ村でお話させていただくことになりました。
初めは、「私に話せることなどありません」と謙遜していたのですが、「あなたの全てを話してください」と言われ、自分を言語化させていただく絶好の機会を頂けることになりました。
私は11年間、空手道や書道を稽古しており、現在合氣道を初めて4年目になります。
いままで体得してきた“道の精神”をもととし、新たに“合氣”を稽古しています。
また、愛媛の田舎で育ち、東京に進学後、アメリカへ留学して様々なカルチャーショックを感じました。
そんな私が、未熟なりに現代とこれからの未来について考えます。
和気藹々とした会にしたいと思っておりますので、よろしくお願い致します。

意気込みと同時に、彼女の人柄も感ずるでしょう。
疲れてきている大人たちにはついていけないかもしれませんが、元気をおすそ分けしてもらえるかもしれません。
宇宙人のように感じている若者たちへの理解が少し深まるかもしれませんし、若者の志に対してちょっとだけ長く生きている立場からアドバイスできるかもしれません。まあ受け入れてもらえるかどうかは保証できませんが。
あるいは、若者の素直な目から「裸の大人たち」の化けの皮をはがせてもらえるかもしれません。
いずれにしろ、世代を超えた話し合いから、お互いにいろんな示唆が得られるのではないかと思っています。

さてどんなサロンになるか。
きっと世界が広がると思います。

〇日時:2020年3月29日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「21歳の私が望む未来」
〇話題提供者:安藤令奈さん(21歳の大学生)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌4534:最近は支払いも難しくなりました

節子

昨日、孫のにこと娘たちと一緒に近くの夢庵で昼食を食べました。
このレストランは、高齢者だと5%引きなのです。

私は、いまでも財布は持っていませんし、お金の支払いは娘たちにすべて任せていますが、そんなわけでこのお店だけは私がレジに行きます。
といっても、支払いはカードなので、お金は一切使いません。

ところで最近またネットでカードをつくってしまいました。
ヤフオクとかいうショップで買い物をしようとしたら、カードをつくらないとならないといけないと言われたのです。
それでいろいろとパソコンをやっていたら、Tカードとpaypayにも入ってしまいました。

それも使いたくなって使ってみました。
そうやっていろんなカードができてしまうのですが、実際にはすぐ使わなくなってしまいます。
娘からは注意されていますが、時々、魔が差したようにカードをつくってしまうのです。
困ったものです。

ところで昨日のカードの話です。
夢庵で食べたのですが、高齢者は5%引きです。
そのうえ、新聞チラシにサービスクーポンがついていて、選んだメニューの2つがその対象でした。
さらに楽天カードで支払ったので、楽天ポイントが付きます。
さらにTカードの点数まで付きました。

ということで、何やら実にややこしいのです。
カードによって割引まであるようです。
私も何やら頭が混乱して、わけがわからないことがあります。
私だけではありません。
今日はお店の人も混乱して、やけに時間がかかっていました。

なにやらポイントがたまっていて、無料で買えたこともありますが、
銀行残高が不足していて、カードが引き落とせなかったこともあります。

昔はすべて支払いは節子で、お金の負担も節子でしたが、こう複雑になると、節子にはたぶんついていけないでしょう。
節子も私と同じで、節約化でしたが、金銭感覚はあまりないうえに、計算も苦手でしたから。

 

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■節子への挽歌4533:不在になって初めて気づくこと

節子

先日、高血圧予防のための“酢たまねぎ”を創ろうと、玉ねぎをスライスしていたら、手が滑ってしまい、右手の人差し指の指先を数ミリ、スライスしてしまいました。
すぐに手当てをして出血も少なかったのですが、以来、指先にはバンドエイドをしています。
スライスされた指先は、数日たつのに、いまもそのままで、治る気配がありません。

痛みはないのですが、不便で仕方がありません。
朝は顔もうまく洗えないし、パソコンでも人差し指が仕えません。
これまで指先などはまったく気にしていなかったのですが、これだけのことでこんなに不便を味わうとは思いませんでした。
身体のいずれもが、同じように、普段は気づかなくても、私の生活を支えてくれているんでしょう。
身体は大事にしなければいけません。

節子もそうでした。
元気な時には、そのありがたさをあまり意識したこともありませんでしたが、いなくなって初めてその大きさに気づきました。

いや伴侶だけではありません。
身体のいずれの部分も大切なように、家族はもちろん、友人知人もみんなそれぞれに私の人生を支えています。
普段は気づいているようで気づいていない。
不在になって初めて、その大切さに気付くものです。
いない方がいいと思っている人さえも、いなくなるとその大切さに気付くものです。

すべてはすべてで成り立っている。
小さな指先の怪我から、気づかされることもたくさんあります。

 

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2020/02/20

■節子への挽歌4532:我孫子市中里薬師堂の薬師三尊像

節子

近くの市民プラザで、我孫子市中里薬師堂の薬師三尊像と十二神将像の修復完成の記念展示会がありました。
その存在すら知らなかったのですが、先日、新聞で知って、見に行ってきました。
予想以上の素晴らしいものでした。

18世紀の作品のようですが、十二神将すべてが揃っているのも貴重です。
とても素朴な作りですが、色彩をほどこされた跡もあり、普段は薬師堂に並列して鎮座しているそうですが、今回は薬師三尊を守る形で立体的に置かれていました。

いつも薬師堂のお守りをしているという、中堂の諏訪神社の中野さんに少しお話をお聞きしました。
中野さんも、こんな形で拝むのは初めてだそうです。
薬師三尊と十二神将は明らかに作風が違いますが、それがまた全体の世界を豊かに感じさせてくれています。
薬師如来と脇侍をみくらべると、そこにもちょっと違和感がありますが、薬師如来もいかにも東国という感じで、親しみを感じます。

昨年、新相馬霊場めぐりをしたときには、中里薬師堂は含まれていなかったので、立ち寄りませんでしたが、こんな見事な像があったとは思ってもいませんでした。
調べたら、以前は真言宗豊山派の宝蔵院の薬師堂だったのだそうです。
節子がお世話になっている宝蔵院と同じ名前です。
明治時代に中里の宝蔵院は廃寺となりましたが、薬師堂は地域のお死者さん代わりになって大事に守られたのでしょう。
中野さんも、子ども時代は歯が痛くなるとここに快癒願いに来たと話していました。
歯医者さんなどなかったのだそうです。

見ていた飽きない感じでした。
一体ずつの仏像は、とても素朴で、私にはちょっと退屈でしたが、全部が並ぶと何やら不思議なパワーと雰囲気が生まれてきます。
先日まわってきた京都のお寺の仏像たちとは大違いですが、こちらの方がむしろ声が聞こえてきそうです。

節子が元気だったころ、滋賀の“かんのん道”沿いの観音めぐりをしました。
あの頃は本当にたくさんの仏たちに会いました。
みんな地元の人たちと一緒に生きているという感じでした。
今回見せてもらった仏たちも、中里の人たちと一緒に、長い時間を過ごしてきているのでしょう。

節子がいたら、ゆっくりと中里薬師堂に拝みに行ったかもしれません。
我孫子市にも、まだまだ仏たちがいるのです。
また新相馬霊場めぐりをしたくなりました。

 

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■湯島サロン「私たちは無用者階級になるのか」のご案内

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』はお読みになった方も多いと思います。
人類の起源から未来(終焉?)までの壮大なドラマを描いた大作です。
でも私にはあんまりおもしろくはありませんでした。
しかし、あまりにも話題なので、『ホモ・デウス』に関しては、一度、サロンも開催しました。

ところが、ハラリの作品にとても共感して、サロンでもよく話題に出す人がいます。
自称「文明デザイナー」の坪田知己さんです。
その坪田さんから、一度きちんとしたハラリのサロンをやりたいと言われました。
坪田さんは、ハラリのメッセージの中に、私たちの未来を見ているのです。
私の本の読み方はかなり主観的なので、ハラリのメッセージを受け止めそこなっているかもしれません。あれだけ話題になったのですから、いろんなメッセージを発しているはずです。
それに坪田さんは、読んだ本のポイントをとてもわかりやすく解説してくれる人ですので、坪田さんの話を聞くと理解が深まるかもしれません。
そこで、ハラリの新作が出たことでもあるので、ハラリサロンを開くことにしました。

坪田さんからのメッセージを下記します。

ハラリの3冊「サピエンス全史」「ホモ・デウス」「21Lessons」を読んで感じるのは、人間は自分の長所を伸ばしたことで、自分の首を締めるということです。
リニアな成長神話に警鐘を鳴らしています。
そして、将来、人類は1%の富裕層が支配して、99%の人間は働く必要もなく、ただ生きているだけの「無用者階級」になるということです。つまり「存在意義の喪失」です。
いろんな論点がありますが、
1)ほんとうにそういう世界が来るのか?
2)無用者階級は何を「人生の意義」にするのか?
25分ぐらい、ハラリの3冊の要約を話します。
その後、上記の論点で話し合いたいと思います。

読書会ではありませんので、ハラリの本は読んでいないという人も歓迎ですが、できればどれか1冊でも読んできてもらえると話し合いがより楽しくなると思います。

〇日時:2020年3月7日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「私たちは無用者階級になるのか-ハラリのメッセージをどう受け止めるか」
〇話題提供者:坪田知己さん(文明デザイナー)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■嘘つきに囲まれていると嘘つきになっていく

森友問題はどうも結局、国民受けのする茶番劇で終焉してしまいました。
いまや司法の独立性は、夢のまた夢といった感じです。

もはや日本は法治国家ではないことを私たちは認識しなければいけません。
事実が「現実」から引き離されて、誰かによって構築されてしまう。
まさに、いまの社会は、だれかが勝手に構築した嘘の上に成り立っている。
「判決は冤罪、日本は冤罪だらけです、不公平な司法」という、籠池さんの奥さんの姿に、ちょっと共感してしまいます。

国会での野党の追及は、一見するとそうした「つくられた現実」の虚構性を暴こうと頑張っているように見えますが、そもそも、相手が構築した「嘘の上」の現実を基盤にして取り組んでいますから、勝負は最初から決まっています。
いや、捉えようによっては、相手の嘘づくりに加担しているようにさえ見えてきます。

嘘は素直な目で見れば、おのずと見えてきますから、証明などする必要はありません。
その嘘の上に論理や批判を構築していたら、すでにもう嘘の世界で生きていることになってしまいます。
「王様は裸だ」と言えばいいだけの話です。
籠池さんの奥さんのように。

桜を見る会の話で言えば、安倍政権が嘘を言っているのはだれの目にも明らかでしょう。
あるいは森友問題でも行政文書が廃棄されたなどという話は、素直な目を持っていれば、誰にも明明白白としか言いようがない。
素直に考えたら、明確な話が、なぜか難しくなり、嘘を証明しなければいけないような、無法国家になってしまったような気がします。
しかし、多くの国民はそれに唯々諾々と従って、身を任せている。

心理学者のユングが、その著書でこう書いているそうです。

ローマ人はだれもが奴隷に囲まれていた。奴隷とその心理が古代のイタリアに氾濫していた。そして、ローマ人はだれもが、心のなかで、もちろん無意識にだが、奴隷となった。たえず奴隷の雰囲気のなかに生きていたから、無意識を通じて奴隷の心理に冒されたのであった。このような影響から自己を防衛できる人などいなかった。

まさに今の日本の社会はこうなってしまっているのではないか。
そんな気がしてしまうほどに、昨今の日本はおかしくなっているような気がします。

嘘だけはつくまい。
誰かの言葉や書物からではなく、自らの目や体験を大切にしていこうと、改めて思いなおしています。
新型コロナウイルス騒ぎにも、踊らされないようにしようと思います。
安倍首相を見習って、次々と同じような人が育っているのが恐ろしいです。

 

 

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■茶色の朝サロン(2020年2月)のご案内

2月のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を227日(木曜日)の夕方開催します。
最近、土日がテーマサロンで埋まってしまい、なかなか日程が取れません。
ですから今月も前回同様、ちょっと長目で出入り自由にして、お時間が許す時にぶらっと気楽に立ち寄ってもらうようなスタイルにしました。

テーマは特に決めていませんが、参加した人が話し合いたいテーマを出してもらうようなスタイルで、生活の視点から緩やかな政治を語り合うサロンにしたいと思います。

誰でも歓迎の、ゆるやかな雑談会です。
お気軽にご参加ください。

〇日時:2020年2月27日(木曜日)午後4時~8時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「最近ちょっと気になることを話し合う」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。

「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。

http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 

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■節子への挽歌4531:大宰府の記憶

節子

昨夜は早く寝たので、体調も回復しました。
今朝は高血圧も気にならなくなりました。

昨日、お菓子を2つもらいました。
ひとつは太宰府のお土産、もう一つは新川の梅花亭の大福です。
いずれに老舗の銘菓です。

太宰府のお菓子は「御門の華」、太宰府天満宮の梅を漬けた紫蘇と橘の実をつかったお菓子です。
久しぶりにいただきました。
以前、大宰府に行ったときにいただいたことがあります。

大宰府は、もう10年ほど行っていないのですが、太宰府にお住いの知人が先週、上京したのですが、会えなかったので、友人に託したのを昨日、受け取ったのです。
太宰府は、最初に歩いた時に不思議な既視感におそわれたところです。

これまで2回ほど、そうした感覚に襲われたことがあります。
1回は、高校の修学旅行で奈良の薬師寺に行ったときです。

薬師三尊を見ている時、突然、何やら喧騒を感じたのです。
平城京の人びとのざわめきのようでした。
それですっかり薬師如来が好きになってしまいました。
しかし、その後、何回か薬師寺には行っていますが、一度もそうしたことは起こらず、むしろつめたい無機質さを感じ、次第に薬師寺が退屈になってきました。
5年ほど前に行ったときには、薬師寺の西塔も復元されていたのに、とても小さく感じました。
説明してくれた僧侶も、とてもいやしく感じました。

2回目は、25年ほど前だったと思いますが、太宰府政庁跡を歩いていたら、突如、タイムスリップしたような既視感におそわれたのです。
それで、ここにむかし住んでいたと確信したのです。
最後に行ったのは、彼岸に行った節子と話をするためでしたので、10年ほど前でしょうか。

その時も、いつものように観世音寺に立ち寄りました。
観世音寺は、いまは寺院自体のほぼすべては消失していますが、数体の仏像が講堂に集められています。
その仏像がひしめく空間に一人で座っていると、まさにタイムスリップ、というよりも、スペーススリップしたような不思議な感覚になります。
運がよければ、彼ら仏たちとも話ができます。

太宰府にはそういう思い出があります。
九州にツアーで家族旅行した時に、なぜか台風か何かで大宰府には行けなかった記憶もあります。
太宰府のお菓子を節子に供えながら、いろいろと思いだしました。

 

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2020/02/19

■節子への挽歌4530:血圧がちょっと高いようです(2020年2月19日)

節子

お昼頃、電話がありました。
快気祝いをやろうかと思っていた友人からでした。
昨日、定期検査に行った結果の連絡がなかったので、きっと思った通りのいい結果だったのだろうと思っていました。

ところが、結果は反対でした。
出かける直前の電話だったので、頭が混乱しました。
やはり癌はそう簡単ではないのです。
楽観視していたことを、改めて反省しました。

夕方、もう一人に気になっている友人に会いました。
こちらはだいぶ元気になっていました。

良いことがあれば悪いことがある。
まあこれが人生なのでしょう。
そして、悪いことがあればこそ、良いことがあるのです。

夕方から急に頭が重くなってきました。
この数か月、忘れていた高血圧がどうもさらに高まっているようです。
今朝から酢タマネギを食べ始めたのですが、それで血圧のことお思い出してしまったのかもしれません。

せっかく気が動き出して、意欲が出てきたのですが、ちょっと頭がおかしい。
1日中、マスクをしていたせいでしょうか。
早いですが、お風呂に入って寝てしまうことにしました。

困ったものです。

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■節子への挽歌4529:マスクが店頭から消えました

節子

新型コロナウイルス感染症のために薬局からマスクが消えました。
どうして日本人は、こうやって買い占めてしまうのでしょうか。
みんなで分かち合えば、十分に足りているでしょうに、不安が高まって、不要に買い占めてしまうわけです。

いま思えば、節子もそうだったような気がします。
いや節子の場合は、別に不安がなくても、家にあるのを忘れて重ねて買ってしまうことが多かったかもしれません。
私の肌着がたくさん出てきたり、自動車の洗車カードがたくさん出てきたり、まあ無駄も多い人でした。
私も同じようでしたので、あまり言えませんが。

今日は様子を見に2店の薬局に行ってみました。
そういう話を聞くとついつい現場に行きたくなるのが私なのですが、節子はいつも付き合ってくれました。

今日は娘に便乗し、買い物ついでに寄ってもらいました。
いつもは駐車場がすいている大型ドッグストアがなんと駐車場がいていないほどでした。
店内も混んでいて、しかもみんなマスクをしています。
開店前から並んでいる人も多く、開店したらすぐなくなってしまうそうです。
わが家の文化ではありません。

節子がいたらどうしたか。
ちょっと興味がありますが、確かめようもありません。
もちろん私はマスクを買うつもりはありません。
わが家にある常備品のマスクを大事に使用しています。

 

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2020/02/18

■節子への挽歌4528:天龍寺の記憶

節子
金閣寺を書いたので、天龍寺もついでに書きます。

天龍寺は節子とは何回か行きました。
渡月橋近くで家族で宿泊した記憶もあります。
理由は思い出せませんが、家族みんなで嵐山の駅まで走った記憶もあります。
すべては今やあいまいな記憶でしかありませんが。

節子と最後に天龍寺に行ったのは、たぶん癌が発見される前の年だったと思います。
方丈の入り口につづく部屋で、2人で曹源池を見ていたら、たくさんの外国人がグループでやってきました。
その騒ぎで何となく気がそがれてしまい、方丈だけで出てきてしまった記憶があります。
そのことだけが記憶に残っています。

今回はじっくりと庭を歩いて、北門まで行きました。
娘が北門の後ろの竹林の道が最近は人気で、人であふれているらしいというので、そこものぞいてみましたが、最近の新型肺炎騒ぎで、この日は人がほとんどいませんでした。

P1040005

そこからまた法堂もどりに特別公開の龍に会いに行ったのですが、残念ながら土日しか公開しておらず、会えませんでした。
20年近く前に、節子と寄った竹細工のお店はまだありました。

近くの渡月橋もほとんど人がいませんでした。
こんな渡月橋は初めてです。

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■節子への挽歌4527:金閣寺の記憶

節子

先日、京都に行ったときに久しぶりに金閣寺に寄りました。
ここは節子との最後の京都旅行の時にも立ち寄ったところですが、ほかにも深い思い出があるところです。

節子に「結婚でもしてみないか」と声をかけて、節子の両親にメッセージを録音して送りました。
そこから大騒ぎになりました。
節子の両親が慌てて私に会いに京都まで出てきたのです。

それはそうでしょう。
どこの誰かもわからない、いささか常識はずれの結婚申し込みに、親族会議が開かれ、節子の本家からは大反対にあったのです。
それに当時はまだ節子の姉が結婚もしていませんでした。
まだ伝統的な文化が残っている滋賀のことですから、都会の者に騙されるのではないかと思われても仕方がありません。

たぶん会ったのは京都でした。
喫茶店だったような気がしますが、まあ私と話して納得してくれました。
幸いに節子の両親は柔軟な発想をしてくれる人だったのです。

そしてその時か、改めて環境は思い出せませんが、節子の両親と一緒に4人で金閣寺に行ったのです。
何で金閣寺だったのかも覚えていませんが、節子の両親が金閣寺の裏山の小道を歩いている写真がわが家の廊下に飾ってあるのです。

その坂道を、今回も歩いてきました。
もう50年たつのに、坂道は変わっていませんでした。

今回、京都を歩いて、かつての記憶が生き生きと蘇る場所と全く蘇ってこない場所がありました。
その理由はわかりませんが。

Kinkakuji

 

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■不謹慎な思いから抜け出せません

今朝、フェイスブックに書いたら、意外と肯定的な人が多かったので、ブログにも転載することにしました。

最近、世間の動きに対する反応拒否症に陥っていました。
新聞やテレビの報道にもほとんど関心がなくなっていました。
ほとんどが「意味のない報道」のように思えるからです。
安倍首相の「意味のない質問」という発言は、いまの時代を象徴している「名言」のような気がします。
自ら「意味のない答弁」をしている人でなければ言えない言葉です。

しかし、「意味がない」ということは、別の意味で「大きな意味」を持っているということです。
そういう意味では、「意味がある報道」が増えてきていて、世界を覆い尽くさんとしています。

新型コレラウイルス感染症が、いよいよ“パンデミック”状況を呈し始めました。
政府による健康管理が加速され、生政治がはっきりと見える形になってきました。
国民は自らの健康まで、政府に依存しだしました。
この2週間の報道をみていると改めてここまで来たかと驚きます。

豚コレラの殺処分の報道とクルーズ船での隔離の報道は同じように見えてしまいますし、その先には私たちもきっと殺処分に向かっているのだろうなどと妄想してしまいます。
こんな言い方は不謹慎ですが、豚や鶏の殺処分報道のたびに見えていたことが現実になってきました。
家畜の大量殺処分に違和感を持たなくなれば、次は自分たちであることは当然の結果です。
あの時に、声をあげなかった責めは受けなければいけません。

そんなわけで、数日前からテレビ報道をまた見るようになりました。
テレビを見ていると、来週以降、日本は大変な状況になりそうですね。
〈不要不急の行為〉は差し控えなければいけないようです。
その方針に反対ではありませんが、〈不要不急の行為〉にこそ価値を認めてきた私としては、ますます生きづらくなりそうです。

いや、もしかしたらそうではないかもしれません。
2週間前の京都観光のように、むしろ生きやすくなるかもしれません。
東京国立博物館の「出雲と大和」もすいているかもしれません。
もちろん感染症の拡散媒体にはならないように万全の注意を払いますが、ますます不要不急の活動に精出そうと思います。

まあ、私自身が「不要不急の存在」ですから、消えた方がいいのかもしれませんが。

 

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■節子への挽歌4526:新型ウイルスの広がり

節子

新型コロナウイルス感染症が予想通り広がりだしました。
今回はクルーズ船がウイルスの培養場になった感じです。
システムの劣化をまさに毎日体験していた気がします。

最近テレビの報道番組は、精神衛生上よくないので見ないのですが、この段階になるとどうしても見てしまいます。
昨日は〈不要不急〉の外出はやめるようにとの呼びかけが政府からありました。
まるでもっと大切なものから目を背けさせるようにも思えますが、異常なほどの報道です。
つくられたパンデミックの感があります。

ずっと書かずにいたことを今朝、フェイスブックに書きました。
不謹慎と叱られると思っていたのですが、意外に肯定的に受け入れられているようです。
若い友人がシェアさえしてくれました。

私自身は、いまは現世にはまったく魅力を感じていません。
節子が元気だったころに比べれば、生きているとさえ言えないかもしれません。
友人たちは、私ががんばりすぎだと言いますが、まあ今の生き方は「惰性」のレベルです。
時に何か新しいことも始めますが、それは退屈だからです。
この心境は、なかなか人にはわかってもらえないでしょう。

パンデミックに向かうような状況を、もし節子がいたらどう受け止めたでしょうか。
その人の立ち位置で、世界はまったく違って見えることを改めて感じます。

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2020/02/17

■節子への挽歌4525:チュリープは届き、桜が咲きました

節子

新潟の金田さんからまたチューリップがどっさり送られてきました。
体調不良の中をわざわざ買いに行ってくれたそうです。
早速、節子に供えさせてもらいました。

Tulip202002162

今日は我孫子はあったかかったので、庭の河津桜も咲きました。
節子が病気になってから、河津桜を見に行ったときに、2本、購入してきましたが、手入れ不足で一本は枯れさせてしまいました。
残りも枯れそうだったのですが、復活しました。
大きな鉢に植えています。

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私の気分もかなり楽になりました。
腹立たしいことは相変わらず多いですが、春になると心も和やかになるものです。

今日は穏やかな1日でした。

 

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■湯島サロン「外来生物が日本の自然に与える影響」報告

ハイパー・ナチュラリストの木村幸一郎さんの話は、自然への素朴な関心を忘れがちな現代人にとっては、いつも新しい発見があります。
今回のサロンを思い立ったのは、知人からパピルスをもらった時に地植えなどしないようにと注意されたのがきっかけでした。
外来種が問題になっているということは知っていましたが、しっかりと考えたこともなく、花屋さんにめずらしい植物があるとついつい買ってきてしまっていました。
パピルスは大好きなのですが、いつもうまく育てられていません。
そう言えば、わが家の最後の愛犬も外来種でした。

残念ながら新型ウイルスの流行で参加をやめた人もあって、参加者は5人と少なかったのですが、木村さんの話はいつものことながらわかりやすく、話も適度に脱線するので、とてもゆるやかで学びの多いサロンになりました。
しかし、宇宙のテーマにあれだけの人が集まったのに、私たちの身近な生物の話には、どうして人は集まらないのか、とちょっと不思議でした。

外来種とは何かという議論も、改めて考えてみるといろんなことを気づかせてくれます。
「他地域から人為的に持ち込まれた生物」というのがおおかたの理解でしょうが、「他地域」とはどこか、「人為的に」ではなくやって来た生物はどうなのか、など、考えていくといろんな問題にぶつかります。
さらに、生物たちは地域をどう捉えているのだろうか。
自らの生息範囲を広げるという捉え方をすれば、生物にとっては当然の行為ですが、人間であれば戦争が起こるかも知れません。
などと考えていくと、興味は際限なく広がっていきます。

木村さんは、外来種が引き起こす問題として、「捕食」「競合」「交雑」「感染」の4つをあげて説明してくれましたが、外来種がもたらすメリットも少なくありません。
そもそも「稲」も外来種ですから、外来種=悪と考えてはいけないという木村さんの話にはとても共感できます。
人工的に造ったビオトープには、そもそも外来種などという概念がない、と木村さんは言いましたが、まだ私自身、そのメッセージを十分に消化できていませんが、それも大きな気づきのひとつでした

私はどんな問題も、いつも自分の生き方につなげて考えてしまいますので、案内文にも書きましたが、私にとっては外来生物には人間も入りますし、ウイルスも入ります。

日本は島国なので、比較的、生態系が安定してしまい、異質なものへの脆弱性が生まれてしまうため、外来生物が入ってくると、生態系のバランスが崩れやすく、外来種に負けてしまうという話は面白かったです。
つまり「アウェイ」の場のほうが、侵入者にとっては活躍できるというわけです。
「ホーム」に安住していると、いわゆる“ゆでガエル”になりかねない。
もちろん事実はそんなに簡単ではないでしょうが、アウェイの場でこそ活動しやすいということを、いろんな問題(たとえば、引きこもり問題や居場所づくり、コミュニティ議論)につなげて考えると視野が広がります。
私には、目からうろこの気づきがいろいろありました。
世界の歴史は動物が媒介する感染症が大きな役割を果たしているという、ジャレド・ダイアモンドの話もでました。

木村さんは、外来種生物を写真を見せてくれながら、いろいろと解説してくれました。
その紹介をしだしたらきりがありませんが、またどこかで木村さんが講演をするときに、ぜひ聴きに行かれるといいです。
親子で聴くともっといいでしょう。
木村さん、公開型の講演会をするときには、ぜひ案内してください。

実は、私がどうしても4時に退席しないといけなかったので、話し合いの報告はできません。
土壌汚染の話や朱鷺の話、さらには脱成長経済の話まで広がったようですが、参加されたどなたかがフォローしていただけるとうれしいです。

生物の世界は、私たちの生き方と深くつながっています。
生物や自然への関心を高めていきたいと思います。
最近話題の新型コロナウイルスにもちょっと親近感が生まれます。

Gairaishu200215

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■節子への挽歌4524:吉田さんからのアドバイス

節子

前回書いた吉田さんは、同期ですが、大学院に行っているエンジニアなので私よりも年上です。
だから会社時代からずっと私のことを心配してくれていました。
今回も、挽歌などを3日かけて読んでくれたそうです。
そして案の定、私がいろんな相談に乗っていることを心配してくれました。

節子さんが居れば、ブレーキをかけてくれる場面も多々あるのでしょう、とも書いてきてくれました。
何でも受けてしまうことを心配してくれ、それでは心も体も維持できません、自分を追い詰めないようにして欲しいものです、とアドバイスしてくれました。

ただしこうも書いています。

貴兄にも、多少いい加減なところがあって、それで(追いつめられることから)逃れているのかもしれません。
挽歌を通して貴兄が節子さんと交流している必要を感じます。
もっと相談してください。

挽歌をもっときちんと書けと言っているのです。
最後に吉田さんはこうも書いています。

その節子さんの顔を思い出せません。
あのセーターに襟巻だけの佐藤修の姿はすぐ思い出しますが、その隣にいる女性の顔が何故か霞んでいるのです。

昔のことを思い出してしまいました。

 

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■節子への挽歌4523:またシンクロニシティが始まりました

節子

先日京都に行ったときに、醍醐寺にも行きました。
醍醐寺は、私が会社に入社して、大津に配属になった時に、同期の吉田さんと成藤さんの3人で、行ったところです。
その記憶がずっと残っていて、今回は娘に頼んで特に行先に入れてもらったのです。
醍醐寺でも、その話を娘にしていました。

ところが、京都から戻って数日して、その吉田さんから、こんなようなメールが来ました。


先日、佐藤さんはどうしているかな?と思い、貴兄のブログを開けてみたら、例の挽歌が無い! 
やめるとは思えないので、別のアドレスでも作ったのかと思い、初めてネットで調べました。
そして、初めて第1号「告別式での挨拶」を読みました。 
http://cws.c.ooco.jp/kokubetu.htm
 
涙が出ました、私はこのようなときは素直で、堪えたりしません。

貴兄が1ヶ月近く 書くのを止めて居られたことはその後知りました。

実は、先日、直ぐ下の妹が、癌で亡くなりました。
見つかってから3ケ月と、あっ気ない旅立ちでした。
妹の娘に、貴兄の「告別式での挨拶」を読むようにメールしました。
返事に、佐藤さんにお礼を言って欲しいと書いてあるので、コピーを下に添付します。

佐藤様の文章、読ませて頂きました。
思い出して涙が出てしまうのでなかなか読み進められませんが、こんなに想われて奥様は幸せだったと思います。
母とは果たせなかった約束がいっぱいあり、後悔することばかりなのですが、ひとつずつ片付けながら供養するしかないですね。
(中略)
佐藤様にお会いすることがあれば、読ませて頂きありがとうございましたとお伝え下さい。

うれしいメールでした。
しかし、どうして吉田さんはまた、私のことを思い出したのでしょうか。
もしかしたらまた、シンクロニシティが始まったのかもしれません。

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2020/02/16

■節子への挽歌4522:「どうも戻れたようだ」

節子

太田さんの死を知った直後に、やはり胃がん治療をしている友人が湯島にやってきました。
一時期、オブジーボしかもう策がないといわれていました。
本人もそのつもりで、高額な治療費を擁したのですが、治療はやめて温泉療法に切り替えました。
それが功を奏したのかどうかはわかりませんが、その後、体調がよくなりだしました。

そして、湯島までやってきました。
表情も歩き方も、まるで違っていました。
本人も、どうも戻って来れたようだというのです。

前回とは全く違います。
発している雰囲気も全く違う。
生を感ずるのです。

若い友人の死を知った直後なので、その対応がうまくできませんでした。
彼に気取られないように、明るい表情につとめましたが、勘のいい彼は何か気づいたかもしれません。

それにしても、人の生死も素直に受け入れられると思っていたのですが、実際に直面するとやはりたじろいでしまいます。
太田さんの死を知ってから、なぜか心が平安ではありませんでしたし、病を克服したかもしれない友人にも素直に良かったといえないような、奇妙な不安感がぬぐえずにいます。

今日は1日、自宅でボーっとしていたおかげで、だいぶ、気持ちの整理はできましたが。

 

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■節子への挽歌4521:私より若い友人が先立ちました

節子

昨日は太田さんのお通夜に参列させてもらいました。
太田さんと言っても、節子は思い出せないかもしれません。
湯島でのオープンサロンには何回か来ていたと思いますが、私が仕事を辞めてしまってからは、あまり会うこともありませんでした。

節子が亡くなって数年して、太田さんが突然わが家にやってきました。
節子にお線香をあげに来たのです。
そこからまた付き合いが濃くなり、湯島のサロンの常連になりました。

その太田さんが、昨秋、背中が痛いと言い出しました。
その時は武田さんと3人だったのですが、武田さんの強い勧めで、めずらしく太田さんは素直に病院に行きました。
そしてがんが発見され、しかもステージは4でした。

余命宣告を受けた太田さんは、できるだけこれまで通りの生き方をしたいといって、抗癌治療を受けずに、自然の流れに任せました。
迷った末での決断ではなく、まるでそれが当然のように、潔く自然の定めを受け入れたのです。
それからも可能な範囲で湯島のサロンにやってきました。
今年になってから、来なくなりました。

見舞いに行こうかどうか迷いましたが、行きませんでした。
たぶん彼ならば、やつれた姿は見せたくなかったと思ったからです。
節子もそうでしたから。

しかし、2月に入り、ちょっと気になりだして、先日、勤め先に電話しました。
そして彼が亡くなったことを知りました。

葬儀は親族だけで行い、それが終わるまでは、ほかの人には伝えないようにということになっていたようです。
しかし、息子さんから武田さんにメールがあったそうです。
武田さんの年賀状に武田さんのメッセージとメールアドレスがあったのです。
武田さんは、しかしそれに気づかずに、一昨日、気づきました。
そしていろいろとあった上で、私と武田さんだけが、親族の葬儀に参列させてもらうことになったのです。

斎場は府中でした。
太田さんにも会ってきました。
とても安らかな顔でした。
享年66歳。

奥様と息子さんたちとも話しました。
お会いしたのは初めてですが、太田さんが湯島のサロンをとても楽しみにしていたとお聞きしました。
私の名前も知っていました。

太田さんの訃報は明日から公開され、4月にはお別れ会があるそうです。
葬儀にでるとなぜかドサッと疲れが来ます。
裏表の全くない、好人物でした。

また一人友人が先立ちました。
まったくもって困ったものです。

 

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■茶色の朝サロン(2020年2月)のご案内

2月のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を227日(木曜日)の夕方開催します。

最近、土日がテーマサロンで埋まってしまい、なかなか日程が取れません。
ですから今月も前回同様、ちょっと長目で出入り自由にして、お時間が許す時にぶらっと気楽に立ち寄ってもらうようなスタイルにしました。
テーマは特に決めていませんが、参加した人が話し合いたいテーマを出してもらうようなスタイルで、生活の視点から緩やかな政治を語り合うサロンにしたいと思います。

誰でも歓迎の、ゆるやかな雑談会です。
お気軽にご参加ください。

〇日時:2020年2月27日(木曜日)午後4時~8時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「最近ちょっと気になることを話し合う」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。

「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 

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■湯島サロン「コミュニティは見つけるものか育てるものか」のお誘い

「居心地の良い場」という切り口から、具体的に「コミュニティ」の問題を考えるサロンで話し合ったことを踏まえて、4回目の「コミュニティを考えるサロン」を開催します。
前回の報告の中で、私の感想を3点書かせてもらいました。

(1)コミュニティは参加するものか、育てていくものか。
(2)コミュニティにとっての時間と空間と人間。
(3)コミュニティの開放性と多層性。

こう書くと何やら難しそうな気もしますが、前回の話し合いのように、できるだけ参加者の生活につなげながら、実践的に話し合えればと思います。
前回の報告は下記をご覧ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2020/01/post-41c124.html

それぞれにとっての「居場所」や「コミュニティ」づくりにつながるような話し合いを目指したいと思います。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2020年3月14日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「コミュニティは見つけるものか育てるものか」
〇問題提起者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)〇会費:500円
〇申込先:佐藤修: qzy00757@nifty.com

 

 

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2020/02/15

■湯島サロン「人はどうして仕事をするのだろうか アーレントからのヒント」のお誘い

今回は「人はどうして仕事をするのだろうか」という問いを、社会との関係において、考えてみようというサロンです。
というと、何やら難しそうだと思うかもしれませんが、たぶん極めて具体的、実践的なわかりやすいサロンになるだろうと思います。
というのは、問題提起する林裕也さん(デザイナー)が、そうした問いに行き当たったきっかけと答えを見つけた経緯を具体的に話してくれるからです。
その答えに導いてくれたのが、ハンナ・アーレントの本なのです。
ここでの「仕事」は広い意味での人間の活動と受け止めてください。

ハンナ・アーレントは、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる思想家です。
彼女は、人間の活動的生活を労働、仕事、活動の3つに分けています。
この3つの違いは、なかなかわかりにくいのですが、おおざっぱに言えば、「労働」とは生命維持のための活動、「仕事」とは価値あるものを創り出す活動、「活動」とは他者に働きかける活動です。

林さんは、デザイン関係の仕事のほかに、ボランティア、茶の湯のアートプロジェクト、まちづくりなど、いろんな活動に取り組んできています。
しかし、そうした活動の中で、「なんの意味があるのか、面白いだけでいいのか」と言うようなことを時々考えてしまっていたそうですが、アーレントの言う「〈世界〉のための〈活動〉」と言う考え方を知ってからは、そうした迷いがかなり吹っ切れたそうです。
そして、自分のささやかな活動が、アーレントの言う「複数性」(画一化へのささやかな抵抗)にもつながっていると思えるようになったそうです。

ここで林さんが言う「複数性」というのもアーレントにとってとても重要な概念です。
「複数性」は、民主政治を考える上での基礎概念のひとつで、湯島でやっているリンカーンクラブ研究会でも2月に議論する予定の「合意形成」にもつながるテーマですが、日本文化で重要な役割を持っている「間」にも近い概念です。

林さんは最初に話をした後、参加者に問いかけをしてくれると言っています。
その問いかけに応じるかたちで、「人はどうして仕事をするのだろうか」という切り口から、いまの社会の問題やそこでの生き方をそれぞれで考えていければと思っています。

アーレントを学ぶ勉強会サロンではなく、アーレントのメッセージを受けて、自分の生き方をちょっと立ち止まって考えるサロンです。
「仕事はしていない」という人もぜひ参加してください。
生きている以上、どんな人も必ず仕事をしているはずですから。
それにアーレントの考えをちょっと知ることだけでも、必ず生きる上でのヒントが得られるはずですし。

〇日時:2020年2月29日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「人はどうして仕事をするのだろうか アーレントからのヒント」
〇話題提供者:林裕也さん(デザイナー)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■湯島サロン「なぜウイルスは感染症を起こすのか」のご案内

新型コロナウイルス感染症が活動の場を広げています。
テレビではその話題が持ちきりです。
湯島のサロンでも参加者に入室時、手を洗うようにお願いしだしています。

ところで、新型コロナウイルス感染症の流行が問題になっても、多くの人はウイルスを毒物としてしか見ていないのではないのか。
これが湯島でも時々、サロンを開いてくれている細菌学者の益田昭吾さんの疑問です。
原発事故による放射性物質と同じように見ているのではないのか。
改めてウイルスはどんなものなのか。
こういう時にこそじっくり考えてみてはどうかと益田さんから提案を受けました。

たしかに放射性物質と違って、ウイルスは生きている生命体です。
そう考えると、現在の対処法のおかしさにも気づいてきます。
そこで早速、益田さんにお願いしてサロンを開催することにしました。

なぜウイルスは感染症を起こすのか。
益田さんは、ウイルスが経済活動に乗って蔓延していることもウイルスが生物であるということを忘れさせているかもしれない、と言います。
そして、今回は、ウイルスが生物として理解されない本当の理由は意外なところにあるという少しミステリー的なお話をしてくれるそうです。
最近の新型肺炎の流行から、もしかしたら私たちが気づいていなかったことが見えてくるかもしれません。
どんな話になるか、楽しみです。

今回は、講座型のサロンですが、益田さんからは、途中でも質問を歓迎いたしますといわれていますので、いつものように質疑応答しながら進めてもらおうと思います。

気楽にご参加ください。
ウイルスへの親近感も増すかもしれません。

〇日時:2020年3月1日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇テーマ:「なぜウイルスは感染症を起こすのか」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■節子への挽歌4520:ブライトエネルギー

節子

節子は会ったことはありませんが、我孫子の友人にMさんという音楽で人のつながりを育てていこうという活動をしている人がいます。
Mさんと知り合ったのは、節子を見送った後ですが、その後、私を元気づけるために、わが家でギターの演奏をしてくれたり、友人のミュージシャンを連れてミニコンサートをやってくれたりしてくれました。

まだそのころは私自身が暗闇の中を彷徨しているような感じでしたので、せっかくの好意にうまく応えられなかったのではないかと思います。
その後、湯島のサロンにも時々参加してくれます。
いまは一緒に我孫子のまちづくり活動にも取り組んでいます。

先日、湯島で「ダークマター」をテーマにしたサロンをやりましたが、Mさんも参加しました。
サロンの報告をフェイスブックに書いたら、Mさんがこんなコメントを書き込んでくれました。

年齢や経験に問わず、お互い敬意を示すこのサロンは、爽やかな空気に包まれダークエネルギーというよりもむしろブライトエネルギーを感じましたよー
ブライトエネルギー発信のために節子さんと佐藤さんがこのサロンを始められたんだなあ と改めて実感しました。

そこで気づきました。
そう言えば、最近、サロン以外ではあまり湯島にいっていないことに、です。
その理由の一つは、湯島をいま友人に週の半分を貸してしまったので、何となく平日は湯島に行かなくなってしまったのです。

以前は、時々、湯島で一人でボーっとしたりしていることもあったのですが、それが最近はほとんどありません。
もしかしたら、最近どうも、精神的に空虚感があるのはそのせいかもしれません。
たしかに湯島で一人でボーっとしていると、なにか元気をもらえていたような気がしてきました。

時々、一人でボーっとするために、平日の湯島通いを再開しようと思います。

 

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2020/02/14

■節子への挽歌4519:生と死についていろいろとまた考えてしまいました

節子
少し心が静まりましたが、まだどこかになにやらわからない不穏感が残っています。

朝、昨日電話があった友人と長電話をしました。
私の早とちりで、病状はもう克服しているようです。
気が滅入っていると状況を悪い方向に理解してしまうものです。
注意しなければいけません。

どうも自宅にいると気が晴れないので、電話の後、出かけてきました。
今日は休養に当てようと用事は入れていないのですが、午後からはたぶん孫がやってくるでしょう。

今年の節分は、孫に頼みました。
私は不在だったのですが、その留守の間に孫に豆まきを頼みました。
やはり豆まきは、神に近い幼児に頼むのがいいと思ったからです。

孫はきちんとやってくれたので、わが家には福が満ち満ちているはずなのですが。
孫に仕事を頼んだので、何でも欲しいものをあげると言ってしまいました。
そうしたら人形が欲しいと連絡がありました。
5000円くらいらしいのですが、娘から高すぎるといわれました。
何でもない時に、そんな高価なものをむやみにやらないようにと叱られてしまいました。
で結局、もう少し安いものになってしまいましたが、子どもは高いか安いかはわからないので、どちらでもいいのではないかと思うのですが、娘の許可は出ませんでした。
娘がうまく誘導して1000円くらいの小さなおもちゃセットになりましたが、今日、孫が来たので渡しました。
そのうれしそうな顔をみて、少し元気が出てきました。

小さな子どもたちは、全身から生命の輝きを発しています。
今日はまた違った意味で、生と死を考えさせられた1日でした。

 

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2020/02/13

■節子への挽歌4518:「7日に亡くなりました」

節子
今日はいろいろな人と会ったりミーティングをしたのですが、思考力がとんでしまっていました。

気になりながら連絡を取っていなかった太田さんに、竹団と二人で耳に行こうと思っていたのですが、私自身の気が萎えていて、行けませんでした。
ようやく少し精神的に安定したので、太田さんの勤務先に、その後の状況を確認して、病院を教えてもらおうと思いました。
電話をして、名前を告げ、太田さんのことを確認したら、電話に出た人がちょっと待ってくださいと言って、違う人に取り次いでくれました。
だれかわからない人に入院先を簡単には教えないだろうと思っていたので、正直、少し安心しました。

ところが電話に出た人は、佐藤さんですね、ともう一度確認してから、「7日に亡くなりました」というのです。
頭が混乱して、思考力を失いました。
7日と言えば、京都から帰ってきて、そろそろ行けそうだと「覚悟」ができた日です。

サロンの話をすると、太田さんからいつもサロンの話は聞いていましたと言われました。
だから私の名前も知っていてくれたようです。
太田さんらしく、家族での見送りをした後まで伏せておくようにと言われているようで、それが終わった後、正式に関係者に連絡する予定ですので、と言われました。

最後まで、見事に自らの生き方を貫いたことに改めて感動しました。
しかし、最後にもう一度、会うということはできませんでした。

同じ経験を前にも2回しています。
一人は節子もよく知っている重久さんです。
暫らく連絡がなかったので、声をかけたら、いまは体調が悪いのでと断られました。
うすうす病気だと分かったので、少し間をおいてまた連絡しましたが、もう少し待ってほしいといわれました。
そしてまたしばらくして連絡したら、家族の方から亡くなったことを知らされました。
もう一人も、しばらくの音信不通の後、奥さんから訃報が届きました。
彼も会うのを断ってきていました。

2人に共通しているのは、たぶん私の記憶に元気な自分を残しておきたかったのではないかということです。
節子もそうでした。

そういうこともあって、太田さんのお見舞いに行くのを躊躇しているうちにタイミングを失してしまったのです。
それがよかったのか悪かったのかはわかりません。

しかし覚悟はしていたものの、今日は1日、何やら思考力が失われてしまい、うつろな1日でした。

まあしかし、そのおかげで、まだ太田さんが元気でいるような感じがします。
しばらく出張で湯島には来られないでしょうが、死の実感がありません。
悲しさもない。
しかし、どう表現していいかわからない、いつもとは違う気もとで落ち着きません。

 

 

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2020/02/12

■節子への挽歌4517:「幸せは経験するものではなく、あとで思い出して気づくもの」

挽歌を書かなかった1か月の間に、少しだけですが、書類などの整理をしました。
その時に、節子が使っていた小さな手帳が出てきました。

節子はいつも、小さな手帳を持ち歩いていて、何か気になることがあるとメモしていました。
その一冊が、私の書類に紛れ込んでいたのです。
もっともその手帳には1ページだけが書かれていて、残りはすべて白紙でした。

そこに書かれていたのは、次の言葉でした。

幸せは経験するものではなく、あとで思い出して気づくものだ。

その下に、「オスカー・レバント(ピアニスト・作曲家)」と書かれていました。
たぶん闘病中のものでしょう。

どういう思いで、この言葉を書き残したのかわかりませんが、この言葉は私へのメッセージのようにも聞こえます。
私の気持ちにぴったりです。

節子はどうだったでしょうか。
病気になった後に、それまでの「幸せ」に気づいたのでしょうか。
残念ながら、節子とこういう会話をした記憶がありません。

節子は今頃、彼岸で「幸せ」を思い出しているでしょうか。
そうだといいのですが。

今日は気持ちのいい冬晴れの朝です。

 

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2020/02/11

■節子への挽歌4516:父の命日

節子

1か月ほど、挽歌を書けずにいました。
今日からまた書き出します。
この間、いろいろありましたが、それもまた少しずつ書いていこうと思います。

今日は父の命日でした。
わが家で最初に家族を見送った日です。
自宅療養で亡くなりました。
母も健在でしたので、看病は主に母がしていました。
しかし、私たちにとってはわが家での最初の葬儀でした。

寒い日でした。
それだけが鮮明に覚えています。
死や葬儀に関しても、私はまったく無知でした。

当時は家事はすべて節子任せだったので、節子は大変だったでしょう。
思えば、苦労はすべて節子に任せてしまっていたかもしれません。
両親と同居していましたが、いわゆる嫁舅問題はまったく私にはありませんでした。
節子と私の母との関係はとても良好でした。
母は多分、私といるよりも節子と一緒の方が気楽だったでしょう。

お墓に行きました。
なぜか今日は般若心経がうまく唱えられませんでした。
最近、朝の読経も省略版が続いているためかもしれません。

どこかが悪いわけではないのですが、調子が戻ってきません。
周辺のトラブルが多すぎるからかもしれません。
外から見たら私も元気に活動しているように見えるでしょうが、内心はかなりボロボロです。
そこから少し逃げるように、ユカと3日間、京都に行って、お寺周りをしてきましたが、帰宅した途端に俗世の風が吹き込んできます。
武田さんからは、そういう生き方を選んだのだから仕方がないといわれましたが、もし節子がいまもいたら、こんな生き方にはなっていなかったでしょう。

最近、そんなことを思うことが時々あります。
さて明日からまた生活を立て直そうと思います。

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■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」報告

天文学大好きな大学生の内村真菜さんのサロンは、大盛況でした。
宇宙というテーマのせいか、湯島のサロン史上、一番若い人のサロンだったせいか、とにかくにぎやかなサロンになりました。

Manasalon2002

タイトルは「宇宙の成り立ちとダークマター」。
話はなぜ真菜さんが宇宙に興味を持ったのかという話から始まりました。
そして、にもかかわらずなぜ天文学者への道を選ばなかったのかの話もありました。
実は彼女はいま薬学部に通っているのです。
このあたりの話そのものでもサロンが成り立つような興味ある話でしたが、今回は宇宙がテーマです。

自己紹介につづいて、パワーポイントをつかって、宇宙のはじまりと現状、そして宇宙のこれからが、もちろん数式などを使わずに説明してくれました。
話の中心は、ダークマターとダークエネルギーの話でした。
話の途中でも質問してもいいと言うので、質問も多かったです。
なにしろ私も含めて、「名前」は聞いたことがあるとしても、きちんとは知らない人が多かったので質問もいろいろと出ました。

たとえば宇宙は膨張しているというが、星同士の距離は実際に観測されているのかとか、この湯島の部屋のなかにもダークマターやダークエネルギーがあるのかといった、気楽な質問も少なくありませんでした。
宇宙大好きな参加者もいたおかげで、時々、真菜さんが答えようとしても、勝手に解説してくれる参加者もいましたが、そのやり取りが場をとても豊かにしてくれた気もします。

しかし、質問がでるとそれは次に話そうと思っていたということが多く、みんなが関心を持つだろう流れをきちんと意識した構成になっていました。
話し手と聞き手の目線がシェアされていて、とても親しみとわかりやすさを感じました。

宇宙の実体はまだ5%くらいしか解明されておらず、95%はダークマターとダークエネルギー、まあわかりやすく言えば、実体不明の物質とエネルギーで構成されているのだそうです。
しかし少しずつその実体も分かってきているようで、真菜さんは大学の試験勉強に合間に、その最新情報を調べてきてくれていました。

ダークマターとダークエネルギーについては詳しく話してくれました。
特に面白かったのは、ダークエネルギーの話で、これまでの科学の常識ではなかなか理解できない話もありました。
ある人は、エネルギーや質量の動きに目的というか意思のようなものがあるのだろうかと後でメールを送ってきてくれましたが、それぞれにいろんな刺激があったようです。

本で読んでもなかなか分からない話も、こうやって話しながら学んでいくととても親近感が出てきて、改めて宇宙の本を読もうかという気にもなります。
サロンの帰りに早速、宇宙特集の別冊Newtonを買って帰った人もいるようです。

サロンが終わってもなかなかみんな帰らずに、世代を超えた話し合いが続いていました。
世代が違う人との「やりとり」を聞くことも楽しめたといってくれた参加者もいました。
これこそサロンの価値の一つです。

宇宙については解明されているのはまだほんの一部でしかありませんし、その多くは抽象的な仮説ですから、これから先もまだどんどん変化するかもしれません。
でも時にこういうテーマで話し合うのもいいものです。
何よりもいいのは、年齢を超えて気楽に話し合えることです。
今回は他分野の専門家の元大学教授が2人も参加してくれましたが、真菜さんと対等に話していたのが湯島のサロンらしくて楽しかったです。

とてもあったかなサロンでした。
また若い世代の人に話をしてもらうサロンをやりたいと思います。
話したい人、話させたい人がいたら、ご紹介ください。

 

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2020/02/10

■湯島サロン「アクチュアルな仏教実践-インド仏教とダリット」報告

カースト制度がまだ社会全体を覆っているインドで、人々の平等を目指す仏教の復興に取り組んでいる佐々井秀嶺上人の随身として活動している亀井竜亀師が開いてくれた緊急サロンには、直前の案内にもかかわらず、たくさんの人が参加してくれました。

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今回のサロンを企画してくださった荒金さんがファシリテーター役になって、亀井さんからなぜこうした活動にかかわることになったかも含めて、現在のインドでのアクチュアルな仏教実践の話、そして今後の活動の予定や未来への課題を話してしてもらったうえで、いつものような「対話」するサロンになりました。

仏教はインド地方で始まったにもかかわらず、現在のインドの人たちの多くはヒンズー教徒で、いまもなおカーストの枠外に置かれた被差別カースト(ダリット)が存在しています。
そうした状況を変えていこうと活動していたのが、ガンジーと並んでインド独立に取り組んだアンベードカルですが、自らもダリットの出自であったアンベードカルが起こしたインド仏教(新仏教)復興の活動を継承したのが佐々井秀嶺上人です。
案内文にも書きましたが、日本でその活動を支援しているのが「南天会」です。
詳しくはそのサイトをご覧ください。
https://www.nantenkai.org/ 

亀井さんは、日本で仏教とは関係のないお仕事をされていましたが、たまたま佐々井上人との縁ができ、身近で接しているうちに、佐々井上人の笑顔に魅了されて得度されたそうです。
亀井さんは「ジャイビーム!」という言葉で話を始めました。
「ジャイビーム」は「心が通じ合う」というような意味を持った、インド仏教徒同士の挨拶の言葉だそうです。

亀井さんの話は、知識ベースの話ではなく、すべて心身で体得した話でしたので、素直に心に伝わってきました。
その話は私が間接的に報告しても伝わらないと思いますので、関心のある人は当日のサロンの動画が公開されるようになったらご案内しますのでご連絡ください。
亀井さんの人柄も伝わってきますので。

亀井さんによれば、インド仏教(新仏教)は一言で言えば、ダリッド(抑圧された人たち)に寄り添いながら、カーストの否定を目指した「怒り」を込めて闘う宗教で、一言で表現すれば「炎」がふさわしいと言います。
ここにアンベードカルが始めた「インド仏教」のすべてが象徴されています。
こうした「インド仏教(新仏教)」とそれまでの仏教(たとえば日本の宗派仏教)とは、つながっているとはいえ、かなり違います。

あえて「インド仏教」とここでは書いていますが、「新仏教」とか「インド仏教復興運動」と呼ばれることもあります。
インドには古来からの仏教も存在し、最近では日本の宗派仏教の布教活動も広がっているそうですが、佐々井上人はそうした仏教のあり方にも批判的です。
その意味では、まさに現在の仏教に対する「新仏教運動」でもあるわけです。

おそらく釈迦が始めたときの仏教も、同じように社会に対して激しい思いのこもった「運動」だったのでしょう。
そこに「宗教」というものを考える大きな示唆があるように思います。
社会を変える宗教と社会を保守(秩序管理)する宗教があると言ってもいいかもしれません。

インド仏教への改宗式では、三帰依(仏・法・僧への帰依)と五戒(不殺生などの5つの戒律)、そして22の誓いが与えられます。
それによって、ヒンズー教的生き方を否定し、仏教徒としての生き方を誓うわけです。
亀井さんが、寄り添いながら戦うと話したように、インド仏教の目指すところは、ヒンズー教の否定であり、カーストを超えて、すべての人が同じ人間になることなのです。

インドで生きていくことはヒンズー社会の枠の中で生きていくということだと言われますが、まさにインド社会はヒンズーイズムで構成されています。
インドではカーストに対応したアファーマティブ・アクション(バリッドに対する差別優遇措置)があり、ヒンズー教徒であるほうが社会的な支援を得られるという面もあるため、「隠れ仏教徒」も多いそうです。
ちなみに、政府統計では、仏教徒は1%前後とされていますが、実際にはそれ以上の仏教徒がいるといわれています。
政治と宗教、さらには生活と宗教を考える上での示唆を感じます。

日本にはたくさんの僧侶がいるのに、街中では僧侶の服装をした人になかなか出会わないという亀井さんの問いかけもまた、多くのことを考えさせられました。
私はサロンの翌日から3日間、京都の社寺をずっと回っていましたが(そのため報告が遅れました)、亀井さんの話を思い出しながら回っていたせいか、いつもとは違ったものを感じました。
宗教はまた経済ともつながっています。

今回、サロンを企画してくれた荒金さんは、これを機会に、改めて自身が抱えている「差別」「格差」「平等性」「非人間性」などを問い質してみませんかと呼びかけてくれましたが、そうしたことに関しても、たくさんの示唆がありました。
私自身の気づきが多すぎてまだ十分に消化できていないので、これ以上書けませんが。

サロンではもっと具体的な話し合いがあったのですが、すべて省略してしまいました。
フォローしてくださる方がいるとうれしいです。

このサロンを契機にして、湯島でも宗教や信仰をテーマにしたサロンを企画していきたいと思っています。
話をしたいという方がいたら、ぜひご連絡ください。

南天会ではインド仏教の支援活動を行っていますので、共感してもらえたら支援してください。
また佐々井上人の活動の一部を紹介した動画も公開されていますので、ぜひご覧ください。
https://youtu.be/gqgYJtMMupg

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2020/02/03

■湯島サロン「みんなのメディアをつくりませんか」報告

今年初めての呼びかけ型サロンでしたが、予想に反して14人もの人が参加しました。
テーマへの関心の高さに驚きました。

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あまりに参加者が多かったので、収拾がつかなくなることを危惧して、「みんなの出版社」構想のたたき台をつくってしまいました。
そして、最初にそれを簡単に説明させてもらいました。
そのために、自由な話し合いというよりも、その構想試案への質疑応答になってしまい、自由な話し合いをしたいと思っている人を失望させたかもしれません。
途中で大いに反省しましたが、逆にそのおかげで、具体的に実行に向かうプロジェクが始まることになりました。
まあ時にはこうした失敗も許してください。

「みんなの出版社」構想のビジョンは「生活者(みんな)が本音で話し合える、ゆるやかなコミュニケーション・プラットフォーム」づくりです。
そしてその第一段階として、「生活者の視点で、自由に自らの意見を発信できるペーパーメディア(小冊子)を出版し、社会に何か動きを起こしていけるような仕組みをつくる」ことに置きました。
特別の主張は持たず、かといって中立的でもなく、多様な意見が飛び交うような「寛容な合意」にもとづく運営ができればと、私は思っています。
わかりにくいでしょうが、そのわかりにくさのおかげで話し合いははずみました。
まあそんな理念的ことに加えて、具体的な仕組みの議論もありました。

参加者からは「出版社」というから現在の出版社をイメージしてしまうとか、小冊子は目的ではなくて手段なのですねと確認されたりしましたが、私の意図はまさにその通りで、「出版」が目的ではなく、みんながなんの気兼ねなく、むしろ気楽に本音を社会に向けて発する場がほしいだけです。
そこが自費出版とは違うところです。

前回の茶色の朝のサロンの報告にも書きましたが、民主主義を終わらせないために、「実際に他人と声に出して議論すること」が大切ですが、そういう活動を時間的に広げていこうというのが私の希望です。

サロンでの質疑応答での私の意見はあいまいなことも多く、話し合うよりも早く実行に移したいという人も少なくなかったと思いますが、まあこうやって時間をかけて、話し合うといろんなことが見えてくるような気もします。
そういう意味では、私にはとてもうれしいサロンになりました。

というわけで、次回は具体的なプロジェクトのキックオフミーティングになると思います。
賛同者が出資して協同組合型の組織を立ち上げることになると思いますが、出資しない人も参加できたり活用できたりすることを目指したいです。
その組織が目指すのは収益事業体ではなく、あくまでも社会的インフラづくりで、むしろコストセンターですが、そのプラットフォームを活用して、収益事業を展開することは可能にしたいと思います。
そうしないと持続できませんので。

またご案内させてもらいますが、参加ご希望の方はご連絡ください。
勝手な報告になってしまいました。
お許しください。


  

 

 

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2020/02/01

■湯島サロン「外来生物が日本の自然に与える影響」のご案内

ハイパー・ナチュラリストの木村幸一郎さんには、時々、湯島でサロンをやってもらっていますが、前回の「ナチュラリストが見る社会の危うさ、あるいは自然界の面白さ」から1年以上が経ってしまいました。
そろそろ木村さんの話をお聞きしたいと思っていましたが、自然と真摯に付き合っている木村さんの時間をもらうのは、いささか気が引けるところがありました。
しかし幸いに、木村さんから2月15日なら時間が取れると連絡がありました。
ちょっと急なご案内ですが、この機会を逃すとまただいぶ先になりかねないので、開催させてもらうことにしました。

今回は、私の希望で「外来動物」に焦点を当ててもらいます。
ナチュラリストとしての木村さんの活動の原点は、外来魚(ブラックバスなど)の放流反対だったそうです。
そうした原点の思いからはじめて、木村さんの現場体験談を中心に、外来種が日本の自然にどういう影響を与えているのか、そして私たちは外来生物とどう付き合っていったらいいのかなどを、お話しいただき、参加者みんなで話し合えればと思います。

ちなみに、ここで「外来生物」と書いていますが、私はそこに「外国人」の問題を考えるヒントも含まれているのではないかとも思っています。
これは私の考えであって、木村さんの考えではありません。念のため。

いずれにしろ木村さんの話は現場や現物に繋がっていますので、とても分かりやすくて楽しいです。
最近、サロンが増えていますが、ちょっと日常を離れた話題を楽しみに、ご参加いただければうれしいです。

〇日時:2020年2月15日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「外来生物が日本の自然に与える影響と外来生物との付き合い方」
〇話題提供者:木村幸一郎さん(ハイパー・ナチュラリスト)
〇会費:500
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■茶色の朝サロン(2020年1月)の報告

今年初のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を131日に開催しました。
参加者の人数よりも継続が大切だと考えて、今年からできるだけ毎月開催していくことにしました。
ところが、予想に反して、参加者が10人を超えました。
出入り自由の3時間だったのもよかったかもしれませんが、半分の人は3時間フルに話していました。

Bms202001

今回は特にテーマを決めずに、最近気になることを話し合うスタイルでした。
あまり「政治」を意識しないのが、このサロンのスタイルなので、話題は最近流行の新型コロナウイルスからゴーン事件といろいろでしたが、たまたま今回はひきこもり問題に取り組んでいる方が2人参加していましたので、その話もかなり盛り上がりました。
コミュニケーションの問題もでましたが、最後のころは、学校や教育問題で盛り上がりました。
政治の基本は「子育て」や「学校教育」だなと私は改めて感じました。
そもそも学校は「国民」を育てる仕組みですから、政治の一丁目一番地と言ってもいいですが、そういう意識はあまり多くはありません。

そう言えば、湯島のサロンも最近は「学校教育」を取り上げていませんが、春以降にぜひ取り上げたいと思います。
どなたか話してくれる人がいたらお願いします。

ところで今回は、10代の女性が参加してくれました。
こんなに議論しあう場はあまり経験していないようですが、それなりに楽しんでくれました(たぶん)。

帰りに途中から参加した人から、ところで今日はどんな政治の問題が出ましたか、と訊かれました。
私の感覚では、すべてが「政治」につながる話なのですが、やはりまだ「政治」と「生活」は同じものだという感覚は少ないのかもしれません。

昨年出版された山口二郎さんの「民主主義は終わるか」(岩波新書)に、民主主義を終わらせないために大切なこととして、「実際に他人と声に出して議論することの重要性」があげられていました。
「他人と顔を向き合わせながら話をすれば、人間は感情を抑え、儀礼を持って議論することができるはずである」とも書かれていましたが、昨日のかなり激しいやり取りをみていて、「人間は感情を解放してでも、礼儀を持って議論することができる」こと、そしてそれがとても大切なことを改めて実感しました。

湯島のサロンは、本当にみんな勝手に自己主張をします。
それもみんな立場が違うので、気づかせられることが多いです。

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 

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