■節子への挽歌4533:不在になって初めて気づくこと
節子
先日、高血圧予防のための“酢たまねぎ”を創ろうと、玉ねぎをスライスしていたら、手が滑ってしまい、右手の人差し指の指先を数ミリ、スライスしてしまいました。
すぐに手当てをして出血も少なかったのですが、以来、指先にはバンドエイドをしています。
スライスされた指先は、数日たつのに、いまもそのままで、治る気配がありません。
痛みはないのですが、不便で仕方がありません。
朝は顔もうまく洗えないし、パソコンでも人差し指が仕えません。
これまで指先などはまったく気にしていなかったのですが、これだけのことでこんなに不便を味わうとは思いませんでした。
身体のいずれもが、同じように、普段は気づかなくても、私の生活を支えてくれているんでしょう。
身体は大事にしなければいけません。
節子もそうでした。
元気な時には、そのありがたさをあまり意識したこともありませんでしたが、いなくなって初めてその大きさに気づきました。
いや伴侶だけではありません。
身体のいずれの部分も大切なように、家族はもちろん、友人知人もみんなそれぞれに私の人生を支えています。
普段は気づいているようで気づいていない。
不在になって初めて、その大切さに気付くものです。
いない方がいいと思っている人さえも、いなくなるとその大切さに気付くものです。
すべてはすべてで成り立っている。
小さな指先の怪我から、気づかされることもたくさんあります。
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