« ■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」報告 | トップページ | ■節子への挽歌4517:「幸せは経験するものではなく、あとで思い出して気づくもの」 »

2020/02/11

■節子への挽歌4516:父の命日

節子

1か月ほど、挽歌を書けずにいました。
今日からまた書き出します。
この間、いろいろありましたが、それもまた少しずつ書いていこうと思います。

今日は父の命日でした。
わが家で最初に家族を見送った日です。
自宅療養で亡くなりました。
母も健在でしたので、看病は主に母がしていました。
しかし、私たちにとってはわが家での最初の葬儀でした。

寒い日でした。
それだけが鮮明に覚えています。
死や葬儀に関しても、私はまったく無知でした。

当時は家事はすべて節子任せだったので、節子は大変だったでしょう。
思えば、苦労はすべて節子に任せてしまっていたかもしれません。
両親と同居していましたが、いわゆる嫁舅問題はまったく私にはありませんでした。
節子と私の母との関係はとても良好でした。
母は多分、私といるよりも節子と一緒の方が気楽だったでしょう。

お墓に行きました。
なぜか今日は般若心経がうまく唱えられませんでした。
最近、朝の読経も省略版が続いているためかもしれません。

どこかが悪いわけではないのですが、調子が戻ってきません。
周辺のトラブルが多すぎるからかもしれません。
外から見たら私も元気に活動しているように見えるでしょうが、内心はかなりボロボロです。
そこから少し逃げるように、ユカと3日間、京都に行って、お寺周りをしてきましたが、帰宅した途端に俗世の風が吹き込んできます。
武田さんからは、そういう生き方を選んだのだから仕方がないといわれましたが、もし節子がいまもいたら、こんな生き方にはなっていなかったでしょう。

最近、そんなことを思うことが時々あります。
さて明日からまた生活を立て直そうと思います。

|

« ■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」報告 | トップページ | ■節子への挽歌4517:「幸せは経験するものではなく、あとで思い出して気づくもの」 »

妻への挽歌19」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■CWSサロン「宇宙の成り立ちとダークマター」報告 | トップページ | ■節子への挽歌4517:「幸せは経験するものではなく、あとで思い出して気づくもの」 »