■節子への挽歌4523:またシンクロニシティが始まりました
節子
先日京都に行ったときに、醍醐寺にも行きました。
醍醐寺は、私が会社に入社して、大津に配属になった時に、同期の吉田さんと成藤さんの3人で、行ったところです。
その記憶がずっと残っていて、今回は娘に頼んで特に行先に入れてもらったのです。
醍醐寺でも、その話を娘にしていました。
ところが、京都から戻って数日して、その吉田さんから、こんなようなメールが来ました。
先日、佐藤さんはどうしているかな?と思い、貴兄のブログを開けてみたら、例の挽歌が無い!
やめるとは思えないので、別のアドレスでも作ったのかと思い、初めてネットで調べました。
そして、初めて第1号「告別式での挨拶」を読みました。
http://cws.c.ooco.jp/kokubetu.htm
涙が出ました、私はこのようなときは素直で、堪えたりしません。貴兄が1ヶ月近く 書くのを止めて居られたことはその後知りました。
実は、先日、直ぐ下の妹が、癌で亡くなりました。
見つかってから3ケ月と、あっ気ない旅立ちでした。
妹の娘に、貴兄の「告別式での挨拶」を読むようにメールしました。
返事に、佐藤さんにお礼を言って欲しいと書いてあるので、コピーを下に添付します。佐藤様の文章、読ませて頂きました。
思い出して涙が出てしまうのでなかなか読み進められませんが、こんなに想われて奥様は幸せだったと思います。
母とは果たせなかった約束がいっぱいあり、後悔することばかりなのですが、ひとつずつ片付けながら供養するしかないですね。
(中略)
佐藤様にお会いすることがあれば、読ませて頂きありがとうございましたとお伝え下さい。
うれしいメールでした。
しかし、どうして吉田さんはまた、私のことを思い出したのでしょうか。
もしかしたらまた、シンクロニシティが始まったのかもしれません。
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