■節子への挽歌4537:コムケア理念を思い出しました
節子
昨日は発達障害者関係のサロンをやりました。
いろんな人たちが集まりました。
テーマは〈当事者支援者〉。
話し合いを聞いていて、節子にも相談しながら取り組んでいた20年前のコムケア活動の理念を思い出していました。
いまもなお福祉の状況は変わっていないようです。
コムケア活動は、メイヤロフの「ケアの本質」に共感して、そこから「共創型相互支援」を理念にし、それを核にして私の生き方も踏まえて構想したものです。
一言で言えば、「わたし支援する人、あなた支援される人」というような支援はもうやめようという提案でした。
しかし、関係者も含めた参加者の話を聞いていて、事態は何も変わっていないのを感じました。
疲れがどっと来ました。
そもそも「当事者」とか「支援者」という言葉自体が、現状を象徴しています。
コムケア活動は、「コミュニティケア活動支援センター」が司式な名称でしたが、活動しているうちに「支援」という言葉に拒否感が出てきて、略称のコムケアセンターを使っていましたが、それ自体も昨年、使わないようにしました。
実体のすべても消去しました。
唯一残したのが「コムケアサロン」です。
昨日は、そのコムケアサロンだったのです。
もし節子が病に倒れなかったら、コムケア活動はどうなっていたでしょうか。
時々そう思うことがあります。
節子ではなく、私がきっと倒れていたでしょう。
そうならないように、節子が重荷を背負ってくれた。
時々そう思うことがあります。
だから簡単にはそうした活動から抜け出せないのかもしれません。
しかし疲れますし、空しさもある。
以前は喜びや充実感がありましたが、最近はむしろ失望感の方が大きくなってきました。
にもかかわらず、頑張っている人を見ると何か私にできることはないかと考えてしまいます。
困ったものです。
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