■節子への挽歌4536:「出雲と大和」には行けそうもありません
節子
昨日また不思議な体験をしました。
昨夜、湯島のサロンに来た友人が、私に東京国立博物館で開催している「出雲と大和」の招待券をくれました。
私が行きたいと思っていることを知っていたからではありません。
彼は湯島のサロンに参加した後、行く予定だったのですが、なぜか入場券を2枚入手して、持っていたのです。
サロンでは私の隣に座りましたが、「出雲と大和」のパンフレットを持っていたので、これから行くのかと話したのです。
そうしたら、なぜか入場券が2枚あるのであげますと私にくれたのです。
そこまでは別に不思議はありません。
入場券をもらって、他の書類と一緒に手提げ袋に入れて持ち帰りました。
電車の中でその入場券が手提げ袋の底にあるのを見ましたので間違いありません。
というよりも、その時になぜか、この入場券をなくすかもしれないという気持ちが起こりました。
それでポケットに入れ直そうかとも考えましたが、それよりも袋に入れておいた方はいいと思い、改めてその券を袋の底におしこめました。
ところが今朝、サロンに行く前に寄っていこうかとその手提げ袋を探したのですが、入場券がないのです。
そんな馬鹿な!と思わずにはいられません。
でも、どこにもないのです。
実は先日、時間ができたので、行こうと思った時も、前日に急用が入り、行けませんでした。
2度もつづけて行きそこなったわけです。
ということは、行くなと言うことかもしれません。
最近、こうしたことが起こりだしているのです。
さらに問題は、入場券を探しているうちに、何やら不安感が高まってきました。
今も心臓がどきどきしています。
それを書いたらドキドキが止まるかと思って書き出したのですが、ますます不安感が広がっています。
出雲と大和の怨霊がまだ成仏していないのでしょうか。
しかしどうして私などに降りてくるのでしょうか。
困ったものです。
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