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2020/02/18

■不謹慎な思いから抜け出せません

今朝、フェイスブックに書いたら、意外と肯定的な人が多かったので、ブログにも転載することにしました。

最近、世間の動きに対する反応拒否症に陥っていました。
新聞やテレビの報道にもほとんど関心がなくなっていました。
ほとんどが「意味のない報道」のように思えるからです。
安倍首相の「意味のない質問」という発言は、いまの時代を象徴している「名言」のような気がします。
自ら「意味のない答弁」をしている人でなければ言えない言葉です。

しかし、「意味がない」ということは、別の意味で「大きな意味」を持っているということです。
そういう意味では、「意味がある報道」が増えてきていて、世界を覆い尽くさんとしています。

新型コレラウイルス感染症が、いよいよ“パンデミック”状況を呈し始めました。
政府による健康管理が加速され、生政治がはっきりと見える形になってきました。
国民は自らの健康まで、政府に依存しだしました。
この2週間の報道をみていると改めてここまで来たかと驚きます。

豚コレラの殺処分の報道とクルーズ船での隔離の報道は同じように見えてしまいますし、その先には私たちもきっと殺処分に向かっているのだろうなどと妄想してしまいます。
こんな言い方は不謹慎ですが、豚や鶏の殺処分報道のたびに見えていたことが現実になってきました。
家畜の大量殺処分に違和感を持たなくなれば、次は自分たちであることは当然の結果です。
あの時に、声をあげなかった責めは受けなければいけません。

そんなわけで、数日前からテレビ報道をまた見るようになりました。
テレビを見ていると、来週以降、日本は大変な状況になりそうですね。
〈不要不急の行為〉は差し控えなければいけないようです。
その方針に反対ではありませんが、〈不要不急の行為〉にこそ価値を認めてきた私としては、ますます生きづらくなりそうです。

いや、もしかしたらそうではないかもしれません。
2週間前の京都観光のように、むしろ生きやすくなるかもしれません。
東京国立博物館の「出雲と大和」もすいているかもしれません。
もちろん感染症の拡散媒体にはならないように万全の注意を払いますが、ますます不要不急の活動に精出そうと思います。

まあ、私自身が「不要不急の存在」ですから、消えた方がいいのかもしれませんが。

 

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