■節子への挽歌4535:塚田さんともう一度会えなかったのが残念です
節子
湯島で友人と話していたら、電話が入りました。
新潟の金田さんからです。
ちょっとドキッとしましたが、やはりドキッとする内容の電話でした。
最近、電話があるとドキッとするようになっています。
新潟水俣病の記録に取り組んでいた塚田さんが亡くなったという訃報でした。
塚田さんには2回しかお会いしていませんが、心に深く残っている人です。
最後に話したことは忘れられない内容でした。
挽歌にも書いているかもしれませんが、突然に奥さんの話をされ出しました。
新潟水俣病資料館を案内してもらった後、ロビーで2人になった時に、です。
静かな噛みしめたような話ぶりに、塚田さんの誠実な生き方が伝わってきました。
塚田さんは、その後も、新潟水俣病問題に関わっていましたので、東京に出てきたときに、湯島のサロンで話してもらえないかと金田さんに頼んでいました。
塚田さんと2回目に会った時のことをブログに書いています。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2014/09/post-1662.html
新潟水俣病に関する塚田さんのメッセージをきちんと聞いておかなかったことが悔やまれます。
塚田さんは、今頃、先に逝った奥さんと会っているでしょう。
ちょっとうらやましい気もしないでもありません。
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