■節子への挽歌4541:西野薬師堂の千手千足観音
節子
東博の「出雲と大和」が突然休館になり、行けなくなったので、代わりに久しぶりに上野駅近くの長浜観音ハウスに寄りました。
今回は、高月町西野の薬師堂の千手千足観音立像でした。
西野は節子の生家のすぐ近くです。
といよりも、節子の生家はもともとは西野から出た人たちによって生まれた村だった塔です。
節子は「七里小学校」に通っていましたが、その「七里」とは、もともと西野にいた人たちが、地震と津波に襲われ全壊し、住民たちが近隣の7つの村に移住したそうなのです。
ですから、節子の生家のある「物部」から西野はすぐ近くです。
したがって、西野の薬師堂の名前はよく聞きました。
物部を中心に観音様はいろいろとつれて行ってもらいましたが、西野の薬師堂にはいったことがありません。
あまりに身近すぎたためだったのかもしれません。
西野からむかしの遺跡が発掘されたと騒がれたことがありますが、その時には近くまで行ったのですが、まだ隔離されていた時期で、見ることはできませんでした。
ですから、今回、初めてその薬師堂の観音像に会いました。
といっても、今回展示されたのは薬師如来ではなく、千手千足十一面観音です。
こんなに見事な仏がいるのに、なぜ行かなかったのか、残念です。
千手観音は珍しくはありませんが、千足観音はめずらしい。
それに、観音のくせに不動明王のような忿怒相です。
そのかわりに、頭上の頂上の仏の顔の表情がとてもいい。
装身具も彩色の跡もわずかに残っていて、当時の姿をイメージさせてくれます。
節子が元気だったら、すぐにでも訪問して、節子がよくいっていた「西野のおばさん」から往時の村人たちと観音の付き合いの話も聞きたいものですが、そのおばさんももう亡くなってしまっています。
生前、法事などで何回か会い、お話もしましたが、まさに菩薩のような印象のある人でした。
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