■節子への挽歌4521:私より若い友人が先立ちました
節子
昨日は太田さんのお通夜に参列させてもらいました。
太田さんと言っても、節子は思い出せないかもしれません。
湯島でのオープンサロンには何回か来ていたと思いますが、私が仕事を辞めてしまってからは、あまり会うこともありませんでした。
節子が亡くなって数年して、太田さんが突然わが家にやってきました。
節子にお線香をあげに来たのです。
そこからまた付き合いが濃くなり、湯島のサロンの常連になりました。
その太田さんが、昨秋、背中が痛いと言い出しました。
その時は武田さんと3人だったのですが、武田さんの強い勧めで、めずらしく太田さんは素直に病院に行きました。
そしてがんが発見され、しかもステージは4でした。
余命宣告を受けた太田さんは、できるだけこれまで通りの生き方をしたいといって、抗癌治療を受けずに、自然の流れに任せました。
迷った末での決断ではなく、まるでそれが当然のように、潔く自然の定めを受け入れたのです。
それからも可能な範囲で湯島のサロンにやってきました。
今年になってから、来なくなりました。
見舞いに行こうかどうか迷いましたが、行きませんでした。
たぶん彼ならば、やつれた姿は見せたくなかったと思ったからです。
節子もそうでしたから。
しかし、2月に入り、ちょっと気になりだして、先日、勤め先に電話しました。
そして彼が亡くなったことを知りました。
葬儀は親族だけで行い、それが終わるまでは、ほかの人には伝えないようにということになっていたようです。
しかし、息子さんから武田さんにメールがあったそうです。
武田さんの年賀状に武田さんのメッセージとメールアドレスがあったのです。
武田さんは、しかしそれに気づかずに、一昨日、気づきました。
そしていろいろとあった上で、私と武田さんだけが、親族の葬儀に参列させてもらうことになったのです。
斎場は府中でした。
太田さんにも会ってきました。
とても安らかな顔でした。
享年66歳。
奥様と息子さんたちとも話しました。
お会いしたのは初めてですが、太田さんが湯島のサロンをとても楽しみにしていたとお聞きしました。
私の名前も知っていました。
太田さんの訃報は明日から公開され、4月にはお別れ会があるそうです。
葬儀にでるとなぜかドサッと疲れが来ます。
裏表の全くない、好人物でした。
また一人友人が先立ちました。
まったくもって困ったものです。
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