■節子への挽歌4538:自らの死と他者の死
節子
またサロンの仲間の訃報が届きました。
4月に網野史論パート3のサロンをやることになり、その内容の話をし始めたところでした。
共通の友人から今朝連絡が届きました。
心筋梗塞だったそうです。
まだ50代の、若き研究者です。
湯島のサロンで話すのを楽しみにしてくれていた人です。
あんな元気がいい人が、と信じがたいですが、たぶん私のなかではこれまでも生き続けるでしょう。
それにしても、人はいとも簡単に死んでしまう。
最近、死とは日常なのでしょう。
ことさら騒ぎ立てすることもないのかもしれません。
私が最近、死をあまりに素直に受け入れてしまっているので、もう少し健康に留意するようにとメールしてきました。
そういう彼自身が、私以上に死を素直に受け入れているのですが。
つまり、自らの死は素直に受け入れられますが、他者の死はなかなか素直には受け入れられないものなのです。
時々書いている気がしますが、自らの死と他者の死は、まったく違うものなのでしょう。
早く春になって、訃報から抜け出したいです。
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