« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月

2020/03/30

■今こそ「問題」の捉え方を間違ってはいけません

今日は午後から来客です。

新型ウイルス騒ぎで、外出も人との付き合いも人の集まりも少なくなってきました。
出かけるときもできるだけ一人で、という風潮です。
要は、だれもがウイルスを持っているという前提で行動しましょうと言うことです。
そして、できるだけ人との接触は避けましょう、というわけです。

これってどこかおかしくないでしょうか。
以前も、そういう風潮が広がったことがありますが。
「支え合い」とか「ふれあい」が大切だと言っている人の生き方はどうなってしまったのか。
コロナいじめが始まりそうな風潮に、哀しさとさびしさを感じます。

私は20年ほど前に、コムケア活動というのを始めました。
コムケアは、コミュニティケアの略ですが、そこでのケアは「関係性を大切にすること」、コミュニティは「重荷を背負い合うこと」と定義していました。
当時は、「つながり」とか「支え合い」とかはあまりまだ意識されていなかった時代です。

その後、そうした「言葉」は広がりました。
「絆」という言葉さえもが、肯定的に捉えだされました。

最近の新型ウイルス現象は、時代の流れを加速するのか逆転するのか。
私には判断しかねますが、しかし時代の流れの本性をさらけ出したような気はします。

いずれにしろ、私は自らの生き方は変えないつもりです。
ウイルスとさえもできればなかよくやっていきたい。
誰か(私も含めて)が感染したとしても、それまでと同じように接していきたい。
1メートル距離を置いて付き合うような生き方はしたくない。
そう思っています。

昨日家族で外食したという竹居さんに習って、明日は私も家族を誘って近くのお店で外食しようと思います。
こういう時だからこそ、人とのつながりを深めたい。

それと病気を広げて医療制度崩壊を起こすようにしないこととは別の話です。
問題を混同させてはいけません。
言うまでもありませんが、私も感染症を広げようなどとは微塵も思っていません。
蛇足ながら。

| | コメント (0)

■湯島サロン「引揚げ3世という視点、あるいは歴史認識」のご案内

湯島のサロンに参加される方から、面白い人がいるので是非サロンで話をしてもらいたいという連絡がありました。
湯島のサロンは参加している人のおかげで、広がったり深まったりしているので、こういう申し出にはできるだけ対応させてもらっています。
というわけで、今回は私もまだお会いしたことのない方にサロンをお願いすることにしました。

長年、中国「旧満洲」に関わっている中村さんという方です。
私からは解題できませんので、中村さんからのメッセージを紹介します。

私は学生時代から中国旧満洲に何度も足を運び、いまは「地球の歩き方」の制作をしています。この30数年で中国は大きく変わりましたが、その変化の過程をつぶさに見てきました。
そういう次第になったのも、祖父母が満洲に渡り、母が生まれていたからですが、とりわけ祖母から当時の話をよく聞いたので、子供の頃からこの土地に対する身近な感覚が育まれていたように思います。

その後、多くの中国の人たちや満洲と縁のある方々との出会いを通して、自分の中に「引揚げ3世という視点、あるいは歴史認識」を引き継ぐ役割があるという自覚が生まれてきました。それはどういうことなのか。お話できたらと思います。

以上が中村さんからのメッセージです。
中村さんが自らの生活の中で積み重ねてきた体験を踏まえての「引揚げ3世という視点」そして「歴史認識」。
まさに湯島のサロンにふさわしいお話です。

中村さんが旧満洲と関わってきた30数年の体験話や知見をお聞きしながら、普段はほとんど考えることのないような世界に思いをめぐらせたいと思います。
きっと現在の私たちの生き方にもたくさんの刺激と示唆をいただけると思います。

お時間が許せば、ぜひご参加ください。

〇日時:2020年4月4日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「引揚げ3世という視点、あるいは歴史認識-満洲と縁のある方々との出会いの中で考えたこと」
〇話題提供者:中村正人さん(旅行ジャーナリスト)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

| | コメント (0)

2020/03/28

■第1回病原体サロン「病原体から考える生物と環境の関係」のご案内

細菌学者の益田昭吾さんには、時々、湯島のサロンでお話をしてもらっていますが、最近の新型ウイルス騒ぎで、私たちはあまりに病原体について知らないのではないかということに改めて気づきました。そこで、益田さんと相談して、「病原体」をテーマにした連続ゼミ型サロンを企画しました。
基本的には継続参加スタイルにしたいですが、単発の参加も可能です。

益田さんのサロンに参加されたことのある人はご存知でしょうが、益田さんは「病原体も我々と同じ生物である」という姿勢で、長年、病原体の研究に取り組まれています。
病原体のことを知ることで、私たちの生き方や社会のあり方に関する大きなヒントが得られるというのが益田さんのお考えです。
ですから、単に「病原体に関する知識」を得るだけではなく、そこから私たちの生活を問い直すようなサロンにできればと思っています。

第1回は、「生物と環境」というテーマで、いわば病原体という生物に関する全体像を話してもらいます。
病気を起こす微生物を病原体と呼ぶそうですが、そうした病原体も本来の環境とは平和裡に共存していること、病気は環境が本来の環境ではない場合に限って起こる現象であること、などがわかると、病原体への親近感も生まれるかもしれません。

参考テキストとして、益田さんが書かれている2冊のちくま新書(「病原体はどう生きているか」「病原体から見た人間」)を使いたいと思いますが、詳しくは第1回目に参加者とも話し合いながら決めていければと思います。
ゼミ型と書きましたが、益田さんと気楽に質疑応答しながら、楽しく進めていけるような連続サロンを目指したいと思います。
最近話題の新型ウイルスの話も話題にできればと思います。

なお新型ウイルスが問題になっていますので、状況によっては開催日が変更になるかもしれませんので、ご注意ください。
参加申込いただいた方には開催日前日に確認のメールを送ります。

〇日時:2020年4月9日(木曜日)午後2~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇テーマ:「病原体から考える生物と環境の関係」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

| | コメント (0)

■「不要不急」かどうかは自分で考えましょう

不要不急の外出の自粛ムードが広がっています。

最近の日本人は、どうも「不要不急」とはなんなのかも自分で判断できないようになっているようで、テレビではその解説を盛んにやっています。
これではパンデミックに襲われ、ウイルス感染症も大流行するわけです。
私は、普段から「不要不急」の外出はしていませんので、世間がやっと私に追いついてきたとさえ思っていますが。
ただ私の場合、「必要緊急」のこともやらないことがあるのが問題ですが。

昨日は近くの小さなラーメン屋さんに娘と出かけました。
思った以上に混んでいて、しかも食事時間を少しずらしたのに、次々とお客様がやってきます。
そう言えば、私の娘の連れ合いがやっているイタリアンのお店も、コロナウイルス騒ぎでむしろお客様が増えていると言っていました。
お店のファンの人たちが、お店の窮状を心配して応援に来てくれているそうです。
そう言えば、私たちも昨日、少しそんな思いもあって、ラーメン屋さんに行きました。

そうした「外食」は決して「不要不急」ではありません。
近くのお店がなくなったら大変です。

人々のあたたかさと思いやりにちょっと幸せな気分になったのですが、いま娘の友人が、近くのスーパーが人でごった返しているとメールをくれたそうです。
そこは大きなスーパーなのですが、どうも外出自粛対策で買いだめの人が来ているようです。
これでまた感染者は増えるでしょう。

日常の買い物などを「不要不急」と思っている人が多いのでしょう。
ウイルス感染症になる前に、私から見れば、もうみんな「生きることを放棄」しているとしか思えません。

ウイルス感染症も心配ですが、もっと心配なことが私はたくさんあります。
病気の大流行というパンデミックもありますが、主体性を失ってみんなが右往左往するパンデミックもある。
せめてテレビでの不安をあおる報道はやめてもらいたいものです。

私は昨日は、録画していた最新の「水曜どうでしょう」を5編まとめてみました。
おかげで、テレビに煽られずにすんでいます。
この番組はお勧めです。

 

 

| | コメント (0)

2020/03/27

■オープンカフェサロンのご案内

急ですが、3月29日の午後に、オープンサロンを開催します。

なにもこの時期にと思われる方もいるでしょうが、いまだからこそ開催することにしました。
忖度し過剰反応し閉塞している日本の社会に、大きな危惧を感じているからです。

ちなみに湯島のサロンは、盛んに報道されている3つの条件(密閉・密集・密接)に合いがちですが、密閉にならないように換気には気を付けています。
参加者が少なければ、密集も回避できますが、この数回のサロンは、いささか危険に見えて私自身ちょっと心配でした。
ですから社会の迷惑にならないように、むしろ参加しないでほしいとお願いしたほうがいいような気がします。

にもかかわらずなぜサロンを開くのか。
別に「お上」に刃向おうというわけではありません。
都知事の判断は、私は正しいと思っています。
新型ウイルスの流行を止めるためにも「不要不急」の外出は避けるべきです。
私が危惧するのは、あまりに安易に同調する社会の風潮です。

幸いに、3月29日のサロンが、しっかり考えられた上で延期になり、場所と時間ができたので、代わりにオープンサロンを開くことにしました。
それにある人から、湯島のサロンも中止ですかと言われたので、ついつい私も「忖度」と「過剰反応」してしまったのです。
困ったものです。

しかし、オープンサロンですので、「不要不急」かどうかは自分自身で決められます。
来ても誰かが話題を提供してくれるわけではありません。
私は久しぶりに湯島の掃除でもしようかと思っていますので、それなりに用事はありますし、植物に水をやらなければいけません。
電車もすいているでしょうから私にはいつもより安全かもしれません。

ですから今回のサロンは、私のためのサロンのようなものですが、よほど居場所がなくて退屈されている方は、感染症予防に万全の注意を払ってご参加ください。
参加は決してお勧めしません。
世間の冷たい目をしっかりと意識したうえで、ご自分でしっかりと考えてください。
ただし、体調の悪い方や性格の悪い方は、参加されないことをお願いします。

そんなわけで、いつもとは違い、参加をお勧めしないサロンのご案内です。

〇日時:2020年3月29日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:まったくありません
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

| | コメント (0)

2020/03/25

■節子への挽歌4555:孫の自転車

節子

昨日、孫のにこが白い椿の花を持ってきてくれました。
わが家の庭の赤い椿の花と一緒に仏壇に供えました。

にこは、わが家に来るとまず手洗い、そして次に仏壇の前で節子に挨拶です。
それがルーチン化しています。
帰るときにも節子に挨拶をしてから帰ります。
帰り際にも必ず私にもタッチをしていきます。
最近は、小さな自転車で自分で走ってくるのですが、見送っていると見えなくなる道の角のところで、自転車を止めて、もう一度あいさつします。
まあ、あいさつをしっかりできれば、まあそれで十分でしょう。

私は自分の娘たちの教育にはまったく無関心というか、むしろ教育には否定的でしたが、あいさつができ、嘘をつかなければ、それで十分でしょう。
いまのところ、孫は順調に育っているようです。
節子がいたら、どんな感じで孫に接していたでしょうか。
それがなかなか想像できないのが、不思議です。

ちなみに、自転車ですが、とてもお気に入りでよく乗っているので、タイヤが減ってきてしまっているそうです。
自宅からわが家までかなりありますが、いつも自分の自転車でやってきます。
先日、途中で出会ったのですが、小さい自転車で母親の自転車を追っかけている様子は、とてもおかしかったです。

3895 3894

| | コメント (0)

■節子への挽歌4554:反省

節子
なかなか挽歌を定期的に書く習慣が戻ってきません。
一度崩れたルーチンはなかなか復活できません。
新しいルーチンをつくる方がいいかもしれません。

相変わらずいろんなことがありますが、ブログを書けないのは、最近、ともかく新しい発見が多すぎるからかもしれません。
最近、視界がかなり開けてきました。
もう少しで彼岸も見えてくるかもしれません。

新型ウイルス騒ぎで、人の集まりは自粛するようにと言われています。
そう言われ出してから、なぜか湯島のサロンは増えています。
別に自粛要請に反対なわけではありませんが、サロンをやりたいという人が増えているだけです。
一方で、ウイルスが心配なので延期したいという人もいるのですが、どうもあまり気にしていない人が多いのです。
昨日のサロンでも、湯島に集まる人の特徴ではないかとも言われましたが、そうかもしれません。

しかし社会はますます面白くなってきています。
昨日は、湯島で陰謀論に関わるサロンをやりましたが、いろんな陰謀物語を語れるほど、社会は面白くなってきているのです。
ブログなど書いている暇はないのです。

最近はツイッターとかフェイスブックとかへの投稿もありますので、なかなかじっくりとブログを書くことがなくなりました。
今日も、それでも私のブログを読んでいるという人がメールをくれました。
そう言えば2週間ほど前にも、新潟の読者から最近書いていないねと言われました。

困ったものです。
少し反省しなければいけません。

 

| | コメント (0)

■湯島サロン「新型コロナウィルスにまつわる気になること」報告

予想に反して、なんと17人の多人数参加サロンになりました。

Conspiracy-salon

新型ウイルスというよりも、中嶋一統さん(「陰謀論」研究家)が呼びかけに書いた、その背景にあるかもしれない「陰謀」に、多くの人は関心を持ったようです。
「陰謀論」は、みんなどうも大好きのようです。
しかし参加者が多いと湯島サロンもクラスター形成の危険性があり、それこそ「陰謀」に利用されかねないので、換気には気をつけました。

中嶋さんは、新型ウイルスが広がりだしたころから、その背後にある「意図」あるいは「人為」について話されていました。

陰謀を「隠れたはかりごと(謀)」と捉えれば、どんな事件や現象にも、かならず陰謀はつきものですが、「陰謀」というとフリーメーソンとかユダヤのプロトコルとかを思い出してしまい、荒唐無稽と片づけられてしまうことこそが、「陰謀の罠」だと中嶋さんは、以前、湯島のサロンで話してくれています。
私も「陰謀論」を一笑に付すことなく、そこから気付きを得ることこそ大切だと考えていますので、今回、中嶋さんにサロンをお願いしましたが、こんなに多くの、しかもさまざまな立場の方(それも女性が多かったです)が参加されるとは思ってもいませんでした。
しかし、そこにこそ、まさに現代の社会の問題が暗示されているのかもしれません。

中嶋さんが今回の新型ウイルスの流行の背後に「陰謀」があると考える理由はいくつかあります。
中嶋さんは、今回のウイルス騒ぎが始まった中国の武漢の立地をまず問題にしました。
その周辺にある研究所やそこで行われたイベントなどを調べてみると、どうも「人為」を感ずるというのです。
そう思っていたら、2月になって、新型ウイルスのゲノムに人工の加工跡があることが判明しました。これはもう「自然の営み」ではなく、なんらかの「人為」が関わっていることは明らかです。

さらに、2月にあるセミナーで会った人から、10月頃の情報に従って大量のマスクを購入して年内に大きな利益を得たという話を聞いて、「陰謀」の存在を確証したそうです。つまり秋頃には新型ウイルスの大流行を知っていた人たちがいたというわけです。
そうした視点で考えると、各国政府の動きや製薬会社の動き、ワクチンに関する動きも納得しやすく、またそれを裏づける小さな事件もたくさんあるというのです。

問題は、誰が何の目的でやったかということですが、これはいささか複雑すぎて、簡単には説明できませんが、そこでさまざまな「陰謀論」も出てきました。
一時は、新型ウイルスを離れて、いわゆる「陰謀論」、たとえば、9.11事件疑惑や宇宙人疑惑などにまで話は広がりかけました。

なんとかまた新型ウイルスの話に戻りましたが、これからの見通しに関しても中嶋さんは明確に話されました。
いささか複雑なのは、オリンピックと米国大統領選挙との関係です。これらがもしかしたら「陰謀」にもつながっているのかもしれませんし、逆に「陰謀」のプログラムを狂わせてしまったのかもしれません。
日本では、新型ウイルスよりもオリンピックのほうにマスコミも政府も関心があるような気もしますが、新型ウイルスとオリンピックの関係をきちんと整理して振り返ると、いろんなことに気づくはずです。

こうした話を踏まえて質疑応答に入りましたが、話はかなり広がりました。
なにしろ新型ウイルスに関しては、あまりにも情報が少ないですから、いかようにも物語はつくられます。それに、いまマスコミなどを通して出回っている情報やデータはおかしいことがたくさんありますので、なにか大きな「陰謀」を勘ぐりたくなるのは当然です。
中国のデータや情報はあまり信用できないという話がありますが、日本政府が発表するデータや情報も同じ、ある意味ではそれ以上かもしれません。
しかし、不安感をあおられる中で、私たちは、政府や「専門家」をあまり信頼できないにもかかわらず、その指示に従うしかないのです。

そんな話から、インフルエンザのワクチンへの不安の話も出ました。
しかし、その一方で、新型ウイルスのワクチンを待望してしまう。
いやはや困ったものですが、もうみんな「右往左往」せざるを得ない。
まさにそこに「陰謀」の実態が現れているのかもしれません。
いや、そこにこそ、現代という社会が象徴されているのかもしれません。

現代のように、自由意志で行動する〈自分〉が揺らいでしまうと、多くのことを誰かにまかせなければならなくなってきていますが、そのために、実際のプロセスが見えにくくなり、巨大な見えない組織に操られているかのような不安に襲われがちです。そうした時に、「陰謀論」がはやると言われています。

陰謀論は、一種の娯楽文化とも言われますが(サロン参加者のなかにも陰謀論を楽しんでいる人たちがいました)、しかしその中には時代を見る大きなヒントがあるとも言われています。
それは、あらゆるものはつながっていて、しかもすべては、現在を説明するためのものであるという、陰謀論の根底にある考えが、ともすると見失いがちな社会の全体像への目を開いてくれるからかもしれません。

サロンの話し合いの中で何となく合意されたのは、次の3点です。

世間に流れている情報をうのみにせずにしっかりと自分で考えることの大切さ。
自らの健康を一人ひとりがしっかりと自らで守ることの大切さ。
大きな陰謀にごまかされずに、もっと身近なところで作動している小さな陰謀(意図隠し)にもしっかりと目を向けることの大切さ。

新型ウイルス騒動に目を奪われている間に、もっと大きな「意図」が私たちの生活を壊していかないように、気をつけなければいけません。
新型ウイルス騒動から学ぶことはたくさんありそうです。

もちろん、まずは新型ウイルスの被害を広げることに加担しないようにしなければいけませんが。

 

| | コメント (0)

2020/03/24

■第7回リンカーンクラブ研究会「〈多数者の専制〉を回避する方策」報告

新型ウイルス騒ぎにもめげず、7人が集まりました。

Kc72
今回は、前回課題の整理で終わった「民主主義政治における合意形成」を、テーマに話し合いました。
前回参加しなかった人もいたので、最初に前回、武田さんが整理してくれた「合意形成を考える課題」を復習しました。
前回、武田さんが説明したように、リンゴ2つとミカン3つを足したらいくつになるかの話から入りました。リンゴとミカンは足せないが、いずれも果物であることに着目したら、5つと合算できる。合意のポイントは「違い」に着目するのではなく、「共通点」を見つけ出すということです。
つまり、合意とは話し合いを通して、相互の違いの中から共通するものを見つけ出すこと、あるいは共通することを創り出すこととも言えます。
しかし、同時に、合意するということは、それぞれ違った意見があるということです。
主体性のない単なる群れ(オルテガの「大衆」)では合意が問題にならないが、個性のある多様な人たち(ネグリの「マルチチュード」)には合意が問題になります。

そんな復習をしたうえで、今回は「多数者の専制」を切り口に話し合うことにしました。
民主主義において多数者が少数者を抑圧する現象は昔から指摘されていたことですが、最近の日本ではまさにそうした状況が日常化してきています。
それをどう回避するか。
同時に、多数決による合意は果たして正当性があるのか、といった議論です。
多数決で合意された後の監視・阻止・審判の重要性を説く「カウンター・デモクラシー」の話も出ました。「合意する民主主義」から「監視し阻止する民主主義」へと変わってきているという話です。
そうした切り口からさまざまな話が出ました。

いずれも正面から話し合ったわけではありませんが、さまざまな視点から多様な議論で盛り上がりました。あまりに多様で報告は難しいですが。
しかも今回は、まさに午前中に、地域の公共施設の利活用に関する集まりで、「合意の暴力」を体験してきた人が参加し、なまなましい話題を提供してくれたので、とても具体的な話し合いになりました。
やはり具体的な事例で話すと問題ははっきりしてきます。

新型ウイルスへの政府の対策や森友問題に絡んだ赤木さんの遺書問題も話題になりました。
こうした事象にも「合意形成」の問題が見えてきます。

時間をかけてゆっくりと進めていった合意形成が、生産性を重視する時代の中で、いつの間にか多数決主義にとって変わられてしまいました。
多数決は情報の共有や公正な熟議があってこそ、正当性を確保できますが、形式的な多数決はさまざまな問題を引き起こします。
改めていま、多数決と民主主義について考えていくことが大切だと思います。

この問題は、茶色の朝サロンでも、さらに考えていければと思います。

 

| | コメント (0)

■第7回万葉集サロン「万葉集の〈おの(己)〉」報告

万葉集サロンの7回目は、〈おの(己)〉がテーマでした。
今回は、私自身の理解があまりに不十分なので、升田さんの事前チェックを受けようと思いましたが、升田さんに迷惑をかけるのも気が引けるので、やめました。そんなわけでいつも以上に主観的な報告ですので、お許しください。

万葉集には多様な人称代名詞がでてくるそうですが、升田さんは今回、〈おの〉(己・各・自)を再帰代名詞と捉えて、いくつかの歌を通して、そこから強い自我意識の誕生を読み解いてくれました。
初めに詠みあげたのが、但馬皇女の「人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る」(巻2-116)でした。
この歌は、禁断の恋を貫こうとした但馬皇女の歌だそうですが、この「己が世に」には、だれからなんと言われようとも自分の意志を貫こうとする、自己意識の強さが示されています。
〈た(多)〉から生まれてきた〈わ(吾)〉が、さらに突出した「自我意識」になっていく勢いがそこにあると升田さんは読み解いてくれました。
その背景にある万葉歌人たちの恋愛話もちょっとだけ紹介してくれましたが、強い自我意識の誕生は、理知によってではなく情感によってなのではないかと私は気づかされました。それが「物語」の誕生にもつながっていくのかもしれません。

つづけて、升田さんは記紀や宣命などにでてくる「己」、さらには万葉集のほかの歌に出てくる「己」などを材料に、〈わ(吾)〉とは違った〈おの(己)〉の誕生を、さまざまな形で話してくれました。
多くの人たちのなかから生まれた、横並びの相対的な「わ」と、多くの人たちからは突出した上下関係にある絶対的な「おの」は、あきらかに次元が違います。

面白かったのは、防人歌の中に登場する〈た(多)〉のなかの〈わ(吾)〉と、その防人歌の中に挿入されている大伴家持の3首の長歌に出てくる〈おの(己)〉の対比でした。
家持の「おの」には、さまざまな「わ」の喜怒哀楽がみえていたのかもしれません。
それは同時に、豊かな「た」への喜怒哀楽だったのではないか。
家持が、どういう思いで、防人の歌を編集したのかを想像するのも楽しい話です。

しかし、「わ」から究極の自己表出へと向かうかに見えた「おの〈己〉」が、大伴家持の長歌を最後に、平安朝に入ると急速に姿を消すのだそうです。

升田さんは、「た」のなかから生まれ出た自己意識の「わ」と強い自己認識(再帰代名詞)である「おの〈己〉」との違いを見ていくと、万葉への新しい視野が拓けてくるように思うといいます。
話を聞いていて、万葉への新しい視野とともに、もっと長い歴史への新しい視野も拓けてくるかもしれないと思いました。

家持の「おの」意識のなかには、抒情の世界、物語の世界が生まれてくる兆しが感じられる、と升田さんは話されました。
しかし、大伴家持は万葉集以後、「おの」を発展させた歌は詠んでいないようです。
そして、1世紀ほどの間隙をおいて、漢字に基づく万葉文化は仮名に基づく平安の国風文化へと変わっていくわけですが、その違いとつながりのなかに、日本人の文化とその後の歴史展開を考える大きなヒントがあるように思います。

興味深々の壮大な話ですが、残念ながら私にはまだ説明できるまでには消化できておらず、升田さんの講義の面白さや意味を言葉にできないのがとても残念です。

これまで升田さんは、7回にわたって、万葉集を多様な人称代名詞を切り口に読んできてくれましたが、私にとっては、思ってもいなかった万葉集の読み方でした。

さて次回はどんなテーマでしょうか。
今の調子だと、升田さんはさらに先に進みそうですが、途中から参加の方もいるので、このあたりで一度、これまでの総括を兼ねたサロンをやってもらうようにお願いしようと思います。

Manyoushu2020033 Manyoushu2020033

| | コメント (0)

2020/03/23

■士農工商は序列ではない?

子どものころからずっと疑問に思っていたことがあります。
「士農工商」は本当に上下関係の序列なのかということです。
今朝の朝日新聞を見て、それを思い出しました。

Photo_20200323091101
「士農工商は序列じゃない?」という見出しで、支配者である「武士」と被支配者である「社会一般の人びと」の「農工商」のイラストが描かれていました。
そして、明治新政府が目指した「四民平等」に対比させるイデオロギーを象徴するために、士農工商を社会的序列としたというようなことが書かれていました。
これまたひどい「イデオロギー操作」だと思います。

たぶん「士農工商」は「士」を含めてみんな横並びで、序列などではないでしょう。
「序列」は実は見えないところにある。
「士農工商」という被支配者層とその外部にいる支配者層です。

支配者層は表面には出てきません。
そして被支配者層を階層化し、相互に対立構造を生みだします。
というよりも、被支配者層は自分たちで勝手に横の関係を上下関係に作り替え、自らの優位性を作り出していきます。
そうなれば支配層は「支配」などしなくても支配できるようになります。

前に湯島でインドのカーストを話題にしたサロンをやりましたが、その時もインドのカーストは誰が何のために作ったのかを考えてみました。
カーストって、そんなに悪いものなのか。
カーストの外にいる人たちが作ったと考えると別の世界が見えてきます。

敵はいつも見えないところにいる。
実際に敵対している同士は、実は仲間である。
こう考えるといろんなことが見えてきます。

ちなみに、新型ウイルスは「見えない存在」ではありません。
そして決して「敵」ではない。
明日24日、湯島で新型ウイルス騒ぎから、こんなことも考えるヒントが得られるかもしれません。
争いの外にこそ、実は争いから利益を得る人がいるのです。
「争わされる存在」にならないように気をつけたいと思います。

ちなみに、最近の日本の政治を見ていると、同じような構造を感じてしまいます。安倍政権や佐川さんの向こうにあるものを見なければ、結局は何も変わらないように思います。

 

| | コメント (0)

2020/03/21

■CWSサロン「知識ゼロで挑む無門関パート2〈世尊拈花〉」のお誘い

1月に開催した「知識ゼロで挑む無門関」サロンのパート2を開催します。
前回は、金子さんから「百丈野狐」を題材に「無門関」の読み方の手ほどきをしてもらいましたが、今回は「世尊拈花(せそんねんげ)」に取り組みます。
まだかなり先ですが、あらかじめ対象になる公案を読んでいただき、考えてもらっておくために、案内させてもらいます。

金子さんからのメッセージをお読みください。

前回の第2則「百丈野狐」は、輪廻や因果応報のやりとりをトリックに話が進み、全く違う答えが導き出されました。
禅門の修行者の「気構え」のようなものが提示されていました。

さて第2弾は第6則「世尊拈花(せそんねんげ)」を取り上げさせていただきます。
一般には、拈華微笑(ねんげみしょう)という言い方で、あるいは「以心伝心」という言い換えでご存知の人も多いでしょう。

「世尊(ブッダ)」が花をひねった、聴衆の中でただ一人、迦葉(かしょう)だけがそれを見て笑った。
このことで仏教の真髄は、(師のテストに合格した)迦葉ただ一人に伝えられた。
というお話です。

さてさて、この話の何が問題なのか?
もっとも優秀な弟子に当然のごとく伝わったというお話なのでは?

そこが禅の一筋縄ではいかないところ。
第6則は、私たちに「本当にそうか?それでいいのか?」を徹底的に問いつめます。

このお話には、師匠が弟子にどのようにその技芸における神髄を伝えるかという問題とそもそも「伝達」とは何か?
さらにはコミュニケーションの根本問題「伝わる/伝わらない」とはどういうことかを示唆します。
興趣尽きないお話です。

答えはおそらく皆様方の予想外の地点にあります。

さてさて、どんな展開になるのか。
前回もテキストとして利用した、岩波文庫の西村恵信訳註「無門関」の「世尊拈花」の部分を添付させてもらいました。
参加される方はあらかじめ読んでおいてください(当日もプリントアウトしてご持参ください)。

ダウンロード - e784a1e99680e996a2e38088e4b896e5b08ae68b88e88ab1e38089.docx

難しいテーマですが、「知識ゼロ」でもいいと金子さんは言ってくださっているので、気楽にご参加ください。
コミュニケーションの極意に気づかせてもらえるかもしれません。

〇日時:2020年4月11日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ:
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:金子英之さん(「無門関」永世愛読者/i2
associates代表
大学で東洋美術史を学んでからデザイナーをやっています)
〇テーマ:「知識ゼロで挑む無門関〈世尊拈花〉」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修:
qzy00757@nifty.com

| | コメント (0)

■節子への挽歌4553:ちょっと自慢話、でも真実とは違いますが

節子

ちょっと昔のことを思い出すメールが来ました。
と言っても、私の知っている人からではありません。

ある集まりに招待されたのですが、それに関して、私の友人に届いたメールが私のところに転送されてきたのです。
残念ながら、日程が合わずに、私は結局、その集まりには参加できませんでした。
転送されてきたメールはこんな内容です。

佐藤さんのFacebookの投稿は、ほぼ全て拝読していて、共感することばかりです。
東レ時代の反乱軍の先輩ですよね。
後輩に、君たちは辞めるなと言ったあの先輩。
すごいな。憧れの方ですが、お会いするとなると、ちょっと緊張します。

私とは面識はありませんが、フェイスブックを読んでくださっているようです。

ちなみに、私は東レ勤務中に「反乱」などは起こしたことはありません。
社長に進言して、東レの文化を変えるプロジェクトを立ち上げさせてもらったのです。
あまりに自由にやらせてもらったので、外から見れば、「反乱軍」にも見えたかもしれません。

しかし、ほとんど誰も知りませんが、当時の会長や社長、そして労働組合の委員長からは強く支持されていました。
誰にも話していないことがいろいろありますが、いまから思えば、誰にも理解されていなかったかもしれません。
いや私自身が、十分に理解していなかったという面もあります。
だからこそプロジェクトは失敗し、私は生き方を変えてしまいました。

事実はどうであれ、しかしこう書かれると、なにか少しうれしい気分になります。
反乱の失敗の責任を取って、自分は腹を切るが、仲間には残れと言う。
何やらドラマのような話ですが、そんなきれいな話があるはずはありません。
思い出は常にドラマになるものです。

節子との思い出も、たくさんのドラマを生みだしています。
たぶん今の私の中にある節子の思い出の多くは、つくられたドラマなのかもしれません。

しかし、どんなに素晴らしいドラマよりも、生身の節子との時間が欲しいと、いつも思います。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4552:体調が回復しました

節子

ようやく体調が正常化してきました。
みんなから嫌われてしまっている新型ウイルスの居場所として、私の身体を少し提供してもいいと思っていたのですが、そのせいで身体の違和感が発生したのかもしれないというような気もしていたのですが、いずれにしろ元気が戻ってきました。
もう新型ウイルスの抗体もできたでしょう。

今日も春のようないい天気です。
上野公園も桜が咲きだしていると思いますが、ここも新型ウイルス対策でお花見禁止のようです。
どうして最近の世の中は、こうも極端なのでしょうか。

みんな「群れ」でしか行動しなくなったのかもしれません。
明らかに人類は「退化」しています。
いやこれをこそ「進化」というのかもしれません。

私は、退化も進化もせずに、これまでと同じように、自らを素直に生きていこうと思いますが、まあしかし人との付き合いを断つわけにもいかず、毎日、いろいろと悩ましい問題が起こります。
節子がいたら、今頃は東京を離れて、隠棲できていたかもしれませんが、相変わらず今も、「人混み」の中で生き続けています。
それに、いまとなっては「人混み」からはなかなか抜け出せません。
今週は在宅が多かったのですが、人に会わないとなぜか人に会いたくなります。

今日は万葉集サロンです。
サロンも新型ウイルス騒ぎで欠席者が増えていますが、そうなるとますますサロンをやりたくなります。
困ったものですが、まあそれが私の性格ですから仕方がありません。

それにしても、自分の判断で生きている人が少なくなってしまいました。
そんな気がしてなりません。

 

| | コメント (0)

2020/03/20

■節子への挽歌4551:異常な世界

節子

新型ウイルス騒ぎで、まさに世界中、パニック状況です。
なぜこんな騒ぎになってしまったのか不思議ですが、世界がいかにもろくなっているかということでしょう。
自然の流れに任せていたら、こんなことにはならなかったように思います。
あるいは、かなり人為的な管理をしたからこそ、この程度に終わっているともいますが、ある程度の流行と犠牲者は仕方がありません。

私自身は、手洗いとうがいはいつも以上に注意していますが、それ以外の生活スタイルは一切変えていません。
ですから生活の乱れはありません。
湯島に行くのも全くいつもと同じです。

トイレットペーパーやティッシュペーパーもまだ店頭には不足気味です。
マスクに至っては、まだ店頭に出てきていません。
これらはいずれもわが家では騒ぎになってからは、あえて新規には買わないようにユカに話しています。

というのもわが家の場合は、いつも1か月以上の予備があるからです。
騒ぎになってからは、使用量をできるだけ減らしています。
いまのところまだしばらくは大丈夫だそうです。
マスクは、私はほとんど使わないようにしています。

まあ基本的には普段と同じ生活をしているわけです。
満員電車には、普段も基本的には乗らない暮らしにしていますし。

平常な生活がいかに大切であるか。
節子のおかげでいろいろな気付きを得ていますが、それが今、大きく活きていると思います。
それに「死」もまたそう異質なことではありませんし。

とはいうものの、最近の世界は明らかにおかしいです。
節子がいたら観光地巡りができたかもしれません。

 

| | コメント (0)

■マスクよりもサロンが必要な時期

新型ウイルス騒ぎの中でも湯島のサロンは基本的には開催しています。
手洗いや換気には注意していますが、サロンの主旨は変えるつもりはありませんので。

この週末からしばらくは、むしろサロン続きです。
別に最近の自粛風潮に反発しているわけではありません。
自然とそうなっているだけです。
さすがに私も少し多すぎて疲れるのではないかと心配ですが。

しかし、不要不急や生産性の捉え方は、私の場合、世間の常識と真逆かもしれませんが、いまこそマスクよりもサロンが大切だと思っています。
口を閉ざすよりも、口を開くことの方が求められています。
生き方を見直すいい機会ですので、もし何か話したい方がいたら、ぜひサロンをやってください。

ちなみに当面のサロン予定です。
3月21日 万葉集サロン(「われ」と「おの」)
3月22日 リンカーンクラブサロン(多数者の専制の回避)
3月24日 新型ウイルスの謎
3月26日 茶色の朝シリーズサロン(種苗法)
3月29日 若い世代からのメッセージ(コミュニティと教育)
4月3日  生活者目線での循環型社会(二本松での実践)
4月4日  引き上げ3世の歴史認識
4月11日 無門関サロン

 よかったらご参加ください。

 

| | コメント (0)

2020/03/19

■節子への挽歌4550:お彼岸の墓参り

節子

お彼岸でしたが、昨日はお墓に行きませんでした。
あんまり体調がよくないので1日ずらせてもらったのです。

今日もまだどことなく体調に違和感があるのですが、ユカに頼んで自動車で行ってもらいました。
お墓に着いた途端に電話があり、ちょっと長電話になってしまい、お墓の前で電話し続けていました。
その間、ユカがお墓の掃除をし花を活けてくれ、線香をあげてくれたので、私は般若心経をあげただけのお墓参りになってしまいました。

帰り際に隣の空き地を見たら、つくしんぼがにぎやかに芽を出していました。
今年の春は早そうです。

Tukushi2  

新型ウイルスが人間社会にはパニックを起こしているようですが、そんな騒ぎには惑わされずに、つくしんぼのように、自然に素直に生きていこうと思います。

しかしどうしてみんなこんなに病気を恐れるのでしょうか。
まさにそうした状況こそが、私には「病気」、気を病んでいる状況だろうと思います。
そう思ってはいるのですが、いまの私はどうも体調に違和感があります。
病んでいるのは「気」なのでしょうか。

 

| | コメント (0)

■湯島サロン「生活者目線で循環型社会を目指す-二本松での実践」のお誘い

新型コロナウイルス騒ぎで、世界中がパニックを引き起こしているような最近ですが、こんな時こそ、自然や生命の原点に立ち返って、自らの生き方を取り戻したいと思います。
そう思っていた矢先に、サロン仲間の小林康子さんから、福島県の二本松市で、自然といのちを輝かせて生きている人がいるので、その人のサロンをやったらどうかと提案を受けました。
一般社団法人いのちまるごと輝くを主宰している片平正子さんです。
http://inomaru.jpn.org/

片平さんは、自然とのつながりを感じる活動を通して、一人ひとりの人が、自身の中にある「いのち」や「魂」の輝きを取り戻し、さらに多くのことにつながっていく社会をつくることを目指して、さまざまな活動を展開されています。
活動の一つに、自然農法への取り組みがあります。
最近は二本松でコメづくりにも取り組んでいるそうです。

片平さんは、活動に取り組んでいるうちに、自らが取り組む、農業再生・働くことの改革・地域創生などが、今の日本での課題そのものだということに気づいてきたそうです。
そこで、今回は、二本松でのコメづくりなどの自然農法への取り組みを切り口にして、生活者目線での循環型社会ビジョンや、それに向けての無理なく楽しい活動が生き方を変えていくという、片平さんの実践のお話をお聞き、参加者みんなで話し合いたいと思います。

平日の午後ですが、ぜひたくさんの皆さんに参加していただきたいと思っています。

〇日時:2020年4月3日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「生活者目線で循環型社会を目指す-二本松での実践」
〇話題提供者:片平正子さん(一般社団法人いのちまるごと輝く代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

 

| | コメント (0)

2020/03/18

■節子への挽歌4549:カミユとサガン

節子

世界中にいま、新型コロナウイルスが広がっています。
WHOは最近パンデミック宣言をしました。
世界各地でパニックも起こっているようです。
まるで、中世ヨーロッパのペスト流行を思い出させます。
人類はなかなか成長しないようです。

カミユの「ペスト」がまた読まれているそうです。
たぶんほとんどの人は途中で挫折しているでしょうが。
私も2月になって、思い出して「ペスト」を読み直そうと思ったのですが、字が小さいので挫折しました。

私の手元にあるのは、新潮社の世界文学全集です。
私が大学1年の時に読んだ本です。
その頃、刊行が始まった新潮社の世界文学全集は想定がそれまでの全集にはないソフトなデザインで、とても新鮮でした。
たしか2冊目はサガンだったと思いますが、その2冊はすぐに読みました。
しかし3冊目以降の記憶がありませんし、私の書庫にも残っていません。

カミユとサガンは、節子に会う前の私の青春を象徴しています。
節子と暮らし始めて、それらは忘れられてしまいました。
節子との暮らしの中で、カミユもサガンも必要なくなったのです。

新型ウイルスのパンデミックから思わぬ方向に行ってしまいましたが、これを書いているうちに、もう一度、「ペスト」を読んでみようかという気になってきました。
節子がいなくなった後、カミユの「異邦人」は読み直しました。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4548:スペインのラモちゃん

節子

新型コロナウイルスが広がっているのは日本だけではありません。
今や世界中に感染症が広がっています。
中野さんの住んでいるエジプトでも問題になっていますし、ヨーロッパも大変のようです。

スペインも大変そうなので、スペインのラモちゃんにもメールしてみました。
すぐに返事がきました。
大丈夫そうですが、コロナウイルスが怖いと書いてありました。

ラモちゃんはジュンの友人のパートナーで、ジュンがスペインにタイルの勉強に行っていた時にお世話になった人です。
わが家にも一度、花火の時だったと思いますが、やってきました。
節子は闘病中だったと思いますが、会っているはずです。
もっともこのあたりのことになると、記憶がかなりあいまいです。
節子にまつわる記憶に関しては、時間感覚がとてもあいまいなのです。

ラモちゃんは日本の武道が大好きで、柔道をやっています。
一度しか会っていませんが、好青年です。

もし、節子がいたら、と時々考えるのですが、私の生活はまったく違ったものになっていたでしょう。
エジプトにもスペインにも、行っていたかもしれません。
スペインは、実は一度行く計画をたてたのですが、同居していた母親の体調の関係で、取りやめたまま、ついに行く機会を得られませんでした。
エジプトは、もう一度、行きたかったところです。

人の人生は、ちょっとしたことで大きく変わります。
しかし、そうであっても、実現した生き方を肯定的に受け止めるのがいい生き方かもしれません。
最近、だんだんそう思えるようになってきました。

昨夜は8時に就寝しました。
寝たのは9時ころですが、体調はほぼ戻りました。
昨日の昼風呂は正解だったかもしれません。

| | コメント (0)

2020/03/17

■節子への挽歌4547:なぜか昼風呂に入ってしまいました

節子

前の挽歌を書いている時に、ふと、お風呂に入ろうと思い立ちました。
体調があまり良くなく、明日、出かけようかどうか迷っているのですが、入浴すれば白黒はっきりするかもしれないと、なぜか思ってしまったのです。
それで娘に頼んで、お風呂を沸かしてもらいました。

その時は「いい考えだ」と思っていたのですが、いざ、お風呂に入ろうと思ったら、なんでこんな明るい時間にお風呂に入ることに決めたのだろうかと疑問がわきました。
それで娘にどうしたこんなに早くお風呂い入ろうと思ったのだろうかと訊いてみましたが、自分に訊いたらと言われてしまいました。
まあこういうことは時々あるのです。

でもまあせっかく沸かしてくれたのだからとお風呂に入りました。
入浴剤を入れて、ゆっくりとお湯につかりました。
しかし、体調がよくなり気配はありません。
むしろ湯冷めで風邪をひいてしまうのではないかと心配になりました。
困ったものです。

風呂上りに相撲を見ていたら、予想通り、遠藤は貴景勝に負けてしまいました。
私は遠藤のファンではないのですが、なぜか彼の取り組みだけは在宅の時には見るようにしていますし、勝てば元気になり、負ければがっかりします。
ファンでもないのに不思議ですが、これはもうずっと前からそうなのです。

それにしても、どうして昼風呂になど入ろうと思ってしまったのか。
風邪をひかなければいいのですが。

どうも人の行動は、不思議です。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4546:アサリとタケノコ

節子

九州の蔵田さんからの恒例のアサリのコミュニティとも書いておきましょう。
3月12日に、いつものように椎田のアサリが届きました。
例年よりも遅いですが、いつものように立派なアサリです。

今年も蔵田さんがご自分で椎田の浜に行って、寒い中を採ってきてくださったのです。
今年は、昨年よりもさらに採取できなくて、箱が埋まらないと言って、合馬のタケノコを入れてきてくれました。
アサリとタケノコ、いずれも私の大好物です。

電話をしましたが蔵田さんは今日も潮干狩りに行っているそうです。
奥様と話しましたが、おふたりともお元気そうでした。
蔵田さんは、私よりも年上ですので、もう80歳を超えています。

しかし蔵田さんには、お世話になりっぱなしです。
出合いはビジネスの関係だったのですが、私はむしろ蔵田さんに迷惑をかけた方です。
にもかかわらずビジネスの付き合いの時から、私は蔵田さんにお世話になりっぱなしです。

というよりも、私のビジネス感はかなり逸脱していますので、そもそもビジネスの付き合いなどと思っていなかったのですが、それに輪をかけて、蔵田さんも私以上にビジネスなどとは思っていなかったのでしょう。

前にも書きましたが、私がこれまで知り合った人の中で、蔵田さんほど邪気のない方は知りません。
奥さまも電話で時々言いますが、本当に無邪気な子供のような人です。

節子が元気だったら、2人で蔵田さんのところにお邪魔できるのですが、本当に残念です。
体調があまり良くないので、ユカが早速、アサリとタケノコを調理してくれました。
タケノコご飯とタケノコの煮物、そしてアサリのお味噌汁。
とてもおいしかったのですが、残念ながらどうもまだ元気が出てきませんでした。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4545:ボストンのSさん

節子

また10日間、挽歌を書かずに過ぎてしまいました。
毎日書いていないと、いったいその間、何かあったのか自分でも思い出せません。
まあいろいろとあったので、それを思い出しながら、少しこの10日間を生めるようにします。

最後に書いたのは、エジプトの中野さんから来た手紙のことでした。

今朝、起きたら家の電話にボストンのSさんからの留守電が入っていました。
しばらくミシガン州に行っていたようです。
Sさんは、調べ物をしている途中に、私のホームページに出会い、一昨年、来日した機会に湯島によってくれたのです。
昨今のネット環境にはとても慎重で、メールもやっていないので、電話と手紙とでしか連絡はつきません。

昨年、クリスマスカードをもらったので、私も送っておいたのですが、その返信でした。
インターネットを使わない人との連絡はだんだん疎遠になりがちです。
Sさんはとても慎重な方なので、電話もあまり好まないはずですが、私の自宅の電話番号はどうして知っていたのでしょうか。

最初に湯島にやって来た時、Sさんはボストンのご自宅で、私が湯島でやっているようなサロンをしたいとお話になりました。
もしSさんのボストンサロンが実現すれば、ネットを使えば、湯島との共同サロンも出来たかもしれません。
ネットに懐疑的なSさんが賛成したかどうかはわかりませんが。
でもその後少し考えが変わったようです。
サロンは延期または中止になったようです。

最近、私自身の体調があんまりよくないこともあって、ほぼ連日在宅ですが、まあ外からいろんな刺激が入ってきます。
唯一来ないのは、彼岸からだけです。

 

| | コメント (0)

2020/03/16

■湯島サロン「コミュニティは見つけるものか育てるものか」報告

4回目の「コミュニティを考えるサロン」は、「なぜあなたはコミュニティを求めるのですか」「いま何が欠けているのですか」という問いかけから、話し合いを始めました。
参加者は13人、世代は20代から70代まで、さまざまでした。

Community20200314

他者と思いを共有したい、生を実感したい、異質さと触れ合いたい、安心や幸せを感じたい、信頼関係に身を置きたい、愛を感じたい、気を通わせ合いたい、気兼ねなく「ただボーっと」いっしょの時間と空間を共有していたい、いや適度の刺激を受けたい、など、さまざまな要素が出てきました。

要素はいろいろでしたが、共通しているのは、当然ですが「他者の存在」です。
どこかに引きこもって一人でいても、それはコミュニティではなく、満たされた空間でもありません。
他者との共存が、豊かで幸せな人生には、どうも不可欠な要素のようです。

つまり、コミュニティを考えるとは「他者とのつながり方」を考えるということです。
参加者からの意見には一見、相反するものもありました。
たとえば、生さえも忘れるような平安と適度に生を感じさせてくれる刺激。
たとえば、疲れを癒される休息感と新たな挑戦に旅立ちたくなる高揚感。

主客の関係もまた複雑です。愛されたいのか愛したいのか、信頼したいのか信頼されたいのか、それは全く別のものですが、混同して考えがちです。
人は愛したり信頼したりすることはできますが、愛されたり信頼されたりすることは、他者の問題ですから自由にはなりません。しかし、ともすると私たちはそれを勘違いしてしまう。

時間も同じように変化していきます。
信頼関係や愛(思いやり)に満たされた関係も、不変ではありません。
時間の経過、環境の変化の中で、突然に崩れることがないとは言えません。
信頼や愛が「存在」することが重要なのか、そうしたことを創り出していく「過程」(の充実感)が重要なのかも、人によって違うでしょう。
いつも信頼や愛や安心が満ち溢れているのが「コミュニティ」ではないでしょう。不信や憎しみや不安があるのもまた「コミュニティ」かもしれません。

しかも、信頼や愛や安心などには、実際には常に緊張関係が含まれています。
信頼や愛や安心を持続していくための緊張感と持続できなくなった時の不安感。
「他者とのつながり方」ですから、常に不安定の要素があります。

これまでも世界中にいろいろな「コミュニティ」が生まれましたが、とてもコミュニティとはいえないような人間集団になってしまったものも少なくありません。
かつての村落共同体や高度経済成長期の日本の企業コミュニティも、良い面もあれば、抜け出したい面もありました。
そんなことをいろいろと考えるヒントがたくさん出されたような気がします。

それにしても、みんなそれぞれに「自分のコミュニティ」を持っているはずなので、どうして「コミュニティ」をテーマにしたサロンが4回もつづくのでしょうか。

参加者のおひとりが、すでにいろんなつながりを持っているが、最後まで心配もなく逝くことができるだろうかちょっと不安というような話をされました。
「生きるためのコミュニティ」とは別に、「死ぬためのコミュニティ」も大切かもしれません。これに関しては、これまでも湯島でいろいろと取り組んできましたが、まだ中途半端にとどまっています。

結論を見つけ出すサロンではないので、それぞれに気づきがあればそれでいいのですが、話し合いを聞いていて、まだ多くの人が、「コミュニティ」を観察的に考えているのではないかという気がしました。
私たちは、どこかで「コミュニティ」を観察的に考えています。

そもそも「コミュニティ」という言葉自体が、外在的なイメージです。
それでは学者の議論にはなるかもしれませんが、生活の役には立たないのではないか。
自らが生きやすい人のつながりをつくることに関心があるのであれば、「コミュニティ」という言葉から一度、自由になることが必要ではないか。

だれにも、必ず自らの生の拠り所になっている「人との関係」はあるはずです。
まずは、それを自分のコミュニティと捉えて、そこから自らのコミュニティ(世界)を広げていくのがいいのかもしれません。
自分の周りに、コミュニティは広がっていると思うと世界は一変するかもしれません。
それにコミュニティはひとつである必要はありませんし、未来永劫抜け出せないわけでもない。

エマニュエル・トッドが、人類の歴史は夫婦(家族)という2人の社会から始まったと言っていますが、言い換えれば、まずは「コミュニティ」をつくることで、人類は生きる基盤をつくりだしたともいえます。
私たちは、意識していなかったとしても、生きると同時にコミュニティを育ててきているはずです。
「コミュニティ」は観察する対象ではなく、生きてきた足跡のなかに育ってきているものかもしれません。

長くなってしまいましたが、肝心のことがまだ書けていない気もします。
このまま書き続けると1冊の本になりそうなくらい、論点はたくさんあった気がします。

今回は、次の3つの課題を意識した話し合いをさせてもらいました。
(1)コミュニティは参加するものか、育てていくものか。
(2)コミュニティにとっての時間と空間と人間。
(3)コミュニティの開放性と多層性。
これらに関しては直接的な議論はしませんでしたが、それぞれに考えてもらえたと思います。

どこかに焦点を絞って、もう少し話し合いたいという方がいたら、5回目のサロンをしようと思います。
ご希望の方がいたらご連絡ください。

 

| | コメント (0)

2020/03/13

■社会をどちらの方向に変えましょうか

相変わらず毎日、新型ウイルス感染症の感染者人数の詳細な報告が続いています。
加えてマスク不足と不当な販売のニュースもつづいています。
いずれも不安をあおり、マスクによる不当利益を得やすい環境づくりに努めているとしか思えません。

マスクは今でも日本国中に余っていると思いますが、ますます暴利商品にしているので、公開の場に放出されないでしょう。本当にその気があれば、即時に通販サイトでの販売を禁止すべきですが、それをやらないのはそうした闇ルートと政治がつながっている証拠です。
静岡の県議がマスク転売で話題になりましたが、そんな小さな話に騙されてはいけません。

感染者の感染ルートをせんさくすることで、いらぬ疑心暗鬼を引き起こしているのも腹立たしい。むしろ問題解決への関心から目を背けさせています。
不安状況をつくるためにも、ウイルスは実態データはあいまいにしながら、ひっ迫感を煽るデータは作り続けているのかとついつい勘ぐりたくもなります。
だれが「意図」しているのだと思いますが、そこに明らかに「意図」を感じます。
それを「陰謀」という人もいますが、まさに今はいたるところに、「陰謀」は張り巡らされている気がします。
表面的に見えることと裏に隠されていることとは違いますが、先入観から自由になれば、いずれからもそれなりに真実は見えてくるものです。

「陰謀」という言葉で、隠されてしまうことをこそ、気にしなければいけません。
この視点は、湯島のサロンでも時々話題にしていますが、「陰謀」という言葉にこそ「陰謀」が含意されているというのが、サロンを時々やってくれている中嶋さんの考えです。
「陰謀」という言葉に騙されてはいけません。
陰謀は、単に隠された謀(はかりごと)であって、日常的な現実のことなのです。

ちなみに、私は新型ウイルス騒ぎには特別の不安を感じていません。
誰かの陰謀、あるいは意図に踊らされることのない、自分の素直な心身で事実を見て、素直な対応を取れば、ウイルスも怖くはありません。

だからと言って、完全にウイルスから自由であるとは思っていませんが、生命は時に病むこともあり、回復できないこともあります。
それは別に新型コロナウイルスに限ったことではありません。
生命を脅かすものは、新型コロナウイルスだけではないのです。
政府やマスコミなどの情報に振り回されることなく、自分をしっかりと生きるのがいいです。

オリンピックに関しても、関係者の多くは、延期も中止も全く考えていないという、驚くべき発言をしています。
これも現在の新型ウイルス騒ぎとまあったく同じです。
感染状況を調べようとせずに、砂上の対策を立てつづけるのと同じように、事実を踏まえて、あらゆる可能性を視野に置いて、オリンピックを成功させようという姿勢は感じられません。
もし本当に実現したいのであれば、中止のしなりをも含めて吟味しなければ、うまくいく桃の喪うまくいかないでしょう。
つまりやる気がないということです。
IOCがWHOに、責任を投げたように。

ただ今回のウイルス騒動で一つだけ私にはよかったと思えることがあります。
たぶんこれを契機に、私たちの生き方が変わるだけでなく、制度疲労していたいろいろな制度が、たとえば学校や企業が変わることでしょう。
人々の意識も変わる契機が与えられたようにも思います。

だとした、これからどんな社会を目指すのか、その方向性は私たちで決められるかもしれません。
私は、時代の方向性をしっかりと決めていますが、もしかしたらその方向に向かわせられるかもしれません。
私には、新型コロナウイルスには感謝しこそすれ、「ウイルスが悪い」などという思いはまったくありません。

| | コメント (0)

2020/03/10

■湯島サロン「私たちは無用者階級になるのか」報告

新型コロナウイルスが広がっている中を、今回も10人の人が集まりました。
最初に、坪田さんからイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』そして最新作の『21Lessons』を、簡潔に要約してもらいました。
坪田さんは要約の資料もつくってきてくれたので、「30分でわかるハラリ講座」で厚い5冊の本を読まなくても、ハラリの主張の概要がシェアできました。

内容の詳細は報告できませんが、坪田さんの最後のまとめだけ紹介しておきます。

ホモ・サピエンスは「集団の団結」で発展してきた。
そのために「空想的虚構」を生みだしてきた。
その最たるものが「神」、さらに「国家」。
科学の力で「神の意図」を読み解いた結果、その力で、自分たちを「無用者階級」にしようとしている。

つまり私たちの未来は、AI(人工知能)を駆使した一部の支配階級(「ホモ・デウス」)によって、「無用者階級」にさせられてしまうというのです。

それを踏まえて、坪田さんの問いかけである、ハラリの描く未来、つまり、人類は1%の富裕層が支配して、99%の人間は働く必要もなく、ただ生きているだけの「無用者階級」になる世界はほんとうに来るのか? そしてその時、「無用者階級」は何を「人生の意義」にするのか。という話に入りました。

「無用者階級」になることをどう受け止めるか。
そこに「明るい未来」を見るか、「暗い未来」を見るかがポイントです。
私にとって意外だったのは、明るい未来を見た人が少なかったことです。
たしかにハラリ自身、2冊の本で、「明るい未来」を語る口調ではありません。
そもそも、農業革命にも言葉の発明にも、そこに人類の不幸の始まりさえにおわせているのがハラリの歴史観ですので、どうしても未来は暗くなってしまうのかもしれません。

しかし、私は「無用者階級」に幸せと可能性を感じます。
思いきり自由になれるではないかと思ってしまうわけです。
なにしろやらなければいけない「用」から解放されるのですから。
林さんのアーレントのサロンで語られた「労働」と「活動」を思い出せば、「無用」のイメージがとてもバラ色に見えてきます。
しかし多くの人は、「仕事」や「役割」を果たさないといけないと思い込んでいるようです。
そう言えば、定年退社した高齢者はやることがなくて大変だという話もあります。

「無用者階級」って飼育される「家畜」のような存在、あるいは支配される「奴隷」のような存在ではないかという受け止め方もありました。
映画「ブレードランナー」に出てくるような存在を思い出す人が多いのでしょうか。
たしかに、ハラリはそういうように読ませようとしているようにも思います。
しかし、価値観を変えれば全くイメージは変わります。
ハラリがどう言おうと未来をディストピアと決める必要はありません。

労働や生産から解放され、社会を統治したり支配管理したりするような「わずらわしい使命」からも自由になって、生きることを楽しむことができるのではないか。
無用者階級の仕事は「消費」と「遊び」と言ってもいいかもしれません。
そもそも現在の経済は、「生産」よりも「消費」に重点が移ってきているとも言えます。
AI(人工知能)が「生産」をしてくれて、人間は「消費」をするという経済に変わるのかもしれません。
資本主義の次には、「潤沢の時代」がやってくるというビジョンを出している人もいます。
まあそんなにうまくは行かないという気もしますが、大切なのは、いまの経済や政治の枠組みを変えていく発想を持ちたいと思います。

ただ問題は、「ホモ・デウス」と「無用者階級」の対立なのかということです。
ハラリは「データ教」という概念とAI(人工知能)を重視していますが、そうしたものには「意識」が生まれないと考えています。
アルゴリズムはあくまでも「問題を解くための手順をパターン化したもの」であって、人類にとっての道具だと考えています。
そうした議論もありましたが、結局、「ホモ・デウス」と「無用者階級」のどちらがとAI(人工知能)を味方にするかというような話になりました。
しかし、そうなのか。
むしろ対立構造が全く変わるのではないか、と私は思います。
つまり、「ホモ・デウス」対「無用者階級」という人類同士の対立ではなく、「人類」対「AI(システム)」)の対立になっていく。
となると、問題は俄然おもしろくなってくる。
というわけで、話はいろいろと広がりました。

均一と捉えられていた労働者階級を多様な個人の有機的なつながりと捉え直した「マルチチュード」概念も話題にでました。
消費と文化を基軸に生き方を再構成しようとした1960年代の緑色革命のヒッピーやポリアモリー(複数のパートナーとの間で親密な関係を持つコミュニティ)も話題になりました。
ネアンダール人とホモ・サピエンスがなぜ主役交代したのかも話が出ました。
関係論や分人論、ネットワーク論やスモールワールド論なども話題になりました。
ユダヤ人陰謀説までちょっと話題になりました。
いずれにしろハラリのメッセージは多岐にわたっているので、話は尽きません。

ちなみに、坪田さんは、ハラリの問いかけを受けて、では私たちはどうすればいいのかをこれから解こうとしているそうです。
次回はそうした坪田さんの文明ビジョンとアクションプログラムのサロンをしてもらえるかもしれません。

Harari2003

| | コメント (0)

2020/03/09

■湯島サロン「新型コロナウィルスにまつわるちょっと(いやかなり)気になること」のご案内

今回は人によってはちょっと不謹慎と思われそうなサロンです。
もちろん私は極めてまじめに企画していますが。
テーマは「新型コロナウィルスに関するちょっと(いやかなり)気になること」です。

新型コロナウィルスの関するサロンは3回目ですが、今回は一部で流れている「陰謀説」も含めて、視野を広げてみたいと思います。
妄想と一蹴される方もいるでしょうし、面白がる人もいるでしょうが、私にはそうした風説のなかにもいろんな示唆があるように思います。
私のところにも複数の人たちから、その種の話が届いていますが、今回は話題提供者に中嶋一統さんをお願いしました。

中嶋さんは、ご自身の一次情報も含めて、さまざまな情報から、陰謀のにおいを感じているようです。
詳しくは当日お話ししていただきます。
そして、そうした情報から今後の見通しに関するお話もしていただきます。

中嶋さんの話がどれほどの真実さを持っているかは、5月になるとわかるかもしれません。そうしたことも含めて、先が見えてくるようになる前にサロンを開催してもらうことにしました。
中嶋さんにはかなりリスクのある話ですが、先が見えてきてからの後知恵の話は中嶋さんをわずらわせることもないでしょう。

中嶋さんからのメッセージをどうぞ。

新型コロナウィルスは、細菌生物兵器なんじゃないかという説があります。
これが期せずして漏れて拡散したのなら「事故」ですが、意図的に撒かれたものであるならそれは「陰謀工作」です。
こうした事案が生じた時、我々が自分自身や家族または会社を守るために考えねばならないのは、正しい対策です。
正しい対策には、正しい予測が必要です。
正しい予測には、正しい情報や正しい推理推測が必要です。
情報の正しさを判断する方法、推理推測をできるだけ正しく行う方法について、ご一緒に考えてみませんか?
「陰謀工作」が世に存在することは、今や常識です。
であれば、「工作」なのか「事故」なのかを正しく判断する必要があります。
仮に「工作」であれば、その目的からシナリオを読み解くことで、未来予測ができるはずですから。

こう誘われると参加しないわけにはいきません。
平日の午後なので参加が難しいかもしれませんが、ちょっと(いやかなり)無理をしてでも、ぜひご参加ください。
こんな危うい話をするので、中嶋さんが「陰謀」に巻き込まれて、当日来られないかもしれない不安もありますが、そうならないことを祈ります。

〇日時:2020年3月24日(火曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「新型コロナウィルスにまつわるちょっと(いやかなり)気になること」
〇話題提供者:中嶋一統さん(「陰謀論」研究家/話し方教室主宰/ヒット商品企画)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

2020/03/07

■湯島サロン「くじらのことをもっと知ろう!」のご案内

今回はクジラをテーマにしたサロンの案内です。
クジラと日本人のつながりはかなり深いものがあります。

数年前にテレビで、日本の捕鯨発祥の地と言われる和歌山県の太地町の人たちのドキュメンタリー番組を観ました。
世界的に捕鯨が問題にされ、“THE COVE”という反捕鯨キャンペーンのような映画で太地のイルカ漁が話題にされていたころです。
その番組は、私たちにとても大切なことを呼びかけていました。

その太地に知人の小室美登利さんが取材に行くという話をお聞きしました。
となればもうサロンをお願いするしかありません。

そこでお願いしたら、小室さんは、日本の捕鯨問題の専門家である水産ジャーナリストの梅崎義人さんにも声をかけてくださり、2人のサロンが実現しました。
お2人のプロフィールは、添付の小室さんからのメッセージをご覧ください。
たぶんどんな切り口からでも話していただけると思いますので、最初におふたりから少しお話していただいた後、参加者の関心事を出してもらいながら、それにそって話し合えればと思います。

また小室さんから鯨に関する2つの雑誌記事をいただきました。
これも添付しますので、ご関心のある方はお読みください。

〇日時:2020年3月28日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「くじらのことをもっと知ろう!」
〇話題提供者:梅崎義人さん(水産ジャーナリスト)と小室美登利さん(編集者)
〇会費:500
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

ダウンロード - e6b9afe5b3b6e382b5e383ade383b3e3808ce3818fe38198e38289e381aee38193e381a8e38292e38282e381a3e381a8e79fa5e3828de38186e3808d.docx

ダウンロード - 5b52575de382a8e38395e3829ae382bf94e6.pdf

ダウンロード - 5b58635de382a8e38395e3829ae382bf94e5.pdf

 

 

 

| | コメント (0)

■新型コロナウイルスよりも恐ろしいもの

娘と歩いていたら、すれ違う方向で歩いてきた高齢の女性に笑顔であいさつされました。
自然と返事をしてしまいましたが、通り過ぎてから、娘から知り合い?と訊かれました。
単なるすれ違いのあいさつよりも親しみがこもっていたので、私も少し考えたのですが、知った顔ではありませんでした。

まあそれだけの話なのですが、「あいさつした彼女」も「あいさつを受けた私」もちょっと少し心が和んだことは間違いありません。

最近、新型ウイルスのせいで、マスクが流行っていますが、マスクは新型ウイルスを回避するかもしれませんが、人間も回避します。
話をすると飛沫が飛ぶので距離をとれとも言います。
これこそ人間同士の中を引き裂く陰謀ではないでしょうか。
私には新型コロナウイルスよりもおそろしい。

今日もマスクをせずに湯島に出てきました。
一応、いつもマスクは持ち歩いていますが、幸いに咳も出ないで今のところ使ったことがありません。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4544:エジプトにもう一度行きたかったです

節子

エジプト在住の中野さんから寒中見舞いが届きました。
2年前に野良猫を2匹保護してから、いまでは20数匹を保護し、ネコ三昧の毎日になっているそうです。

中野さんの奥さんの声は、時々、ラジオで聴いていますが、正道さんの声は久しく聴いていません。
しかし、いまもその声や雰囲気ははっきりと記憶に残っています。

家族で初めての海外旅行で中野さんにお会いできたのは、実に幸運でした。
しかし2度目のエジプト旅行ができなかったのは残念で仕方ありません。
節子がいなくなってから、海外旅行は一切やめてしまいましたが、いまも行きたいのはエジプトです。
それも中野さんのおかげです。

今年の10月にはカイロに大エジプト博物館が開館されるそうです。
どでかい博物館のようです。
エジプトの遺跡はテレビでもよく報道されますが、たとえばハトシェプスト女王葬祭殿などはかなり復元されてきているようです。

過去もどんどん変わってきている。
感慨深いものがあります。

 

| | コメント (0)

2020/03/06

■湯島サロン「農福連携から見えてきたもの」報告

「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を研究している宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所相談役)に、今年もまたサロンをお願いしました。
宮田さんには定期的にその活動を報告してもらっていますが、いつも実践活動を通した新しい発見と世界に触れられます。
今回のメッセージは、「地域を支えるはコミュニティ=小さな事業者の協働。小さいことはいいことだ!」ということでした。

Miyata2003

宮田さんは、まず全国の事例研究を踏まえての「農福連携」の3つのステップから話し出しました。
いいかえれば、農福連携を進めていくための3つの課題と言ってもいいでしょう。

第1ステップは農業者と障害者の出合いの場をつくることです。
第2ステップは、その出合いからどのような活動を生み出すか。つまりお互いの良さをどう活かし合っていくかです。
そして第3ステップは、そうした多様な活動を通して、事業者として雇用の場を創出し、地域経済の担い手になっていくということです。

こうしたステップはまさに地域づくりそのものですが、その過程でさらにさまざまな人のつながりが育ち、そこから新しい地域コミュニティ(地域共生社会)が形成されていくと宮田さんは考えています。
農福連携の出発点は、労働力不足で行き詰まっている農業と福祉をつなぐことで問題を解決しようということでしたが、いまや地域経済を主導し、人間主役の新しいコミュニティを生み出す、きわめて積極的な活動になってきているわけです。

そうした活動のためには、3つのことが大切だと宮田さんはいいます。
時間をかけた地道な積み重ね、顔の見える人のネットワーク、活動を継続していくための資金を回していくマネジメント力。
すでにいろいろな成功事例も出てきているとして、福島県の社会福祉法人こころんの活動を紹介してくれました。

さらに農水省が進めているビジョンや人の育成のプログラム、農業版ジョブコーチや農福連携技術支援者養成などについても紹介してくれました。

そうした話を踏まえて、宮田さんは、現実に地域にいる農福連携の主体は大企業でも公機関でもなく、小規模な事業者であるということを忘れてはならないと強調しました。
小規模な事業者は、経済主体であると同時に、生活主体でもあり、そして文化主体でもある。そういう地域共生社会の主体である事業主体が、学習する組織として成長することが地域再編成のカギとなるというのです。
そして、京都大学岡田教授の提唱している「地域内再投資論」を少し紹介してくれ、これからの経済のあり方にも示唆を与えてくれました。

そこからさらに話は広がっていくのですが、長くなるので省略して、最後に宮田さんが話したことを、言葉もそのままに紹介します。

生きる。食べる。はたらく。つくる。これが人間社会の根源的なしくみ。
これが本当なら、人と人が有機的に結びつくような関係性が社会の基調となる。
最近、都会ではこれをオーガニックと呼び、人と人がつながる動きが始まっている。
やがて、私たち『田舎者の出番』が来る社会になります。

「オーガニックな社会」
共感できます。
『田舎者』に期待したいです。

宮田さんの今年の活動計画も話してくれました。
海外も含めて、今年も宮田さんの活動はさらに広がりそうです。
次回のサロンが楽しみです。

| | コメント (0)

■「脱原子力 明るい未来のエネルギー」(新評論)をお薦めします

湯島サロン仲間の折原利男さんの新著「脱原子力 明るい未来のエネルギー」(新評論)が出版されました。ドイツの脱原発倫理委員会メンバーのミランダ・シュラーズさんを日本にお迎えし、各地で行った講演会や市民との話し合いなどの記録をまとめたものです。折原さんが、随所に最新の情報や注釈をていねいに補記してくれています。
脱原発政策に転じたドイツが、実際にどう変わってきているかが具体的に伝わってきます。
自らの生き方にも実践的なヒントがもらえる本なので、多くの人に読んでいただきたく、紹介させてもらいます。

書名は、3.11の福島原発事故後話題になった、福島原発のある双葉町にあった大きな看板「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語をもじったものです。
単に「脱原子力」ではなく、未来に向けてのビジョンが具体的に語られています。
副題が『ミランダ・シュラーズさんと考える「日本の進むべき道筋」』となっていますが、道筋だけではなく、その進め方に関しても具体的に語られています。
とりわけ、高校生との対話で呼びかけられているミランダさんのメッセージは実践的で、私たち大人も傾聴し実践すべき内容です。

環境NGOの満田夏花さんが推薦文で、「原発をどうするのか。それは単なるエネルギーの問題だけでなく、民主主義の問題であり、私たちの暮らしや生業、環境の問題であり、私たちや未来の世代に何を残すかという選択の問題であることを、この本は、決して押しつけがましくなく、平易だが確固とした言葉で指し示してくれている」と書いていますが、まさにその通り。ともかく、ぜひ読んでいただきたいと思います。

蛇足になりかねませんが、私が特に印象的だったことを3つだけ紹介します。

ドイツでは、いま、「エネルギー自給村」や「エネルギー協同組合」が広がっています。自然エネルギーに投資するということは、地域の生活の未来を考えることであり、脱原発というエネルギー転換は雇用の創出につながっているそうです。
それは、循環型・持続型の経済へと経済や産業の枠組みを変え、人々の働き方を変えることにもつながっているようです。

また、ある地域は風力、ある地域はソーラーというように、自然立地の差を生かした自然エネルギーの支え合いが展開されることで、表情ある地域整備が始まっているようです。これまでのような地域開発とは発想が全く違います。

政治の進め方に関しても、大きな変化があるようです。ミランダさんは、それを「ドイツのもうひとつの革命」と表現しています。
脱原発が決まった後、それを推進していくために、政府と国民をしっかりとつなぐ仕組みがつくられたそうです。そして、国民の信頼を得るには市民たちとの交流が必要であるという考えで、直接、国民に呼びかけて政治への参加を実現したそうです。
ミランダさんは、「脱原発は民主主義のあり方とも結びついている」と言っていますが、脱原発を通して、ドイツではデモクラシーが問い直されているようです。

経済パラダイム、地域開発パラダイム、そして政治パラダイム。
この3つのパラダイムシフトが読み取れますが、さらにミランダさんは「倫理」とか「プロテスト(抗議行動、反対運動)」という人間としての生き方にも言及されています。

学ぶことが盛りだくさんの内容ですが、それらがとても平易な生活言葉で書かれています。
そして、ミランダさんの「前向きに目の前の状況を一つひとつ改善し、明日に向かってより良く変革していく」姿勢から大きな元気がもらえます。

最後にちょっと長いですが、ミランダさんがフクシマの高校生たちとのトークセッションで高校生たちに話したメッセージを引用します。

「今世のなかを見ると、民主主義が危ないんですよ。あなたたちの時代は大変なことが始まっている。民主主義を助けてあげないといけない、自分たちの未来を強くするためにも」
「皆が自分の考えていることを言う[のが民主主義]」
「いろんな意見があるから、それをちゃんと発言しないと、民主主義が消えてしまう」
(高校生たちから、自分たちにできることはあるかと問われて)「自分の地域の政治家に手紙を出したことありますか? 自分だけでなくて高校のみんなが政治家に手紙を書いて送る。安倍首相に手紙を書いたことありますか。書いたらどうでしょうか。そしてその手紙を新聞社やジャーナリストに送ったらどうですか」

機会があれば、折原さんに湯島でサロンをやってもらおうと思いますが、まずはぜひ本書を読んでもらえればうれしいです。
もし本書を入手されたい方は、折原さんに直接ご連絡いただければ、税、送料込みで1800円で送ってくれるそうです。
私にご連絡いただければ折原さんの連絡先をお伝えします。

9784794811462

| | コメント (0)

2020/03/05

■茶色の朝サロン「種苗法を考える」のご案内

3月のBMSサロン(茶色の朝シリーズのサロン)を326日(木曜日)の午後、開催します。

今回は、主に「種苗法」を取り上げます。
霜里農場の金子友子さんに来ていただき、種苗法の動きやその意味を話してもらいます。
有機農業に取り組んでいる立場から、これからの農や食への不安や問題を、生活者目線でお話をしてもらおうと思います。

後半は、いつものように、参加者それぞれがちょっと気になっていること自由に話すスタイルにしたいと思います。

誰でも歓迎の、ゆるやかな雑談会です。
お気軽にご参加ください。

〇日時:2020年3月26日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:今回の主要テーマは種苗法(ただしそれに限りません)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 

| | コメント (0)

2020/03/03

■節子への挽歌4543:春が来ました

節子

今日はひな祭りですが、湯島に来ています。
昨日の寒さが一転、春を思わせる暖かな日です。
上野公園も桜がかなり咲き出していることでしょう。

新型ウイルス騒ぎは、ますます大騒ぎになっています。
たぶん感染状況は報道とは全く違っていて、日本全国に広がっているでしょうし、それほど致死率も高くないでしょう。
もしかしたら私もすでに感染しているのかもしれません。
しかし感染していたとしても、それが何だと思います。

もちろん他者に移してはいけませんが、それは何も新型ウイルスに限ったことではありませんし、治癒に向けての対策も、いつものようにやればいいだけです。
予防も大切ですが、感染しても大丈夫にしておくことが大切です。
ですから睡眠時間はきちんと取り、食事のバランスも注意しています。

電車ではマスクをしていない人は少ないのですが、私はマスクをしていません。
いつも念のためにマスクを携帯していますが、幸いにまだ使用する機会はありません。
咳が出そうになったら使用しようとは思っているのですが。

湯島から見る今日の外は、もうすっかり春のようです。
この春を素直に喜べないのが、残念です。

今日は久しぶりに上野公園をとって帰ろうと思います。
節子が好きだった骨董市はたぶんやってはいないでしょうが。

 

| | コメント (0)

■改めて「茶色の朝」のお勧め

新型コロナウイルスの感染が拡大する北海道に、国がメーカーからマスクを買い取って配布すると発表されました。

なにかおかしい。
先日の政府による学校の一斉休校方針にしろ、なにかおかしい気がしますが、新型ウイルスの広がりを防ぐためには仕方がないと言われると黙らざるを得ない。

店頭からトイレットペーパーがなくなる事態はまだ続いていますが、これは多くの人が政府や社会を信頼していないあらわれです。
その信頼できない政府の方針や呼びかけには応じてしまう。
不要不急の判断まで政府に任せてしまう。

そうしたおかしな風景が社会を覆いだしました。

20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話「茶色の朝」という絵本が日本でも翻訳出版されています。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。
みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。そんな話です。

湯島では毎月、「茶色の朝」に触発されて茶色の朝サロン(BMSサロン)を開催しています。
誰にでも公開ですので、お時間が許せば参加してください。

次回はまだ日程は決めていませんが、320日(または26日)を予定しています。
日程が決まったら改めてご案内します。

「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf
すぐ読めますので、ぜひお読みください。

Photo_20200303081701

 

| | コメント (0)

■湯島サロン「なぜウイルスは感染症を起こすのか」報告

新型コロナウイルス感染症が広がりだしているなかのサロンでしたが、10人が参加しました。

テーマは「なぜウイルスは感染症を起こすのか」。
講師役は細菌学者の益田昭吾さん(慈恵医大名誉教授)です。

私のような全くの素人の質問にもわかりやすく答えてくれながら、益田さんはていねいに話をしてくれました。
いま拡散中の新型コロナウイルス感染症のことを考えながらお聞きしましたが、テレビでもこういう話をしてほしいなと思いました。
そもそも「ウイルス」とは何かも知らずに、過剰に不安をもったり過剰に楽観したりしている人が少なくないでしょうが、こういう話を聞くとちょっと落ち着きます。

益田さんは最初に「検疫」というのは、14世紀のペスト大流行の時に、疫病がオリエントから来た船から広がることに気づいたヴェネツィア共和国が、船内に感染者がいないことを確認するため、40日間、隔離停泊させていたことから始まったと説明してくれました。

検疫(quarantine)の語源は、ヴェネツィア方言の「40日間」の意味だそうです。
疫病の潜伏期間は40日間とされていたわけです。
新型ウイルスが問題となったクルーザーの検疫期間は何日だったでしょうか。
こうしたところにも、ウイルスが広がりやすくなっている状況があると益田さんは示唆してくれました。

つづいてウイルスのイメージをわかりやすく説明してくれました。
ウイルスは、地球の最後の日に宇宙に向かって飛び立った宇宙船のようなものだというのです。
永遠に宇宙を飛行していけるわけにはいかないので、早く自らが落ち着ける惑星を探しているというのです。

最近、居場所の問題に取り組んでいる私は、一気にウイルスに親近感を持ってしまいました。
ウイルスにも「居場所」が必要なのです。
なんとかしてやらなければいけません。

そこから「環境とウイルス」「宿主とウイルス」の話になりました。
そして、話はどんどんと深くなっていくのですが、私の理解力不足のために正確に報告する自信がありません。

思いだせるキーワードを紹介すれば、「ウイルスと環境」「常在性と病原性」「常在性のない生物は生き残れない」「ウイルスの増殖志向と経済成長主義」「免疫」「自己非自己」「自己寛容」「免疫」とまあ、そんな話をしてくれました。

とりわけ私が興味を持ったのは「常在性と病原性」です。
私たちの社会のあり方を考える上で、とても大きなヒントがあるような気がしました。

益田さんはウイルスの世界と私たち人間の世界を比べたくなる誘惑にかられてしまうというようなことを何回か口にし、その都度、興味ある示唆を与えてくれました。
益田さんはこれまでのサロンでも「病原体の生態を比喩として考えると、人間や社会が見えてくる」と話してくれていますが、そこは学者なのでいつも控え目に語ります。
そのあたりを思い切り語ってもらうサロンもいいかもしれません。

理解不足のまま、これ以上、報告を書き続けると益田さんに迷惑を与えかねないので、このあたりでやめます。
新型コロナウイルス感染症に関しても、いろんな知見や感想を語ってくれましたが、これも中途半端な紹介はやめます。

今回お話をお聞きして、益田さんの「連続病原体講座」を企画したくなりました。
益田さんが引き受けてくれればですが。
病原体から学ぶことはたくさんありそうです。

ちなみに、益田さんには、そうしたことをわかりやすく書いた小説『看子の日記』(未出版)があります。
ご関心のある方はご連絡ください。
まだ未定稿のようですが、お読みになって感想を送ってもらえるならば、益田さんの了解を得てデータで送らせてもらいます

 

| | コメント (0)

2020/03/02

■湯島サロン「人はどうして仕事をするのだろうか アーレントからのヒント」報告

「人はどうして仕事をするのだろうか」という問いを、社会との関係において考えてみようという林さんのサロンは、新型ウイルス騒ぎの影響もあって、参加者は9人でした。

林裕也さんはデザイナーですが、最初にこれまでの仕事のことを、取り組みだした経緯も含めて紹介してくれました。
林さんは一人で活動していますが、4つのタイプの仕事にわけてくれました。

取り組みだした順番にそって整理すると、「クライアントワーク(ライスワーク)」「ボランティアワーク」「アートワーク」「まちづくり活動」です。
そして、林さんにとっての、それぞれの意味合いや活動内容も話してくれました。
そうした林さんの取り組みのなかに、「人はどうして仕事をするのだろうか」を考えるヒントがたくさん含まれていました。

クライアントワーク(ライスワーク)は、字義通り「ご飯を食べるための活動」です。
多くの人は学校を卒業すると、ごく自然に、家族から自立することを意識して「仕事」を始めます。
その対価は、多くの場合、金銭的な報酬です。
林さんにとっては、それは「やらなければならない仕事」だったといいます。

しかし、人によっては、それだけでは満足できずに、あるきっかけで「ボランティアワーク」に取り組みだします。
林さんの場合は、東日本大震災でした。
社会的な使命感もあったのでしょうが、林さんは、単純に「やりたかった」ので、ここでも自然に取り組んだそうです。
その体験がもしかしたら、林さんに自分ができることを目覚めさせたのかもしれません。

そして、取り組みだしたのが、アートワーク。
そして、つづいて「まちづくり活動」へと広がってきているようです。

林さんの活動がこういう形で、広がってきた理由の一つに、人との付き合いの広がりがあるようです。
クライアントワークの場合は、付き合いの範囲も限定されがちですが、ボランティアワークやアートワーク、まちづくりワークの場合、いろんな人との出会いが起こります。
そこでこれまでとは違った「働き方」が始まってきているのかもしれません。

といっても、その「働き(仕事)」は同じではありません。
ボランティアワークは対価など発生せず、むしろ出費が発生します。
そこで、林さんは「仕事」とは何だろうという課題にぶつかったのかもしれません。
そして、「人はどうして仕事をするのだろうか」という問いかけになったわけです。

そんな時に出合ったのがハンナ・アーレント。
ハンナ・アーレントは、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる思想家です。
彼女は、人間の活動的生活を労働、仕事、活動の3つに分けています。

この3つの違いは、なかなかわかりにくいのですが、おおざっぱに言えば、「労働」とは生命維持のための活動、「仕事」とは価値あるものを創り出す活動、「活動」とは他者に働きかける活動です。

林さんはその視点で、自分の仕事の意味を考えると、いずれにも3つの要素があると言います。
しかし、その3つの視点を持つことで、仕事に対する捉え方が変わってきたそうです。「人はどうして仕事をするのか、という問いの答はまだ明確ではないそうですが、「人間として生きていきたい」という思いから「仕事」を考えていくようになったそうです。

人間として生きていくための活動(仕事)のあり方は具体的にはどういうことなのか。
果たしていま多くの人は「人間」としての仕事をしているのだろうか。
そうはいっても、対価のない仕事だけでは生きていけない社会ではないか。
しかしその一方で、対価をもらう仕事はストレスも多くて、大変だ。
そんな話し合いが、行われました。

人の生き方や仕事の多様性の問題などもちょっと話題になりましたが、十分には掘り下げられませんでした。

このテーマは、もう一度、それぞれの仕事観を持ち寄っての話し合いをぜひともしたいと思っています。

Hayashi200227

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌4542:「やさしく育てられたら自分もやさしくなる」

節子
前田ミネ子さんに会いましたか。

昨日、ウイルスのサロンをやったのですが、参加した人から「粘菌」に興味があるのだが、というメールをもらいました。
粘菌と聞くとすぐ思い出すのが、前田ミネ子さんのことです。
もう長いことをお会いしていません。

前田さんとの出会いは、30年以上前にハワイのキラウエア火山に行ったツアーでした。
10人ほどのとてもいいメンバーのツアーでした。
私たちも、つまり私と節子も、参加させてもらいました。
いろんな分野の人が参加しており、何の専門性もない私たちはいささか例外的なメンバーでした。
いま大活躍されている茂木健一郎さんが最年少で、まだ高校生でした。

ツアー後、しばらくしてから一度、湯島で集まりをやりましたが、前田さんは日程調整ができず欠席でした。
節子とはメールや手紙で交流がありましたが、前田さんがアメリカに一時移っていたりしたこともあって、交流が途絶えてしまっていました。
とても気さくで、さっぱりした人柄でした。
そのツアーの中で、私たちは前田さんから「粘菌」の知識をもらったのです。

湯島でも一度、「粘菌」サロンをやりたいなと思い、前田さんを思い出して、連絡をとろうと思いました。
そこでネットで調べていたら、とても残念な記事に出合いました。
「前田ミネ子先生への追悼文」です。
前田さんは2012年に亡くなられたことを知りました。
節子が亡くなった5年後です。

追悼文にはこんな文章がありました。

ミネ子先生はパワフルで明るく、あくまで前向きな方でした。最初の強烈な印象はcDNAプロジェクトがサポートを受けていたゲノム重点領域研究の初期、富山での班会議です。私たちは全くの異分野に面食らい、2人で競うように、それこそ気のすむまで質問をしましたが、今にして思えば「『2人とも』若かった」のでしょう。10歳の年齢差は全く感じませんでした。宿泊も同室で、深夜までボソボソと話しました。「私はいろんな人にかわいがってもらって本当に幸せだった」とあの笑顔でおっしゃったときは、この先生がものごとをネガティブにとらえることはあるのかしら、と思ったものでした。「やさしく育てられたら自分もやさしくなる」ということを聞いたことがありますが、いろいろな若い人たちをとても良く面倒見なさったのも、そういうポジティブな受け止め方によるものかもしれません。

まさに私たちが知っている前田さんです。
だれとでも明るく接するお人柄は、節子をも魅了していました。
とても大学教授などとは思えない、親近感を節子は感じていたようです。

その前田さんも逝ってしまった。
この追悼文を書いている筑波大学教授の漆原秀子さんは、こう書かれています。

訃報に接して最初にいだいたのは何とも言えない喪失感でした。
明るく、強く、前向きに人生を楽しんでこられた圧倒的パワーの先輩女性研究者の姿に心からの敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。

お会いできないのが本当に残念です。
節子は向うで会っているかもしれませんが。

 

 

| | コメント (0)

■第7回リンカーンクラブ研究会「〈多数者の専制〉を回避する方策」のご案内

3月のリンカーンクラブ研究会は、前回、武田さんと沖さんが「民主主義政治における合意形成」の視点と課題を整理してくださいましたので、それを踏まえて、「民主主義政治と合意形成パート2」です。

政府与党が多数決ですべてを決定するような事態を回避する方法を具体的に話し合いながら、現在の日本の政治体制の問題点を考え、それを是正していくための方策を考えていきたいと思います。
J.S.ミルやトクヴィルが心配した〈多数者の専制〉がまさに現実になってきている今の日本の政治をどう変えていくかということを、抽象的にではなく具体的に考えていこうということです。
一応、前回の議論を踏まえての話し合いですが、最初に私から前回の議論のポイントを簡単に紹介しますので、前回参加していなくても大丈夫です。

併せて、前回の最後で少し話題になった、リンカーンクラブとしての取り組み方針を武田さんに語ってもらおうと思います。
政治に関心のある方もない方も、どなたでも歓迎です。
はじめての方も含めて、気楽にご参加ください。

〇日時:2020年3月22日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「〈多数者の専制〉を回避する方策」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »