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2020/03/10

■湯島サロン「私たちは無用者階級になるのか」報告

新型コロナウイルスが広がっている中を、今回も10人の人が集まりました。
最初に、坪田さんからイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』そして最新作の『21Lessons』を、簡潔に要約してもらいました。
坪田さんは要約の資料もつくってきてくれたので、「30分でわかるハラリ講座」で厚い5冊の本を読まなくても、ハラリの主張の概要がシェアできました。

内容の詳細は報告できませんが、坪田さんの最後のまとめだけ紹介しておきます。

ホモ・サピエンスは「集団の団結」で発展してきた。
そのために「空想的虚構」を生みだしてきた。
その最たるものが「神」、さらに「国家」。
科学の力で「神の意図」を読み解いた結果、その力で、自分たちを「無用者階級」にしようとしている。

つまり私たちの未来は、AI(人工知能)を駆使した一部の支配階級(「ホモ・デウス」)によって、「無用者階級」にさせられてしまうというのです。

それを踏まえて、坪田さんの問いかけである、ハラリの描く未来、つまり、人類は1%の富裕層が支配して、99%の人間は働く必要もなく、ただ生きているだけの「無用者階級」になる世界はほんとうに来るのか? そしてその時、「無用者階級」は何を「人生の意義」にするのか。という話に入りました。

「無用者階級」になることをどう受け止めるか。
そこに「明るい未来」を見るか、「暗い未来」を見るかがポイントです。
私にとって意外だったのは、明るい未来を見た人が少なかったことです。
たしかにハラリ自身、2冊の本で、「明るい未来」を語る口調ではありません。
そもそも、農業革命にも言葉の発明にも、そこに人類の不幸の始まりさえにおわせているのがハラリの歴史観ですので、どうしても未来は暗くなってしまうのかもしれません。

しかし、私は「無用者階級」に幸せと可能性を感じます。
思いきり自由になれるではないかと思ってしまうわけです。
なにしろやらなければいけない「用」から解放されるのですから。
林さんのアーレントのサロンで語られた「労働」と「活動」を思い出せば、「無用」のイメージがとてもバラ色に見えてきます。
しかし多くの人は、「仕事」や「役割」を果たさないといけないと思い込んでいるようです。
そう言えば、定年退社した高齢者はやることがなくて大変だという話もあります。

「無用者階級」って飼育される「家畜」のような存在、あるいは支配される「奴隷」のような存在ではないかという受け止め方もありました。
映画「ブレードランナー」に出てくるような存在を思い出す人が多いのでしょうか。
たしかに、ハラリはそういうように読ませようとしているようにも思います。
しかし、価値観を変えれば全くイメージは変わります。
ハラリがどう言おうと未来をディストピアと決める必要はありません。

労働や生産から解放され、社会を統治したり支配管理したりするような「わずらわしい使命」からも自由になって、生きることを楽しむことができるのではないか。
無用者階級の仕事は「消費」と「遊び」と言ってもいいかもしれません。
そもそも現在の経済は、「生産」よりも「消費」に重点が移ってきているとも言えます。
AI(人工知能)が「生産」をしてくれて、人間は「消費」をするという経済に変わるのかもしれません。
資本主義の次には、「潤沢の時代」がやってくるというビジョンを出している人もいます。
まあそんなにうまくは行かないという気もしますが、大切なのは、いまの経済や政治の枠組みを変えていく発想を持ちたいと思います。

ただ問題は、「ホモ・デウス」と「無用者階級」の対立なのかということです。
ハラリは「データ教」という概念とAI(人工知能)を重視していますが、そうしたものには「意識」が生まれないと考えています。
アルゴリズムはあくまでも「問題を解くための手順をパターン化したもの」であって、人類にとっての道具だと考えています。
そうした議論もありましたが、結局、「ホモ・デウス」と「無用者階級」のどちらがとAI(人工知能)を味方にするかというような話になりました。
しかし、そうなのか。
むしろ対立構造が全く変わるのではないか、と私は思います。
つまり、「ホモ・デウス」対「無用者階級」という人類同士の対立ではなく、「人類」対「AI(システム)」)の対立になっていく。
となると、問題は俄然おもしろくなってくる。
というわけで、話はいろいろと広がりました。

均一と捉えられていた労働者階級を多様な個人の有機的なつながりと捉え直した「マルチチュード」概念も話題にでました。
消費と文化を基軸に生き方を再構成しようとした1960年代の緑色革命のヒッピーやポリアモリー(複数のパートナーとの間で親密な関係を持つコミュニティ)も話題になりました。
ネアンダール人とホモ・サピエンスがなぜ主役交代したのかも話が出ました。
関係論や分人論、ネットワーク論やスモールワールド論なども話題になりました。
ユダヤ人陰謀説までちょっと話題になりました。
いずれにしろハラリのメッセージは多岐にわたっているので、話は尽きません。

ちなみに、坪田さんは、ハラリの問いかけを受けて、では私たちはどうすればいいのかをこれから解こうとしているそうです。
次回はそうした坪田さんの文明ビジョンとアクションプログラムのサロンをしてもらえるかもしれません。

Harari2003

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