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2020/03/24

■第7回万葉集サロン「万葉集の〈おの(己)〉」報告

万葉集サロンの7回目は、〈おの(己)〉がテーマでした。
今回は、私自身の理解があまりに不十分なので、升田さんの事前チェックを受けようと思いましたが、升田さんに迷惑をかけるのも気が引けるので、やめました。そんなわけでいつも以上に主観的な報告ですので、お許しください。

万葉集には多様な人称代名詞がでてくるそうですが、升田さんは今回、〈おの〉(己・各・自)を再帰代名詞と捉えて、いくつかの歌を通して、そこから強い自我意識の誕生を読み解いてくれました。
初めに詠みあげたのが、但馬皇女の「人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る」(巻2-116)でした。
この歌は、禁断の恋を貫こうとした但馬皇女の歌だそうですが、この「己が世に」には、だれからなんと言われようとも自分の意志を貫こうとする、自己意識の強さが示されています。
〈た(多)〉から生まれてきた〈わ(吾)〉が、さらに突出した「自我意識」になっていく勢いがそこにあると升田さんは読み解いてくれました。
その背景にある万葉歌人たちの恋愛話もちょっとだけ紹介してくれましたが、強い自我意識の誕生は、理知によってではなく情感によってなのではないかと私は気づかされました。それが「物語」の誕生にもつながっていくのかもしれません。

つづけて、升田さんは記紀や宣命などにでてくる「己」、さらには万葉集のほかの歌に出てくる「己」などを材料に、〈わ(吾)〉とは違った〈おの(己)〉の誕生を、さまざまな形で話してくれました。
多くの人たちのなかから生まれた、横並びの相対的な「わ」と、多くの人たちからは突出した上下関係にある絶対的な「おの」は、あきらかに次元が違います。

面白かったのは、防人歌の中に登場する〈た(多)〉のなかの〈わ(吾)〉と、その防人歌の中に挿入されている大伴家持の3首の長歌に出てくる〈おの(己)〉の対比でした。
家持の「おの」には、さまざまな「わ」の喜怒哀楽がみえていたのかもしれません。
それは同時に、豊かな「た」への喜怒哀楽だったのではないか。
家持が、どういう思いで、防人の歌を編集したのかを想像するのも楽しい話です。

しかし、「わ」から究極の自己表出へと向かうかに見えた「おの〈己〉」が、大伴家持の長歌を最後に、平安朝に入ると急速に姿を消すのだそうです。

升田さんは、「た」のなかから生まれ出た自己意識の「わ」と強い自己認識(再帰代名詞)である「おの〈己〉」との違いを見ていくと、万葉への新しい視野が拓けてくるように思うといいます。
話を聞いていて、万葉への新しい視野とともに、もっと長い歴史への新しい視野も拓けてくるかもしれないと思いました。

家持の「おの」意識のなかには、抒情の世界、物語の世界が生まれてくる兆しが感じられる、と升田さんは話されました。
しかし、大伴家持は万葉集以後、「おの」を発展させた歌は詠んでいないようです。
そして、1世紀ほどの間隙をおいて、漢字に基づく万葉文化は仮名に基づく平安の国風文化へと変わっていくわけですが、その違いとつながりのなかに、日本人の文化とその後の歴史展開を考える大きなヒントがあるように思います。

興味深々の壮大な話ですが、残念ながら私にはまだ説明できるまでには消化できておらず、升田さんの講義の面白さや意味を言葉にできないのがとても残念です。

これまで升田さんは、7回にわたって、万葉集を多様な人称代名詞を切り口に読んできてくれましたが、私にとっては、思ってもいなかった万葉集の読み方でした。

さて次回はどんなテーマでしょうか。
今の調子だと、升田さんはさらに先に進みそうですが、途中から参加の方もいるので、このあたりで一度、これまでの総括を兼ねたサロンをやってもらうようにお願いしようと思います。

Manyoushu2020033 Manyoushu2020033

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