■節子への挽歌4553:ちょっと自慢話、でも真実とは違いますが
節子
ちょっと昔のことを思い出すメールが来ました。
と言っても、私の知っている人からではありません。
ある集まりに招待されたのですが、それに関して、私の友人に届いたメールが私のところに転送されてきたのです。
残念ながら、日程が合わずに、私は結局、その集まりには参加できませんでした。
転送されてきたメールはこんな内容です。
佐藤さんのFacebookの投稿は、ほぼ全て拝読していて、共感することばかりです。
東レ時代の反乱軍の先輩ですよね。
後輩に、君たちは辞めるなと言ったあの先輩。
すごいな。憧れの方ですが、お会いするとなると、ちょっと緊張します。
私とは面識はありませんが、フェイスブックを読んでくださっているようです。
ちなみに、私は東レ勤務中に「反乱」などは起こしたことはありません。
社長に進言して、東レの文化を変えるプロジェクトを立ち上げさせてもらったのです。
あまりに自由にやらせてもらったので、外から見れば、「反乱軍」にも見えたかもしれません。
しかし、ほとんど誰も知りませんが、当時の会長や社長、そして労働組合の委員長からは強く支持されていました。
誰にも話していないことがいろいろありますが、いまから思えば、誰にも理解されていなかったかもしれません。
いや私自身が、十分に理解していなかったという面もあります。
だからこそプロジェクトは失敗し、私は生き方を変えてしまいました。
事実はどうであれ、しかしこう書かれると、なにか少しうれしい気分になります。
反乱の失敗の責任を取って、自分は腹を切るが、仲間には残れと言う。
何やらドラマのような話ですが、そんなきれいな話があるはずはありません。
思い出は常にドラマになるものです。
節子との思い出も、たくさんのドラマを生みだしています。
たぶん今の私の中にある節子の思い出の多くは、つくられたドラマなのかもしれません。
しかし、どんなに素晴らしいドラマよりも、生身の節子との時間が欲しいと、いつも思います。
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