■節子への挽歌4542:「やさしく育てられたら自分もやさしくなる」
節子
前田ミネ子さんに会いましたか。
昨日、ウイルスのサロンをやったのですが、参加した人から「粘菌」に興味があるのだが、というメールをもらいました。
粘菌と聞くとすぐ思い出すのが、前田ミネ子さんのことです。
もう長いことをお会いしていません。
前田さんとの出会いは、30年以上前にハワイのキラウエア火山に行ったツアーでした。
10人ほどのとてもいいメンバーのツアーでした。
私たちも、つまり私と節子も、参加させてもらいました。
いろんな分野の人が参加しており、何の専門性もない私たちはいささか例外的なメンバーでした。
いま大活躍されている茂木健一郎さんが最年少で、まだ高校生でした。
ツアー後、しばらくしてから一度、湯島で集まりをやりましたが、前田さんは日程調整ができず欠席でした。
節子とはメールや手紙で交流がありましたが、前田さんがアメリカに一時移っていたりしたこともあって、交流が途絶えてしまっていました。
とても気さくで、さっぱりした人柄でした。
そのツアーの中で、私たちは前田さんから「粘菌」の知識をもらったのです。
湯島でも一度、「粘菌」サロンをやりたいなと思い、前田さんを思い出して、連絡をとろうと思いました。
そこでネットで調べていたら、とても残念な記事に出合いました。
「前田ミネ子先生への追悼文」です。
前田さんは2012年に亡くなられたことを知りました。
節子が亡くなった5年後です。
追悼文にはこんな文章がありました。
ミネ子先生はパワフルで明るく、あくまで前向きな方でした。最初の強烈な印象はcDNAプロジェクトがサポートを受けていたゲノム重点領域研究の初期、富山での班会議です。私たちは全くの異分野に面食らい、2人で競うように、それこそ気のすむまで質問をしましたが、今にして思えば「『2人とも』若かった」のでしょう。10歳の年齢差は全く感じませんでした。宿泊も同室で、深夜までボソボソと話しました。「私はいろんな人にかわいがってもらって本当に幸せだった」とあの笑顔でおっしゃったときは、この先生がものごとをネガティブにとらえることはあるのかしら、と思ったものでした。「やさしく育てられたら自分もやさしくなる」ということを聞いたことがありますが、いろいろな若い人たちをとても良く面倒見なさったのも、そういうポジティブな受け止め方によるものかもしれません。
まさに私たちが知っている前田さんです。
だれとでも明るく接するお人柄は、節子をも魅了していました。
とても大学教授などとは思えない、親近感を節子は感じていたようです。
その前田さんも逝ってしまった。
この追悼文を書いている筑波大学教授の漆原秀子さんは、こう書かれています。
訃報に接して最初にいだいたのは何とも言えない喪失感でした。
明るく、強く、前向きに人生を楽しんでこられた圧倒的パワーの先輩女性研究者の姿に心からの敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。
お会いできないのが本当に残念です。
節子は向うで会っているかもしれませんが。
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