■節子への挽歌4566:我が家を改造することにしました
節子
今日は朝から陽光が燦燦と降り注ぐ、好天気です。
太陽の光によって、人の気持ちは大きく変わります。
世間は相変わらず新型コロナにおびえている感じですが、この陽光を浴びたら、コロナウイルスも収まるのではないかとつい思ってしまいます。
庭のフジが咲き出しました。
数年前の台風で藤棚もろとも無残に倒れたのですが、そこから少しずつ復活してきました。
ただ肝心の幹が途中から折れてしまったので、うまく育てられずに、小さな枝が途中から伸び放題で、藤棚を形成できずにいます。
きちんと手入れすれば、もしかしたらもう復活していたのかもしれませんが、この数年はそういう気が起きてきませんでした。
玄関のバラも一輪、咲き出しました。
ウイルス騒ぎを横目に、春は間違いなくやってきています。
ところで、次女家族と同居しようかと考えだしています。
そのためには家を改造する必要があります。
2家族でシェアするための広さは数字の上ではあるのですが、何しろ同居などを想定しないで設計した家ですので、改造が難しいようです。
なにしろ家族4人が好き勝手なことを言って、作り上げた家なので、専門家から見ると無駄な空間がとても多いのです。
私も節子も、その無駄な空間が好きだったのですが、いざリフォームするとなって見直してみると、実に無駄なのです。
これは家の問題だけではありません。
私たちの人生すべてが無駄の多いものだったと、いま思うと気づきます。
もちろん、それを良しとして生きてきたわけですが、娘たちはその被害を被っているのでしょう。
したがって娘たちからの信頼は残念ながら得られていません。
1階と2階とでシェアすることにしましたが、私と独身の長女は2階に住むことにしました。
歳とともに階段が大変になるのではないかとも思いましたが、まあその時はまたその時だということになりました。
相変わらずわが家族は、現在主義的です。
2階にも浴室やキチンを作ることになると、犠牲になるのは私の書庫スペースです。
今でも狭くて別のところに送り込んでいるのですが、その場所も維持するのが難しくなってきているので、どうにかしなければいけません。
それも含めて、今年はちょっと面倒なことが多そうです。
まあしかし、その先、私の人生がどのくらいあるかもわかっていません。
頑張って新しい家の改造をしたところで、私の人生が終わる可能性もないわけではありません。
いまのところ、身体的には大丈夫そうで、多分コロナ騒ぎも乗り越えると思いますが、身体のどこかに、今生はもういいかなという気分があるのです。
そもそもこんなに長く生き続けるとは思ってもいませんでしたし。
貯金も底を突き出し、このままだと湯島も維持できなくなりそうです。
家のリフォーム費用はどう工面すべきか、これまた難問です。
家のリフォームは手続き的にも面倒そうです。
済んだままのリフォームを考えていますので、ますます面倒です。
考えてみれば、そうした面倒なことはすべて節子に任せてきた人生でした。
今回も節子が戻ってきて、采配を振るってくれるといいのですが、まあ無理でしょうね。
人生をうまく送るのは、それなりに大変です。
その大変さを、最近、痛感するようになってきました。
夜、目が覚めると時にちょっと不安になることもあります。
歳をとったなと思い知らされることが多くなりました。
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