■節子への挽歌4556:久しぶりの朝の手賀沼公園
節子
また、挽歌が書けなくなってしまっていました。
困ったものですが、仕方ありません。
時評編はなんとか時々書いていますが、実際にはフェイスブックに書いたことを転載しているだけです。
いろんな意味でまた私の中では時間が止まってしまった気がします。
今朝、思い立って、近くの手賀沼公園に一人で散歩に行きました。
時評編に写真と一緒に、そのことを少し書きました。
そこに一行だけ、節子のことを書きました。
節子が死に直面し、私が奇跡を願っていた時も、世界は無情にもそんなことなど気にすることもないように進んでいました。
最近、そのことを思い出して、また私の時間が止まってしまっていたのです。
節子の闘病中には、毎朝、一緒に手賀沼公園に散歩に行っていました。
その時に座っていたベンチに座って、しばらく釣り人たちの様子を見ていました。
あの頃と全く同じ風景です。
だれも魚を釣り上げないの、毎朝、こうやって釣りにやってくる。
人はみな、シジフォスの神話を生きているのかもしれません。
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