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2020/04/25

■コロナ危機を活かす〔2〕「自由か安全かの岐路」

今回は2つ目の岐路、「自由か安全か」を少し考えてみます。
これは、私たちが「政治」に何を期待するかにもかかわっています。
「小さな政府か大きな政府か」とか「自由主義か民主主義か」という問題です。
しかし、まずは個人に視点を置いて、考えてみたいと思います。

今日、私は湯島のオフィスに出かけます。
コロナ感染の危険性があるので、娘は反対しています。
もし私が感染したら、高血圧で高齢なので危険ですし、娘は肺に関する基礎疾患を持っていますので、これまた危険です。
私が感染したら娘にも感染し、さらに社会的にも感染拡大に加担することになります。

みんなのために外出自粛が社会的にも求められていますので、問題は「私だけの安全」ではありません。
社会の安全があってこその、個人の安全です。
私だけが「自由」に決められることではありません。
それでも私は今日、湯島に行きます、というか、行けます。
別にわが身を拘束されているわけではないからです。
しかし、その私の「自由な行動」が、他者を傷つけ、他者の自由を奪う恐れはゼロではありません。

自らの自由のために他者の自由を踏みにじったら、どうなるでしょうか。
その自由は、おそらく維持するためにさまざまな負担を強いてくるでしょう。
そして結局、自らの自由を実質的には不自由なものにしていきます。
長い目で自由を得たいのであれば、他者の自由も認めなくてはいけません。

こうして、自由もまた安全と同じように、自分を超えて、社会の問題につながっています。社会に自由があってこその、個人の自由です。
社会契約の考え方も、自らの自由を確保するために社会による規制を認めるというパラダイムです。
ベンサムは「最大多数の最大幸福」といいましたが、それは「最大多数の最大自由」なのかもしれません。

「自由か安全か」は、個人の話ではなく、社会のありようの話なのです。
いい方を変えると、個人(生活)を起点で考える社会か、社会(秩序)を起点で考える社会か、ということになります。
私は、若いころからずっと前者を前提にした生き方をしていますし、それに向けての活動をしてきました。
個人一人ひとりの自由と安全があってこそ、自由で安全な社会が成り立つと考えていたからです。

しかし、残念ながら時代はそういう方向にはなかなか動きませんでした。
多くの人は、「自由」よりも「安全」を求めているような気がしていました。
そして、今回のコロナ危機。

コロナによって、いま、「安全」を優先させて、「自由」を抑制する方向に大きく傾いているように見えます。
しかし、その一方で、「社会(秩序)」のために「個人(生活)」を犠牲にする状況も可視化されだし、それへの問い直しの動きも出ています。
過重な負担の中で働かざるを得ない医療関係者、あるいは保証もされないままに営業休止に追い込まれる事業者、さらには感染防止の名目で家庭に閉じこめられ、ネットカフェからは追い出される居場所のない人たち。

「社会のため」が「社会を壊す」ということは、かつてバブル経済がはじけた時によく言われた言葉です。
今回のコロナ危機もまた、そうしたことを可視化し、そうした動きの中から、これまで隠されていたさまざまな「自由」と「安全」の問題が顕在化されてきていますので、それが社会を変えるばねになるかもしれない、そう考えていました。

しかし、「自由か安全か」の岐路はそう簡単ではありません。
そこに、個人か社会かを重ねると、道は4つに分かれてしまうからです。
しかし、たとえば、スペイン戦争で生命を賭して立ち上がったレジスタンス、チェルノブイリ原発事故の処理のために自らの生命を差し出して解決にあたった炭鉱夫たちの事例を思えば、岐路はやはり2つなのかもしれません。
自己の自由と安全は、社会の自由と安全に重なっているからです。

宮沢賢治も、社会すべてが幸せにならないと個人の幸せはないと言いました。
そう考えると、道を分けるの「自由か安全か」ではないのかもしれません。
もう少しきちんと考えないといけません。

実はこれを書き出すときには、最近の風潮である「安全のために自由を抑制する風潮」が安全を失わせていくというようなことを書く予定でしたが、書いているうちに迷いが出てきてしまい、当初とは違う展開になってしまいました。
もう少し整理してから公開すべきかもしれませんが、迷いのプロセスも書いておくことにしました。

いずれにしろ、もう少し考えてみたいと思います。
時間はたっぷりとありますので。

 

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